(2)聖徳太子と秦氏の謎
聖徳太子は余りにも謎が多い人物である。
天皇家の血筋でありながら推古天皇に仕える摂政の位に甘んじ、聖人としての政治を行い、日本の舵取りを過たなかった。そのため、現代では真の天皇の意味で「裏天皇」とも称されている。
そのブレインがまた謎に満ちている。当時、聖徳太子と謎の一団の関わり方は尋常ではなく、その一団の名は「秦氏」という。
歴史的に秦氏は帰化人である。応神天皇の頃、朝鮮半島の百済を経由して渡来したとされるが、実際には新羅経由で渡来したことが判明している。
それにもかかわらず、「日本書紀」は百済経由と偽っている。国史が偽る理由は、一つしかない。出生を隠すためである。
事実、秦氏の使った瓦紋は新羅系の八花弁の菊紋で、氏寺である「広隆寺」に安置されている「弥勒菩薩半跏思惟像」も新羅系の仏像である。
さらに秦氏は、始皇帝の死後起きた戦乱によって、始皇帝が築いた秦から、逃れてきたという。だが、もしそうなら秦氏は漢民族となる。ところが、大陸から当時の馬韓へと入って来た秦氏を、魏の国史である「三国志」「魏志・東夷伝・韓伝」は、風俗、習慣が全く違う秦人と記している。漢民族ではない「柵外の民族」の意味である。
つまり、聖徳太子のブレインだった秦氏は、出生も渡来までの経由も謎だらけの民族なのである。
一方、秦氏の日本における功績は大きく、「仁徳天皇陵」に代表される巨大古墳の建造や、「平安京」の設計と建設、河川工事や道路建設等における高度な土木技術を持つ技能集団だったことが判明している。
その秦氏が、聖徳太子を擁護し、秦氏の総大将だった秦河勝は、聖徳太子の影として二人三脚の働きを見せる。
その中核的秘密集団が「卜部」、「忌部」である。彼らは聖徳太子の勅命を受け、「先代旧事本記大成経」を国家記録として編纂し、それを代々伝え残したとされている。
今も、その子孫が四国山中に住み、阿波忌部は、天皇が天皇となるときに不可欠な「大嘗祭」の要の一つになっている。大嘗祭で天皇が着衣する「麁服」を織ることが許されているのは、忌部の三木家だけである。
このことだけでも、秦氏と天皇の尋常ではないつながりを垣間見ることができる。
「未然記」は、「先代旧事本記大成経」の69巻目として編集された巻物で、聖徳太子の預言を書き残している。
一方の「未来記」は、それ自体が独立した預言書になっている。
法隆寺の秘宝を納める鋼封蔵に長年隠されてきた「善光寺如来御書箱」なる秘宝がある。それは聖徳太子が善光寺の阿弥陀如来と3度にわたって交わした巻物とされ、現在、法隆寺は表向きには開帳しない姿勢をとっている。
しかし、善光寺如来御書箱の内箱には、徳川家の家紋である「葵の御紋」があり、その中に南北朝時代の特徴を持つ錦の袋が入っている。
南北朝時代と言えば、後醍醐天皇の頃で、それが秘宝であるのに開けられた証拠があることは、両方の時代に、門外不出の「未来記」も開帳された可能性が出てくる。それを読んだ楠木正成の時代が後醍醐天皇の頃と一致するのである。
善光寺如来御書箱が開帳された理由は、法隆寺とはいえ権威に逆らえなかったからである。同様に四天王寺で楠木正成が「未来記」を閲覧した経緯についても、一地方豪族のために秋之坊当大僧正が秘蔵の預言書を閲覧させるとは思えない。その裏には正成が仕えた後醍醐天皇の勅命があったと考えた方が理に適う。
国立国会図書館から「未来記」「未然記」の両方がそろい出た時、さすがの飛鳥氏もあっけにとられたという。その後、「高野山大学」にも「未来記」があることと分かり、東京都内の某図書館にも「未来記」が保管されていることが判明した。
高野山大学と言えば、空海が開いた「金剛峯寺」に関わる大学で、空海と言えば、秦氏が後ろ盾となって唐に送り込んだ弘法大師のことである。
弘法大師は、わずか半年で長安の恵果から唯一の密教継承者として認められ、大陸から仏教の奥義を持ち帰り、真言密教の開祖となった人物である。
その大師が訓話の中で、神道と仏教と儒教は同じ根から派生したと説き明かしている。同じ頃、当から戻った最澄が密教奥義の伝授を大師に依頼するも断られたという。密教は奥義であり、誰にも明かすものではないとされている。ユダヤ密教では、それを「カッバーラ」と称し、天が選んだ者以外に伝授すれば、受けた者が自滅すると教える。授けるのは天の意思であり、それがないと授かってはならないのである。
実際、カッバーラの意味は受動的な「授かる」であり、自ら「欲する」能動的な意味を含まない。つまり、最澄は知識があっても天から選ばれなかったことになる。だから、大師はそれを最澄に伝えただけとなる。
カッバーラと真言密教に何のかかわりがあるのかと思う人もいるだろう。ユダヤと日本ならなおさらである。しかし、カッバーラが雷の閃光を象徴とする啓示を要とし、預言をその奥義としている。その構造は「三本の木」で象徴され、三柱構造を神界の仕組みと説いている。それと同じ構造が京都の太秦にある。秦氏の氏神を奉る「蚕の社」に立つ「三柱鳥居」である。ここにも秦氏が登場している。蚕はシルクロードを暗示し、実際、シルクロードの出発点は中東(イスラエル付近)であり、終着点は極東の日本である。出発点と終着点、両者が無縁である道理はない。