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カッバーラでしか解けない「ヨハネの黙示録」(39)

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(39)救われるのはイスラエル人だけか?

 ヨハネは14万4000人の内訳を記している。

「ユダ族の中から1万2千人が刻印を押され、ルベン族の中から1万2千人、ガド族の中から1万2千人、アシェル族の中から1万2千人、ナフタリ族の中から1万2千人、マナセ族の中から1万2千人、シメオン族の中から1万2千人、レビ族の中から1万2千人、イサカル族の中から1万2千人、ゼブルン族の中から1万2千人、ヨセフ族の中から1万2千人、ベンヤミン族の中から1万2千人が刻印を押された。」(新約聖書「ヨハネの黙示録」第7章5~8節)

 この箇所から、再降臨で救われる人数を14万4000人とする解釈が多くのキリスト教会にある。

 ここに挙げられているのはすべてイスラエル12支族であり、イスラエル人以外はいない。もしそうなら、イエスの再降臨で救われる人数は限定され、他の民族は救われない。だが、黒人のクリスチャンもいれば、黄色人種のユダヤ人もいるし、無宗教の善人たちもいる。そしてなにより、イエス・キリストは全人類のメシアであるはずだ。

 ともあれ、14万4000人の内訳は、以下のイスラエル12支族となる。

①ユダ族 ②ルベン族 ③ガド族 ④アシェル族 ⑤ナフタリ族 ⑥マナセ族 ⑦シメオン族 ⑧レビ族 ⑨イサカル族 ⑩ゼブルン族 ⑪ヨセフ族 ⑫ベニヤ民族 

 不可解なのは、イスラエル12支族の「ダン族」だけが欠落していることである。また、「マナセ族」と「ヨセフ族」が併記されているのは妙である。「マナセ族」はヨセフ族の片方だから、ヨセフ族とマナセ族が併記されるはずがない。しかも、出エジプト以降、神殿職に召されたために別格となって12支族を外れた「レビ族」が名を連ねている。

 エジプトに売られたヨセフは、ノアのハムへの呪いと父ヤコブの誓約があったために、ハムの子孫であるカナン人との結婚が禁じられていた。そのヨセフが結婚したのは白人娘のアセナトである。

「ヨセフには、エジプトの国で息子が生まれた。それは、オンの祭司のポティ・フェラの娘アセナトが彼との間に産んだマナセとエフライムである。」(旧約聖書「創世記」第46章20節)

 古代エジプトは黒人系の人々の築いた文明だった。だから、エジプトの壁画に描かれた人物は褐色に塗られ、女性の髪は縮れた髪を3つ編みにした独特のブレイズで描かれている。

 聖書では、妻が黒人種の資質を受け継ぐハムの子孫はネグロイド、妻が黄色人種の資質を持つセムの子孫はモンゴロイド、そして妻が白人種の資質を受け継ぐヤフェトの子孫はコーカソイドになったとしている。

「箱舟から出たノアの息子は、セム、ハム、ヤフェトであった。ハムはカナンの父である。この3人がノアの息子で、全世界の人々は彼らから出て広がったのである。」(旧約聖書「創世記」第9章18~19節)

 ハムは、ノアが裸で寝ている間、神の受け継ぎの証拠(着衣)を盗んだため、ノアから呪いを受けて追放される。

 当時の古代エジプトは、優秀な人材であれば民族を問わず受け入れていた。だから、セムの末裔であるヨセフも受け入れられ、宰相の地位にまで上り詰めた。そのヨセフの妻アセナトが産んだ息子がマナセとエフライムで、彼らは別々の支族を作った。こうしてヨセフ族の名は消え、マナセ族とエフライム族に別れた。

 実はエジプトに向かった頃のイスラエル12支族と、出エジプトの頃のイスラエル12支族は違っていた。

 入エジプトでは、「①ユダ族②ルベン族③ガド族④アシェル族⑤ナフタリ族⑥ダン族⑦シメオン族⑧レビ族⑨イサカル族⑩ゼブルン族⑪ヨセフ族⑫ベニヤミン族」だった。

 それが出エジプトでは「①ユダ族②ルベン族③ガド族④アシェル族⑤ナフタリ族⑥ダン族⑦シメオン族⑧イサカル族⑨ゼブルン族⑩マナセ族⑪エフライム族⑫ベニヤミン族」へと変わっている。

 ヨセフ族はマナセ族とエフライム族に増えて消滅し、レビ族も神殿従事の特別職で消えた結果、プラス2とマイナス2で帳尻があった。それを考慮しても、黙示録でダン族が消えることは通常ではありえない。

 一つの可能性は、写本を作った段階で、誰かが写し間違えたことが考えられる。つまり、エフライム族をヨセフ族、ダン族をレビ族と誤記してしまったということだ。しかし、それには必然性がなく、説得力に欠ける。

 あるいは、マナセ族とエフライム族が統合されてヨセフ族に戻り、ダン族をマナセ族と写し間違えた可能性がある。

 もう一つ、ダン族には別の役割が与えられている可能性である。そうでもない限り、ダン族がイスラエル12支族から外れる理由はない、

 それにしても、救われるのはイスラエル12支族だけという解釈には首を傾げてしまう。

 ヨハネの時代、ユダヤには女子供を数えない風習があった。だから、イスラエル12支族の妻子は、14万4000人という数字に含まれなくても。実際には救われるのだろう。だが、他民族の子供が救われないという解釈は、イエス・キリストの教えからすればおかしい。

「イエスに触れていただくために、人々が子供たちを連れてきた。弟子たちはこの人々を叱った。しかし、イエスはこれを見て憤り、弟子たちに言われた。「子供たちを私のところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。はっきり言っておく、子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。」(新約聖書「マルコによる福音書」第10章13~15節)

 この時、イエス・キリストの元へ集まったのは、親がユダヤ教の子供たちである。伝道中だったから原始キリスト教徒ではない。「神の国はこのような者たちのものである」という言葉は、子供は宗教に関係なく救われるということを示している。

 そうなると、こう質問したくなる人もいるかもしれない。

「ノアの大洪水の時、大勢の赤ん坊や子供もいたはずだが、彼らはどうなりましたか?」

「ソドムとゴモラにも大勢の子供や赤ん坊がいたはずだが、彼らはどうなりましたか?」

 その疑問に対する答えは明瞭だ。「神の国はこのような者たちのものである」とイエス・キリストが言うように、彼らは今、パラダイスにいて、復活の機会を待っているということである。

 カッバーラでは人の生涯は死をもって終わるのではなく、生命の樹を昇って次の世に向かうと教える。聖書学の見地からも、幼い者たちが汚れた罪人のいる獄に繋がれているとは思えない、彼らには罪がないからだ。

 様々な事情で、幼くして亡くなった赤ん坊や子供は、宗教的立場に関係なく、イエス・キリストの世界にいる。霊において死んではいないのだ。だから彼らは福千年の間に復活する。


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