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飛鳥昭雄氏による「日月神示」の霊感語訳(58)

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(58)フリーメーソンのシンボルマーク

(富士の巻・第16帖 神国弥栄ぞよ)

 「90」の9は最高数で、0は無である。これだけで両端を示し「初めと終わり」を暗示する。あるいは終わりと初めが輪になる仕組みを暗示する。しかし、「9」と「1」の「初めと終わり」ほど明確ではなく、次への橋渡しの意味合いがある。

 漢字数はさらに如実で「九・十」の「九」は球と同じ読みで「球=0」となり、「「十」と合わせて「0・十」で「初めと終わり」を示している。実際、中国では肘の曲げた手を合わせた形とされ、指の数10本の意味があった。日本でも「九」に「一」を加えた漢字は「丸」で、「丸=円=○」となり、「丸=十(0)」となる。「丸=十」で合体すれば、薩摩藩の島津家の家紋となり、コンパスと曲尺の「日の丸」と同じ意味を持ってくる。これは「天地四方」であるとともに、陰陽の男女和合を暗示し、コンパスと曲尺を組んだフリーメーソンのシンボルマークとも同じである。

 シンボルマークは「コンパス=円=天=男性」と「曲尺=四角=地=女性」の和合を暗示し、事実、シンボルマークは、男女が和合して睦みあう陰陽の股間を示している。男女和合とは、大地である女性に、男性の柱を立てる事を意味し、女性は子をなすため、男性自身を膣内に立てる必要があった。これが日本に残る「男を立てる」意味で神道の要になっている。御神木とはその意味で、天照大神を柱と数えるのも「木・主」で男根を持つ男性神でなければありえない。

 古代中国神話に登場する伏義(男)の手に曲尺が、女媧(女)の手にコンパスが握られて互いに蛇の体で絡まるのも、互いに無いものを握り合う陰陽和合の真理を示している。

 天地開闢の神代七代の最後に生まれたイザナミ命とイザナミ命は日本国土を形づくるため、高天原から地上に派遣され、イザナギ命が天浮舟から天沼矛を差し、泥の海を掻きまわして、滴り落ちた塩が固まったのがオノコロ島である。イザナギ命とイザナミ命はオノコロ島に降り立った後、石の柱を立てる。この柱を「天之御柱」と言う。イザナギ命とイザナミ命は体の違いを確認した後、柱をイザナギ命が右回り、イザナミ命は左回りに巡り、出会ったところで女神が「あなにやし、えをとこを」と言い、男神が「あなにやし、えをとめを」と言って、愛し合ったが、完全ではない体の子「蛭児(水蛭子)が生まれ、いくら生んでも完全ではない体の子しか生まれなかった。そこで、2柱の神は天に昇り神々の教えを聞いたところ、男神が声をかけてから回れということになった。すると、次々と良い子が生まれ、最初に淡路島が、次に四国、隠岐、九州、壱岐、対馬、佐渡、本州の順で国土が生まれたという。これが「大八州」である。

 一方、ユダヤの地では、ヤコブ(後にイスラエルと名乗る)が、天地を結ぶ懸け橋となるシーンがある。

「ヤコブはベエル・シェバを立ってハランへ向かった。とある場所に来たとき、日が沈んだのでそこで一夜を過ごすことにした。ヤコブはその場所に横たわった石を一つとって枕にして、その場所に横たわった。すると、彼は夢を見た。先端が天まで達する階段が地に向かって伸びており、しかも、神の御使いたちがそれを上ったり下ったりしていた」(「創世記」第28章10~12節)

 以後、ユダヤでは神を「柱」とする風習が定着するが、最初に祭壇を築いて、エデンの東に柱を立てたのはアダムとされている。


飛鳥昭雄氏による「日月神示」の霊感語訳(59)

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(59)天皇家はレビ族の直系

(富士の巻・第17帖 九十が大切ぞ)

 「九十」は「九0」で最も高い「9」と言う数字なので大切という意味だが、コンパスと曲尺の天地の間に人が立ち、天地和合させる「天地人」の意味がある。神にも人にも重要な数字が9なのである。

 絶対神は完全だが、人は不完全である。よって、まずは神を拝さねばならず、天皇陛下は日夜その儀式をしておられる。神の正しい組織の建てる神殿だが、一刻も早く東京に出来上がり、国民総出で日夜神を拝することができれば素晴らしい国になる。その神殿が、将来、日本の山々にもでき、川辺にもでき、野にもでき、家々の近くにも多数できる時がくる。これが真の弥勒の世を創ることになる。最終的に、人々の体が神の宿る宮となるだろう。そういう世を創るために神は急いでおられる。

(解釈資料)

 天皇陛下は、ユダヤの神宝「三種の神器」を保管している。皇居にあるのはレプリカで、真の三種の神器は三重県と愛知県にあった。内宮には「八咫の鏡(十戒石板)」が保管され、外宮には「勾玉(マナの壺)」が保管されてきたが、2015年5月イヤルの月に、「熱田神宮」から「草薙の剣(アロンの杖)」が建て直されたばかりの「伊雑宮」に委譲された。これで三種の神器の全てが三重の地に揃ったことになる。

 ユダヤの血統で神事を行えるのは「レビ族」だけである。今の天皇家はレビ族の直系で、失われたレビ神権の継承者である。だからこそ、「契約の聖櫃アーク」を保管でき、明治天皇が箱に触れることもできたのである。

 偽者の北朝系の天皇家では、アークに触れたら最後、たちまち腐り果てただろう。レビ族は一番最後の取(とり)を飾る使命があり、それが三種の神器の出現に深く関わっている。これは、神の正しい組織の預言者と、天皇陛下が手を結ぶことを意味し、天皇家が原始キリスト教と合体することにより、神道の発祥が原始キリスト教だったことが証明される。

 現人神とは天照大神(イエス・キリスト)とする古記録も、京都の「冷泉家」に存在する開かずの蔵に厳重に保管され、最後の天皇陛下が京都に戻るまで開帳されない。そうなると、日本中の神社のすべてが東京に建設される神殿と同じ宮になる。「神社本庁」に登録されている神社数は「伊勢神宮」を含む7万9074社あり、これらが天皇陛下の命令で原始キリスト教の神殿(宮)となって、日本全土の山間部と川沿い、平野から街中まで存在することになる。これが日本で興る奇跡として世界中に鳴り響く。

飛鳥昭雄氏による「日月神示」の霊感語訳(60)

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(60)雨の神、風の神、地震の神はすべてイエス・キリストである!

(富士の巻・第18帖 国仕掛けの封印を解く)

 八百万の神々は、全て準備万端整っている。雨の神、風の神は勿論、地震の神、岩の神、荒の神、五柱七柱の神、八柱の神、十柱の神が全て合わさり、日本の国仕掛けの封印を解きにかかる。だから8月の辛酉は神の目から見ればよい兆しとなる。

 国を挙げての艱難辛苦の際、物を持たない者は、失うものが無いので、かえって裕福な者より被害が少ない。調子に乗って戦争を引き起こした結果、日本人の心は必ず荒れ荒むだろう。悪いことが悪いことでなくなり、治安は悪化して悪が闊歩するようになる。その様子を見て神は悲しみ怒りを燃やされるだろう。

 敗戦のドサクサで多くの軍の幹部が食糧を略奪し、配給で食えなくなった人々が、大事な品と食糧を交換するようになる。すると、決まって公務と称する警察の略奪が始まる。駅で待ち受けてリュックごと奪っていくのだ。官は貧しい民から食糧を奪い取って自分たちの食い扶持にする。敗戦したにもかかわらず、庶民の面倒を見るべき公僕が、威張り散らして庶民を殴って支配しようとする。これら官と役人たちが悔い改めねば、神の怒りで一般庶民までが難儀することになりかねない。同じことは、日本の神の組織の中でも、日本人の官僚主義者たちによって起きるだろう。

(解釈資料)

 これは両義預言である。「雨の神」はノアの大洪水を起こした「ヤハウェ」であり、「風の神」は大風を止めた「イエス・キリスト」であり、「地震の神」はエリコの城砦を崩した「ヤハウェ」である。「岩の神」はモーセが杖で岩を売った時に水を出させた「ヤハウェ」であり、「荒の神」とはサタンの誘惑に勝つため荒れ野で試練にあった「イエス・キリスト」を指している。「五柱七柱の神」とは、籠神社の海部光彦宮司の「多次元同時存在の法則」から、八百万の神々のすべてが天照大神の御霊分けで同一神となり、天照大神は男神イエス・キリストとなる。なぜなら、籠神社が伝える天照大神の名「天照国照彦」の彦は、男性名称だからである。

 「八柱の神」とは記紀に登場する神々の順で、8番目の天照大神までの柱を示し、「十柱の神」も同様で「10」の「1+0」で元の「1」に戻り、唯一神の天照大神を示し、どの神もすべて御霊分けしたイエス・キリストとなる。岡本天明と霊的協力者たちは、当時の特高警察の目から「日月神示」を守るために、御霊分けを逆さにとって、神々の「お心合し」として同一神を暗示している。

 「辛酉」は8月の場合、「金・金」となり、日本が真に激変する最大の日である。それまでの間、爆撃はますます激しくなり、人々の辛苦は耐え難いほどになる。戦中・戦後の食糧難を導いた官僚主義者たちに対し、神は怒りを発し、庶民を憐れんで、戦後日本を占領したアメリカ軍のトップの心を和らげた。大量の小麦をアメリカから調達させたのである。GHQの最高司令官ダグラス・マッカーサーの事である。彼によって日本最大の飢餓状態は救われた。

 もちろん、その裏には日本復活の際、アメリカの小麦で作ったパンを日本人が好むようにする輸出戦略はあったが、餓死者で満ち溢れる状況よりはるかにマシである。これから先、神の正しい組織に巣食う日本人の官僚主義者たちが支配する頃、日本で大きな飢餓が蔓延するようになる。預言者がいくら彼らにやさしく忠告しても、彼らは自分の事ではなく他人事としたからである。彼らは手引きしか読まず、応用しなかった怠惰だった者として恥を受けるだろう。

飛鳥昭雄氏による「日月神示」の霊感語訳(61)

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(61)天体規模の天変地異

(富士の巻・第19帖 獣の性来いよいよ出すのぞ)

 神界の秘密は「日月神示」の中でいくつも公開しておいたが、救世主が再臨する寸前、世界中で超弩級地震が続発し、異常なまでの気象異変が人類を襲うだろう。役人崇拝思考と官僚主義に慣れ、危機管理能力が著しく欠ける日本人の多くは、茫然自失して押し流されていくだけである。世界は獣のような姿で地を徘徊する者と、物心ともに準備を怠らなかった者とに分かれ、天地ほどの差となって具現化する。

 地を這いまわる者を集める本物の獣が現れるが、この獣は世界を滅ぼすことになる。人類は水と火の大災害を受けるだろう。それが眼前に迫っている。途方もないカタストロフィで天地が撹拌されるが、神の慈悲が無ければ、誰一人として生き延びる者はいない。未曾有の天変地異が終焉した後、神が選んだ浄化された者達が現れ、神と共に弥勒の世を創っていく。

 愛が無くこの世に染まった者や、傲岸不遜に陥った者に逃げ道はない。水が高きから低きに流れるように、。時に押し流されるだけの者は、自ら選んだ道なので神は放っておかれる。それでも、滅びゆく者の中から、光を求める者を見つけ出し、神界への道を開かれる。しかし、その時間は一時とあるように、滅亡の寸前まで時が限られている。時が満ちる前に一刻も早く悔い改めねばならない。間に合わなくなるからだ。世界は互いに血を求めて戦争し、獣のような者達で満ち溢れるだろう。それでも悔い改めない者はどうしようもない。

(解釈資料)

 世界を滅ぼすハルマゲドンは、天体規模の天変地異と連動して起きる。その規模は破壊的で神の慈悲が無ければ人類は誰一人として生き延びることができない。

「地は、酔いどれのようによろめき、見張り小屋のようにゆらゆらと動かされる。地の罪は地の上に重く倒れて、二度と起き上がることはない」(「イザヤ書」第24章20節)

 これは地軸移動か極移動と思われる。どちらにせよ、地球は傾き引っ繰り返る。世界は大激変を起こすが、そんな天変地異が起きたとき、世界の大陸や島々は急速に移動して元に戻り始める。昔の世界の状態へと戻るのだ。

「すべての島々は逃げ去り、山々も消え失せた」(「ヨハネの黙示録」第16章20節)

 アルプスやヒマラヤが大陸衝突の「造山運動」で盛り上がった地形なら、それが無くなることは、大陸の逆行つまりプレートの逆回転しかありえない。その陸地の上に生きている人類が助かるとは到底思えない。

「第7の天使が、その鉢の中身を空中に注ぐと、神殿の玉座から大声が聞こえ、事は成就したと言った。そして、稲妻、様々の音、雷が起こり、また、大きな地震が起きた。それは人間が地上に現れて以来、未だかって無かったほどの大地震であった」(「ヨハネの黙示録」第16章17~18節)

 平野の多くに大都市があり、そのほとんどが海面に面しているため、数百メートルを超えるハルマゲドン津波で、世界中の大都市のほとんどは消滅する。

「第2の天使がラッパを吹いた。すると、火で燃えている大きな山のようなものが、海に投げ入れられた。海の三分の一が血に変わり、また、被造物で海にすむ生き物の三分の一は死に、船と言う船の三分の一が壊された」(「ヨハネの黙示録」第8章8~9節)

 日月神示にある獣も「ヨハネの黙示録」にその登場が預言されている。

「・・・すべての者にその右手か額に刻印を押させた。そこで、この刻印の有る者でなければ物を買うことも売ることもできないようになった。この刻印とはある獣の名、あるいはその名の数字である。ここに知恵が必要である。賢い人は、獣の数字にどのような意味があるかを考えるがよい。数字は人間を指している。そして、数字は666である」(「ヨハネの黙示録」第13章16~18節)

 世界が滅亡する寸前まで神が救う者とは、預言者が管理する原始キリスト教会で、神権によるバプテスマを受けた者達である。彼らは獣を崇拝せず、神によって隠される。彼らは空中に消えるように地上から姿を消すことになる。

「主の言葉に基づいて次のことを伝えます。主が来られる日まで生き残る私たちが、眠るについた人たちより先になることは、決してありません。即ち、合図の号令がかかり、大天使の声が聞こえて、神のラッパが鳴り響くと、主御自身が天から降りて来られます。すると、キリストに結ばれて死んだ人たちが、まず最初に復活し、それから、私たち生き残っている者が、空中で主と出会うため、彼らと一緒に雲に包まれて引き上げられます。このようにして、私たちは何時までも主と共にいることになります」(「テサロニケ信徒への手紙1」第4章15~17節)

 こうして地球は旧約時代の「ノアの大洪水」でバプテスマを受け、新約時代の「聖霊の火」による按手礼によって、悔い改めを完成させ福千年に入っていく。つまり、地球は神の火によって火だるまになることを意味している。しかしそれが死ではなく再生を意味する。

「第4の天使が、その鉢の中身を太陽に注ぐと、太陽は人間を火で焼くことを許された。人間は激しい熱で焼かれ、この災いを支配する権威を持つ神の名を冒涜した。そして、悔い改めて神の栄光を讃えることをしなかった。第5の天使が、その鉢の中身を玉座に注ぐと、獣が支配する国は闇に覆われた。人々は苦しみ悶えて自分の舌をかみ、苦痛と腫物の故に天の神を冒涜し、その行いを悔い改めようとはしなかった」(「ヨハネの黙示録」第16章8~11節)

 「日月神示」は「旧約聖書」「新約聖書」と完璧に対応し、戦時中に岡本天明に下った神「天之日津久神」の正体が「国常立尊」でもあり、「天照大神」でもあった。つまり、ヤハウェであるイエス・キリストが天明を日本を通して世界を救うために召し上げたのである。

飛鳥昭雄氏による「日月神示」の霊感語訳(62)

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 (62)フード・ウォーの勃発!

(富士の巻・第20帖 三千世界の大洗濯)

 日本の敗戦が間違いないので、苦しい台所がさらに苦しくなる。だから保存がきく物を今のうちに蓄えておけ。軍部が支配し、狂ったカルト国家と化した日本に天照大神の御霊はない。神の助けは無く、かえって怒りを受けて穀物の収穫は半分ほどに落ちる。

 今のうちに「日月神示」を知って、効果的な貯蔵を各自で始めなければ、餓死する者が増える一方になる。一握りの握り飯にも窮する時代が訪れるからだ。もちろん、不足するのはコメだけではなく、他の全ても手に入られなくなってくる。

 人だけが消えるのではなく、神々でさえ消えてしまう。日本人は先を読まずに安穏と生活する癖があるくせに、尻に火がつくと慌てふためき、前後の見境もなく走り回る。そうなっては悔い改める以前の問題で到底、神の狭い道を見つけることはできなくなる。この出来事は日本だけに起きる悲劇ではなく、世界規模で起きることになる。世界中の人類は神につくか神を拒絶するしか道がなくなる時代が来る。だからこそ、天皇陛下のように、毎日、下々の者達も神に祈り、御霊が日本中を覆って、預言が成就するように祈らねばならない。そのために、一刻も早く東京に、神の宮である神殿を設けてほしい。

(解釈資料)

 第3次世界大戦が勃発すれば、間違いなく世界経済は崩壊し、世界各国は穀物の輸出を規制し始める。2015年頃から「フード・ウォー」が勃発するかもしれないと言われ続けてきたが、世界大恐慌が誘発すれば、日本経済は崩壊して飢餓列島と化すだろう。その規模は太平洋戦争の頃を上回る規模で、一刻も早く食糧を保存するよう勧めている。

 最近、日本で注目を集めている企業がある。「アマノフーズ」である。宇宙開発のNASAが開発したフリーズドライ製法による食品である。フリーズドライは、目的に応じて、事前に加熱味付けなどの処理をした後、水分を含んだままの食品原料を、摂氏マイナス30度で急速冷凍し、減圧した真空状態で水分を昇華させ乾燥させている。乾燥の収縮亀裂による形態変化が少なく、ビタミンなどの栄養素と風味変化がなく、多孔質のため水や熱湯が侵入しやすく、復元性と溶解性に優れている。常温で長期保存ができ、究極の低水分である為軽くて輸送性が極めて高い。

 2012年、NASAのチャールズ・ボールデン長官が、職員とその家族あてに発信した緊急かつ重要メッセージの中に「食料を緊急に1年半分集めよ」の一言がある。長官のメッセージは大統領非常事態宣言に準ずる命令等の発令に匹敵する。これは、アメリカ政府組織のNASAが何らかの情報を持っており、それに準じた発令を行ったと解釈すべきである。国連の一機関も2015年頃から世界的食糧危機の時代が到来すると予測している。つまり、この時期に大きな戦争が起きる可能性があり、第3次世界大戦が起きる可能性が大である。

 日本人が生き延びる道は安価で大量に保存できるフリーズドライ食品が最も適している。その意味でアマノフーズは最後の機会を与えてくれている。

 末の世が進むにつれて、神を拒絶することは、聖書学的に言えば、「666」に従うことである。666は悪魔(サタン)と獣と偽預言者だが、獣は世界統一政府に君臨する独裁者、偽預言者は獣を救世主と認定するバチカンの法王を指している。

 三千世界とは、一人の仏が教化できる範囲を指し、その世界を仏国土と呼ぶ。仏とはイエス・キリストの事である。日本人は仏を死んだ者とも解釈し暗にイエス・キリストの磔刑死を知らずに扱っている。

飛鳥昭雄氏による「日月神示」の霊感語訳(63)

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(63)食糧サバイバルはこうせよ!

(富士の巻・第21帖 益人の益心)

 神の言葉に素早く反応するほどでなければならない。自然界の動きだけを見ても、神の言葉が大量に含まれ、どんな危機が迫っているかを正確に物語っている。飢饉対策も同じで世界中で飢え苦しむ人々の数の方が圧倒的に多い。しかし、日本を含む先進諸国が贅沢さえしなければ、世界中に食糧が行き渡るようになっているのだ。ところがそうなっていない。

 世界には外してはならない絶対法則がある。大地のすべての実りをまず神に捧げることである。神を信じて祀る事が重用で、それを疎かにして、暴力で他国を侵略し、奪略をほしいままにする国に神の御霊は無い。そのことをいくら神が忠告しても、聞く耳を持たない国に届かない。まるで猫に小判である。

 神は決して無理難題を人間に求めていない。道理は子供でも守れる範囲である。神は選んだ人間に告げ知らすが、様々に難癖をつけて聞き従わず、「日月神示」についても同様で、印刷して人々に配布するのは無理でも人々に内容を告げ知らすことはできる。内容について、学問的にどうとか、非現実的とか、科学的ではない等々と言う者もいるが、理屈ではない神の言葉に目覚めようとしない。

 早く天照大神の御霊を求め、神が一体我々に何を求めているかを悟ってほしい。それが真の大和魂である。ヤハウェであるイエス・キリストの神聖に早く気付けば気づくほど、艱難辛苦は遠のいていくのだ。そういう「益人」の様が日本中に拡大すれば、天照大神の御霊と一体化し、国家も平安で繁栄するのである。世界中がそれに目覚める奇跡が、日本から発せられる。そういう不思議が必ずやって来る。

(解釈資料)

 日本の場合、食糧貯蔵には機敏であるはずが必ずしもそうではない。食糧を日本ほど浪費する国も無い。同じことは米にも言え、米は日本で余っている為、政府は減反政策をとってきた。日本人の米離れと減反政策で耕作放置が激増し、後継者不足で日本の農業は体質変換に致命的後れを取ってしまった。田畑は荒れ果て、日本の米作は万全とは言えない。

 日本では平均して10メートル掘れば、水が出る為、井戸は比較的簡単に手に入れることが可能である。業者に頼めば1メートル1万円ほどで掘ってくれる。昔の井戸と比べてビニールパイプ2本を通す穴で済むためである。後は電動にするか手押しにするかだが、15メートルを超える場合は電動しかないようである。手押しにしても軽量なシンプルな装置で、保険所の許可が下りない水質でも煮沸すればいい。これで1年間の食料と水が確保できれば安いものである。「日月神示」に日本人の数千万人以上が餓死する預言が記され、「伊勢神宮」では蘇民将来の言葉で、経済崩壊と大飢饉が立ち直る日本人の姿が預言されている。 

飛鳥昭雄氏による「日月神示」の霊感語訳(64)

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(64)世界統一政府の獣

(富士の巻・第23帖 世界統一政府の獣)

 世界は第1次世界大戦の後、1919年に「国際連盟」を樹立した。次に第2次世界大戦後の1945年に「国際連合」を樹立したが、やがて第3次世界大戦が勃発すると、その後に「世界統一政府」の樹立となり、これがチェックメイトとなる。

 その世界統一政府の総統の席に「獣」が座ると、世界は一変して暗黒に支配され、世界統一政府軍が日本を敵と見做し、一斉に襲い掛かってくる。これは、両義預言であり、「太平洋戦争」当時の敗戦間際の日本人には、そこまで考えるゆとりがなく分からないだろうが、その雛型がもうすぐ起きるだろう。日本は連合軍によってとどめを刺されるからだ。

 日本全土が焦土と化した後、そのまだ未来に「学」に象徴される科学文明の「この世」と、それに相容れない「神」との大戦争が勃発する。

 「神界」では神の準備はすでに整っており、全能の力で叩き潰すことも可能だが、今それを行えば、日本人は根絶やしになって、世界中の人類も滅亡する。だから、神はその力を封印しておられる。時が満ちるのを待っておられるのだ。  全知全能の神に手落ちはない。そんな恐ろしい事態が将来待ち構えているなら、なぜそれを言わないと責め立てる者ばかりである。しかし、それを彼らに話してもバカにするばかりである。しかし、既に前世で召されていた者には伝わるであろう。彼等は御霊によって事前に知るようになるからだ。彼らは遅い早いはあっても、いずれ神界への門をくぐることになる。

 北のロシアは要注意である。東の果てのアメリカにも気をつけよ。西の中国も信用できない。南のオーストラリアやニュージーランドも油断できない。軍に支配され、欲望をほしいままに行動した日本の暴走劇は、連合軍によって完膚なきまでに叩き潰される。そんな状態の苦しい時の神頼みでは通用しない。軍の官僚に無闇について行った庶民は哀れである。彼らの多くは、無神論に陥るだろうが、神と人の和が成った時、この国は真に神の国として目覚めることになる。

(解釈資料)

 「学」とは「知識」の事であり、「神」とは「永遠の生命」の事である。前者は知識で身を滅ぼしかねない世界を築く可能性があり、後者は「生命の樹」と呼ばれ、永遠なる神への道を暗示する。人類の祖であるアダムとエバが「エデンの園」で平和に過ごしていた時、赤い蛇が出てきて、エバに知識の木に実る「禁断の実」を食べるように誘惑し、その思惑が成功する。エバはアダムにも禁断の実を食べさせたが、この時、アダムは神から与えられた最初の戒め「産めよ増えよ地に満ちよ」を、二番目の戒めだった「禁断の木の実を食べてはならない」より優先する。

「でも、園の中央に生えている木の果実だけは、食べてはいけない、触れてもいけない、死んではいけないから、と神様はおっしゃいました。蛇は女に言った。決して死ねことはない。それを食べると目が開け、神のように善悪を知る者となることを神はご存じなのだ。女が見ると、その木はいかにもおいしそうで、目を引き付け、賢くなるように唆していた。女は実を取って食べ、一緒にいた男にも渡したので、彼も食べた。二人の目は開け、自分たちが裸であることを知り、二人はイチジクの葉をつづり合わせ、腰を覆う物とした。」(「創世記」第3章3~7節)

 「知識の木の実」を食べた二人は、目が開いて貪欲な知識欲が身についたが、死ぬ体になってしまう。そこで神々は未完成な人間が生命の樹の木を食べ、永遠に生きてはならないと、二人を園から追放し、太陽の炎「ケルビム」によって、その道を塞いだ。

「主なる神は言われた。人は我々の一人のように、善悪を知る者となった。今は、手を伸ばして命の木からも取って食べ、永遠に生きる者となる恐れがある。主なる神は、彼をエデンの園から追い出し、彼に、自分がそこから取られた土を耕させることにされた。こうしてアダムを追放し、命の木に至る道を守るために、エデンの園の東にケルビムと、きらめく剣の炎を置かれた。」(「創世記」第3章22~24節)

 知識の木は、人に死ぬ体を得た為「死の木」と呼ばれ、そこには人類を滅ぼす赤銅の蛇が左巻きに巻き付いていた。一方、永遠の命を与える「命の木」にも、救世主を暗示する白い蛇が右巻きに巻き付き、それぞれ「三回り半」とされた。その救世主の暗示する蛇を「ネフシュタン」と呼び、モーセが毒蛇の群れに噛まれた人々を救う蛇とした。

「モーセは一つの青銅の蛇を作り、それを旗竿の上につけた。もし蛇が人を噛んでも、その者が青銅の蛇を仰ぎ見ると、生きた。」(「民数記」第21章9節)

 日本では、主から絶たれる意味を「三行半」と言う。その意味は主の元から追放されることをである。具体的には妻が夫である主人から縁切りされることをいい、実際の文面も三行半とした。

 古代エジプトの神殿の門の両側を守る蛇も多くは三回り半で彫られている。

「しかし、女には大きな鷲の翼が2つ与えられた。荒れ野にある自分の場所へ飛んでいくためである。女はここで蛇から逃れて、1年、その後二年、またその後半年の間、養われることになった。」(「ヨハネの黙示録」第12章14節)

 ここには原始キリスト教会が1年間、2年間、半年の計3年半の間、神から守られると預言されている。

「この獣にはまた大言と冒涜の言葉を吐く口が与えられ42か月の間、活動する権威が与えられた。」(「ヨハネの黙示録」第13章5節)

 ここには、死の木の蛇に支配された獣の活動が、42か月間の3年半与えられているとある。

「私は、自分の二人の証人に粗布をまとわせて、千二百六十日の間、預言させよう」(「ヨハネの黙示録」第11章3節)

 近い将来、二人の預言者がエルサレムで命をかけた伝道をする期間が示されている。1260日とは3年半である。ここにも聖書と日本人の共通性が隠されているが、アメリカによって第3次世界大戦が終結し、その後、世界が統一されて、世界総統が支配する世界が登場する。その時代、日本は複雑な立場に置かれ、世界中が敵になる。

飛鳥昭雄氏による「日月神示」の霊感語訳(65)

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(65)近未来にまた繰り返す

(富士の巻・第24帖 一つの光現れぬ)

 富士山を象徴する日本を目指し、敵対する敵の戦艦が徒党を組んで襲ってくる。巨大な爆撃機は女子供にも容赦しない。神国日本は鬼である異教の国々のさらしものになる。日本の政治家と軍の官僚主義者は、愚かにも敵の術中にはまり、狐に騙されて先に手を出して悪人に仕立て上げられた。敵の大艦隊は「絶対国防圏」を突破して日本近海に出現するだろう。ここからはさらに先の出来事である。日本が絶体絶命に陥った時、天照大神が姿を現す。日本を滅ぼそうとする世界統一政府の軍隊は、日本が神国であることを思い知らされるだろう。

 凄まじい規模の光が起こり、未曾有の竜巻と暴風雨と炎の渦で、敵の最新鋭艦隊は全滅する。その寸前、敵軍の総司令官は日本の周囲からの脱出を試みるがすべてが徒労に終わる。日本のすべての火山が大噴火し、凄まじい規模の噴煙と火山が敵を殲滅するのである。その後、日本列島は落ち着きを取り戻し、しばしの静寂が訪れる。人々は静寂の中で神に感謝し、富士山も落ち着きを取り戻す。

(解釈資料)

 太平洋戦争末期と、近未来の日本の様子が両義預言で記されている。太平洋戦争では日本が期待するような「神風」は吹かなかった。軍の暴走と国民の狂気で突入した戦争に大義は無い。神が助けないのも当然である。

 1945年8月30日、マッカーサーが専用機で厚木海軍飛行場に到着したが、その直前の23日に台風が日本を襲っている。中心気圧1000ミリバール程度の小型だったが、日本が敗北を喫した後の皮肉な襲来だった。

 太平洋戦争以前、日本の大陸侵攻を止められなくなった中国は、アメリカに日本軍を追い出してほしいと頼み込んだ事実があり、最近、それがアメリカの秘密文書公開から明らかになった。その頃、「ハル・ノート」は何パターンもあったが、中国の泣き付きで、日本が戦争を起こすきっかけになる満州からの完全撤廃のパターンが選ばれた。これをきっかけに頭に血が上った日本は、鬼畜米英で開戦一本に傾斜していった。当時のセオボルト海軍少将は「ハル・ノートは、日本を鉄棒で殴りつけて挑発した」と、回顧録で述べている。

 結局、ルーズベルトによって日本は罠にはまり、真珠湾を奇襲した。そのことについて、キンメル提督は「ルーズベルトなどの指導者たちは、パールハーバーのアメリカ軍を故意に裏切った」とニューズウイーク」誌(1966年11月12日号)で辛辣に非難している。事実、ルーズベルトは、1940年10月8日にハワイ基地のリチャードソン提督に対し、遅かれは早かれ日本は暴走し、アメリカは日本と戦闘状態に入ると述べている。

 当時、日本の近衛文麿首相は、アメリカ国務省が「日米首脳会談」を拒否した時点で、開戦止むなしと覚悟し、勝手に政権を投げ出して総辞職した。つまり、日本人はルーズベルトと言う「大蛇」と、チャーチルと言う「悪狐」に騙され、罠にはまったわけである。もちろん、罠にはまったのは大本営の背広組で東条英機をはじめとする軍服組は日米開戦に反対だった。結果は悲惨なもので、国土は焦土と化し、日本人は八つ裂きにされたのである。両義預言では、近い将来、これと似た状況が日本を襲うとあるが、今度は天照大神の神意が働くため、日本に途方もない規模の神風が吹き、天変地異が起きて世界統一政府軍を蹴散らすとある。


飛鳥昭雄氏による「日月神示」の霊感語訳(66)

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(66)「天子」の復活

(富士の巻・第25帖 外国から早く分かりて)

 全人類はすべて絶対神ヤハウェ(イエス・キリスト)の子供たちである。日本人だけが神の子孫と言うわけではない。調子に乗って図に乗らないことである。

 天照大神は、「大神様=天の父なる神」の意図に従われるため、民族によって依怙贔屓することはない。大和民族とて容赦なく叩かれるのはそのためである。役人に平伏し、官僚主義に支配される日本ではなく、神の正しい組織は外国で立ち上がる。原始キリスト教会の復興である。そして、多くの信者が組織に入って、預言者たちの元で活性化してくる。天照大神は世界中の神なのである。人々は、一刻も早く自我を捨てて神の元に集合せねばならない。でなければ、神ではない別の者によって、身ぐるみすべてを剥がされることになる。

(解釈資料)

 天照大神による原始キリスト教の復活は、古い世界(日本やヨーロッパ)では起きない。新大陸が保証する自由の元で復活してくる。この組織は、神道と同じ「元初三神(三位三体)」を掲げ、人が「神に成る」と教え、神殿である「宮」を数多く建てる。そして「禊」であるバプテスマを執行し、宮の中でヘブライ語で「万歳三唱」をする。ここで言う「天子」とは天皇であるイエス・キリストを指し、陛下より上の絶対神である。

 我々が生きている時代、日本列島は2つにさけ、東日本側と西日本側の陸塊に戻り始める。最後の兆候は、諏訪湖の水が抜けたときであろう。その際、日本列島自体が動き始め、プレートの裂け目から膨大な量の超熱水が噴出し、日本列島の周囲の艦隊を根こそぎ打ちのめすだろう。

 そもそも日本列島は四方を海に囲まれた島国で、大陸から隔離された陸塊の集合体である。日本に住む私たちの遠い祖先は、日本列島で誕生したが、別の所から渡ってきたことになる。あるいは列島ごと運ばれてきたかだが、こういう場合、学者たちは必ず二者選択をしようとする。「邪馬台国論争」も同様で、畿内説と九州説がその典型である。

 「魏志倭人伝」には、明確に邪馬台国は「連合国家」と記されている。邪馬台国連合の範囲は、列島内において広範囲に解釈すべきで、今のような情報化社会ではない古代では、同じ文化圏内だったはずである。これは出土する様々な遺物の共通性を意味する。その意味からすると、邪馬台国論争には意味がない。意味があるとすれば、「卑弥呼の都」がどこかの「卑弥呼の都論争」だろう。それなら、畿内説対九州説も理解できるが、今のアカデミズムの表現では誤解を生みかねない。さらに、飛鳥情報では、卑弥呼の時代の日本列島は、今と違って四国と紀伊半島がつながっていた。淡路島も分離寸前で瀬戸内海は中国地方と四国が分離しつつあった、西日本陸塊の裂け目に過ぎなかったのが、今の瀬戸内海である。そうすると、「邪馬台国四国説」も畿内説の延長で。卑弥呼時代の古墳が集中する徳島県の吉野川流域は、同じ名を持つ紀伊半島を重ねれば一本につながることが分かる。これは大昔、川がY字形に合流し、現在の紀伊水道付近にあった合流川へ流れていたことを意味する。

 吉野と言えば、奈良県南部の地名で、邪馬台国の中心と推測される「纏向古墳群」が近くに存在する。飛鳥情報では卑弥呼の都は既に畿内説で確定されている。では、九州説で最も可能性が高いとされた「吉野ヶ里遺跡」は何かと言うと、邪馬台国連合最大の役所が置かれ、卑弥呼が派遣した役人が常駐する領域だった。そのことは「魏志倭人伝」に記されている。

 「魏志倭人伝」に記されている、日本列島に四国が無かった記述から、当時の日本列島は、現在の台湾から小笠原諸島の緯度付近に存在していたことが判明する。つまり、「魏志倭人伝」の頃の日本列島は、東西の陸塊が大衝突して、九州を北に逆立ちしていた。北海道は本州の東海上の小笠原付近にあった。一部の人々は、列島ごと運ばれてきたことを意味している。

 「ムー大陸」も、太平洋の海底に消えた巨大大陸が存在したか否かの二者選択ではなく、ノアの大洪水で消えた「超大陸パンゲア」が、地質学的、地球物理学的に存在した事実を基に証明できる。日本列島はプレートの交差点に乗る世界でも稀な列島である。だから、プレートの異変を直接受けるが列島の周囲に浮かぶ敵国の艦隊や襲撃する攻撃機は、猛烈な火山弾や火山灰、プレートの隙間から噴出する1万メートルに達する超熱水により、完膚なきまでに叩きのめされるだろう。

飛鳥昭雄氏による「日月神示」の霊感語訳(67)

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(67)「日月神示」預言の的確さ

(富士の巻・第27帖 グレンと引っ繰り返る)

 絶対神イエス・キリストの堪忍袋もこれまでである。日本を大掃除する前に、まず神の直近から大掃除されるだろう。神の組織で権威をほしいままにした日本の官僚主義者たちは、九分九厘組織を支配したつもりでも、最後の一厘で引っ繰り返されるのだ。

 これと同じことが宮内庁でも起き、日本中でも起きて、日本全体が引っ繰り返ることになっていく。これが世界の奇跡とされる所以である。日本の神の組織に存在する官僚主義者たちは、預言者の指導者たちが「180度方法を変えねばならない」「マニュアルで判断してはならない」「手引きで物事を決めてはいけない」と指導してもどこ吹く風である。彼等がマニュアルと言う律法の鉄兜を脱ぎ捨てないと、神の組織が日本で発展せず、己を律法学者やパリサイ人と認定する羽目に陥ることになる。彼らは人への愛よりも、マニュアルと手引きを優先する。これはイエス・キリストの根本と逆行する。彼らは自分に従う信者を愛する傾向が強い。イエス・キリストは官僚主義を捨てたものを赦されるが、面子と権威重視でそうしない者には、彼らが行った方法で裁かれる。

 「太平洋戦争」はもうすぐ日本の敗戦で終わるが、東京は連合軍の爆撃で焦土と化すだろう。日本全土の都会も同じく焦土と化していく。日本人は軍の官僚主義者に従って戦争に加担した為、その責任も日本人全体が引き受けねばならない。勝手に起きた戦争ではないからだ。太平洋戦争勃発までの間、少なからず日本人はマスコミと一緒になって軍の暴走を許し続け、トドメとなった戦争遂行に大きく加担してきた。その結果の敗戦だが、たとえ樹木や草が全て焼けても、根っこは地中に残るため、やがて日本は大きく甦るだろう。それと共に、戦後の東京に建てられるはずの「神殿」と同じ建物が、日本各地に建てられるようになる。8月18日、5月、9月と10月は注目せよ。「太平洋戦争」を起こした日本にとって大きな節目になるからだ。

(解釈資料)

 8月18日に何が起きたか? 1945年8月18日、「日ソ中立条約」を一方的に破棄してきた旧ソ連軍が、日本領だった千島列島の占守島に侵攻してきた。「ポツダム宣言」の受諾通告後、突如として極東ソ連軍総司令官が、第2極東方面軍司令部と太平洋艦隊司令部に対し、千島列島北部占領を目的とする侵略を命令したのである。その頃、占守島の日本軍は武装解除中だったが、第91師団は旧ソ連軍と戦闘状態に入り、旧ソ連軍を竹田浜にまで押しやった。そこで日本側は第5方面軍の戦闘停止命令に従い、停戦交渉を行ったが、全地島が旧ソ連軍に占領され、日本兵はシベリアへ抑留され、極寒の地でその多くが命を落とした。

 5月には、一体何が起きたのか? 1945年5月には、日独伊の三国同盟の一角だったナチス・ドイツが消滅し、既に敗北したイタリアは連合軍側となり、日本だけ世界から天涯孤独の身となった。5月2日、既にヒトラーは自殺(本当は逃亡)し、ベルリン防衛軍司令官が降伏して「ベルリン陥落」が起きている。5月7日には、ドイツ大統領のカール・デーニッツが連合軍からの無条件降伏を受諾し、ナチス・ドイツが滅亡した。5月8日には、ドイツ陸海空軍代表がベルリン郊外のカールスホルストで、正式に降伏文書へ調印し、ヨーロッパ大戦が終焉した。

 9月には何が起きたか? 9月2日に東京湾に入ったアメリカの戦艦ミズーリ号の艦上で、重光葵外務大臣と大本営の梅津美治郎参謀総長が降伏文書に署名調印し、太平洋戦争が終結した。

 10月に何が起きたか? 10月15日、本土の全日本軍の武装解除が完了し、日本帝国が消滅した日になる。

 このように岡本天明の預言は、的確であり、「日月神示」が天照大神であるイエス・キリストの啓示の書であることが証明できている。

 「日月神示」は両義預言であり、これから先の要の月として、やはり、括目せねばならない。

飛鳥昭雄氏による「日月神示」の霊感語訳(68)

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(68)三位一体説はローマ人の捏造である!

(天つ巻・第1帖 天の御三体、地の御三体)

 富士山に封印された「三位三体」の秘密が解かれ、やがて富士(不死)の神が神殿から統治される世の中が訪れる。これまで世界の五大陸の人々は、三位一体を信じてきたが、神界の三神はそれを不快に思ってきた。まず一の大神様である「天の父なる神」を敬い、次に二の大神様である救世主「子」を敬い、最後に三の大神様である「聖霊」を敬うことが重要である。

 「天の御三体」の天津神の御三体は「「古事記」の元初三神「天之御中主神・高御産巣日神・神産巣日神」であり、各々が独り神の三位三体である。「地の御三体」である国津神の御三体は、「日本書紀」の造化三神「国常立尊・国狭槌尊・豊斟渟尊」で、各々が男神の三位三体である。記紀は各々同じ神を別名で記している。

 神界から地上に二柱の神々が降臨する。一柱は天地開闢の神であるヤハウェ(イエス・キリスト)であり、もう一柱は地球の創造を手伝った大天使ミカエルである。ミカエルは先に地上へ降臨し、準備が整った地を神に奉献する。その後、イエス・キリストが降臨する。「福千年」が訪れる直前、二柱の神はともに喜ばれるだろう。神の王国は神の体と同じなので汚れは許さず、火によって清い大地に生まれ変わる。

(解釈資料)

 記紀各々の神は、「天之御中主神=国常立尊」、「高御産巣日神=国狭槌尊」、「神産巣日神=豊斟渟尊」で対応し、全て男神の独り神で三位三体を象徴する。さらに、聖書との対応から「天の父=天之御中主神=国常立尊」、「子=高御産巣日神=国狭槌尊」、「聖霊=神産巣日神=豊斟渟尊」となる。

 天津神は天孫族である「秦氏系」の三柱で、国津神は先に来た天孫族である「物部系」の三柱を指している。物部神道は基本的に「一神教」であるが、裏では「三神」を信じていた。ユダヤ教が一神教であるにもかかわらず、預言者モーセは「三種の神器」を造らせ、三柱の神々を象徴した。特徴は犠牲の生贄を「燔祭」に捧げていたことである。紅の着衣を着て再降臨するイエス・キリストと共に、「火による清め」が大地を焼き尽くす。この時の火は太陽の舌の象徴である「聖霊」の火とも解釈できる。

 中央アメリカに栄えたマヤ文明も、三位三体を基盤としていた。古代マヤの聖典「ポポル・ヴフ」に以下のように記されている。

「天の心はその第1をカクルハー・フラカン、その第2をチピ・カクルハー、そしてその第3をラサ・カクルハーと呼ばれた。この三体が天の心である」

 三位一体の考えは、ローマ人が勝手に編み出したもので、屁理屈で成る詭弁である。あれをそのまま解釈すると、イエス・キリストは,自分自身に向かって祈るという分けのわからない統合失調症患者になってしまう。

飛鳥昭雄氏による「日月神示」の霊感語訳(69)

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(69)空海はヤハウェに気付いていた!

(天つ巻・第4帖 元は一つぞよ)

 イエス・キリスト(天照大神)は復活した後、不死不滅の体となった。そのため、光の渦の中の姿を、岡本天明さえ目で捉えることが出来なかった。この神は、体に受けた証拠の傷跡のまま、復活体となって神界で生きている。

 世界には様々な作り物の神があるが、9分9厘まで未来が分かったとしても、最後の1厘は真の神でなければ紐解けない。だから偽者の神ではなく、真の神に従わねばならない。腐肉に群がる禿鷹であってはならない。

 百人や千人の改宗なら簡単だが、今度ばかりはそうはいかない。世界中の人間の改宗が一気に起こるからだ。それで世界がぶち壊れたとしても、神はその業を遂行される。「水」による浄化である「ノアの大洪水」は終了した。次は「火」である「聖霊」による浄化である。それが終焉して初めて新世界「福千年」の扉が開く。これが最終段階の「岩戸開き」となる。

 そのためには、「物心両面」の働きが必要となる。人が霊と肉体で出来ているように、知識と知恵は霊性の面からも欠かせない。悪も善を知るのに必要な要素で、神を知るには悪の存在が欠かせない。イエス・キリストでさえ、悪魔の誘惑を受けたことを忘れてはならない。

 今は天の「高天原」にいる天照大神(イエス・キリスト)だが、時が来たら、地上に再降臨され、世界最大の岩戸開きを指示される。地上に存在する御霊分けの別神も、天照大神と同神なので、イエス・キリストと同じ苦労をしていることになる。空海の「真言密教」から始まった「神仏混淆」「神仏習合」は真理で、全ての神仏はイエス・キリストを指している。

(解釈資料)

 「砂糖にたかる蟻となるな」は「飛んで火にいる夏の虫」「腐肉に集まる禿鷹」も似た意味である。イエス・キリストの再降臨まで、世界中で大災害や大戦争が起き、人心が不安に陥ったとき、偽救世主が現れる。これを「偽キリスト」と言う。

「イエスがオリーブ山で座っておられると、弟子たちがやってきて、密かに言った。おっしゃってください。そのことはいつ起こるのですか。また、あなたが来られて世の終わるときは、どんな徴があるのですか。イエスはお答えになった。人に惑わされないように気をつけなさい。私の名を名乗る者が大勢現れ、私がメシアだと言って、多くの人を惑わすだろう。戦争の騒ぎや戦争の噂を聞くだろうが、慌てないように気をつけなさい。そういうことは起きるに決まっているが、まだ世の終わりではない。民は民に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に飢饉や地震が起こる。しかし、これらはすべて産みの苦しみの始まりである」(「マタイによる福音書」第24章3~8節)

 イエス・キリストの前世は絶対神ヤハウェ(エホバ)である。生まれ変わりではなく、ヤハウェが処女マリアに受胎して現人神となった。ヤハウェは世界中の民族の神の為、言葉が乱された頃をきっかけに、ヤハウェの別名が無数にできた。

「主は彼らをそこから全地に散らされたので、彼らはこの街の建設を止めた。こういうわけで、この町はバベルと呼ばれた。主がそこで全地の言葉を混乱させ、また、主がそこから彼らを全地に散らされたからである」(「創世記」第11章8~9節)

 日本のみに特化すれば、大和民族は「ヤハウェの民」なのでヘブル語が基本だった。大和民族は秦氏でもある。その秦氏がいた国を「秦」と言う。秦の始皇帝のブレインだった頃、甲骨文字や金文等の象形文字を、表意の意味を持つ文字に組み換え、聖典を混入した。その集大成として日本で生まれた「天照大神」の名を、漢字破字法で分解すれば、「天=工・人」「照=日・召・炎」「大=一・人」「神=ネ・申」となり、「炎であり唯一の日の神に召された工人(大工)と申す」となり、大工の太陽神イエス・キリストを暗示する。

 すべての神々がヤハウェであるイエス・キリストに集約する預言が、再降臨の際の「冠」に記述に隠されているが、ほとんどのクリスチャンは、それが無数の神々の名とは気付かない。

 日本の神の組織に巣食う官僚主義者たちも、己の知識の無さに、手引きにない理由を盾にして、天照大神=イエス・キリストを否定する。彼らには霊感が無く、手引きが神である。

 弘法大師は仏教・儒教・道教(神道)の根を同じとする「三教指帰」を著したとされる。797年12月、空海24歳で著したとあるが、それとほとんど同じ内容が「聾瞽指帰」にあり、同年月の作となっている。両書を比べると、相違は序文と巻末「十韻の詩」のみで、大部分では少し字句を変えているだけで、おそらく空海が最初に書いたのが「聾瞽指帰」で、「三教指帰」はそれを書き改めた作と考えられている。どちらにせよ、神仏とはヤハウェ(イエス・キリスト)を指している。それを空海は気づいたということだ。だから密教なのである。

飛鳥昭雄氏による「日月神示」の霊感語訳(70)

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(70)「二者選択」のゲマトリア

(天つ巻・第5帖 臣民の食べ物)

 牛には牛に見合った食べ物がある。猿も同様である。虎も同様である。人にも見合った食べ物がある。それでも食べ物が容易に手に入らない時代が来たとき、獣のような人間はその本性を露わにし、善悪が分かれる事態となる。その危険性を日本中に告げ知らせ、世界中にも警告してほしい。

 人が感謝も無く獣のように食べるのはよくない。まず神に祈って、祝福してもらってから食べるようにせよ。そこに神の手が入れば全てが宜しい。それを怠る者は何時の間にか獣と同じ生活をするようになる。食べて、出して、寝るだけの動物と化すのだ。そうなるように神が成すのではなく、自分でそうなる。

 8から、9から、10から、100から、1000から、10000から一体何が起きるか人にはわからないだろう。そういう時代がやってくるが、神とつながっていれば心配はない。しかし、悪魔の所有となった者達には、死んでも死にきれない不幸のどん底が待ち受けている。

(解釈資料)

 牛は人と同じ生活空間にいる。猿は人の生活空間に近い森林に生活圏がある。虎は人の生活圏から遠く離れた野生空間で生きている。これらの環境で妙な事態が発生するが、最初は人の身近にいる家畜に異変がある。次に人の生活空間に接する猿のような生き物に異変が起こる。最後は野生の虎のような生き物に異変が発生する。そういう比喩になっている。

 牛の食べ物で起きた大事件は狂牛病が知られている。牛骨粉入りの餌を食べた牛が、ある日、麻痺と痙攣を起こし、それを人が食べて同じ病状を発症したことから大騒ぎとなった。猿の異変は、ニホンザルに原因不明の出血熱が起きて大騒ぎになった。飼育中のニホンザルが原因不明の「血小板減少症」で死亡した。原因は、血小板を減少させるウィルス「サルレトロウィルス4型(SRV-4)」と判明したが、もともとは東南アジアのカニクイザルに感染するウィルスだった。不気味なのは発症した個体にSRV-4が存在するにもかかわらず、それに対する抗体が陰性だったことである。なぜ陽性反応が起きなかったか? これは後に起きるかもしれない人類の「感染爆発」に対する警鐘と思われる。

 次に虎の謎の病気だが、2000年にホワイトタイガーの飼育数で世界一だった「ナンダンカナン・サファリパーク」を襲った殺人蠅によって9頭のトラが死亡する事件が起きた。蠅の体内に存在するウィルス「トリパノソミアシス」が虎の脳を破壊したと判明したが、伝染病とされるため、人への感染も無視できない。この手の奇病の類は、クジラでもイルカでも起き、特定のウィルスが「類」の壁を越えて感染する時代になった。

 さらに牛、猿、虎を陰陽道で解釈すると、「牛=丑」「猿=申」「虎=寅」で、すべて「十二支」の動物とわかる。丑は旧暦12月(新暦1月)、申は旧暦7月(新暦8月)、寅は旧暦1月(新暦2月)で、今の数え方の1月、2月、8月を示している。十二支のための旧暦が大きな意味を持ってくる。

 この預言は太平洋戦争の最中に登場した為、その頃の天災を見ると、不気味な符合が見え始める。旧暦の数字だけを拾い上げたら、12月、1月、7月だが、殆どの月で大地震が起きている。1944年12月7日(丑の月)、紀伊半島東部の熊野灘、三重県尾鷲市沖を震源とする「昭和東南海地震」が発生した。1945年1月13日(寅の月)、愛知県三河湾を震源とする「三河地震」が発生した。1946年12月21日(丑の月)、南海トラフ沿いで「昭和南海大地震」が発生した。

 つまり、大災害の意味は丑・申・寅の12月、7月、1月が全て不気味な符合を成したことになる。天照大神であるイエス・キリストが再降臨する時、地上の人間はモーセのような預言者につくか、ラムセス2世のような地上の王につくかで、羊と山羊に区分けされる。

「人の子は、栄光に輝いて天使たちを皆従えて来るとき、その栄光の座につく。そして、すべての国民がその前に集められると、羊飼いが羊と山羊を分けるように彼らをより分け、羊を右に山羊を左に置く」(「マタイによる福音書」第25章31~33節)

飛鳥昭雄氏による「日月神示」の霊感語訳(71)

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(71)「三位一体」説の矛盾

(天つ巻・第6帖 無理通らぬ時世が来たぞ)

 天を支配するのは秦氏の天津神であり、地を支配するのは物部氏の国津神である。どちらも大和民族の天孫族で、最高神は秦氏系が天照大神、物部系がニギハヤヒ命である。後者は「太秦」にある「蚕の社」で「天照国照彦天火明櫛ミカ玉ニギ速日尊」と記され、その正体は「天照国照」から天照大神と分かる。

 紀元前の物部神道は一神教の「ユダヤ教」で、ヤハウェ(エホバ)を祀っていた。紀元後の秦氏は三位三体の「原始キリスト教」でイエス・キリストを祀っていた。ヤハウェ=イエス・キリストなので、秦氏も物部氏も同族で同じ天孫族となる。

 時がたてば、秋の澄みきった空のように世界が一変する。その時、悪魔と獣に従った人達には、地獄のような世界が待ち受けているが、彼らには地獄が天国のように落ち着く場所になる。逆の世はついに終焉が訪れる。その時、イエス・キリストは天使軍団を率いて降りてくる。

(解釈資料)

 イエス・キリストが人々に伝道した期間は、僅かに3年半だった。その3年半の間、天の父エローヒム(私はエル・ランティーと解釈している)は、共に歩んでいたと推察できる。父は高次元の存在の為、低次元の人間の目には見えないだけだった。ところが、磔刑の場ではイエス・キリストから離れたと思われる。最後の仕上げだからだ。だからイエス・キリストは以下の言葉を口にした。

「さて、昼の12時に、全地は暗くなり、それが3時まで続いた。3時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。エリ、エリ、レマ、サバクタニ。これは、我が神、我が神、何故、私をお見捨てになったのですか、と言う意味である」(「マタイによる福音書」第27章45~46節)

 この箇所だけで「三位一体」は崩壊する。いつも自分で自分に語りかけるのなら異常者である。さらに磔刑の樹(十字架)に掛けられたイエス・キリストの姿は、エデンの園の「生命の樹」に、右回りに3回り半巻き付いていた白蛇の事である。白は罪のない状態を示している。一方、悪魔と共に歩む偽キリスト(獣)は、やはり3年半だけ世界を支配することが許されている。その間、獣は世界の人々を不幸のどん底に連れて行く。

「この獣にはまた、大言と冒涜の言葉を吐く口が与えられ、42か月の間、活動する権威が与えられた」(「ヨハネの黙示録「第13章5節)

 42か月間とは3年6か月である。このことから偽りの父(堕天使ルシフェル)は、知識の樹(死の木)に左に3回り半巻き付いていた赤蛇となる。赤は罪の象徴である血の色を象徴する。

 イエス・キリストが再降臨と共に連れてくる天使の大軍団については以下の記述がある。

「そこで、イエスは言われた。剣をさやに納めなさい。剣を取る者はみな、剣で滅びる。私が父にお願いできないとでも思うのか。お願いすれば、父は12軍団以上の天使を今すぐ送ってくださるであろう」(「マタイによる福音書」第26章52~53節)


飛鳥昭雄氏による「日月神示」の霊感語訳(72)

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(72)唐傘お化けの片目はヤハウェの片目

(天つ巻・第7帖 日本の神の御仕組)

 富士の山を形成する「三位三体」が、古代日本神話の神髄であり、「記紀」の冒頭で宣言する神道の基盤となる。三位三体が日本に知れ渡った時、日本は大きく変貌を遂げ、神が喜ぶ時代を招きよせるだろう。その時が来たら、なぜ国の根幹である国史が「古事記」「日本書紀」で一対なのか、物部神道と秦神道が一対なのか、「大嘗祭」で立てられる大嘗宮が「悠紀殿」と「主基殿」で一対なのかも分かるだろう。

 案山子のように十字架に掛かったら何もできなくなる。それと同じように、日本全体が官僚主義に汚染され、融通が全く利かない状態が今である。その官僚主義が日本中から払拭されたとき、暗雲が晴れたことを神に祈って感謝せよ。

(解釈資料)

 「古事記」と「日本書紀」の内容は微妙に違い、親子が逆転したり、神の名が違ったり、数字が違ったりする。だから、「日本書紀」は、一書に曰く、となるわけだが、一説では「日本書紀」が主で「古事記」が従であるという。「記紀」で記述が違う箇所ほど、「聖書」との共通点が隠されていることが多い。それを見つけやすくするために、故意に編纂時に工夫されたと思われる。例えば、乱暴者の須佐之男命が高天原に昇ってきて、それを迎え撃つ天照大神と対峙する箇所がある。そこを「古事記」では以下のように記す。

「ここに天照大御神、須佐之男命にのりたまはく、この語に生れし5柱の男子は、物実我が物によりて成りき。彼、自づから吾が子なり。先に生れし3柱の女子は、物実汝の物によりて成りき。かれ、すなわち汝の子なり」(「二神の誓約生み」より)

 須佐之男命を信用できない天照に対し、須佐之男命は産んだ子供の数で競おうと提案するが、天照大神の5柱(男子のみ)に対し、須佐之男命は3柱(女子のみ)になったという話である。つまり、5対3で天照大神の勝利となる。これを聖書学的に言えば、「天井の大会議(大戦争)」で、イエス・キリストに賛同した霊(人の前世の状態)が三分の二で、ルシフェル(後の悪魔)について賛同した霊が三分の一とある。敗北したルシフェルとその霊たちは、地に落ちて地獄を形成し、悪霊となって人を惑わすようになる。

「ああ、お前は天から堕ちた 明けの明星、曙の子よ。お前は地に投げ落とされた もろもろの国を倒した者よ。かって、お前は心に思った。私は天に上り 王座を神の星よりも高く据え 神々の集う北の果ての山に座し 雲の頂に上って いと高き者のようになろうと。しかし、お前は陰府に落とされた 墓穴の底に。」(「イザヤ書」第14章12~15節)

 その数を暗示する箇所が、滅亡と破壊と落下の数字に隠されている。

「第1の天使がラッパを吹いた。すると、血の混じった雹と火とが生じ、地上に投げ入れられた。地上の三分の一が焼け、木々の三分の一が焼け、全ての青草も焼けてしまった。第2の天使がラッパを吹いた。すると、火で燃えている大きな山のようなものが、海に投げ入れられた。海の三分の一が血に変わり、また、被造物で海に住む生き物の三分の一は死に、船と言う船の三分の一が壊された。第3の天使がラッパを吹いた。すると、松明のように燃えている大きな星が、天から落ちてきて、川と言う川の三分の一と、その水源の上に落ちた。この星の名は「苦よもぎ」といい、水の三分の一が苦よもぎのように苦しくなって、そのために多くの人が死んだ。第4の天使がラッパを吹いた。すると、太陽の三分の一、月の三分の一、星と言う星の三分の一が損なわれたので、それぞれ三分の一が暗くなって、昼はその光の三分の一を失い、夜も同じようになった」(「ヨハネの黙示録」第8章7~12節)

 天照大神と須佐之男命で分け合った子供の数が、5対3ではなく、6対3であれば聖書と符合することになる。なぜなら、須佐之男命は、その後、約束を破って高天原で大暴れをし、天照大神の岩戸隠れが起き、その後、罰を受けて地に追放され、根の国(黄泉)の支配者になるからである。そこで「日本書紀」を読むと、「二神の誓約生み」の箇所を以下のように記している。

「その6柱の男神を取って、日神の子として高天原を治めさせた。日神が生まれた3柱の女神を、葦原中国の宇佐嶋に降らせられた。」(「素戔嗚尊の誓約」)

 つまり、6対3で、「記紀」で記述が違う箇所が、聖書との一致点が明確になるように仕組まれている。これを「国仕掛け」と言う。

 次に4大嘗祭の「悠紀殿・主基殿」だが、東西日本列島の激突について記述した「富士の巻」を参照してほしい。「案山子」も同様にしてほしい。エルサレムに行けば分かるが、原始キリスト教徒の墓石には決まって「Λ」の中心に「・」が刻んであり、三角形と目で唐傘お化けの特徴である。それだけではなく、一本足と一つ目の唐傘の図形もあり、十字架に掛けられた命の存在を具現化している。唐傘お化けの片目は「ヤハウェの片目」であり、あるいは平和の遣いの「鳩」として描かれている。


飛鳥昭雄氏による「日月神示」の霊感語訳(73)

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(73)籠神社の秘密

(天つ巻・第8帖 辛酉、結構な日)

 今の日本は、嵐の中に見捨てられた泥船同然である。その泥船に日本人すべてが乗っていて、沈むのは目前である。このまま本土決戦に持て行っても全く無駄である。最後は女子子供を巻きぞいの一億総玉砕が待つだけだ。本気で天照大神に向かって国民総出で祈ったのか? 神は日本人の本気の祈りを待っている。全てを失うことになる日本人は、神の前で遜っているからだ。

 天照大神は富士山(三位三体)に存在する神である。この方は「光の道(救い)」を携えている。「辛酉」は激変を示唆する出来事で、地上から大勢の人が瞬時に消え去り、天の遣いが地上に降りる現象が起きるが、人の目には触れないで行われる。天照大神(イエス・キリスト)が日本にも降臨するが、古都の紅葉がいつまでもあると思わないことだ。

(解釈資料)

 「辛酉」は干支の組み合わせの58番目であり、陰陽五行で十千の辛は「陰の金」で、十二支の酉も「陰の金」で両方で比和である。比和とは、五行同士の関係で同一五行になる事である。木と木、火と火、土と土、金と金、水と水の組み合わせが比和である。

 辛酉は、古来「天命が改まる年」とされ、「日月神示」では、大規模な激変を示唆している。その日を恐怖とする以上、多くの人は手遅れになり救われないだろう。

 天地の昇り降りは、天使が梯子を上下する光景を霊視したヤコブの物語で語られている。

「とある場所に来たとき、日が沈んだので、そこで一夜を過ごすことにした。ヤコブはその場所にあった石を一つとって枕にして、その場所に横たわった。すると、彼は夢を見た。先端が天まで達する階段が地に向かって伸びており、しかも、神の御使い達がそれを上ったり下ったりしていた。」(「創世記」第28章11~12節)

 ヤコブは「イスラエル」と名乗る預言者で、彼からイスラエル12支族が出てくる。一方、京都の若狭湾に面する丹波に「籠神社」が鎮座するが、籠が「竹・龍」で分かるように、「龍が竹冠をかぶる形」になっている。龍は大蛇なので、「茨の冠をかぶった白蛇(救い主)」が「籠目(六芒星)」の正体となる。籠の中の目が、ヤハウェのすべてを見通す目となり、「ピラミッドアイ」を示唆する。だから、籠神社の裏社紋が六芒星のダビデの星なのだ。若狭湾に、古くから籠神社が管理してきた「天橋立」があり、伝説では天地を結ぶ梯子が倒れた跡とされている。また、この地方一帯は、伊邪那岐命が梯子を上り下りした伝承も残されている。

 籠神社が鎮座する地を「与謝」といい、モーセの後継者だった「ヨシュア」と同じで、旧名を「与謝宮」と称した。イエス・キリストの再降臨は、聖書ではエルサレムに面するオリーブ山とされるが、別の囲いの羊が住む所へもイエス・キリストは降臨する。その一つが日本であり、天皇陛下が戻る平安京(京都)になるだろう。世界中の多くの人にとって、イエス・キリストの再降臨は、不意を突かれた青天の霹靂となる。そのため、獣に従った圧倒的多数の人々にとって、救世主の再臨は恐怖そのものになる。

「時が迫っているからである。不正を行う者は、なお不正を行わせ、汚れた者は、なお汚れるままにしておけ。正しい者には、なお正しいことを行わせ、聖なる者は、なお聖なる者とならせよ。見よ、私はすぐに来る。私は、報いを携えてきて、それぞれの行いに応じて報いる。」(「ヨハネの黙示録」第22章10~12節)

 岡本天明は、天照大神の再臨が日本人にとって京都になる示唆を「奥山の紅葉」で象徴している。「古今集」にある歌に「奥山に 紅葉踏みわけ 鳴く鹿の 声聞くときぞ 秋は悲しき」と詠まれているからだ。

飛鳥昭雄氏による「日月神示」の霊感語訳(74)

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(74)ひふみの祓詞を古代ヘブライ語にするとこうなる!

(天つ巻・第9帖 すべての封印が開帳される)

 「ひふみ」は「日月」である。だから、「日月神示」は「一二三神示」ともいう。古来、日本には「ひふみの祓詞」なる呪文が存在し、別名「ひふみの神歌」とも言われる。神霊を慰め、諸々の災いを幸に変える意味を内在する詞である。

 これは、「古事記」の天の岩戸の場で、アメノウズメ命が半裸で舞い踊り、ひふみの祓詞を唱えたとされるが、実際に祝詞を唱えたのは天児屋命なので、アメノウズメ命はそれに合わせて舞ったことになる。

 天児屋命は別名を春日権現、春日明神という。ひふみの祓詞は47音(清音)でなり、以下のように唱える。

「ひふみよ いむなや こともちろらね しきる ゆゐつわぬ そをたはくめか うおゑに さりへて のます あせえほれけ」

 冒頭の詠みを古代ヘブライ語に変換すると、「HI・FA・MI・YO・TSIA・MA・NANE・Y・KAKHENA・TAWO」となり、「誰がその麗しき者を出すのか、いざないにいかなる言葉をかけるやら」となり、漢字変換すると、「ひと~(壱霊四魂)・ふた~(八力)・み~(三元)・よ~(世)・いつから(出)・むゆ~(燃)・なな~(地成)・や~(弥)・ここの~(凝)・たり~(足)・もも~(諸)・ち~(血)・よろず~(夜出)」で、「唯一の神霊は四つの御霊と八力を持ち、三つの元素を出して、燃える地から永遠の世を創造した。その者は全知全能の不動の存在で、血を持って贖い、最も暗い夜を経て蘇る」と訳す。

 この祝詞の「合の手」は「TETSE」で、意味は「出て来い」である。ひふみ祝詞は、宇宙の創生から人類の誕生、宇宙の次元上昇までが語られている。

 さらに、「備中神楽」では、岩戸に隠れた天照大神を蘇らせる際、思金神が妙案を出す。岩戸の左右に榊を森のように植え、上の枝に曲玉をかけ、真ん中の枝に御鏡を吊るし、下の枝に青和幣と白和幣をかけ、岩戸の御前に祭壇を造るという。

 そして、岩戸の正面に長鳴き鳥(鶏)を鳴かせ、祭壇の脇に斎灯と庭火を焚く。祭壇には、アメノウズメ命に神楽を舞わせれば、天照大神は、「我かくたてこもるに、万の神は何を面白じろと舞いあらげるや、諸神は一興をいたするや」と、岩戸を少し開けるに違いない。その際、豪傑の手力男命が岩戸を押し開き、天照大神の御手を取って出ていただく。と言った算段で、「記紀神話」に由来している。

 岩戸隠れは、イエス・キリストの死と復活の場面だが、一度地上から神界へ上った救世主は、闇が世界を支配する頃、再び地上に戻ってくる「再降臨」も示唆している。

飛鳥昭雄氏による「日月神示」の霊感語訳(75)

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(75)物部系神社はヤハウェ、秦氏系神社はイエス・キリスト

(天つ巻・第13帖 玉串は聖衣(ガーメント))

 空の宇宙での変化は、地である地球にも影響があると考える方が正しいだろう。この世の終末は、先ず天にその兆しが現れる。天照大神であるイエス・キリスト(ヤハウェ)は、天の父である神に、少しでも善人を集めるため、時を先に延ばす交渉をしてきたが、必ず限界の時が来る。

 神道の「玉串」は、天照大神(イエス・キリスト)に着て頂く聖衣(ガーメント)と同じである。その意味は人の体であり、神の子供たちの霊を覆うための神の創造物である。だから、究極の場合、自己犠牲からわが身を捧げる行為は、最上の犠牲となる。イエス・キリストの磔刑がそれで、その瞬間、イエス・キリストは過去に誕生した全人類と、未来に生まれる全人類の罪を一身に背負ったのである。

(解釈資料)

 人は己一人の罪でさえ背負えないという。なのに全人類の罪を背負うとは、理解を超えて常軌を逸しており、たとえ成し得ても神でしか達成できるものではない。救世主(メシア)として逃れることが出来ない使命を帯びたイエス・キリストは、ゲッセマネの園で、全人類の罪業を一身に背負い、全身の毛孔から血が滴るように汗を流したという。

「父よ、御心なら、この杯を私から取りのけてください。しかし、私の願いではなく、御心のままに行ってください。すると、天使が天から現れて、イエスを力づけた。イエスは苦しみ悶え、いよいよ切に祈られた。汗が血の滴るように地面に落ちた。」(「ルカによる福音書」第22章42~44節)

 全人類の救済は、メシアとして誕生したヤハウェ、現人神のイエス・キリストしか達成できなかった。メシアに課せられた身代わりの生贄は、地球に住む人類だけではない。宇宙には無数の地球と同じ惑星があり、そこにもアダムとイブがいる。地球と似た惑星は我々の銀河だけでも数百億個存在するとされる。その銀河の数も7兆個存在するとされ、発見される銀河の数は年々増えている。

 ヤハウェ(イエス・キリスト)は、他の人類の神でもある。つまり、メシアが身代わりに背負う人類の総数は、天文学的規模でさえ超えている。だから、イエス・キリストは神なのである。創造された順で言えば、優先順位は「霊」であり、次が「肉」である。それらが合体したものが生物であり、人類も同様だ。わかりやすく言うと、「物心」と言う。人は「心の霊」と「物質の肉」で出来ている。だから肉体は霊を覆う衣と言える。命をかけた究極の二者選択以外、物心ともに大切にせねばならない。この世的な人々は物質的な物事を愛する傾向にあり、宗教を信じる人々は霊的な物事を愛する傾向にある。しかし、どちらも過ぎたるに陥りやすく、下手をすると行き過ぎてバランスを崩してしまう。前者は拝金主義に陥り、後者は頭でっかちの宗教馬鹿になる。どちらも本末転倒で、物心両面の重要さに気づこうとしない。神が創造した霊と物質の両方を大切に思うことを言っている。

 その点で言えば、日本の神道は、自然と調和した見事なほど美しいバランスが取れている。物部系の神社ではヤハウェを、秦氏系の神社ではイエス・キリストを感じ、両者が一体となって現人神を形成しているからである。

飛鳥昭雄氏による「日月神示」の霊感語訳(76)

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(76)アルザルから帰るイスラエル10支族

(天つ巻・第14帖 宝隠してあるのざぞ)

 日本から大海原を越えて、極寒の北極から入る封印された世界がある。これが、末の世になると、イエス・キリストの命で世に現れ、大和民族に味方をすることになる。

 この祝福は、異邦人が逆立ちしても得られない賜物で、ヤハウェでありイエス・キリストである神自らが覆い隠した世界ゆえに、地上の人類は手が出せない。

 封印された世界は、天地創造の前から神が計画したもので、末日が極まった時に、北の果てから地上へ姿を現す。その時、世界は驚天動地の出来事に遭遇する。

(解釈資料)

 プラズマは亜空間を発生させることが出来る。プラズマには幽霊のように物体を透過する特性があり、これを物理用語で「透過」と言う。

 プラズマ学の権威だった大槻義彦教授は、電波を交差させて作ったプラズマで、セラミック板を透過させる実験に成功している。プラズマの透過能力は、条件が許す限り際限がなく、理論上は地球の中心まで潜り込める。

 亜空間とは3次元空間に開いた別の空間をいい、亜空間では別の世界が同時存在することが出来る。その通り道を「プラズマ・トンネル」と言う。

 地球で言えば、プラズマ現象が活発化する両極圏で特に北極は地球の中心目がけて磁力線が潜り込み、内核で交差もどきして凄まじい勢いでプラズマが発生している。これは、プラズマで覆われた内核に亜空間が存在する可能性を示唆する。その世界では、太陽は必要なく、大気中でプラズマが光り輝く世界を造り出している。全てが安定する「黄金率φ」の下、生命活動が行われている可能性がある。そして、その世界へ出入りする手段は一つしかない。プラズマで覆われた飛行物体に乗り、極圏のプラズマ口からプラズマ・トンネルを通過することである。その先に存在するのが「地球内天体アルザル」である。

 ブッダが言い残した、北の果てから入る理想郷「シャンバラ」であり、英語圏でそこを「シャングリラ」という。アルザルとは「アルツァレト」「アルサレト」「アララ」とも呼び、「旧約聖書・外典」に出てくる別世界である。

「彼らは、多くの異邦の民を離れて、人がまだ誰も住んだことのない他の地方に行こうと決心した。彼らは、それまでいた地方では守ることのできなかった掟をそこで守りたかったのである。彼らはユーフラテス川の狭い支流を通って入って行った。その時、いと高き方は彼らにしるしを行い、彼らが渡るまで、川の流れをせき止められた。その地方を通り過ぎる道のりは長く、一年半に及んだ。その地方はアルザルと呼ばれている。」(「エズラ記」ラテン語・第13章41~45節)

 イスラエルは、ソロモン大王の死後、南北に分かれ、紀元前722年、北朝イスラエル王国がアッシリア帝国の攻撃で補因され、アッシリアが崩壊した後、どこかへ消えてしまう。これを「失われたイスラエル10支族」と言う。「エズラ記」はその経緯の中で記された。一方、彼らが北の果てから戻ってくる預言もある。

「イスラエルの子らを、北の国、彼らが追いやられた国々から導きあげられた主は生きておられると言うようになる。私は彼らを、私がその先祖に与えた土地に帰らせる。」(「エレミア書」第16章15節)

「見よ、私は彼らを北の国から連れ戻し 地の果てから呼び集める。」(「エレミア書」第31章8節)

 北の果てから帰還するのは失われたイスラエル10支族である。ヤハウェの民の意味を持つ大和民族の事である。彼らの多くはモンゴロイドである。これは地下に存在する亜空間世界に住む民族が日本人と同じセムの末裔と言うことである。

 ここでも、この預言が記された日が「8月7日」とあるが、実は「9月7日」となり、アルザルの民が帰還する日と考えられる。

飛鳥昭雄氏による「日月神示」の霊感語訳(77)

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(77)チャレンジを嫌う者への戒め

(天つ巻・第16帖 フナフナ腰で大番頭)

 天子(天の神の子)であるイエス・キリストが世を治めるとき、既に「ハルマゲドン」は終わり、世界に王がいなくなっている。今回の太平洋戦争が終わっても、世界では戦争の火が残り続け、不安定化していくだろう。神の組織に属する日本人は、なおの事、預言を知る以上、霊感を持つ必要がある。「日月神示」は預言の書である。だからこれを参考にすれば、官僚主義化した者に振り回されることはない。彼等には「日月神示」が試金石である。イエス・キリストの導きは、生命の樹の「至高世界」から降り、「中高世界」からも降り、「下層世界」からもやってくる。

 神の国だけが勝つのではなく、外国に住む異邦人も救わねばならないし、動植物も助け、全ての生き物が喜びを得る業をせねばならない。にもかかわらず、官僚主義で組織を形成し、仲間を増やして日本中に蔓延させることで自己の安寧を図る者は一掃される。日本と言う国家も、霞が関の官僚が政治を支配し、大企業に天下りして官民一体のシンジケートを造り上げた結果、融通が利かずに国内経済が一気に弱体化した。それを埋め合わす方法は、増税と弱者切り捨てであり、例えば国民年金を株に投資するギャンブルしかない。それでも公務員の年金は聖域にし、何があっても自分だけは守られるようにする。(ある評論家の意見では年金は、外国の投資ファンドが破たんした為、すでに破たんしていると主張している。その情報は機密にされている。)

 こういう国が上っ面のアベノミクスによる株価の推移で右往左往する光景は尋常ではない。これと同じことが、日本にある神の組織でも起き、伝道は思った以上に成功せず、形ばかりで実がならない。

 信徒の多くは聖典を読んだ数を誇り、教師はテキストと言う名のマニュアルしか教えず、同じ言葉を真似事のように繰り返すことに満足し、自己満足の傷のなめ合いに終始する。このような有様の中、神の国の建設に神が一気に駆り出すのである。その桁違いの試練に今の日本人の信徒たちは立ち向かえるのか。特に腑抜けの「大番頭(大祭司)」達は、今の指導的地位の維持すらおぼつかなくなるだろう。

 天子であるイエス・キリストは言葉を違えぬ存在である。同じ神の子である圧倒的多数の一般人や、人間でない犬や猫も大切にされる。官僚主義の権化と化したサンヒドリンが、イエス・キリストにどんな真似をしたか知る立場の者が、誰よりも最もわかっていない有様は尋常ではない。サンヒドリンと同じ行為を日本の神の組織で平然と行い、徒党を組んで恥じることが無いとはいったい何事か。それでも一分だけ神が認める人々がいる。その者等がいる限り、神は日本人を見捨てることはない。

(解釈資料)

 末日の時代の日本で大きな業が待っているが、神の組織の中でさえ、霊感を持つ者はわずか一分(100分の一)に過ぎない。その他の者は、官僚主義に染まった事なかれ主義者で、内向き志向の者、あるいは何も考えない者である。チャレンジを嫌い、リスクを嫌い、何もしないしさぜず、同じことの繰り返しだけで人生を全うする。その方が楽だからである。(「バカの壁」の中にいる)

 すべてに後ろ向きで、自分の経歴に傷が残ることを恐れて、手引きとマニュアル以外は何もせず、何もさせなかった官僚主義者は、全てを奪われて天国から追放される。

「さあ、そのタラントンをこの男から取り上げて、十タラントン持っている者に与えよ。誰でも持っている人は更に与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。この役に立たない僕を外の暗闇に追い出せ。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう」(「マタイによる福音書」第25章28~30節)

 問題は、そういう後ろ向きの上司や指導者についていく者達である。騙されたとまでは言わないが、少なくとも己の意志で判断した責任がある。無知も罪の一つだからだ。自分で判断しないのは死んでいるのと同じである。何も分からないまま従うことは美徳ではなく、他人に己の運命を預ける行為ほど愚かなことはない。

 岡本天明の時代、日本人の多くは「教育勅語」で天皇陛下を神と思い込み、「国家神道」というカルト宗教を盲信し、「八紘一宇」の思想で世界を征服できると信じていた。

 巨匠ピーテル・ブリューゲルが手掛けた傑作に「盲人の寓話」がある。そこに盲人を導く盲人が穴に落ちる絵が描かれているが、その由来は「マタイによる福音書」である。

「彼等は盲人の道案内をする盲人だ。盲人が盲人を道案内すれば、二人とも穴に落ちてしまう」)「マタイによる福音書」第15章14節)

 同様に、国の根幹となる憲法を解釈だけで捻じ曲げる日本を、神は何時までも許さないだろう。官僚主義は一掃される。

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