(43)逆立ちしていた日本列島
魏の遣いが卑弥呼の都に向かう途上の記録が「魏志倭人伝」にあり、遣いの移動した距離と方位を単純に受け取れば、九州南方のはるか沖合に卑弥呼の都があったことになる。これでは竜宮城になってしまう。そこで学者たちは「魏志倭人伝」を複雑に解釈するか、いい加減な記録として排除する。
一方、日本列島が大昔、九州を最北にひっくり返っていたことが、古地磁気学で判明している。古地磁気学とは、地球の地磁気が鉄分を含む岩石を磁化させることから、昔の大陸と島々がどちらを向いていたかを知る学問である。
これを裏付けているのが、最近発見された1402年当時の李氏朝鮮時代の古地図「混一彊理歴代国都之図」で、それを見ると、日本列島が今よりずっと南に位置し、今の日本列島とは逆の形をしていた。
1402年は室町時代なので、そんなことは絶対にありえない。だが、昔の地図は、更に前の古地図を参考にし、その古地図もさらに前の古地図を参考にする。だから魏の時代の日本列島は、実際にひっくり返っていた可能性があるのだ。
事実、「魏志倭人伝」は、邪馬台国に四季がないと記している。確かに日本列島が今よりずっと南にあったなら、本州全体が小笠原諸島と同じ亜熱帯式気候だったはずである。
さらに、それを現在の日本列島に置き換えると、南の狗奴国が現在の東日本側の蝦夷となり、邪馬台国の南に狗奴国があり、両国は領土と勢力共に拮抗していたという記述とも一致している。
まだある。「魏志倭人伝」には、卑弥呼の都の位置が、中国の「呉」の会稽郡東冶県(現在の福建省福州市)の東とあり、日本列島を逆さに直立させれば、ちょうどそこが奈良県を指す位置に来る。その奈良県には箸墓を含む邪馬台国時代の墓が多数散在し、「邪馬台国畿内説」の中心になっている。
だからこそ、呉の背後を突く位置にあった邪馬台国に、魏の遣いが朝貢の礼として訪れたのである。
問題は、日本列島がそんなに早く移動できたのかという点である。日本は太平洋プレート、北アメリカプレート、ユーラシアプレート、フィリピン海プレートが存在する。世界有数のプレート交差点に位置する。特にユーラシアプレート、フィリピン海プレートは、富士山の真下に突き刺さるように潜り込み、このプレートが活発に働けば、日本列島を回転させるに十分な力を発揮する。事実、フィリピン海プレートは今も北に向けて進み続けている。
陸や島が激しく動くことは、2004年12月26日に発生した「スマトラ沖地震」で証明されている。この時、ニコバル諸島などが、瞬時に30メートルも移動した。仮に秒速30メートルと仮定すれば、時速108キロもの猛スピードになる。瞬時とはいえ、高速プレート移動の可能性を知るには十分なデータだ。この地震もプレートが横滑りする地震だった。
最近、日本中の古代遺跡が、軒並み地震に見舞われていたことが地層から判明している。それも一度や二度の地震ではなく、地面が揺れることは、古代日本では日常茶飯事だったようである。
聖書学的には、ノアの大洪水が起きた紀元前2344年以降、巨大大陸が割れて、大陸放散が開始したとされている。
「洪水は40日間地上を覆った。水は次第に増して箱舟を押し上げ、箱舟は大地を離れて浮かんだ。水は勢力を増し、地の上に大いにみなぎり、箱舟は水の面を漂った。水はますます勢いを加えて地上にみなぎり、およそ天の下にある高い山はすべて覆われた。水は勢いを増して更にその上15アンマに達し、山々を覆った。地上で動いていた肉なるものはすべて、鳥も家畜も獣も地に群がり這うものも人も、ことごとく息絶えた。」(旧約聖書「創世記」第7章17~21節)
「エベルには2人の息子が生まれた。一人に名は、その時代に土地が分けられた(パラグ)ので、べレグと言い、その兄弟はヨクタンと言った。」(旧約聖書「創世記」第10章25節)
日本の記紀神話は、この頃の陸地移動の様子を、泥の海に漂うクラゲと表現している。まさに、大洪水の泥水の中から顔を出した陸塊が、移動を開始した様子を表している。
「国稚く浮ける脂の如くして、海月なす漂へる」(「古事記」「天地の初め」)
プレートがわずかしか移動しないとする現代科学の考えは危険だし、そんな証拠はどこにもなく、むしろ古代の記録は現代科学の常識を否定する。
「騒音の年代 騒音には終わりがなく 願わくば大地が騒音をやめんことを もうこれ以上騒がしくないように」(紀元前1200年頃の古代エジプトの「パピルス・イプワー」)
「最初の大音響で大空と大陸は動き、海と川は疾走し 山と丘は深部にゆるみが起きた」(紀元前1290~1270年頃のヘブライの記録「ラビの書」)
「空は騒がしく 山や丘は動いた」(旧約聖書の註解書「ミドラッシュ」)
「天は空高くうなり声を発し 大地はそれに反響して鳴り騒いだ」(「ギルガメッシュ叙事詩」)
「大洪水後、尭帝の代に 日の出と入りの方向が入れ替わったため 東西南北及び四季の長さと歴を新しくさせた」(孔子の「書経」)
これらはすべて、2000年前の世界は、日本列島を含む島々や陸塊が現代より速い速度で移動していたことを物語っている。「魏志倭人伝」はそういう頃に書かれた正確な記録書だったのである。