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聖徳太子の「未来記」開封(45)

(45)三悪僧の二番目は日蓮である!

「第九章全文」

第二名日蓮法師 依法蓮華経而建邪法 作私門而軽神祇 著白依而厭黒衣

唱経名而忌念仏 書札而押門戸 以為自家之業 破仏戒而背法華経 違僧威儀而自招禍

別持廣経而令堕餓鬼道 内違釈尊妙文 而外背天台教言 故王臣不許而名盗衆 武士不信而呼外道 故以此黨等信者 工男遊女 仰族商人漁夫耳

(第九章の1の読み下し文)

第二は日蓮法師と名づく 法華経に依りて邪法を建て 私門を作りて誹謗を吐く 正法を僄して神祇を軽んじる

(現代語訳)

2番目は、名を日蓮法師という。法華経に則りながら、邪法を宣べて自分の宗派を興し、悪口を言っては正法と神祇を軽んじる。

(現代注釈訳)

「邪法」とは真理に背いた道のことである。「正法」とは真理の道のこと。「神祇」は天津神と国津神のことである。天津神は天照大神のこと。国津神は葦原中国、あるいは中津国を治める大国主などの他の神々を指す。

(歴史的事実)

 日蓮は鎌倉時代の僧で、法華宗の開祖。題目である「南無妙法蓮華経」を唱えるだけで救われるとする、法然の「南無阿弥陀仏」の念仏三昧と同じ仕組みを作り出す。根は同じで、違う点は他宗派すべてを見下し、罵詈雑言を浴びせ、他人を非難することに終始したこととされる。

 大声を張り上げて辻説法を得意とした日蓮は、南無阿弥陀仏の念仏を唱える浄土宗徒に対し、死後に地獄の最下層である無間地獄に落ちると脅す。これを「念仏無間」といい、禅宗徒に対しても「禪天魔」と叫びながら、全て悪魔の教えと断罪した。さらに弘法大師の真言宗徒に対しても、「真言亡国」と叫びながら、お前たちがいるので国が亡ぶと罵詈雑言を浴びせかけた。さらに中国で誕生した鑑真和尚が日本に伝えた律宗徒に対しても、「律国賊」と最大級の誹謗中傷を行い、多くの人々の心を傷つけて回った。これを「四箇格言」という。

 その日蓮の慇懃無礼な態度が当時の閉塞感と欲求不満にあえぐ人の心をつかみ、一気に信者を獲得していく。

(災いを自ら招く日蓮)

「第九章の2の読み下し文)

白衣を着て黒衣を厭い 経名を唱えて念仏を忌み 札を書して門戸に押し 以て自家の業と為す

仏戒を破りて法華経に背き 僧の威儀に違えて而して自ら禍いを招く

(現代語訳)

白衣を身に着け黒衣を避け、経名を唱えて念仏を嫌い、札に書いて出入り口に貼り付け自分自身に生業とする。仏戒を破って、法華経に背き、僧の威儀に合わないことをして、自分から禍を招く。

(現代語訳)

「経名」とは経典の名で、南無妙法蓮華経のことである。「仏戒」とは仏の戒め。「僧威儀」とは法則にかなった振る舞いのこと。法華経は仏の教えを説く優れた経文でも、日蓮の傲慢不遜の姿勢で汚されてしまったとする。

(歴史的事実)

 仏陀の教えに、自らを率先して他人を誹謗中傷せよという教えはない。むしろ悟りには過ちを清める力があり、「過去の大勢の人を殺したアングリマーラのように仏陀の教えに帰依し、心を入れ替えて修行に励めば、生きながらに過去の罪は消える」と教える。そこには故意に人を傷つける思いは一切ない。

 一方の日蓮は、地震、洪水、飢饉、疾病などの自然災害が起きるのを民衆と鎌倉幕府が、浄土宗・禅宗・真言宗・律宗を信仰するからと非難し、法華経に帰依すれば全てがおさまると豪語した。

 そのため日蓮は恨みを買い、他宗派の人々から松葉ヶ谷の庵室で夜襲を受けるが、その寸前に逃亡する。それでも日蓮は再び幕府に捕らえられる。前は伊豆に流されている。今度ばかりは鎌倉の龍ノ口で斬首されそうになるが、寸前に減刑されて今度は佐渡島に3年間流されている。注進する者がいたからである。恐らくは六波羅探題か鎮西探題あたりからだろう。

 天から石が飛来し、振り下ろされる寸前に刀身を砕いたというのは作り話で事実ではない。それほどの天啓があれば鎌倉幕府が島流しにすることはない。

 また、元寇を典型で預言したというのも大げさで、確かに日蓮は「立正安国論」を幕府に上程して国難を主張したが、中身は以下のようなものである。

「当今いろいろと国に災いが続くのは念仏の流行に原因がある。もし、これを禁じなければ、更に内乱外寇が必ず起こるであろう」

 この内容は、念仏三昧を行う浄土宗への弾圧が目的で、幕府がそうしなければ地震がおさまらず、元軍も襲ってくるという内容だ。当時、元が巨大な勢力を持ち、国土を拡大していることは大陸交易の中でも伝わっていることだ。日蓮でなくとも、元の要求を拒絶すれば元が軍事力を使って攻めてくることは当然だった。預言でも何でもないのである。

 フビライ汗からの死者を斬首したとき、朝鮮半島へモンゴルの大軍勢が大集結したことも事実。そこで多くの軍船が建造されたが、その状況も商人や僧によって日本にもたらされていた。山々の森林を伐採し、海を埋め尽くす軍船の建造を秘密にしておくことは不可能で、鎌倉幕府は不意を突かれたわけではない。事実、元軍の到来に備え、鎌倉幕府は「異国警固番役」を設置し、鎮西奉行の少弐氏(武藤氏)や大友氏に対して戦争の準備を命じている。

*私は高橋信次先生の講演の中で「日蓮は600年間、地獄で反省していた」と聞いたことがあり、やはり、「他人を誹謗中傷したり、罵詈雑言をすれば、すべて災いが自分に帰って来る」と教えられたことがある。


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