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カッバーラでしか解けない「ヨハネの黙示録」(20)

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(20)ノストラダムスは真の予言者だった!

 16世紀初頭、南フランスのサン・レミ・ド・プロヴァンスで一人の男子が誕生する。その子の名はミシェル・ド・ノートルダム、筆名ミシェル・ノストラダムスである。ノストラダムスはユダヤ系フランス人だといわれているが、正確にはヤコブの息子イッサカルの血統に属するイスラエル人だった。

 モンペリエ大学を卒業したノストラダムスは、医術に従事しながら予言書を書き著す。その予言書は、カトランという4行詩で綴られ、1555年に「ミシェエル・ノストラダムス師の予言」として世に出された。後に予言詩は追加され、これが日本では五島勉氏により「諸世紀」として知られることになる。

 「諸世紀」には、当時のフランス王アンリ2世の死を予言する内容が記され、王妃カトリーヌはそれを読んで震え上がったとされる。その予言は、馬上試合において、老いた獅子が若き獅子の一撃を受け、目を刺し貫かれて死亡するという内容で、実際、アンリ2世は若き近衛大尉モンゴメリーとの馬上試合で片目を貫かれて死亡する。その傷は脳に達するほど深かった。

「若き獅子が老いた獅子を打ち倒すこととなる 野戦場の一騎打ちの中 黄金の龍の目を刺し貫くであろう 二つの傷が一撃で無残な死が訪れる。」(「諸世紀」第1章35節)

 単なる予知者には出来不出来があり、未来がその通りに起きるとは限らない。しかし、予言者と言われる者には間違いが一つも許されない。そして、ノストラダムスは予言者であった。それは同時に有能なカッバーリストだったことにもなる。

 ノストラダムスが預言者ではなく、予言者と表示するのは理由がある。預言者は聖典に関わる者で、ノストラダムスが著した予言書は聖典ではないからだ。

 ノストラダムスが神権を保持していたかについては不明である。神権とはアダムから始まる預言者の系譜に属する権能で、世界を握る鍵である。そしてそれを有する預言者は生命の樹の番人であり、ケルビムを持つ者と言っても過言ではない。

 箱舟で大洪水を無事に潜り抜けたノアが息子のセムに委譲した神権は、アブラハム、イサク、ヤコブ、そしてエジプトに売られたヨセフへと継承され、モーセからイザヤ以降、代々の預言者が継承していった。しかし、12使徒の殉教により、ユーラシア大陸では神権は消滅したとされている。つまり預言者の神権はユーラシア大陸から断絶したのである。

 カトリックの総本山バチカンは、ペテロから神権を継承したと明言しているが、それはあり得ない。なぜなら、カトリックは神権と一対になっているカッバーラを継承していないからだ。もしカッバーラがあるならば、三位三体が基本となり、人の考えを基本とする三位一体思想は絶対に出てこない。さらに言えば、「天動説」を宣言するような愚行も犯さないし、魔女をでっちあげて財産を没収するような犯罪行為も犯さない。バチカンには神権もカッバーラも、そして預言者も存在しないのだ。当然、カトリックから枝分かれしたプロテスタントも同様である。余談だが、旧約聖書の時代には女預言者がいた。有名なのはモーセの姉のミリアムである。

「アロンの姉である女預言者ミリアムが小太鼓を手に取ると、他の女たちも小太鼓を手に持ち、踊りながら彼女の後に続いた。ミリアムは彼らの音頭をとって歌った。」(旧約聖書「出エジプト記」第15章20~21節)

 ミリアムとは時代が違うが、デボラやアンナといった女預言者もいた。だが、神権は男子のみが継承するものであるがゆえに、彼女たちに神権はなかった。ミリアムはそれに不満を抱き、神の糸に反抗し、兄のアロンと共にモーセと争ったため、神から罰を受ける。

「アロンはミリアムの方を振り向いた。見よ、彼女は重い皮膚病にかかっていた。」(旧約聖書「民数記」第12章10節)

 言い換えれば、神権の無い預言者も存在したということだ。男性であれ、女性であれ、正しい預言者の見極めをどこでつけるかというと、未来を決して過たないことにある。ミリアムは後に病が治って許されるが、他の女預言者の記載も参考にために記しておく。

「ラビドトの妻、女預言者デボラが、士師としてイスラエルを裁くようになったのはそのころである。彼女は、エフライム山地のラマとベテルの間にあるデボラのなつめやしの木の下に座を定め、イスラエルの人々はその彼女に裁きを求めて上ることにしていた。」(旧約聖書「士師記」第4章4~5節)

「また、アシュル族のファヌエルの娘で、アンナという女預言者がいた。非常に年をとっていて、若い時嫁いでから7年間夫と共に暮らしたが、夫に死に別れ、84歳になっていた。彼女は神殿を離れず、断食したり祈ったりして、夜も昼も神に仕えていたが、そのとき、近づいてきて神を賛美し、エルサレムの救いを待ち望んでいる人々皆に幼子のことを話した。」(新約聖書「ルカによる福音書」第2章36~38節)

 デボラは、イスラエルの人々が悪行に走った頃に現れた女預言者である。一方、アンナは幼子だったイエス・キリストを、律法通りに神殿に連れてきたヨセフとマリアを待っていた預言者だった。

 当時、男子は生まれて8日目に割礼を受けねばならず、そのために両親は神殿に詣でて家鴨の雛を2羽献げた。それと似た風習が、日本の「宮参り」である。生後1か月以内(最近では1か月前後)に神社に詣でて祭壇に誕生を報告し、感謝をささげて安寧を祈る。では日本の神道になぜ割礼がないかというと、イエス・キリストが割礼を禁止したことに由来する。

*(飛鳥氏の視点)

 「旧約聖書」も「新約聖書」も全てモーセ、ヨシュア、イザヤ、エゼキエル、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネなどの歴代の預言者が書き記した書である。預言者は近い未来から、はるか未来に起きる出来事まで書き記した。その書が聖書である以上、聖書は預言の書となる。

 「創世記」「出エジプト記」「レビ記」「民数記」「申命記」のモーセの五書を残したモーセは「ノアの大洪水」以前から自分が生まれるまでを霊視した。それが「創世記」である。預言者は未来だけでなく、過去までも霊視する目を持っているのだ。預言者は神権を持っている。神権は頭に手を置いて継承されるが、男子のみに許された権能で、従属的な立場の女性には与えられない。だが、女性の預言者はいた。ミリアム、デボラ、アンナと言った女性預言者については聖書に記述がある。ただし、彼女たちは預言を自らの手で記録することはなかった。それを書き残したのは神権のある男性預言者だけだったのである。


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