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カッバーラでしか解けない「ヨハネの黙示録」(35)

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(35)「第六の封印」→西暦1000年~2000年の千年紀

 イエス・キリストが第6の封印を解いたとき、尋常ではない出来事が次々と明らかにされていく。

 第6の封印は、第6期に当たる西暦1000年~2000年の出来事とされるが、第6の封印に関するほとんどが実際にまだ起きていない。年数に多少の誤差があるということだ。

「また、見ていると、小羊が第六の封印を開いた。その時、大地震が起きて、太陽は毛の粗い布地のように暗くなり、月は全体が血のようになって、天の星は地上に落ちた。まるで、イチジクの青い実が、大風に揺さぶられて振り落とされるようだった。」(新約聖書「ヨハネの黙示録」第6章12~13節)

 ここに記された内容は、非常に具体的かつ破壊的である。太陽が暗くなり、月が血の色に変わるというのはただ事ではなく、天変地異を物語るとしか思えない。「使徒言行録」の一文がここと対応する。

「上では、天に不思議な業を、下では、地に徴を示そう。血と火と立ち込める煙が、それだ。主の偉大な輝かしい日が来る前に、太陽は暗くなり、月は血のように赤くなる。主の名を呼び求める者は皆、救われる。」(新約聖書「使徒言行録」第2章19~21節)

 問題はこの後である。第6の封印の開封に続く内容が、「使徒言行録」よりはるかに具体的なのだ。

「天は巻物が巻き取られるように消え去り、山も島も、みなその場所から移された。地上の王、高官、千人隊長、富める者、力ある者、また、奴隷も自由な身分の者も悉く、洞穴や山の岩間に隠れ、山と岩に向かって「私たちの上に覆いかぶさって、玉座に座っておられる方の顔と小羊の怒りから、私たちをかくまってくれ」と言った。神と小羊の怒りの大いなる日が来たからである。誰がそれに耐えられるであろうか。」(新約聖書「ヨハネの黙示録」第6章14~17節)

 天空に見える星々が、まるで「巻物が巻き取られるように消え去る」というのは、普通では絶対に起こりえない現象である。

 更に地上が未曽有の天変地異に見舞われるとも記されている。当時、「大陸移動説」もなければ「プレートテクトニクス理論」もなかったが、「山も島も、みなその場所から移された」というのは、どう見ても大規模な地殻変動を意味する預言である。

 つまり、ヨハネの時代、すでに陸塊が移動するという概念が存在していたことになる。旧約聖書には、明確な言葉で大陸が割れ、地が分かれた記述まで存在している。

「エベルには二人の息子が生まれた。一人の名は、その時代に土地が分けられた(パラグ)ので、べレグといい、その兄弟はヨクタンと言った。」(旧約聖書「創世記」第10章25節)

 「パラグ」とは、実際に割れるという意味を持つヘブライ語なので、明らかに、物理的に大地が割れて分かれたのである。これが起きたのはノアの大洪水の後とされ、ノアの子孫が新世界で増えていく頃である。

 大地が分かれるなら、それ以前は陸地は1つでなければならない。事実、地球物理学では、陸地が現在の状態になったのは大規模なプレート(地殻)移動によって大陸が分かれたからで、それ以前の地球には超大陸「パンゲア」だけが存在したとしている。つまり、パンゲアが大きく2つに割れて「ローラシア大陸」と「ゴンドワナ大陸」を形成し、更に割れて今のような位置に移動したということになる。

 旧約聖書には、大陸が1つだったことを裏付ける記述がある。

「神は言われた。「天の下の水は一つに集まれ。乾いた所が現れよ。」そのようになった。神は乾いた所を地と呼び、水の集まった所を海と呼ばれた。神はこれを見て、良しとされた。」(旧約聖書「創世記」第1章9~10節)

 水が1カ所に集まるというのは、地球上にある海が1つだけだということである。その海が赤道のように地球を1周するリング状をしており、その両側に2つの大陸が存在する構造も考えられるが、最も考えられるのは、海が1つであれば大陸も1つということである。

 だが、これにはまだ先がある。最近、超大陸パンゲアの前の状態が突き止められたのだ。

 超大陸パンゲアの前の世界は、浅い海に少し顔を出す程度の陸塊が、ばらばらに存在していたとされる。その頃の超太洋を「パンサラサ」といい、パンサラサに浮かぶ無数の陸塊が少しずつ寄り集まり、1つの超大陸パンゲアを造り上げたというのだ。これが地球構造学における最新データに基づいた理論である。

 実は、そのことまでも「創世記」は記していた。「天の下の水は一つに集まれ」という言葉に従うなら、半分顔をのぞかせた無数の陸塊が1カ所に集まって、巨大大陸を形成したことになる。「創世記」は1つの海を表しながら、陸の有様をも表していたのだ。

 最近、生命が誕生したのは海ではなく泥の中だとする説が注目されている。波で絶えず流動する海ではアミノ酸の結合がうまくいかず、最も結合しやすいのは半分水に沈んだような泥地で、生命はそこから誕生したというのである。

 天地創造が生命の誕生をどのように記しているかというと、これが驚くべき内容になっている。

「主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり・・・・以下略)」(旧約聖書「創世記」第2章7節)

 旧約聖書では、アダムが海から生まれたとは記されておらず、土である泥(アダマ)から出てきたとあるのだ。日本でいうなら有明海に広がる泥の干潟である。


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