(17)玉座を囲むゲマトリアの12,4、2,3の意味
ヤコブの12人の息子たちは、なぜイスラエルの12支族と呼ばれたのか?
それはヤコブに端を発している。ヤコブは天使と朝まで問答をしていて離さなかった。
「その人は言った。「お前の名はもうやコブではなく、これからはイスラエルと呼ばれる。お前は神と人と闘って勝ったからだ。」(旧約聖書「創世記」第32章29節)
たとえヤコブと言えども、神に勝てるはずがない。だからこの個所は、ヤコブが真理を解き明かす天使を帰したくないため、明け方になっても離さなかったことを意味している。格闘は問答のことで、ヤコブの熱心さに天使が折れたということだ。その問答の様子は、次のように記されている。
「ところが、その人はヤコブに勝てないとみて、ヤコブの腿の関節を打ったので、格闘をしているうちに腿の関節が外れた。」(旧約聖書「創世記」第32章26節)
実際にヤコブの脚の関節が外れたわけではなく、これは真理を得て至高の三角形に至ったヤコブの心境を表す比喩である。「足腰が立たない」「腰が抜ける」という言葉に、その衝撃があまりにも大きかったという意味が含まれていることを日本人なら誰でも理解するが、バチカンや欧米人はそのまま受け取ってしまう。
その後、ヤコブはイスラエルと呼ばれ、12人の息子の一族も「イスラエルの12支族」と呼ばれるようになる。そして、ゲマトリアでは「12」という数が玉座を囲む数の1つとされている。
玉座を囲むゲマトリアには「4」もあるが、それを示しているのが次の件である。
「また、園中には4つの生き物の姿があった。・・・・(中略)・・・・生き物の頭上にある大空の上に、サファイアのように見える玉座の形をしたものがあり、玉座のようなものの上には高く人間のように見える姿をしたものがあった。」(旧約聖書「エゼキエル書」第1章5~26節)
「アカシア材の4本の柱の鉤に掛けなさい。鉤は金、4本の柱の台座は銀で作る。その垂れ幕は留め金の下に掛け、その垂れ幕の奥に掟の箱を置く。」(旧約聖書「出エジプト記」第26章32~33節)
神殿は聖所と至聖所に分けられており、それを仕切っているのが垂れ幕である。神殿は日本では神社に当たり、「諏訪大社」は4本柱を重視する。実は、玉座を囲むゲマトリア「4」には、四方という意味が含まれている。諏訪大社に古代より連綿と続く御柱祭は、上社と下社ともに4本の柱を社殿の四隅に立てる。同様の構造はイスラム寺院にもあり、ムスクの周囲には必ず4本の塔「ミナーレ」がある。そこにカッバーラの痕跡を見ることができる。
「2」という数もゲマトリア的に玉座と深く関係する。
「ヒラムは知恵と洞察力と知識に満ち、青銅にかけてはどんな仕事にも通じていた。彼はソロモン王のもとに来て、ゆだねられたあらゆる仕事をした。彼は青銅の柱を2本作り上げた・・・・(中略)・・・1本は南側に立てられて 、ヤキンと名付けられ、もう1本は北側に立てられて、ボアズと名付けられた。」(旧約聖書「列王記 上」第7章14~21節)
メイソンの技術と知識に長けたヒラムは、ソロモン神殿を手掛ける際、神殿に2本の柱を立てた。これが日本では神社の境内に立つ「鳥居」となる。鳥居の原型は2本柱の先を縄で結んだ形をしていた。この形を今に残す神社も多く、神道の祭に欠かせない。「拍子木」も原始鳥居の形を伝えている。だから、神道に関わる相撲や祭りでは、拍子木を鳴らす。
さらに日本の鳥居には重大な秘密が隠されている。標準的な鳥居は、楯に2本の「立て柱」を配し、横には上から「笠木」「島木」を置き、間に「額束」、最後に「貫」を配置する。これと同じ構造がユダヤに存在するのだ。それは構造物ではなく文字としてである。古代ヘブライ文字の「YOD」「HE]「VAV]「HE]を縦に積み重ねると、鳥居と全く同じ構造が出来上がる。その発音は「ヨッド・へー・ヴァヴ・へー」で、英語に直すと、「YHWH」、つまりヤハウェとなる。
そのことから、日本の鳥居はカッバーラで最も古い人を意味する「アダムカドモン(人形)」ということになる。日本流にいえば、神道の最も古い人は「神」であり、ヤハウェ(エホバ)であるイエス・キリストを指している。
天の父エロヒム(エル・ランティー)の霊の子を預かったヤハウェが、天地を創造して人類の造物主となり、骨肉を与える父の立場になった。人は霊の父と骨肉を与えた父をもつ→これがカッバーラの基本で、神道ではそれを鳥居で表している。
実際、鳥居の構造を見ると、完全な人の形になっている。日本人は何も知らずに、イエス・キリストの姿を模した鳥居の下を潜って境内に入っているのだ。
「3」については、生命の樹の三本柱について、すでに記しているので省略する。
「24」という数は12の倍数だから、カッバーラ的には玉座と無縁ではないが、決して玉座の直近の位置を占める数ではない。彼のような聖人は死後どこに行くかというと、楽園である。楽園とは善人が死後に向かう場所で、そこで復活を待つことになっている。そこは善人しか行けない来世で悪人は暗闇の世界に留め置かれる。そこはまだ地獄ではないが、それについては後述する。
「そして「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、私を思い出してください」と言った。するとイエスは「はっきり言っておくが、あなたは今日私と一緒に楽園にいる」と言われた。」(新約聖書「ルカによる福音書」第23章42~43節)
彼ら24人の長老たちも、霊魂のまま死後の世界に身を置いていた。イエスの言葉を聞いているのだから、目を覚ましている。肉体から離れた霊は眠らないし、また眠る必要もない。24人の長老たちは、全員が黙示録に登場する7つの支部に関わる原始キリスト教徒たちである。寿命であろうと殉教であろうと、彼らは最後まで信仰を守り通した。黙示録は7つの教会の信徒を通して、21世紀に生きる我々に警告を与えていると述べたが、そこには必ず7つに支部に関わる聖人、つまり24人の長老が関わってくる。この聖人たちが死後の世界で何をしているかというと、イエス・キリストの福音を死者の霊に説いているとある。
「死んだ者にも福音が告げ知らされたのは、彼らが、人間の見方からすれば、肉において裁かれて死んだようでも、神との関係で、霊において生きるようになるためなのです。」(新約聖書「ペテロの手紙 一」第4章6節)
7つの支部の聖人たちを長老と記しているということは、全てが男性ということになる。女性に聖人がいないわけではないが、陰陽でいうと女性は陰でいつも隠れた位置になるため、聖書では女性を数に加えない習慣がある。
「主は臨在の幕屋でモーセに仰せになった。イスラエルの人々の共同体全体の人口調査をしなさい。氏族ごとに、家系に従って、男子全員を一人一人点呼し、戸籍登録をしなさい。」(旧約聖書「民数記」第1章1~2節)
男系重視という当時のイスラエルの習慣を継承しているのは、今や世界中で日本の天皇制しかない。