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カッバーラでしか解けない「ヨハネの黙示録」(15)

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(15)ラオディキアへの手紙:「玉座」

 エフェソのほぼ真東にあるラオディキアは、3本の主要道路と2つの盆地がある古代で最も裕福な通商都市のひとつで、銀工業や独特の技術で織る黒色羊毛産業、薬学のメッカだった。特に金融はこの町を支え、黙示録が書かれる30年ほど前に起きた大地震で町が崩壊しても、ローマ帝国の手を借りずに再建してしまうほど豊かだった。

 ラオディキアに近いヒエラポリスにはバムッカレという有名な温泉地があり、そこから南に向かって流れる川の水はカルシウムを豊富に含み、温かかった。その水がラオディキアに流れ着く頃には生ぬるくなっていたため、信徒の信仰も同じように生ぬるいと警告されている。

「熱くも冷たくもなく、生ぬるいので、私はあなたを口から吐き出そうとしている。」(新約聖書「ヨハネの黙示録」第3章16節)

 フリュギアの石を使った目薬は広く知られ、ラオディキアにはその専門学校までがあった。

 金銭的に豊かだというだけで満ち足りていると思い込んでいる人々(信徒を含め)に対し、ヨハネは主の言葉を伝えるため、皮肉を込めて「目薬を使って己の真の姿を見よ」と警告している。

 この指摘はパウロが伝道したラオディキアの信徒にはピンポイントで効いたはずである。

「裸の恥をさらさないように、身に着ける白い衣を買い、また、見えるようになるために、目に塗る薬を買うがよい。」(新約聖書「ヨハネの黙示録」第3章18節)

 大金持ちが天国に入りづらいのは、過ぎたる高慢が自らの心を貧しくするからだというのである。経済大国に住む日本人には、少々耳の痛い警告かもしれない。

 ここでヨハネは、イエス・キリストの言葉で、最後まで信仰を貫けば、「玉座」を与えると伝えている。勿論、これも生命の樹の別名である。

「勝利を得る者を、私は自分の座に共に座らせよう。わたしが勝利を得て、私の父と共にその玉座に着いたのと同じように。」(新約聖書「ヨハネの黙示録」第3章21節)

 玉座とは至高の三角形に存在する神の座で、聖書の他の箇所にもこの玉座が記されている。

「また、あなた方も聞いている通り、昔の人は、「偽りの誓いを立てるな。主に対して誓ったことは、必ず果たせ」と命じられている。しかし、私は言っておく。一切誓いを立ててはならない。天にかけて誓ってはならない。そこは神の玉座である。」(新約聖書「マタイによる福音書」第5章33~34節)

 神の玉座とは同じ席に座るということは、神になるということである。

 そして、人が神になることが約束されたというのは、神(天の父)も買っては人だったことを意味している。

 このことはカッバーラの上からも非常に重要かつ重大で、生命の樹図の構造が、上に幾重にも積み重なるように伸びていくことに関係する。それはまさに天を貫くように伸びる階段に様だ。

「彼は夢を見た。先端が天まで達する階段が地に向かって伸びており、しかも神の御使いたちがそれを上ったり下ったりしていた。」(旧約聖書「創世記」第28章12節)

 いくつかの変形もあるが、人が一つの段階に至った後、さらなる進歩を遂げることを予測させるこの構造を、飛鳥氏は「拡張生命の樹」と名付けている。

 それは、人は、永遠というときの中で成長を続け、やがて神と同格の段階に到達できることを暗示する。絶対神となった後の進歩とは、神々の子孫を増やし、世界を光で充満させるということで、それによって神の領域を拡大するのだろう。

 ここまでを解き明かしてみると、黙示録の冒頭に登場する7つの橋と7つの金の燭台は、どれも生命の樹だったことが判明する。

 ローマ帝国の圧政に負けず。最後まで信仰を貫いた信徒に「命の木の実、命の冠、命のマンナ、白い小石、明けの明星、白い衣、神殿の柱、玉座」という生命の樹が与えられ、永遠の生命を獲得できるということを、ヨハネは伝えているのである。


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