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聖徳太子の「未来記」開封(10)

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(10)楠木正成が見た「未来記」の謎

 「未来記」を見た楠木正成は、それを読んだ礼状を四天王寺に送り、それが「太子未来記伝義」として四天王寺に所蔵されている。

 正成は書状の中で「未来記」を、「此れ」、「是書」と記すが、表題を四天王寺側が「太子未来記伝義」と題する以上、正成の書状が聖徳太子の預言書を見た礼状以外にあり得ない。

 「太平記」に登場する「未来記」の預言内容との一致から、「未然記」を正成が読んだ可能性を示唆した。なぜなら、「太平記」によれば、「未来記」にあるはずの預言が、国立国会図書館の「未来記」の写本に記されていなかったからである。

 「太平記」は、1368年~75年の作とされているが、作者等の詳細は一切不明である。

 1332年、後醍醐天皇が執権・北条高時の手で島流しにされた。代わって立った護良親王は、北条氏を打倒すべく吉野で挙兵し、河内の武将・楠木正成も四天王寺で陣を敷いていた。その時に楠木正成が閲覧した「未来記」の預言に、正成は士気を高め、勇猛に敵軍と戦ったと「太平記」は記していた。その時に楠木正成が見た「未来記」の内容は、以下のような文面とされている。

(太平記本文)

「当人王九十五代、天下一乱、而主不安、此時東魚来呑四海 日没西天 三百七十余箇日 西島来食東魚 其後海内帰一 三年如瀰猴者掠天下三十四年 大凶変帰一元云々」(太平記 巻の第6)

(読み下し文)

「人王九十五代に当たり 天下一たび乱れ 而主安く不ず 此の時、東魚来て四海を呑む 日西天の没する三百七十余箇日 西鳥来て東魚を食う 其の後ち海内一に帰するに三年 瀰猴の如の者天下を掠るに三十年余り 大凶変じて一の元に帰すと云々」

(現代語訳)

「第95代後醍醐天皇になり、国家が乱れてきた。この時、東の魚が来て4つの海を呑む。太陽が西に沈んで370日余り。西の鳥が来て、東の魚を食べる。その後、海に帰るのが3年後である。大きな猿のような者が、30年余り国家を奪ってしまう。その後、災い変じて元に戻ることになるという。」

(現代注釈)

 「太平記」の記述が事実なら、「人王」は天皇のことを指し、その95代目となる後醍醐天皇を言う。すると、その時代の「天下一乱」とは、「元弘の変」(1331年)のことで、原因は、平安京から見た東、すなわち「東魚」である北条高時のせいと解釈できる。

「日没西天」とは、後醍醐天皇が隠岐に島流しにあう比喩で、「三百七十余箇日」が1年少しの意味なので、やがて西の勢力が盛り返し、最終的に鎌倉幕府を打ち倒すことになる。

 それが「西島来食東魚」であり、西の島に当たる楠木正成ら後醍醐天皇側の軍勢が、東の魚である北条軍を打ち破るとなる。

「三年如瀰猴者掠天下」とは、その3年後に犬顔で猿のような足利尊氏が転訛を奪い取るということを言い、「三十余年大凶変帰一」で南北朝が併合統一されると解釈される。

 なぜなら、足利義満が室町幕府の3代将軍になったのが1368年、義満が南北朝を統一したのが1392年なので、30年余りで南北朝が統一されたことになる。

 これと対応する預言が「未来記」には無いが、「未然記」(第八百歳)にはあった。


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