(20)「未来記」も両義預言だった!
以前、飛鳥氏は四天王寺が徳川幕府に差し出した「未来記」を、ダイジェストの抄録ではないかと推測したことがあるという。そうであれば、「未然記」に劣らね長文の「未来記」が存在することになる。
それ以外として考えられるのは、楠木正成が四天王寺の所蔵する「未然記」を読んだところ、四天王寺側がその礼状の表題を「太子未来記伝義」としたため、「太平記」でも「未来記」になってしまったという可能性である。
それを示唆する四天王寺の瀧藤管長(当時)の話がある。聖徳太子の預言書は、一部、先の戦災で焼けてしまったが、巻物として数巻が残っているという発言である。その話を飛鳥氏の知り合いのN氏がテープで保管しているという。
そうなら、四天王寺が「未来記」の他に「未然記」も所蔵している可能性が出てくる。「未然記」も聖徳太子の預言書で、「古事記」、「日本書紀」同様、記紀で一対なら、「未来記」のあるところに「未然記」もある理屈になる。つまり、法隆寺も「未然記」を所蔵しているはずである。
そこで最も可能性のある結論として、飛鳥氏は楠木正成が「未来記」、「未然記」の両書を見たと考えている。
楠木正成は後醍醐天皇の勅使でもあったはずで、後醍醐天皇の強力な後ろ盾があった。その証拠は「石切神社」にも存在した。正成が石切神社の秘文「遺書傳来記」を閲覧した礼状が存在したからだ。
礼状は昔の戦乱で焼失したらしいが、天皇の命令があればこそ、一豪族に過ぎない正成に門外不出の秘文を開帳したのだろう。
そんな正成に、四天王寺が「未然記」を見せたが「未来記」を見せないということは、ほとんどあり得ない。どちらも後醍醐天皇の時代を預言しているからである。
そうなると、正成は四天王寺で両書を見た可能性が高くなる。「太平記」はその一つを公開したに過ぎない。
実は、国立国会図書館の「未来記」には、楠木正成と後醍醐天皇が活躍した鎌倉時代末期から南北朝の預言しか書かれていない。
しかしである、「未来記」も「未然記」同様、両義預言の可能性が高い。そうでなければ、未だに四天王寺と法隆寺が「未来記」を門外不出にする理由が見当たらない。「未然記」同様、これから先の終末世界の出来事も読み解けるので出せないのである。
もし「未来記」に、鎌倉時代から南北朝までの預言しかないのであれば、現在、両寺はそれを開封してもよいはずである。そうしない理由は他にある。
「未来記」が世に出れば、間違いなく日本の仏教が滅亡、あるいは確実に衰退するからである。つまり、現在のことが両義として預言されているからである。
一部の学者が主張するように「未来記」は旧仏教派の捏造した偽書で、それをもって台頭する新興仏教勢力を貶めようとしたのなら、とっくに世に出てもいいはずである。それが未だに封印されているのは、学者たちの推測が的外れであるということである。
飛鳥氏の手元の「未来記」を読む限り、現代を含む未来に起きる出来事や、未曽有の大災害、あるいは天変地異などが記されている。それも並みのレベルではない。世界が崩壊する内容なのである。つまり、「未来記」は「未然記」同様の両義預言書となる。
確かに後醍醐天皇の頃を預言しているのは事実だが、同様のことが戦中戦後の日本に繰り返されていたことが判明した。さらに、21世紀の世界で、それが拡大して起きることも分かった。「未来記」もそのように作られていたのだ。
「未来記」が世に出ると、言い伝えのとおり、日本の仏教は完全に消滅するだろう。いや、世界規模で仏教が消滅する。だから、法隆寺と四天王寺は「未来記」を出さないのであり、出せないのが真相なのである。