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カッバーラでしか解けない「ヨハネの黙示録」(37)

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(37)最初に預言された「別の聖書」の出現とは何か?

 「別の預言」というのは適切ではない。なぜなら、聖書に編纂されているのは一部であり、アポクリファ(聖書外典)が幾つも存在するからである。

 問題なのは、それらの中には偽書も多いことで、最近注目された「ユダの福音書」もその一つである。

 「ユダの福音書」は異端だったグノーシス主義の書で、イエス・キリストを裏切ったイスカリオテのユダが、十二使徒で最も真理を授かると記されている。

 有名なユダの裏切りも、イエス・キリストが主導したとあり、それが事実なら新約聖書の記述はひっくり返る。

 2006年4月、ナショナルジオグラフィック協会は、1970年代にエジプトで発見されたパピルスの解析が進み、それが「ユダの福音書」のコプト語写本の断片と判明したと発表した。

 しかし、「ユダの福音書」は、記述年代からイスカリオテのユダが記したものとは思えない。なぜなら、ユダはキリストの磔刑と共に首つり自殺をしているからだ。

 ところで、このユダは不正を働いて得た報酬で土地を買ったのだが、その地面に真っ逆さまに落ちて、体が真ん中から裂け、はらわたが皆出てしまいました。このことはエルサレムに全ての人に知れ渡り、その土地は彼らの言葉で「アケルダマ」、つまり「血の土地」と呼ばれるようになりました。(新約聖書「使徒言行録」第1章18~19節)

 キリスト教徒の中には、ユダがいなければイエス・キリストが全人類を贖えなかったと考える者もいる。だが、ユダがいなくても、あの状況ではイエス・キリストは兵士たちに捕らえられていた。ユダがイエス・キリストに忠実でなかったことは以下の聖句だけで充分である。

「十二人の中の一人で、イスカリオテと呼ばれるユダの中に、サタンが入った。」(新約聖書「ルカによる福音書」第22章3節)

「イエスはお答えになった。「私と一緒に手で鉢に食べ物を浸した者が、わたしを裏切る。人の子は、聖書に書いてある通りに、去って行く。だが、人の子を裏切るその者は不幸だ。生まれなかった方が、その者のために良かった。」(新約聖書「マタイによる福音書」第26章23~24節)

 新たに出てくる聖典は、いわゆる聖書とは出所を異にする。ユダヤからは出ないということである。

「主の言葉が私の臨んだ。「人の子よ、あなたは1本の木を取り、その上に「ユダ及びそれと結ばれたイスラエルの子らのために」と書き記しなさい。また、別の木を取り、その上には「エフライムの木であるヨセフ及びそれと結ばれたイスラエルの全家のために」と書き記しなさい。それらを互いに近付けて1本の木としなさい。それらはあなたの手の中で1つとなる。あなたの民の子らがあなたに向かって、「これはあなたにとって何を意味するのか告げてくれないか」というとき、彼らに語りなさい。主なる神はこう言われる。わたしはエフライムの手の中にあるヨセフの木、およびそれと結ばれたイスラエルの諸部族を取り、それをユダの木につないで1本の木とする。それらは私の手の中で1つとなる。」(旧約聖書「第37章15~19節)

 ユダの木である聖書(新約聖書・旧約聖書)とは別の、エフライムの木である聖典が出てくることは聖書学的にも重要である。イエス・キリストは復活後ユダヤの地ではない別の場所に降臨したと思われる。なぜなら以下の聖句が残されているからだ。

「私には、この囲いに入っていない他の羊もいる。その羊をも導かなければならない。その羊も私の声を聞き分ける。こうして、羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる。」(新約聖書「ヨハネの黙示録」第10章16節)

 それは、当時はまだ知られていなかった場所で、当時の状況から見て、おそらく古代アメリカ大陸である。そこにはマヤ文明やインカ文明があり、ケツァルコアトルという絶対神が天から降臨し、救いの教義を伝えて再び天に戻ったと伝えられている。

 その神は、もう一度戻ってくるといい残したため、後にスペイン人の征服者(コンキスタドール)が来たとき、インカの人々は神と勘違いして彼らを歓迎した。

 ハワイの先住民も、キャプテン・クックを絶対神ノロと間違え、戻ってきた神として神殿に迎え入れている。

 同じ伝説はアイヌにもあり、博愛の神オキクルミカムイは、人々に愛を伝え、堕落を叱った後、もう一度戻ってくるといい残している。

 イエスがオリーブ山で座っておられると、弟子たちがやって来て、密かに言った。「おっしゃってください。そのことはいつ起こるのですか。また、あなたが来られて世の終わる時には、どんな徴があるのですか。」…(中略)・・・・「あなた方には前もって言っておく。だから、人が「見よ、メシアは荒れ野にいる」と言っても、行ってはならない。また、「見よ、奥の部屋にいる」と言っても、信じてはならない。稲妻が東から西へひらめき渡るように、人の子も来るからである。」(新約聖書「マタイによる福音書」第24章3~27節)

 このことから、アメリカのネイティヴ・アメリカン(インディアン)は、失われたイスラエル10支族の一つ、ヨセフの末裔ということになる。彼らはノアの3人の息子、セム、ハム。ヤフェトの内、アジア人であるセムの末裔で、当然モンゴロイドである。

 その古代アメリカから聖書と同格の聖典が世に出て、聖書と1つになるという預言が「エゼキエル書」の一節であり、すでにその所は原始キリスト教徒によって見つけ出され、世界中で知られている。

 こうして聖書の預言通り、2の木から出た聖典は1つとなる、そして、それを持つ原始キリスト教徒たちは最後の刈り入れを始めている。


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