Quantcast
Channel: 日本と世界の情報ブログ
Viewing all articles
Browse latest Browse all 1382

カッバーラでしか解けない「ヨハネの黙示録」(38)

$
0
0

(38)ハルマゲドンは福千年の予兆

 第6の封印には「14万4000」という数が出てくる。これは、額に神の刻印を持つ者とされ、メルカバーの4つの生き物は、その数の者がそろうまで地上を滅ぼさずに待つとされている。

 つまり、「14万4000」の人数がそろった時点で、地球は滅亡の谷底めがけて一気に突き進むことになる。

 その最終地点が、世界最終戦争「ハルマゲドン」である。その後、地球は未曽有の天変地異で滅び去るという。果たして人類に救いはあるだろうか?

「私はまた、もう一人の天使が生ける神の刻印をもって、太陽の出る方角から上がって来るのを見た。この天使は、大地と海とを損なうことを許されている四人の天使に、大声で呼びかけて、こう言った。「我々が、神の僕たちの額に刻印を押してしまうまでは、大地も海も損なってはならない。」私は、刻印を押された人々の数を聞いた。それは十四万四千人で、イスラエルの子らの全部族の中から、刻印を押されていた。」(新約聖書「ヨハネの黙示録」第7章2~4節)

 聖書学的に、時がほとんど残っていないといわれている今、最も待ち望まれるのは別の聖書が世に出ることである。それも一刻も早く・・・・。何しろ、それがないとイエス・キリストの再降臨が起きないとされているからである。

 イエス・キリストの再降臨が起きなければ、サタンが画策する人類自滅のハルマゲドンにより、地上の全てが滅亡する。その時点でイエス・キリストの再降臨は、悪を滅ぼすだけでなく、ノアの箱舟と同じように、善の者(悔い改めた者)を救い出す使命を負っている。

 もう一つの聖書が世に出るには、預言者が必要になる。神がモーセを召したように、新たな預言者が召され、その人物が最初の刻印者となる。

 片方の聖書が世に出されたら、原始キリスト教会が再組織される。その教会はカッバーラに精通しているから、当然三位一体ではなく三位三体を掲げるはずである。勿論、カッバーラに精通している。回復された原始キリスト教会は、古代イスラエルがソロモン神殿を建てたように、神殿を建てることになるだろう。その場所はイスラエルにこだわらない。なぜならユダヤ教ではないからだ。

 そこでは、死者のバプテスマを含む原始キリスト教の様々な儀式が行われる。預言者の住む都は、高い山の上になるだろう。

 それでは、神の刻印を持った天使が「太陽の出る方角から上がって来る」というのは、どのような意味があるのか? それを知る手掛かりが、新約聖書の別の個所にある。

「イエスは、ペテロ、それにヤコブとその兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。イエスの姿が彼らの目の前で変わり、顔は太陽のように輝き、服は光のように白くなった。見ると、モーセとエリヤが現れ、イエスと語り合っていた。ペテロが口をはさんでイエスに言った。「主よ、私たちがここにいるのは、素晴らしいことです。お望みでしたら、私がここに仮小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、もう一つはエリヤのためです。」 ペテロがこう話しているうちに、光り輝く雲が彼らを覆った。すると、「これは私の愛する子、私の心に適う者。これに聞け」という声が雲の中から聞こえた。」(新約聖書「マタイによる福音書」第17章1~5節)

 この記述は、ペテロ達3人の使徒が、実際の目で見た記録である。そこにイエス・キリスト、預言者モーセ、預言者エリヤが山頂で会ったと記しているのだ。

 エリヤが誰かと言うと、バプテスマのヨハネのことである。バプテスマのヨハネは使途ヨハネとは別人で、十二使徒のペテロやアンデレを最初に教えた預言者である。

「その頃、洗礼者ヨハネが現れて、ユダヤの荒れ野で宣べ伝え、「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言った。」(新約聖書「マタイによる福音書」第3章1~2節)

 この時には、すでにバプテスマのヨハネはヘロデ王の息子ヘロデによって斬首され、この世を去っていた。そのバプテスマのヨハネが天使としてペテロ達の前に現れたのだ。ペテロはかっての恩師を見て、腰を抜かすほど驚いただろう。

「王は心を痛めたが、誓ったことではあるし、また客の手前、それを与えるように命じ、人を遣わして、牢の中でヨハネの首をはねさせた。」(新約聖書「マタイによる福音書」第14章9~10節)

 「これは私の愛する子、私の心に敵う者、これに聞け」と雲の中から声を発した存在は、「愛する子」と語る以上、天の父エロヒム(エル・ランティー)となる。この箇所だけでも、三位一体の教義が誤りであることがわかる。

 3人は山頂でどのような相談をしていたのだろうか? そして、その光景を、3人の使徒に見せたイエス・キリストの真意はどこにあったのか?

 もう一度、山頂に集合した人物を見てみる。

①天の父(声だけ) ②イエス・キリスト ③モーセ ④バプテスマのヨハネ(霊魂だけ) ⑤ペテロ ⑥ヤコブ ⑦ヨハネである。

 ここにも聖数7が登場する。つまり、この出来事は必ず福千年に関わる雛形となる。

 メルカバーは、準備がなされてから初めて降りてくる。神が額に刻印を押すには、すでに別の聖書は世に出て、神権も回復され、預言者も召され、三位三体も掲げられなければならない。

 そのための天使が「太陽の出る方角から上がって来る」のではないだろうか。太陽は東から出るため、天使は東方から来るはずだ。カッバーラ的には、モーセもバプテスマのヨハネも、ペテロもヤコブもヨハネも全てアジア人であり、東方の天使に数えられる。

「イエスは言われた。「私の来る時まで彼が生きていることを、わたしが望んだとしても、あなたに何の関係があるのか。あなたは、わたしに従いなさい。」(新約聖書「ヨハネの黙示録」第21章22節)

 雷の子ヨハネは、死なない体で地上の記録をとっているとされている。だから、原始キリスト教会が回復する際には必ずやって来るはずである。不可解な山頂での集合は、原始キリスト教会の回復に先立つ予兆と考えられ、そうであるなら、天の父の「これは私の愛する子、私の心に敵う者。これに聞け」という言葉も、回復の時に轟くことになるだろう。


Viewing all articles
Browse latest Browse all 1382

Trending Articles



<script src="https://jsc.adskeeper.com/r/s/rssing.com.1596347.js" async> </script>