(78)バチカンに神権は継承されていない!
(天つ巻・第19帖 まだ目が醒めぬか)
天照大神(イエス・キリスト)に果たしてどれほどの力があるのか、それを外国に一度見せてやらないと、気がおさまらない。地球を破壊するほどの巨大震動を起こすこともできるが、善人が残っている為、少しでも衝撃度を少なくするように思われている。
もはや神の怒りは頂点に達しつつあるのに、世間の人々は全く気付いていない。イエス・キリストが本気で怒られたら一体どうなるのかは、まったく予測ができない。この警告の言葉を無視すると後でまずい事態になる。その時になって気付いても全くの手遅れである。
(解釈資料)
イエス・キリストの力を示すのが大宇宙の存在である。我々がいる宇宙を維持できる力を持つのが造物主ヤハウェ、つまり現人神であるイエス・キリストの力である。この力は天の父(私はエル・ランティーと考える)なる神から授かったもので、その父の代理人が救世主(メシア)であるイエス・キリストである。父なる神は全権をイエス・キリストに委ねている為、子であるイエス・キリストは父なる神と同じ力を保持することになる。聖霊は、イエス・キリストが昇天する際、地上に降りた神で、天の父と子の次に来る霊神である。聖霊の役目は、清さで、それが厳格であるため、聖霊が人を裁いた場合、誰一人としてパラダイスどころか天国に入ることが出来ない。それを救うのがイエス・キリストで、その方法は、神の権能である「神権」を保持する者から「バプテスマ(洗礼)」を受けることである。(私は悔い改めることが必要だと考えている。それはブッダが説いた八正道による反省である。反省により人は救われるのである。)
神権が管理しないバプテスマは無効である。その神権をパウロから継承したと主張するバチカンは、過去において、「天動説」を主張し、それに逆らう者を火炙りにした。さらに、魔女が実在すると主張し、多くの無実の男女が火炙りにされ、残された財産をバチカンが全て奪い取った。そういう真似を平然と行ってきたバチカンに、イエス・キリストの神権が継承されるわけが無い。バチカンはパウロの墓を守っていると主張するが、パウロは殉教した後、イエス・キリストの復活で蘇っている。
2009年6月28日、当時のローマ法王ベネディクト16世は、ローマにある「聖パウロ大聖堂」の墓から、1世紀か2世紀頃の骨の一部が見つかったと発表した。これによりパウロの遺骨がバチカンの墓に納められていると主張している。伝承では、パウロの遺体はペテロと共にアッピア街道の地下墓地に埋葬され、聖パウロ大聖堂建設後に地下へ移されたとされている。2006年に石棺が発見され、考古学者が科学的検証を行ったとされるが、その方法は、石棺にドリルで小さな穴をあけたところ、純金の施された紫色の高級な麻の布と骨の一部が見つかり、炭素14年代測定法によって1世紀か2世紀頃の人骨と判明した。しかし、それがパウロの骨と断定するのは危険である。さらに言えば、「新約聖書」には、イエス・キリストの復活後、エルサレムには多くの預言者が墓から蘇ったとあるが、バチカンはキリスト教でありながら、預言者の復活を全く信じる気が無いと思われる。
人の復活を信じない人がいても構わないし、信じる、信じないは全く自由である。しかし、世界最大のキリスト教と称されるバチカンが、使徒である預言者の復活を頭から信じる気が無いのは異常だし聖書学からも矛盾に満ちている。
復活の奇跡はエルサレムで起きた事件で、それ以外の地で預言者が復活するはずがないスタンスなら、どうしようもなく救いがたい。聖書学的に言えば、パウロもペテロも墓に遺体があるわけがなく、遺体があると主張するバチカンに神権が継承されているわけがない。さらに言えば、「三位一体」を主張するバチカンは、「三位三体」の原始キリスト教の神権を継承できる資格もない。真理をねじ曲げたからである。そのバチカンから枝分かれしたプロテスタントも同じで、神権が継承されていない。しかし、三位三体を信じる教会にいても、高慢な者や心頑なな者もいれば、三位一体の教会と言っても、心優しく、善なる者もいる。それらすべてをジャッジされるのが神である。神の正しい組織に加わっていても、官僚主義に固執した者の行先は非常に危ういだろう。