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聖徳太子の「未来記」開封(21)

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(21)「未来記」の預言

 国立国会図書館所蔵の「未来記」(写本)の表紙を見ると、「日本国未来記」の一文が打たれている。それが「未来記」の真の呼び名である。

 第3代将軍・徳川家光が幕府の権力で四天王寺から出させた巻物の表紙に、その名が打たれているという。つまり、原本である巻物の方にも同じ名が打たれいるということである。

 そこで今回、「未来記」の第一章から順に内容を見るわけだが、章分けは飛鳥氏が便宜上したもので、原文(写本)に章分けがあるわけではない。

 さらに分かりやすくするために、長い章の場合は小分けにし、(読み下し文)、(現代語訳)、(現代注釈訳)、(歴史的事実)を表していく。

 さらに、序章を除く各章の最後に、「歴史的現代→日本」と「歴史的現代~近未来→世界」をつけ、さらに説明が必要な場合は(参考資料)を加えながら,現代日本と未来世界を読み解くことにしたい。

 そこでまず本文最初の1行目だが、そこに「太子厩戸奉勘之」とある。

 これは「太子厩戸之を勘し奉る」と読み、これが厩戸皇子である聖徳太子に関わる巻物であることを表明する一文になっている。

 そこ後、日本の過去から未来に至る「未来記」の全文へとつながっていくのである。

<預言書の宣言>

「序章」

「大日本国末世勘計也 自今己後過六百年時節」

(読み下し文)

「大日本国の末世の勘計也 自今己後 六百年の時節を過ぎて」

(現代語訳)

「これは日本の道義が廃れた時代を預言するものである。今から六百年の時が過ぎ去った後より記す」

(現代注釈訳)

 冒頭からこの書が日本の未来の出来事を記した預言書であると表明している。

 これがあるため、今の学者たちは、預言などあるわけがないと称し、だから偽書と決めつけてあざ笑う。それはユダヤ密教でいうカッバーラ、知識があっても無に等しい存在を地で行く愚行となる。

 このように大上段で預言表明から始まる「未来記」は、「未然記同様、世界を探しても稀で、「聖書」の他わずかしか存在していない。

 聖徳太子が亡くなったのが、西暦622年であり、「未来記」はその600年後から始まるため、西暦1222年から起こる日本の出来事を預言していることになる。

 その頃の日本は鎌倉時代で、アジアではモンゴル民族がユーラシアの大草原を闊歩し、ヨーロッパでは十字軍がエルサレムに遠征していた。

 しかし、ここに一つの謎が生まれる。

 なぜ「未来記」は、太子の死後600年後から預言を開始したのだろうか?

 それまでの600年間は、日本史において価値もない無意味な時代だったのだろうか?

 そんなことはない。なぜなら「未然記」には、その時代の出来事も詳細に預言されているからである。一体、1222年に何が起きたのだろうか?

 それが「未来記」の謎を解く最大の鍵になっている。

 それを本書の後半部分で解き明かすことにする。


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