(74)獣の数字を受けた者の末路
サタンを足で踏みにじるのは、大天使ミカエルである。福千年の期間、サタンは完全に獄に縛られ、地上の人々を誘惑する道を完全に断たれる。だから、人々に悪がはびこることなく、皆、仲良く平和に暮らすことになる。
「わたしはまた、一人の天使が、底なしの淵の鍵と大きな鎖とを手にして、天から降って来るのを見た。この天使は、悪魔でもサタンでもある。年を経たあの蛇、つまり竜を取り押さえ、千年の間縛っておき、底なしの淵に投げ入れ、鍵をかけ、その上に封印を施して、千年が終わるまで、もうそれ以上、諸国の民を惑わさないようにした。その後で、竜はしばらくの間、解放されるはずである。」(新約聖書「ヨハネの黙示録」第20章1~3節)
福千年を生きる人々は、原始キリスト教会の信徒だけではない。イスラム教徒、ユダヤ教徒、仏教徒、ヒンズー教徒、ゾロアスター教徒・・・等々、様々な宗教を信じ、まじめに生きてきた人々や無数の赤ん坊や幼児も復活する。
彼らには、福千年の間に、イエス・キリストの教えに改宗できる機会が与えられる。しかし、それでもかたくなに改宗しない人々も多いだろう。
様々な理由で亡くなった無数の赤ん坊と幼児は、福千年の間に復活して成長することができる。精神の病で子供同然だった人々も段階的に復活する。しかし、この世に執着し、獣の数字を身に受けた人々は、福千年の期間に復活できない。
「私はまた、多くの座を見た。その上に座っている者たちがおり、彼らには裁くことが許されていた。わたしはまた、イエスの証しと神の言葉のために、首をはねられた者たちの魂を見た。この者たちは、あの獣もその像も拝まず、額や手に獣の刻印を受けなかった。彼らは行き返って、キリストと共に千年の間統治した。その他の死者は、千年たつまで生き返らなかった。これが第一の復活である。」(新約聖書「ヨハネの黙示録」第20章4~5節)
死んだ人間が生き返るなど、常識では考えられないが、その常識は、あくまでもこの世の常識であり、神がいないことを大前提とする。
神は全知全能者であり、人を蘇らせることなど、たやすくやってのける。つまり、復活を信じるか否かは、神の存在を信じるか否かの二極選択なのである。分かりやすく言えば、イエス・キリストを信じるか、ダーウィンの進化論を信じるかということでもある。要するに、聖書か進化論のどちらを信じるかということである。両者は完全に二極化し、絶対に交わることはない。中道を選ぶ者は吐き出される。
復活には肉体が必要で、その肉体を失った人が生き返ることは、この世的に考えれば絶対にありえない。しかし、神が存在するならば、元素などいくらでも集められる。アダムとエバを造ったように、再びその人を蘇らせることができるのである。
死後、人には霊があったことに気づいても、生きている間に蓄積した思考の癖は、その簡単には改まらない。懐疑主義者は死んでも懐疑主義者のまま突き進む。彼らにとって、今度は死後が常識となり、そこからさらに疑い始めるのである。これも進化の途上の段階に違いないと・・・。
そういう中、悔い改めの伝道が行われ、改宗する者は必至の思いで悔い改めの段階を踏むことになる。一方、獣に最後まで従った人々は、福千年が終わってサタンが解放されるまで、死後の世界で待つしかない。
「この千年が終わると、サタンはその牢から解放され、地上の四方にいる諸国の民、ゴグとマゴグを惑わそうとして出て行き、彼らを集めて戦わせようとする。その数は海の砂のように多い。彼らは地上の広い場所に攻め上って行って、聖なる者たちの陣営と、愛された都とを囲んだ。」(新約聖書「ヨハネの黙示録」第29章7~9節)
*(飛鳥氏の視点)
「天の軍勢」とは、天使長ミカエルに率いられた軍団で、永遠の命であるイエス・キリストに従っている。この軍団についてイエス・キリストが述べた箇所がある。
「その時、イエスと一緒にいた者の一人が、手を伸ばして剣を抜き、大司祭の手下に打ちかかって、片方の耳を切り落とした。そこで、イエスは言われた。剣を鞘に納めなさい。剣をとる者は皆、剣で滅びる。わたしが父にお願いできないとでも思うのか。お願いすれば、父は十二軍団以上の天使を今すぐ送ってくださるであろう。しかしそれでは必ずこうなると書かれている聖書の言葉がどうして実現されよう。」(新約聖書「マタイによる福音書」第26章51~54節)
このことから天使の軍団は、少なくとも12存在することがわかる。この軍勢はイエス・キリストが再降臨する際、付き従ってくると預言されている。
「その目は燃え盛る炎のようで、頭には多くの王冠があった。この方には自分の他は誰も知らない名が記されていた。また、血に染まった衣を身にまとっており、その名は「神の言葉」と呼ばれた。そして、天の軍勢が白い馬に乗り、白く清い麻の布をまとってこの方に従っていた。」(新約聖書「ヨハネの黙示録」第19章12~14節)
このことで天の軍事が天使とわかる。翼のある天使ではない。神の教えに忠実に生きた人々のことである。だが、イエス・キリストが磔刑の前に述べた天の軍団に限って言えば、必ずしも地球上の人類だけを指しているとは思えない。なぜなら復活の初穂はイエス・キリストだからだ。カッバーラでは、人類は地球だけではなく、他の太陽系にもいるとする。そこには別のアダムとエバがいると教えるのだ。しかし、救世主はイエス・キリストだけである。なぜなら、この宇宙はイエス・キリストであるヤハウェが創造したと「旧約聖書」に記されているからである。カッバーラでは地球も一つの生命体と考える。だから、ノアの大洪水でバプテスマを受ける必要があった。つまり、天に浮かぶ様々な星も単なる物質ではなく、何らかの存在である可能性がある。