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核分裂を阻止する「統一場理論」の話(2)

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(2)E=MC²の本質

 元々1つの力があったとすると、一体何が起きるかということで、信念に基づいて書いたのが「自然界の先駆的統一」という英語の論文である。この論文は、2005年に夢の中にアインシュタインが出てきて、それでいろいろ啓示を受けて、書いてみようと思って書いたものである。

 アインシュタインは科学者として有名だが、神に対する態度が非常に素晴らしい。そこに惹かれて五島氏は物理学を研究したという。アインシュタインは「神が何を考えているか、それを知りたい」と言っている。これと同じことを偉大な政治家であるチャーチルも言っている。マザー・テレサも「神が何をなさりたいか、そのお手伝いをしたい」と言っている。彼らは最初から人間の視点ではなく神の視点に入っている。

 いきなり神の視点に入るという発想が、偉大な人たちに共通してみられる。これも信念の一つかと思われる。

 アインシュタインは、神様が一体何を考えているのかということに非常に興味を持った。そのアインシュタインから啓示を受けて、五島氏が最初に考えたことは、歴史上、最も有名で最も美しいと言われるアインシュタインの公式、E=MC²であった。

 左辺のEはエネルギーであり、右辺のMは質量、Cは光速、光のスピードで、C²だから光速の2乗である。エネルギーと言うのは短時間にどれだけ仕事をするかということである。その公式をアインシュタインは導き出した。

 行動哲学の先生方は、よくこの公式を人間に置き換えて使っている。人間に置き換えると、質量はその人の資質、その人がどんな知識や経験を持っているかであり、光速度は行動力である。人間のエネルギーは資質と努力の2乗の積だから、資質が無くても、努力を限りなくすれば勝てるという解釈をするわけである。

 エネルギーとは短時間にどれだけの仕事をするかである。(高橋信次先生は「エネルギーを仕事をなしうる能力」と言った。)こんなエネルギーの定義は、アインシュタインが登場するまで皆無であった。E=MC²は驚くような公式である。この物理の概念は、入力と出力の関係という形で考えると、難しい数式を使わなくても判る。この際、入力は時間とすると、このぐらいの時間をかけたら(入力)、どのぐらいの仕事ができた(出力)、それがエネルギーであるということである。

 これはビジネスにおいても仕事の能力ということになる。入力と出力の比だから、入力が大きくて出力が小さい場合、物事を諦めることができない。経営者が新規のビジネスに手を出し、長期間、収益が上がらなくて、経営が傾くのは、それまでの入力が大き過ぎるからであり、それに見合った出力を求めようとして、なかなか新規ビジネスの罠から抜け出すことができない。経済やビジネスの世界、あるいは人間関係でも、これだけのことをしてあげたのだから、これだけしてもらっても当たり前、それ以上のことをしてほしいと思う。つまり、跳ね返ってくるものが入力より少ないと不満を感じ、跳ね返ってくるものが入力を超えていると感動が生まれるわけである。

 入力と出力という概念を多く用いる学問にサイバネティックスがあるが、物理学も、どれだけの時間をかけて、どれだけの仕事をするかがエネルギーであるという概念でできている。それに対して、従来のエネルギーがある。その1つが運動エネルギーである。ホワイトボードに使うマーカーを右端から左の方に向かって転がすと、「これはエネルギーがある」という言い方をする。物が転がったり移動していくときのエネルギーは運動エネルギーと呼ばれ、移動しているから移動距離がある。世の中にある物は、ほとんど運動エネルギーで説明がつく。微粒子が凄い勢いで皮膚に当たると熱として感じる。熱も運動エネルギーである。

 もう1つは位置エネルギーである。水力発電のように高いところにある水が落下するときの勢いを位置エネルギーと呼ぶ。高いところにある物はそれだけでエネルギーを持っている。高い山に登ると、それだけでエネルギーを持っていることになるので、酸素が希薄になっていく。もしかしたら、その人の体内で酸素以外のものをエネルギー源として大気中からとっているかもしれない。そう考えると、高い山に登る理由もわかる。

 大気は実に不思議であり、78%が窒素(N₂)、約21%が酸素(O₂)という、大気の組成比率が絶妙なのである。もし酸素が1%多い22%であれば、手が触れただけで、その摩擦で火が付く。もし酸素が22%もあれば、頻繁に山火事が起きて、文明など成立しない。逆に20%だと、窒息死すると言われている。だから78対21は絶妙なバランスなのである。

 もし必要があって、神様が大気の中に78%も窒素を作られたのであれば、なぜこれを人間は活用できないのか不思議である。窒素と酸素が結び付くと一酸化窒素になる。一酸化窒素はニトロの原料であり、心臓病の人は窒素を使っている窒素は酸素よりも軽いため、血液中に一酸化窒素が入ると、血液が泡立ってきてサラサラになり、血液同士がくっつかない。そんな形で医薬品として使われているのだが、ヨガや太極拳や瞑想をしている人は、どういうわけか一酸化窒素が肺の細胞や気管支の粘膜で大量に発見されている。息を止めている止息状態の時に粘膜で一酸化窒素が吸収しているようである。穏やかな呼吸、瞑想、マインドフルネスは、一酸化窒素が体内に取り入れられ、血液をサラサラにする効果があると思われている。

 「奇跡のリンゴ」で有名な木村秋則さんは、土壌に栄養を供給するときにマメ科の植物を使っている。マメ科の植物の根には根粒菌がいて、窒素をたんぱく質に変える。つまり、根粒菌は、空気中の窒素をそのまま食してお肉に変えることが出来るのである。これは仮説だが、もし食べないで生きる人がいるとすれば、大腸の中に根粒菌に近い菌がいるのではないか。そうすると、食べなくても生きられるというメカニズムに説明がつく。あるいは食べないのに、太る人もいる。そういう人の大腸を研究したら、面白い菌が発見されるかもしれない。

 そう考えると、それぞれの人の体質は大腸の菌の組成によって決まるはずである。また、膵臓からは、たんぱく質分解酵素プロテアーゼ、脂肪分解酵素リパーゼ、炭水化物分解酵素アミラーゼと言う消化酵素が分泌されている。膵臓の膵液ホルモン量を測る機械はまだそんなにないが、3種類の酵素は人によってパーセンテージが違うと思われる。

 さらに、脳の中からは7種類の主要なホルモンがでているが、これらのホルモンの組成も人によって違っていて、組成の違いがその人の考え方や気質、心の病気、運不運を決めていると思われる。

 酸素が極度に減るほどの上空に行くと、大気中にはクリプトンと言う不活性なガスが多く存在している。クリプトンは電球に使われる元素で、第3の眼が開くときに視床下部でクリプトンが発見されたというデータもある。すると、脳内で光を感じたというのは、あながち嘘ではないということになる。

 この辺で話を戻すと、人類が応用しているのは、運動エネルギーを稼ぐためには、物が高いところに移動する必要がある。ところが、E=MC²の公式の中には移動の要素が全くない。光速度はその物体の運動とは全く無関係だから、その物体は静止状態にある。静止状態にあるのにどうしてエネルギーがあるのか? これはなかなかピンと来なかった。


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