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カッバーラでしか解けない「ヨハネの黙示録」(14)

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(14)フィラデルフィアへの手紙:「神殿の柱」

 フィラデルフィアはサルディスのほぼ南東にある小さな町で、昔から「東方への門戸」と呼ばれていた。

「見よ、私はあなたの前に門を開いておいた。誰もこれを閉めることはできない。」(新約聖書「ヨハネの黙示録」第3章8節)

 イエス・キリストは光であり、光は東方から昇る。フィラデルフィアはまさに東方への門戸を開く町だった。

 活火山帯上に遭って温泉が吹き出していたこの町は、ブドウ園が多いことでも知られており、葡萄酒の神であるバッカス神殿がある。

 紀元前150年の頃、ベルガモンのフィラデルフォス王が建設したこの町の名フィラデルフィアは、兄弟姉妹を意味する。

 その名に相応しく、住民たちは互いに忍耐して信仰を強めており、黙示録には信徒が勝利を得た暁は、「神殿の柱」にするとある。

「勝利を得る者を、私の神の神殿の柱にしよう。」(新約聖書「ヨハネの黙示録」第3章12節)

 「柱」が生命の樹の別名であることは既に述べたが、柱と神と表すということは、カッバーラは人が神になることを示唆している。

 欧米のほとんどのキリスト教会は、人が神になるはずがないと決めつける。

 ところが、日本の神道は、人が死ねば神になると教えている。

 このように教えているのは世界で唯一、神道だけである。

 二宮金次郎を祭神に奉る「報徳二宮神社」、下位の武田信玄を奉る「武田神社」、川中島で震源と戦った上杉謙信を奉る「上杉神社」、そして日本で最も壮麗な「日光東照宮」の祭神も徳川家康の御霊である。

 日本では、全力を尽くす時、頭に鉢巻を巻くことがある

 それは自分を犠牲にしてでも家族や人々、あるいは志を守る際に行った習慣の名残だが、イエス・キリストっ犠牲となって十字架に掛けられたとき、頭に茨の冠を巻かれたことと無縁ではない。

 カッバーラのことを、黙示録は「ダビデの鍵」とも称している。

「聖なる方、真実な方、ダビデの鍵を持つ方、この型が開けると、誰も閉じることなく、閉じると、誰も開けることがない。」(新約聖書「ヨハネの黙示録」第3章7節)

 「鍵」は統治権のシンボルであり、管理権を示唆する比喩でもある。

 「聖なる方、真実な方、ダビデの鍵を持つ方」は、いずれもイエス・キリストのことである

 イエス・キリストはダビデの直系である。

 だからイエス・キリストは、血統的には正統な「ユダヤの王」だったのである。

 当時、ユダヤを支配していたヘデロ王は異民族だった。

 ローマ帝国はそのヘデロを用いて間接的にユダヤを統治していた。

「こうして、全部合わせると、アブラハムからダビデまで14代、ダビデからバビロンへの移住まで14代、バビロンへの移されてからキリストまでが14代である。」(新約聖書「マタイによる福音書」第1章17節)

 また、ダビデに王権を与えたのもイエス・キリストだった。受胎前のヤハウェとしてダビデに鍵を預けたのである。

「私は彼の肩に、ダビデの家の鍵を置く。彼が開けば、閉じる者はなく、彼が知事れば、開くものはないでだろう。」(旧約聖書「イザヤ書」第22章22節)

 ダビデの鍵とは、一種の「マスターキー」のようなもので、カッバーラを含むすべての管理権であり、地上ばかりか天の管理権をも含んでいた。だが、ダビデは部下の妻バテシバを策略で奪った。この罪は許しの範囲を超えたものとされている。


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