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カッバーラでしか解けない「ヨハネの黙示録」(77)

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(77)最後の審判の後、新しいエルサレムが天から舞い降りる!

 最後の審判の後、人はそれぞれ至高の三角形世界(太陽の輝き)、倫理的三角形世界(月の輝き)、アストラル三角形世界(星の輝き)へと向かう。さらに各世界ごとに幾つもの世界が用意されており、その数は下に向かうほど多くなる。

「また、天上の体と地上の体があります。しかし、天上の体の輝きと地上の体の輝きとは違っています。太陽の輝き、月の輝き、星の輝きがあって、それぞれ違いますし、星と星との間の輝きにも違いがあります。」(新約聖書「コリントの信徒への手紙 一」第15章40~41節)

 サタンや悪霊が送られてくるのは、「獄」と呼ばれる絶対暗黒の世界だ。それが真の地獄で、そこは血の池地獄もなければ針山地獄もなく、イエス・キリストのわずかな光さえ届くことはない。なぜなら、彼らは神を完全拒絶したからである。

 そこに送られるのは、サタンと悪霊だけではない。それでは、どういう者が獄へ行くのか? 

 バプテスマを受けて原始キリスト教会に所属した後、神を裏切った人々である。死ねまでに神と和解し、再び悔い改めれば罪を問われることはないが、そうでなければ永遠に死ぬ。ただし、霊は永遠不滅なので死ぬことはないから、ここで言う死とは、永遠に絶対暗黒の世界に閉じ込められることを意味する。それを「第二の死」、もしくは「永遠の死」という。肉で死に、霊でも死ぬのだ。

「死も陰府も火の池に投げ込まれた。この火の池が第二の死である。その名が命の書に記されていない者は、火の池に投げ込まれた。」(新約聖書「ヨハネの黙示録」第20章14~15節)

 獄はサタンと悪霊どもがいて、そこに落ちた人々を永久に愚弄し、嘲笑し続ける。その悔しさと口惜しさは尋常ではなく、いくら自分を恨んでもすべてが後の祭りで、悔やんでも悔やみきれない。それが「火と硫黄の燃える池」の正体である。

 カッバーラでは「永遠」や「永久」には深い意味があり、それが罰と関わるわけだが、それは今の段階では明かさない方がいいだろう。

「しかし、臆病な者、不信仰な者、忌まわしい者、人を殺す者、みだらな行いをするもの、魔術を使う者、偶像を拝む者、全て嘘を言う者、このような者達に対する報いは、 火と硫黄の燃える池である。それが第二の死である。」(新約聖書「ヨハネの黙示録」第21章8節)

 「第二の死」は、至高の三角形(太陽の輝き)に入れないことを意味し、星の輝きの人々を指す場合もあるから必ずしも獄に落ちた人々のみに使う言葉でもない。だから、「臆病な者、不信仰な者、忌まわしい者、人を殺す者、みだらな行いをする者、魔術を使う者、偶像を拝む者、全て嘘を言う者」の全てが獄に行くとは限らない。だが、決して上にも行けないだろう。

「わたしはまた、新しい天と新しい地を見た。最初の天と最初の地は去って行き、もはや海もなくなった。」(新約聖書「ヨハネの黙示録」第21章1節)

 ここで再び福千年の直前に戻っている。重要な出来事が起きるからである。ヨハネは天使と同じように、第7の封印の中を縦横に上り下りする。

「さらに私は、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように用意を整えて、神の元を離れ、天から下って来るのを見た。」(新約聖書「ヨハネの黙示録」第21章2節)

 「新しいエルサレム」は、天から舞い降りる都のことである。「神の元を離れ」とあるのは、イエス・キリストの再降臨まで、どこかに隠されていたからである。そこは太陽の輝きの場所であり、実際、太陽から離れて、福千年(月の輝き)の地球へとやって来る。至高の三角形から倫理的三角形に降りてくるのである。

*(飛鳥氏の視点)

 「永遠」と「永久」は同じ意味である。聖書学の解釈では、神は「初めと終わり」を支配するため、神の世は終わることなく続く永遠不滅の世界となる。「神=永遠」はイエス・キリストの象徴でもあり、イエス・キリスト自身もそう述べている。

「イエスはこれらのことを話してから、天を仰いで言われた。「父よ、時が来ました。あなたの子があなたの栄光を現すようになるために、子の栄光を与えてください。あなたは子に全ての人を支配する権能をお与えになりました。そのために、子はあなたからゆだねられた人と全てに、永遠の命をあたえることができるのです。永遠の命とは、唯一の真の神であられるあなたと、あなたのお遣わしになったイエス・キリストを知ることです。」(新約聖書「ヨハネの黙示録」第17章1~3節)

「私はアルファであり、オメガである。最初の者にして、最後の者。初めであり、終わりである。」(新約聖書「ヨハネの黙示録」第22章13節)

 このように、永遠の別称はイエス・キリストとなり、永遠の罪とは「イエス・キリストが与える罪」という意味で、必ずしも時間的無限の意味とは限らない。

 「大天使ミカエル」は天使長であり、天使軍団の長でもある。イスラエルの守り手でもあり、最も知られるのは、天上の大戦争で神に逆らったルシフェルを打ち倒し、天界から追放したことである。

 聖書では、「ダニエル書」「ユダの手紙」「ヨハネの黙示録」にミカエルの名が登場し、旧約聖書の外典「エノク書」「モーセの昇天」、新約聖書の外典「モーセの黙示録」にも登場する。

 「しかし、真理の書に記されていることをお前に教えよう。お前たちの天使長ミカエルの他に、これらに対して私を助ける者はいないのだ。」(旧約聖書「ダニエル書」第10章21節)

 外典の「モーセの黙示録」では、預言者モーセがシナイ山で2枚の石板を授かる際、切り出された石板を渡したのがミカエルとされている。ミカエルというのは天使命で、地上に名は別にある。ヤハウェがイエス・キリストとして骨肉の体を得たように、ミカエルも骨肉の体を得るために地上に生まれている。ミカエルは最初の人となったアダムとして誕生する。アダムの天使命がミカエルである。カッバーラでは人型をアダムカドモンといい、最も古き人を意味する。最初に人として創造されるのは天使長がもっとも相応しかった。人が神になるには骨肉の体が必要で、神にも骨肉がある。

 我々人類も、生前には霊の状態の天使で、天界でルシフェルと戦った。そして、骨肉を得るために地上に人として誕生した。

 アダムは天使たちに骨肉の体を与えるため、最初の戒めである「産めよ増えよ」を、2番目の戒めに「禁断の実を食べてはならない」より優先させた。だからアダムとエバの行為を、神に逆らう「原罪」とするには問題があり、カッバーラでは性悪説ではなく性善説を正しいとする。


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