(13)「未然記」第五百歳の出来事(日本編)
「第五百歳の出来事 四」
「山鷲舎馳野鳥 野鳥飛舎呑東魚」
(預言内容→日本編)
敗戦間際になると、軍は自分のしでかした不始末を誤魔化すことに躍起になり始める。陸海軍は、作戦の失敗を相手のせいにし、時には一緒になって臭いものに蓋をしてごまかそうとした。陸海軍は互いに敗北の責任を転嫁し、大本営の末期は実に醜い有様だった。
「山鷲」は、鳶やタカなどの猛禽類の中の王者で、過去、ローマ帝国をはじめとする多くの軍事帝国は、ナチスドイツも含めて鷲を勇猛さの象徴として掲げてきたが、アメリカほど鷲をシンボルとして象徴化した国は他になく、実際、アメリカの国鳥は鷲である。
特にアメリカは、鷲の中でも王者ともいうべき白頭鷲を掲げ、紙幣や大統領のシンボルに使う。鳥の王者であるアメリカが、連合軍を率いて極東の帝国が侵略した領土を奪い返したことは歴史的事実である。
サイパン島を奪回し、制空権をアメリカに奪われた日本に対し、無数のB-29を送ったが、飛来する巨大爆撃機の光景は、まさに鷲が襲い来る姿だった。
アメリカの爆撃機が日本上空に姿を現し始めると、軍はもはや劣勢をごまかしきれなくなる。そこで、大本営は、「神国日本に敗北はない」、「負ければ鬼畜米英に男子は去勢され奴隷にされる」、「婦女子は全員暴行される」と、海外情報が遮断された国民を騙し、恐怖感でなおも支配しようと画策した。
日本を占領したのはアメリカ一国ではない。マッカーサー元帥は「GHQ SCAP(連合国最高司令官総司令部)」の最高権力者だった。つまり、マッカーサーは連合軍の最高司令長官であった。
そのためワシントンには、日本占領に関わるアメリカ、ソ連、イギリス、中国など11か国による「極東委員会」が設置され、アメリカ、ソ連、イギリス、中国の「対日理事会」が東京に置かれていた。
当時ソ連はマッカーサーに対し、日本をドイツのように米ソだけで分割するよう提案したが、マッカーサーは拒否している。この逸話が日本に置けるアメリカの絶対的支配権を明確にする。
こうして極東の魚は、鷲と連合する野鳥に呑み込まれてしまう。鷲に集まる2羽の野鳥は、敗戦後の日本処理を話し合った「ヤルタ密約」(1945年2月)で、アメリカのルーズベルト大統領が、イギリスのチャーチル首相と、ソ連のスターリンと対談したことを示唆している。
「第五百歳野出来事 五」
「忠聖身伏刃 侫賊自振鋒」
(預言内容→日本編)
当時の日本国民の多くは、軍のために兵役についたのではなく、天皇陛下のためについた。だから皇軍とおだてられたのである。軍はそれを利用して肥大化し、多くの若者を軍の駒として使っていく。そしてそのほとんどを犬死させたのである。
戦前戦中にかけて軍が行った侵略行為は、天皇の名を借りた賊の欲望が生み出した狂気だった。その結果、多大な損害と犠牲者を生み、自国は焦土と化した。逆賊の軍は、敗戦の臭いを嗅ぎつけると、国民すべてを道連れにする大量虐殺を立案して実行に移す。
「学徒出陣」は、戦後復興に欠かせなかった多くの若い知識層を最前線に送ることで、戦後日本の未来を根絶やしにすることだった。
「神風特攻作戦」は、6000名もの若者を犬死にさせるため、軍が編み出した人権無視の最悪作戦だった。事実、特攻機のほとんどは、銃弾幕を突破できず、8割以上が撃ち落とされて海の藻屑と消えている。
対艦命中率も、16・5~18・6%に過ぎず、爆弾や魚雷を放つ通常攻撃の方が、パイロットを残存させた上、戦果の上でも大きな実績をあげられたはずである。
「国民総動員体制」は、国に残るすべての女性や子供、老人、病人を兵士とみなし、竹槍と素手で完全武装のアメリカ兵に突入させることを意味した。
大本営が叫ぶ「一億玉砕火の玉」の詭弁で、軍を守る盾に女性や子供、老人を使おうとした行為で、過去どの軍も行ったこともない女々しさだった。
戦艦大和を片道燃料で沖縄に出航させたのも、陸軍に対する海軍の面子を立てることだけが目的だった。こうして、富国強兵の軍事教育で育てられた人々は、肉親を守る純粋な気持ちで戦地に赴き、大切な命を逆賊のために捧げる羽目に陥ってしまったのである。
「第五百歳野出来事 六」
「天分南北帰乱 上立北天従下」
(預言内容→日本編)
やがて軍は消滅するが、自衛隊という新たな姿で復活してくる。今は、自衛隊は昔の軍のようにクーデターを起こし、他国を侵略する体質は持っていない。しかし、問題は、自衛隊を動かす立場にある政治家の方である。
戦後、政治的な二つの勢力が対峙し、大いに争うことになる。やがて一方は有利に立ち、片方を従えて吸収してしまうことになる。
戦後の日本は、アメリカがもたらした民主主義を謳歌するようになった。戦後の天下取りの意味は、民主的な政策論で争うことへと変わる。
明治憲法下の帝国議会も、選挙でえらばれることには違いなかったが、女性でも選挙権を得る民主選挙は戦後を待たなければならなかった。
軍が消滅すると、「末は社長か大臣か」と歌われるようになり、出世の筆頭に大臣があげられていた。その観点で天下取りを見た場合、戦後日本を奪い合ったのは、「自民党」と「社会党」だった。
両政党が対峙する二極対立の時代は、戦後から平成にかけて40年余りも続いた、しかし、選挙を甘く見た自民党は、汚職と永田町理論に終始した結果、新進党を中核とする社会党との連立政権に、それまでの一党支配体制を崩されてしまう。その劣勢を挽回するため、自民党は旧体制時代に政敵だった社会党と手を組むという、さきがけの奇襲に乗って乗り切ってしまう。その交換条件にしたのが、社会党の村山党首に総理大臣の席を与えることだった。それは、南北朝合一の条件に、交互に両勢力から天皇を出す約束事に酷似する。その結果、策謀に乗った社会党は、自らの信念を売り渡した後、勢力を失い失速してしまう。昔は、どちらに多くの武将が集まったかで競い、その結果、金閣寺を象徴にする拝金主義と、海外防衛機によるバブルを象徴する「室町幕府」が誕生する。ところが、足利政権に内在する数の論理が、結果的に当時の政権を腐敗させ、大きく国を失速させていった。
戦後日本の最大の油断は同じようにして起こり、自民党政権下で踊り狂った日本は、バブル崩壊とともに一気に沈没し、800兆円近い、借金を生み、赤ん坊を含む国民に一人当たり500万円超背負わせることになる。
これを長期債務残高と言い、選挙で自民党を選び続けた責任を全ての日本人が借金返済をもって果たさなければならなくなった。これは国に対する国民的債務である。誰一人逃れることはできない。
拝金主義と室町幕府の崩壊とともにやってきたのが「戦国乱世」の世の中だった。そして現在、自衛隊の海外派遣と共に、国際舞台はテロの火種を抱え、北朝鮮とイランの核兵器開発問題と相まって、出口無き大戦乱の予兆に震え始めている。これが「太平記」と共通する「未然記」の預言した、現代日本の有様である。