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カッバーラでしか解けない「ヨハネの黙示録」(34)

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(34)「第五の封印」→紀元元年~1000年の千年紀

 イエス・キリストが第5の封印を解いたとき、今度は4つの生き物ではなく、殉教した信徒たちの声が鳴り響いた。彼らの口々に、地上に裁きが与えられるよう訴えたが、イエス・キリストはそれに対し、機がまだ熟していないと答えている。

 第5の封印には、メシア(救世主)の誕生から西暦1000年頃までに当たる千年紀の第5期での出来事が記されている。

「小羊が第五の封印を開いたとき、神の言葉と自分たちが立てた証のために殺された人々の魂を、私は祭壇の下に見た。彼らは大声でこう叫んだ。「真実で聖なる主よ、いつまで裁きを行わず、地に住む者に私たちの血の復讐をなさらないのですか。」 すると、その一人一人に、白い衣が与えられ、また、自分たちと同じように殺されようとしている兄弟であり、仲間の僕である者たちの数が満ちるまで、なお、しばらく静かに待つようにと告げられた。」(新約聖書「ヨハネの黙示録」第6章9~11節)

 現代の文明国ではありえないことだが、キリスト教の信仰を貫くには死を覚悟しなければならない時代があった。迫害の時代が長年続いたのだ。殉教は日常茶判事で、日々の生活の中で殉教を考えない信徒はほとんどいなかった。

 ヨハネの時代の7つの支部の信徒たちも同様で、封印を解かれた第5の千年紀の内容を、わが身に置き換えたに違いない。彼らも同じ第5期を生きているからだ。

 その頃、ローマ帝国によるキリスト教徒への弾圧は日々残酷を極め、ローマのコロッセウムではライオンなどの肉食獣を使った公開処刑が日常的に行われていた。それだけに、殉教者に与える「白い衣」の記述は、希望を抱かせるはずだ。

 一方、ローマ帝国に支配されたユダヤでは、ローマから派遣された総督に対する反乱が起きている。紀元66年、反乱を企てた狂信的ユダヤ教徒の熱心党(ゼーロータイ)は、皇帝ネロの逆鱗に触れ、圧倒的なローマ軍の力で反乱は鎮圧された。2001年に世界遺産に登録された「マサダの遺跡」は彼らの砦であり、その地で彼らは玉砕した。

 その後、皇帝ハドリアヌスがエルサレムを再建するが、紀元132年には再びユダヤで大反乱が起きた。それが鎮圧されたのは135年のことで、それによってイスラエル人は約束の地から追放された。彼らが流浪の民となり、世界中に離散したことを「ディアスポラ(離散)」と称するが、元々は失われたイスラエル10支族のことを指した言葉である。

 西暦391年、ついにローマ帝国はキリスト教を国教化したため、ユダヤ教徒たちは、バビロニア、パレスチナ、スペインなどに移り住んだ。

 第5の封印において、7つの支部の信徒にとって重要な意味を持つのは、イエス・キリストが「数が満ちるまで、なお、しばらく静かに待つように」と告げた箇所である。

 現代のキリスト教研究者が陥る間違いは、ヨハネの時代の信徒たちが、明日にでもイエス・キリストの再降臨があり、福千年が始まると思い込んでいたと解釈していることである。カッバーラを知っていた7つの支部の指導者や信徒たちは、その巻物には7000年間で起こることで記され、自分たちの属する千年紀にキリストの再降臨が無いことを理解していた。理解していないのは、カッバーラを知らない欧米のキリスト教徒と研究者たちの方である。

「見よ、私は戸口に立って、たたいている。」(新約聖書「ヨハネの黙示録」第3章20節)

 イエス・キリストが戸口に立つというのは、悔い改めを遅らせず、先延ばしにしないというだけでなく、文字通り、すぐ近くにいるという意味も持つ。だから、再降臨が近いと誤解されるのも無理もないが、カッバーラによれば、神界の1日は地上の1000年なのだ。イエス・キリストにとっては再降臨がすぐ目と鼻の先であっても、地上ではそうはいかないのである。

 第5期でも人々は相変わらず戦争を繰り返した。そんな中、ローマ帝国は政治的理由によって、キリスト教に対する姿勢を変えていく。

 西暦4世紀末、皇帝コンスタンティヌス1世は、キリスト教を帝国維持に利用しようと公認を約束、そして、皇帝テオドシウスはローマ帝国の分裂を阻止するという思惑の元に、キリスト教を国教にした。

 しかし、皇帝テオドシウスの死後、ローマ帝国は東西に分裂した。その後、西ローマ帝国はゲルマン民族の侵入を受けて崩壊する。一方、東ローマ帝国の皇帝は、総大司教の任命権を把握する皇帝教皇主義をもって教会を支配した

 だが、そのキリスト教が、やがて東ローマ帝国の不安定要因となる。きっかけは、5世紀に起こった「単性論」という、イエス・キリストの神性と人性を分離するネストリウス派との融合運動だった。単性論は「カルケドン公会議」で異端とされたが、東方属州地域で勢力を拡大した。ローマ教会は正統説の立場をとったため、東方キリスト教世界と対立を深め、教会の分裂が本格化していく。

 繰り返すが、カトリック教会にカッバーラと神権は継承されていない。だから、三位一体を標榜し、預言者がいないため組織が様々に分裂する。

 571年にアラビア半島の商業都市だったマッカ(現メッカ)で生を受けたマホメット(ムハンマド)が、コーランを完成させたのは西暦653年とされている。

 9世紀には、ゲルマン人の一派のノルマン人が、全ヨーロッパを荒らしまわり、その動きは11世紀まで続いた。このように青白い馬は、イエス・キリストを十字架の上で殺し、世界を死で包み込んだのである。


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