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聖徳太子の「未来記」開封(46)

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(46)天台宗から外れる日蓮

「第九章の3の読み下し文」

別に廣経を持ちて而して狡きを説き 檀那を惑わして餓鬼道に堕と令める 内は釈尊の妙文に違い

祖とは天台の教言に背く

(現代語訳)

また、廣経を手に取って悪賢いことを説き、檀那を惑わし餓鬼道に堕とす。内は釈尊の優れて霊妙な経典から離れ、そして外は天台宗の教言に背く。

(現代注釈訳)

「檀那」とは僧に金品を施す信者のこと。「釈尊」は釈迦のこと。「妙文」とは法華経のこと。罵詈雑言と誹謗中傷を布教の手段に用いた僧は、日蓮が恐らく最初である。誰もそれを行わなかったのは、それが仏法に逆らう手段と理解していたからである。その行為を継続することは、最後に釈尊の思いからも外れ、天台宗の大枠からも外れ去るとある。

(歴史的事実)

 仁治元年(1240年)、日蓮は比叡山に遊学し、天台宗の僧侶として仏陀の教えを学んでいる。その天台の正統の流れに片足を置いた日蓮も、そこから派生した各宗派を非難し、弘法大師の密教すら馬鹿にする行為に及び、ついには己の教えを唯一無二のものとした。不満が鬱積し、先の見えない不安の時代、不満をがなり立てる大声と、単純な主張が一般受けした。下剋上の兆しが見え始めるころだけに、他宗派を蹴落とす行為も時代とマッチしていたのかもしれない。

 

(卑しい者が集まり外道となる)

「第九章の4の読み下し文」

故に王臣は許さずして盗衆と名付け 武士は信じずして外道と呼ぶ 故に持って此の党等を信ずる者は 工男遊女 仰ぐ族は商人漁夫のみ

(現代語訳)

そのため君主や家臣たちはこれを認めず盗衆と名付け 武士も信仰せずに外道と呼ぶ。それゆえ、この者たちを信仰するのはもっぱら職人や遊女、そして商人と漁民だけである。

(歴史的事実)

 職人、工人、商人、漁民、そして遊女だけが日蓮に集まるに過ぎないとあるが、彼らは一般民衆である。一方、君主、家臣、武士は、当時の人口比から見てあくまでも少数派である。圧倒的多数は庶民であり、エリート層は権力のピラミッドの上部は占めても、下部の大きさには遠く及ばない。よって、この箇所を裏返せば、日蓮の教えが蔓延することを預言したことになる。その結果、何が起きたかというと、天皇の皇位継承が軽んじられ、仏教がさらに空洞化し、阿下喜の果ての最大の何分の時代を招き寄せる。

 主従関係が入れ替わり、親子がいがみ合い殺し合う、下克上の「戦国時代」の世に仲が訪れるのである。


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