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聖徳太子の「未来記」開封(9)

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(9)カッバーラでの現代部分の算出法!

 「未然記」は622年から1621年まで以下のように続くことになる。

①第初百歳  622年~721年

②第次百歳  722年~821年

③第三百歳  822年~921年

④第四百歳  922年~1021年

⑤第五百歳 1022年~1121年 *

⑥第六百歳 1122年~1221年 

⑦第七百歳 1222年~1321年

⑧第八百歳 1322年~1421年

⑨第九百歳 1422年~1521年

⑩第十百歳 1522年~1621年

⑪第次百歳 1622年~1721年

⑫第三百歳 1722年~1821年

⑬第四百歳 1822年~1921年

⑭第五百歳 1922年~2021年 *

⑮第六百歳 2022年~2121年

 このようにカッバーラで計算すると、21世紀初頭の現代(*印)は、「第五百歳(*印)」の預言時代となる。同じ出来事を一つの象徴で語る預言は、ヘブライでは決して珍しいことではない。

 これを「両義預言」といい、紀元前750年頃の預言者イザヤが最も得意とする預言方法だった。

 イザヤは、100年先に起きる地域的(ユダヤに関わる地域)な出来事の預言を通して、同じことが世界規模で未来に起きることを預言する使い手だった。段階的拡大預言と言ってもいいかもしれない。

 それで分かるように、聖徳太子はイザヤと同じ手法を用いて「未然記」を記していたことになる。

 さらに聖徳太子は、古代中国の「ホロスコープ(十二宮図)」というべき「十二支」と、10日ごとに循環する「十干」を組み合わせた、複雑な数字体系をも取り入れている。

 十二支は、古代中国で「蔵(木星)」が、約12年で太陽を1周することから、木星を中心に黄道を12区分し、干支に当てはめた十二宮のことを言う。

 十二支は、「子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥」と表す。

 十干は、「甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸」で、1から順に数える十進法のことである。

 聖徳太子は、その十二支と十干を組み合わせた60の組み合わせの「六十干支」の手法を「未然記」に組み込んでいる。

①第初百歳  壬午(622年) ~ 辛酉(721年)

②第次百歳  壬戌(722年) ~ 辛丑(821年)

③第三百歳  壬寅(822年) ~ 辛巳(921年)

 

④第四百歳  壬午(922年) ~ 辛酉(1021年)

⑤第五百歳  壬戌(1022年)~ 辛丑(1121年) *

⑥第六百歳  壬寅(1122年)~ 辛巳(1221年)

 

⑦第七百歳  壬午(1222年)~ 辛酉(1321年)

⑧第八百歳  壬戌(1322年)~ 辛丑(1421年) *

⑨第九百歳  壬寅(1422年)~ 辛巳(1521年)

 

⑩第十百歳  壬午(1522年)~ 辛酉(1621年)

⑪第次百歳  壬戌(1622年)~ 辛丑(1721年) *第千百歳

⑫第三百歳  壬寅(1722年)~ 辛巳(1821年)  第千二百歳

 

⑬第四百歳  壬午(1822年)~ 辛酉(1921年)  第千三百歳

⑭第五百歳  壬戌(1922年)~ 辛丑(2021年) *第千四百歳

⑮第六百歳  壬寅(2022年)~ 辛巳(2121年)  第千五百歳

 

 このように、3括り(300年)周期で1単位の法則が見えてくる。

 「壬午(みずのえうま)~辛酉(かのととり)」、「壬戌(みずのえいぬ)~辛丑(かのとうし)」、「壬寅(みずのえとら)~辛巳(かのとみ)」の3単位一組の繰り返しのことである。3単位一括りを縦横に駆使しているのがカッバーラである。

 ユダヤ密教では、カッバーラを具象化した象徴図形があり、それを「生命の樹」と表していた。

 その図形は、横に中央の「均衡の柱」、向かって右の「慈悲の柱」、向かって左の「峻厳の柱」の3柱を置き、楯に上から「至高の三角形(至高世界)」、「倫理の三角形(中高世界)」、「アストラル三角形(下層世界)」の3区分を置く。これを「ヒエラルキー(位階)」と言い、世界を「3×3」の升目で覆う。

 21世紀に突入した現在(*印)が「壬戌~辛丑」となり、同じ六十干支百年として「第次百歳(*印)」と「第八百歳(*印)」が当てはまるということである。

 よって、現代「第五百歳(第千四百歳)→1922年~2021年)」の世界規模の預言は、「第五百歳」を中心として、「第八百歳」と「第次百歳」を見ればよいことになる。ただし、数字により預言がなされるのではなく、数はあくまでも従であり、それに囚われると本末転倒し数字が主になる。主は預言であり、生命の樹であり、カッバーラであり、数は奥義に至る道しるべに過ぎない。

 多くのカバリストたちは、数の魔術の取りつかれて、数の謎解きに生涯をささげた結果、自らの作った迷路で堂々巡りし、死ぬまで奥義である生命の樹にたどり着けなかった。

 以上が「未然記」の時間区分における基本構造である。


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