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日本と天皇家の機密(13)

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(13)世界を旅して分かったことー探していたものは出口王仁三郎だった!(出口恒氏)

 これからは出口王仁三郎の曾孫・出口恒氏の講演である。

 1979年夏から、世界中を旅していた。世界二十数か国ぐらい回った。その間、刺されたり、ホールドアップにあったり、車に轢かれたりした。当時、本宮ひろしと言う漫画家が「俺の空」という本を出していた。主人公は安田一平と言う東大卒の男で安田財閥の御曹司でそれを地で行こうとしたわけです。実際には、そんなに格好良くはなかったが、世界中を回って初めて分かったことがあります。今、「俺の空」は日本にしかない。出口王仁三郎の世界にしかないと悟ったのです。自分は、三男で部屋住みで、へたれでお馬鹿で苛められっ子で、出口本家でもない。(本家は)男の子が生まれないので本家でなくてよかったと思っている。

 私の1冊目の本は「誰も知らなかった日本史」で、そこで出口王仁三郎が皇位継承順位第1位の有栖川宮熾仁親王の落胤であることを論証した。そして、平安京最後の天皇である孝明天皇が旭形亀太郎という力士に皇国の神術「切紙神示」と「たまほこのひ可里」「八紘一宇の数表」、それを基にした違勅を伝え、孝明天皇が日本を救う「みろくの大神」である出口王仁三郎の登場を待ち望んだことを明らかにした。

 明治24年12月30日、出口王仁三郎聖師の父、有栖川宮熾仁親王は、神宮祭主にに就任した。神宮祭主とは、伊勢神宮を含むすべての神宮の祭主・トップです。王仁三郎によれば、エホバとは天御中主神であり国租、国常立命、天照大神、艮の金神となる。だから、大本弾圧の理由は、日本で初めて最高神である天御中主神をお祭りしたからです。現人神である天皇より高い存在を明治政府は認めるわけにはいかない。しかも、出口王仁三郎こそが、皇位継承順位第1位、有栖川宮熾仁親王の唯一の直系男子で真の皇統だったからです。

 出口王仁三郎の相続者、あるいは継承者は誰か? 私の親父は出口和明(やすあき)という。和明の誕生日は昭和5年8月15日です。翌16日の王仁三郎の日記に、「貧しけれど吾世を継がむ相続者 生まれし今日の嬉しさ忘れじ」とあり、和明は、「吾が世を継がむ相続者」とされ、王仁三郎は自分の後継者として和明を指名している。

 昭和10年12月8日には、第2次大本事件が起こり、白馬王子のような存在であった和明は一転して大逆族の子として非国民扱いされ、石を投げられて育つ。王仁三郎は我が子に最も重い十字架を背負うことを託した。

 王仁三郎の言行録の一つに「月鏡」という書籍があり、「十和田湖の神秘」という題で十和田湖の伝説が書かれている。和明の前世は十和田湖の竜神、男装した女子男装坊(なんそうぼう)という僧だという。この物語では、十和田湖の先住者となる「八郎」という子供が登場する。「いわな」を食べてしまおうという邪念の兆したことがあり、八岐大蛇に憑依され大蛇の姿になる。その八郎が十和田湖の神秘伝説の一方の主人公です。そして八岐大蛇となった八郎を男装坊が法力で退治し、八郎は十和田湖を明渡し、秋田方面に逃げ、八郎潟を作る。八郎と戦うために竜体となった男装坊が新しい十和田湖の主となる。

 さらに「玉鏡」「男装坊の再生」には次の文章がある。

 月鏡、十和田湖の神秘を読んだ者は誰でも知っている如く、湖の主が昇天の時、王仁(わたし)に約束した言葉がある。「再生の時は大本に生まれて参ります」と。元来は王仁の子となって生まれるはずであったが、それが出来なかったので、八重野が生まして貰った和明がそれである。十和田湖の竜神の再生であるから、十和田湖の和をとり明は日と月で神を表すつもりでかく命名したのである。王仁をばかり慕って、父親はそっちのけで聖師樣聖師樣と付き纏う。霊の因縁は不思議なものである。・・・・・・・・・・男装坊は三熊野三神、別けて神スサノオの尊の神示によって弥勒の出現を待ちつつありしが、・・・・昭和3年の秋、四山の紅葉今や錦を織らむとする頃、神スサノオの尊の神示によりてここに瑞之御魂(みずのみたま)十和田湖畔に来たり、弥勒出現の神示を宜りしより男装坊は欣喜雀躍、風雨雷鳴地震を一度に起こして徴証を示しつつ、その英霊は天に昇りたり、それより再び現界人の腹をかりて生まれ、男性となって弥勒神政の神業に奉仕する事とは成りぬ。・・・

 男装坊の話だけで1冊のテーマになるのでここでは省略します。


日本と天皇家の機密(14)

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(14)アイウエオと言う五大父音を含む、世界の雛型日本の清らかな言霊(出口氏)

 「アイウエオ」と発音してみてください。息を吐いていますか。吸っていますか。必ず吐いているはずです。それに対してカサタナハマヤラワの子音部分は必ず吸っている。この部分が吸う息、イザナギノミコトなのです。イザナギノミコトさえしっかり発音できれば世界中の方、禽獣注魚に至るまでコミュニケーションができるはずです。これを万物同言と言う。

 イザナギ、つまり五大父音の神がイザナミに怒ったのは、九大母音が先に声をかけたならば、それは正しい言霊(神)が生まれず、世界秩序が乱れて「神の目的である宇宙の統一平和が出来ない」と御柱巡りをやり直すように命じたのです。その結果、日本語の75声はすべてアイウエオと言う五大父音を含み、円満晴朗な言霊を発することができるのです。王仁三郎によれば日本人の言霊は外国人より「霊分」が多いとのことです。

 御柱巡りの過ちの結果、太平洋の真ん中に生まれた淡島は、根底が緩んで漂流し、南端に流されて南極の不毛の島になった。私たちの住んでいる日本、北半球は王仁三郎によれば、北極だそうです。これらの因縁で少彦名神(すくなひこなのかみ)は後世ユダヤの国に救世主となって現れ、撞(つき)の御柱の神という。そして天照大神は国常立命であり、艮の金神と同神であることです。つまり、御柱巡りのやり直しを指せたのは艮の金神ということになる。

 話を戻して、蛭子の神こと少彦名の神が救世主イエスとしてユダヤの地に現れたということです。淡路島の民謡である「アワ歌」は流された淡島をいとおしみ、蛭子の神の謎を伝えようとする歌ではないかと考えている。

 ヘブライ語と日本語は大変似ている。文字も似ている。例えば「あんた」とはヘブライ語であなたの事です。又ヘブライ語は日本語のようにイザナギノミコトである五大父音を明確に発音しない。これは砂漠地帯と言う乾燥した風土が影響を与えているかもしれない。私(出口氏)は日本からヘブライに遠征隊が派遣されて、言葉や文化を伝えたと思っている。

 日本から世界に出かけていって世界中に文明を広げ、文明を広げてもらった民族が、世界の祖国(おやぐに)、世界の雛型日本を目指して日本に太古から現代にいたるまで集結していると考えている。徐福然り、マルコ・ポーロ然り、コロンブス然り、ザビエル然り、ユダヤ人然り、伝説によれば、イエス・キリストでさえも黄金の国ジパングを目指した。日本の竜体の国土は、黄金の円柱がおのずから倒れた所であり、だからこそ、日本だけが経済的にも世界を救うことができる。

 既に日本は世界の雛型と言うことは世界中にバレてしまった。孝明天皇が預言した日米戦争。日本を支配できれば世界を支配できる。しかし、逆に日本が滅びれば、世界が滅びるし、宇宙・霊界も滅びかねないという真実を知ってほしい。

 少彦名神はユダヤの国に救世主として現れた。ということは、文明が日本から世界に伝わったということを王仁三郎が語ろうとしたと考える。「霊界物語37巻第1章 富士山」では天孫降臨は富士高天原から地上に降りることと王仁三郎は語る。

日本と天皇家の機密(15)

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(15)明治の元勲たちは聖マイケル&聖ジョージ騎士団員だった!(出口氏)

 聖マイケル&聖ジョージ騎士団は、1818年、当時皇太子だったジョージ4世が、ウィーン会議の結果、イオニア諸島がイギリスの保護領となったことを記念して創設された。騎士団はグランドマスターである君主の下に3階級の団員で構成されており、1等は男性がナイト・グランド・クロスで、女性はデーム・グランド・クロス、2等は男性がナイト・コマンダーで女性はデーム・コマンダー、3等はコンパニオンの勲位が与えられる。

 平時においては、緒方貞子さんが入団されているように、名誉職的なもので、あまり影響がないかもしれない。しかし英国王をグランドマスターとする騎士団と言う階級制度として身分制度の中に位置づけられており、英国王の命令に背くことはできないはずです。戦時にはこれらの組織はスパイ組織になる。

 叙勲されるということは、同騎士団への入団を意味する。桂太郎、松方正義、山本権兵衛、西園寺光望、山県有朋、加藤高明の6名も同騎士団員です。日本の天皇も明治以降ガーター騎士団員であり、聖マイケル騎士団員より数段階上にすぎず、ともに英国王の臣下です。ここに挙げた6人の首相の上官は天皇であることは明らかです。しかし、戦時においては、陸海軍大元帥と英国王の命令が矛盾した場合、6人の首相はどう動けばよいのか? 必ず空中分解します。大正天皇は1918年英国陸軍元帥になり、裕仁親王は1930年に正規軍英国陸軍元帥となる。

 それが王仁三郎が西暦1931年(いくさのはじめ)、皇紀2591年(じごくのはじめ)、それぞれ「戦のはじめ」(1931年)、「地獄のはじめ」(2591)と読ませているが、日本は太平洋戦争に進む道程において、真の愛国者「皇道派」と天皇を通して英国王に忠誠を誓う東条英機を中心とする「統制派」に分裂させられる。それは世界の支配者の思惑によるものです。また日本が地獄への道を一路突き進んだ1931年勃発の満州事変の根本原因だったと思う。

 今も天皇が英国王の臣下である以上、状況は大きく変わっていない。天皇が元首になられましたら、日本は大日本帝国に先祖返りします。歴史は繰り返すのかもしれない。

 大正13年(1924年)7月2日に松方正義が死去した後は「最後の元老」として西園寺公望は大正天皇、昭和天皇を輔弼して、実質的な首相選定者として政界に大きな影響を与えた。その後日本全島に暴政を布き、民の恨みを買い、国家はますます攪乱紛糾して収拾すべからざる情勢となっていった。

 今回生前退位なさいます明仁天皇様ですが、ガーター騎士団に入られたか確認してみましたところ、ガーター騎士団に関する記載が1998年5月26日に入団許可されています。ほんのちょっと憂鬱でもあります。

 「霊界物語」15巻20章に「五十世紀」と言う章名がある。この文章を読む限り、人類が未来永劫完全に滅びることはなさそうであるが信じることはできない。出口直の「大本神諭」を詳しく読むと、ロシアの悪神、ロマノフ王朝を乗っ取って絶滅させた「赤い盾」であるロスチャイルドが日本人を一人残らず殺そうという企みをしていることが分かる。明治25年から艮の金神こと天照大神が出口直にかかり、このまま人類が神の教えに目覚めないと、極悪神に滅ぼされるよと警告してきた。大正デモクラシーの立役者となった吉野作造は次のように語っている。

「ユダヤ人は結局世界を征服先としているのであるが、それがすらすらと目的が達成されるかと言えば、そこに一の大いなる障害がある。ユダヤ人の世界掌握の陰謀の邪魔は、勲章を戴いた国家(君主国)である。何となれば聡明なる君主は彼らの跋扈や主義の実行を許さないからである。・・・・そこで世界の表面から君主国を絶滅するというのが彼らの最大の急務になる」

 「シオン賢者の議定書」はロスチャイルド家初代のマイヤー・ロスチャイルドの講演が下敷きになってまとめられたものと言う。

日本と天皇家の機密(16)

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(16)「大本神諭」に予言されていた日本人抹殺の仕組み

 出口王仁三郎と出口直は、大本教・二大教主とされているが、出口直に艮の金神がかかって書いたと言われている「お筆先」(後に王仁三郎が「大本神諭」として出版)に次のようなことが書かれている。

「向こうの国の極悪神の頭が、日本人の人民を一人も無いように致す仕組みをしている・・・」(「大本神諭」大正7年旧1月12日より)

「唐土の鳥の渡らん先に、神は還りて経綸(しくみ)を致せども、聞く人民無き故に、残念なれど唐土の鳥が今に日本に渡りてくるぞよ。毒を空から降らして、日本人の人民を絶やす経綸を、昔から致していることが、良く神には判りているから、永らく知らせたので在りたぞよ。早く改心致さぬと改心の間が無いぞよ」(「大本神諭」大正6年旧11月23日)

 「毒を空から降らして」というのは、ネットで良く報じられている「ケムトレイル」の事でしょうか。私(出口氏)に送られてきた写真は、2017年9月10日13時49分に宮崎県在住の吉田純久氏が撮影した写真で、太陽の横にまっすぐ伸びているのがケムトレイルと言う。毎日のように世界中の空にまかれているという。

 ケムトレイルは真偽不明なものの、化学物質を含んだ飛行機雲の事です。これは先進国各国の政府と軍と製薬企業の共同プロジェクトで、政府は人口削減目的、軍は生物兵器実験・気象操作、製薬企業は病気を与え、その薬を売るためにやっている。中でもインフルエンザウイルスは、凍結したものを人工繊維の中に封入し、このケムトレイルに混ぜて、都市上空から飛行機によって空中散布されている。

 宮崎県の別の都市でも当たり前のようにヘリコプターから何らかのものが散布され、そこの住民はヘリコプターの飛行訓練かなと捉えているようです。ある住民の方などは、このヘリコプターが通った後、風邪で1週間ぐらい寝込むことがあるという。複数の友人たちが全く同じ病状で長期間寝込んでいたという。

 明治以降の日本のトップがガーター騎士団の団員、英国王の臣下であるという事実を考えると、先進各国の政府と軍と製薬企業の共同プロジェクトと言う妄想も笑っては済まされない。

「向こうの国の極悪神の頭が、日本人民を一人も無いようにいたす仕組みをしている…」と言う暴露が、大正7年正月元旦の「大正天皇英国陸軍元帥就任」の直前直後になされていることを考えると、艮の金神の強い危機感が迫ってくる。「大本神諭」で日本の守護神とは「天皇」に該当する。

「日本で居りて日本を奪いに来るのに、外国方に成りて、今に頑張りている守護神が気の毒なものであるぞ」とあり、大正天皇が気の毒だという。

 大正天皇が外遊もなかなかさせてもらえず、日本に居て、日本に君臨しながら、ロスチャイルドの血統を持つだろう英国王ジョージ5世の「日本を殲滅し占領せよ」という理不尽な要求を受けて頑張っている守護神が「気の毒なもの」であるぞよと言われている艮の金神の言霊です。

「外国方に成りて」という外国とは英国です。そして大正天皇は聡明で人望熱い君主でしたから、そのような状況を深く悲しまれていた。

「大本神諭」は気付きを日本人に促す警告の書であると言えます。私(出口氏)は具体的な預言書だと思ている。

日本と天皇家の機密(17)

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(17)ロスチャイルド家は「向こうの国の極悪神の頭か?(出口氏)

 「大本神諭」に出てくる「向こうの国の極悪神の頭」とは誰か? 天皇にガーター勲章を授与した英国王ジョージ5世か、それともその英国王室、ロシア王室を乗っ取ったロスチャイルドだろうか?当然、ロスチャイルドの事を意味している。大切なことは英国王室とロスチャイルドの関係です。

 世界で最も強力な金融シンジケートであるヨーロッパのロスチャイルド家は、イギリスの国家財務もロスチャイルド家の統制下にある。直属の管理者はジェイコブ・ロスチャイルドであり、その下にナサニエル・ロスチャイルド(ロンドン・ロスチャイルド商会)、その下に英国内閣府、英国財務相と続く。そして、世界最大の土地所有者であるエリザベス女王2世の裏で実権を握るのはロスチャイルド家であることは周知の事です。

 エリザベス女王は、ロスチャイルド王家(クラウン)の表向きの隠れ蓑だと思う。イギリス王室と非常に関係の深いスコティッシュライトフリーメーソンと言う秘密結社があるが、この結社を統括しているのはエドワード公であり、スコティッシュライトの最高位メンバーから選択されるシオン修道院は、イエスからダビデ王の家系につながると主張している。これはそのままイギリス王家の主張です。→私はこの説はフェイクだと思っている。

 ジョン・コールマン氏によれば、イギリス王家のルーツの一部をスコットランドの王のあたりから紹介すると、スコットランドのロバート2世・3世、ジェームズ1世・2世・3世・4世・5世メアリーと続き、ジェームズ6世がイングランド王ジェームズ1世となっている。その娘エリザベスがドイツへ嫁ぎ、ハノーファー選帝侯妃ソフィアを経て、その息子がジョージ1世として迎えられる。同2世、3世と続き、ケント公エドワードからヴィクトリア女王に至っている。ヴィクトリアはベネチアの黒い貴族の一員であり、さらにヴィクトリアからエドワード8世、ジョージ6世、そしてエリザベス2世に至る流れの中にも、黒いゲルフの血筋が入っているとしている。

 以上、コールマン氏の情報から推測すると、イギリス王家の血筋にはヨーロッパのアングロサクソン血統以外に黒い貴族の血がすでに入っていたことになる。また、シオン修道院の主張が正しければ、イエス系のユダヤ人の血統も入っている可能性も考えられる。

 1815年にロスチャイルド家がイングランド銀行を所有して以来、イギリス王家の人々の多くは、ロスチャイルド家の持病であるポルフィリン症、血友病、梅毒を治すためにフリーメーソンの侍医たちによって使われる薬漬けのモルモットのような存在になってしまった。

 ヴィクトリア女王(1819年~1901年)は、子女が欧州各国の王室・皇室と婚姻を結んだため、「ヨーロッパの祖母」と呼ばれる。しかし、それは同時に彼女を経由してヨーロッパの王族に血友病遺伝子を受け継がせることにもなった。彼女は非摘出子であったため、彼女の実の父親が血友病を持っていた可能性が疑われる。当時のイギリスの王族は、英・ロスチャイルド財閥の祖であるネイサン・ロスチャイルド以外のユダヤ人と交わることが禁止されていた。そのため、ヴィクトリア女王の実の父親が、ネイサン・ロスチャイルドであるという情報がある。

 ロスチャイルド家には、イエスの時代のパリサイ派ユダヤ人まで遡る血統図を家宝として持っているという噂がある。パリサイ派ユダヤ人とはイエスと激しく対立した集団として新約聖書にも登場する。彼らは神殿で暴利を貪る商売をして、イエスに激しく罵られたことで知られている。イエスによれば、パリサイ派ユダヤ人は「蝮の子らよ」とか「偽善者なるパリサイ人」とか語っていた。つまり、パリサイ人は「悪魔である父から出た者であって、その父の欲望を満たしたいと思っている。悪魔は最初から人殺しである」(「ヨハネ伝」8章)

 ロックフェラーは白人であるし、ロスチャイルドもロシアのカスピ海やウクライナの近傍にあったハザール国に起源するアシュケナージユダヤ人である。どうしても血統的にイエスの子孫であるとかダビデの子孫であるとかいうことは信じられない。

日本と天皇家の機密(18)

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(18)5千円札に刻まれているのは、ロスチャイルドである蛇が地球を丸ごと吸っている姿!(出口氏)

 すでにロスチャイルドは全世界を支配してしまった。ロスチャイルドは「赤い盾」という意味です。どんな鉾でも打ち破れない世界最強の盾なのです。それを打ち破るには、「神の鉾」しかない。つまり、「王の王」の鉾である天照大神の鉾しかない。

 「大本神諭」にはロシアの極悪神が世界の「王の王」になろうとするとある。艮の金神の語るところによれば、世界の王の王とは、世界を統たもうた艮の金神(天照大神)であり、天照大神が世界の王である。これを「黄身・君・きみ」と言うのですが、「王の王」とは「君」の「君」であり、これを「玉」という。「玉鉾の神」の正体は天照大神の事です。世界を荒らすロシアの極悪神「赤い盾ロスチャイルド」の盾を打ち破る世界の「王の王」が「玉鉾の神」天照大神なのです。

 ユダヤ人は大きく出自が2つに分かれている。1つは聖書に由来するパレスチナやアラブから来たスファラディ系ユダヤ人と、もう1つは昔のハザール王国出身のユダヤ人、つまり白人系のアシュケナジー系ユダヤ人です。ユダヤ人の9割がユダヤ教に改宗したロシア起源のユダヤ人であり、ロスチャイルドもアシュケナジーだと思う。まさにロシアの極悪神なのです。赤い盾と玉鉾の戦いは最後は必ず玉鉾の神が勝つ。

 「大本神諭」に次のようなものがある。

「向こうの国の極悪神の頭が、日本の人民を一人も無いように致す仕組みをしているなれど、日本にも根本から動かぬ経綸が致してあるから、国も小さいし人民もすくないなれど、初発から一厘と九分九厘との大戦いである・・・・・・・神力と学力との力比べの大戦いであるから、負けた方が従わねばならんと申して筆先に出してある通り、実地に出現できるから・・・・これまでの事はチットも用いられんぞよと度々気を付けてあるのに、聞かずに吾の我でやりたら、彼方へ外れ此方へ外れて、一つも思うようにはいかんぞよ。・・・・今の人民はあまり我が強いから、これまでは神の申すことも聞かずに、守護神の自由に一力で思惑に行けたのは、地上に誠の大将と申すものがなかりたから、世に出ておる方の守護神が、向こうの国の大将に気に入るような悪がる力がありたならどこまでも上げてもらえる邪神等の世の中となりおりたから、・・・・もう時節が周り来たから、その時節の事を致さな世は立ちてはいかんぞよ。今までは物質の世でありたから、学がここまで蔓延りて学力でどんなことでも九分九厘までは成就致したなれど、もう往生いたさならんようになりてきたぞよ。ここになるまでに悪の守護神を改心さして助けてやりたいと思って、明治25年から深い因縁のある出口直の身魂に知らさしたのである・・・・・世界の大洗濯を致して、元の水晶の身魂やら天地の大神の直系の御血筋の世に致して、天に負わします御三体の大神様にお目にかからねばならぬ御役であるぞよ。・・・・この先の規則通りに成敗を致さねば御三体の大神様へ申し訳がないから、2度目の世の立替えを致したら、悪の性霊はみじんもないよろしくお願いします。・・・・」

 支配者は「あなたたちは奴隷でなく家畜だよ。ワクチンと抗癌剤、医療、人工地震や人工台風で最後は酷使させたうえ殺す」という。

 王仁三郎は「自分の教えはイコール古事記である」「大本とは古事記である」とはっきり述べている。古事記では一番初めに現れた神が「天之御中主神」であると言っている。王仁三郎もそう言っている。これは大本が弾圧を受けた最も大きな理由です。そして「古事記は預言書である」とも王仁三郎は言っている。第10代の崇神天皇の「和光同塵」の御神策によって、日本はそれ以後の2000年間、外国の文化と交えさせられ、「塵にまみれる」思いをし、それによって自らのやり方を悟っていく。その時に「天国と地上との真釣り合わせ」つまり、地上天国が実現する日が訪れる。その時の日本は、世界の国々さえも愛護する役目を負っている・・・・というようなことです。

 5千円札を見ると、新渡戸稲造は国連事務次長だったそうですが、新渡戸稲造が釜で首を刎ねられそうにしている。菊の御紋が二つに分かれ鎖に囲まれている。注目すべきは地球を蛇が丸呑みしているところです。しかも地球は楕円形で日本は小さい。これは「鷲の勇気と蛇の知恵」を持つとされるロスチャイルドが描いたものだという。

 5千円札の卵の図はロスチャイルドである蛇が地球を丸ごと吸っている絵である。その中心に卵の黄身がある。つまり、ロスチャイルドが皇室を鎖につないで2つに分けて世界の人間としての「玉」である天皇を地球ごと吸い飲み尽くし、新しい「玉」になるよという決意表明だと思う。

日本と天皇家の機密(19)

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(19)人類180万年史と神武天皇、万世一系、南北朝に関する本当の事(小野寺直氏)

 これからは、小野寺直氏の講演である。彼は南朝111代主で、明治元年6月15日に即位した大政天皇の曾孫として昭和20年に生まれる。

 「日本書紀」の神武帝紀に、神武天皇45歳の時、わが先祖は西の地を支配した年代に関しては179万2470余年と、一門を集めて述べたとある。戦前、湯川秀樹さんのお父さんの小川琢治先生が、京大の教授として人類5万年史と言うことを述べた。その時、文部大臣は鳩山一郎氏でしたが、「天照大神より古い人類がいてたまるか、この馬鹿者」と言って、湯川秀樹のお父さんの小川博士は、京都帝国大学を辞職して仙台の私学の先生になった。当時、私(小野寺氏)の家は仙台に疎開しており、琢治先生は度々わが家を訪問していたようで、私が幼少の頃、琢治先生のご長男で冶金・金属工学者の芳樹先生にいろいろなお話を聞きました。その時の記憶では、湯川秀樹さんは、本来、小川と言う姓で、文部大臣とお父さんが学問上の喧嘩をしたわけですから、小川の姓では学問に支障をきたすので、夫人の湯川家の養子になって、湯川秀樹となった。

 その議論の内容は、琢治先生の人類5万年史でしたが「日本書紀」には179万2470余歳と示され「日本書紀」が編纂されて今日約2000年経ったわけです。ここにおいて、人類の180万年史と言うのは、グルジアのドマニシと言うところで5体の人骨が発見され、遺伝子学的には、世界の人類は1対の夫婦から分かれたことが証明され、その5体の化石は、177万年前の化石であるという答えが出されています。

 中国では人類のそういう問題に対する最も古い記録として「三五歴記」と呼ばれる書物がございます。又旧約聖書における人類のアダムとイブという問題も、だいたい中国の「三五歴記」と同じ様な頃です。

 一般的に南朝と言うと、長禄2年の乱によって、赤松残党によって吉野において南朝の当主は殺されそこで絶えてしまったと明治教育では述べられている。しかし、これは赤松氏の残党の赤松氏復興を条件とした恩賞を得るため、浪士たちが勝手に捏造した記録によるものである。当時、大和の国の守護権を持っていた摂政九条氏の弟である興福寺大乗院の大僧正教覚の記録によれば、「一宮は奥に引き籠られる」とある。

 天皇は万世一系と言われているが、明治以降の教育で、南北朝という言葉を聞いていませんか? もし南北朝と言う2つの朝廷があったとするならば、どうして現在の明仁君たちが万世一系なのですか? 南北朝とおっしゃるならば、既にそこで皇統は二統に。そして朝廷は二朝に分かれていなければならない。逆に言うと、朝廷は行政府ですから、この国家は支配の範囲は別として2つの分かれて今、数百年というふうに捉えるのが正しい歴史のとらえ方ではないですか。

 ここに示すのは、後醍醐天皇の三房と呼ばれた万里小路藤房(までのこうじふじふさ)と言う人が、後醍醐天皇をいさめた文書の原文でござます。これに関しては、子孫である万里小路博房(までのこうじひろふさ)がこんな鑑定書を書いている。ここに「いかなる人の家に伝えたるか」と。普通、鑑定書と言うものは、誰々がお持ちの、あるいは誰が家に伝えると書くのではないですか。「いかなる人の家に伝えたる」という表現では、鑑定書としてはどうですか? 要するに、天皇云々と書けなかったのですね。それで「いかなる人の家に」という表現をしているわけです。これが書かれたときは、万里小路の侍臣である秦貞嘉と言う人が、文久元年と年号を入れております。ここには南朝後醍醐天皇の黄門藤房卿の真跡であると、こんなふうに書いてございます。

 今、これを示した理由は、南朝と言うか国体天皇の流れが幕末まで正しく存在していたということを、政体側は認識していたという証拠としてお見せしたわけです。これは後醍醐天皇を藤房がいさめた文ですから、後醍醐天皇の子孫が持っていて当たり前なのです。・・・・博房という方は、宮内太夫や何かを務めて、明治17年まで健在でした。宮中の中枢の身分を持って活躍なされた方です。ですから、政体側においては、国体と言うものが実際存在したと認識していました。例えば、明治44年、欽定憲法下の桂第2次内閣において、南朝正統と言う閣議決定がございました。本家の子孫が絶えたとしたら、次の分家は当然、自動的に本家の祭祀権を継承して本家になるのですよね。国体が存在していなかったとするならば、南朝正統と言う閣議決定を成す意味がないのです。自分らが既に本家なんですから、どちらが正統か、正統じゃないかという問題は必要ないわけです。ゆえに、明治大行天皇は大変悩まれて、お亡くなりになられた。その後、それを解決すべきを命ぜられた大隈重信と明治の元勲山縣有朋は大変仲が悪かった。山縣有朋は南朝びいきだった。そこで大隈重信は欧州で始まった第1次世界大戦に参戦して国事多難だから、この問題の解決はしばらく待ってほしいということで逃げた。それ以降、我が国は海外と小さなトラブルをずっと起こしてきた。それをしていないと、この問題を解決しなければならなくなるからである。

*明治天皇の入れ替え説は多くの人によって語られており、公然の秘密とされている。足利氏により偽者の北朝が立てられ、幕末に入れ替えが成され、後醍醐天皇の流れを汲む南朝の明治天皇が天皇に即位した。そのため、南朝側の楠木正成の銅像が建てられている。

日本と天皇家の機密(20)

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(20)東武皇帝の国体府の貨幣、会津銀判に刻まれた16菊家紋の謎(小野寺氏)

 私の叔父に東園基文と言う人がおります。この人は今この政体である明仁君を、生まれたときから政体天皇になるまで皇子傳育官として育てました。今は基文氏の息子の基政氏が愛子殿を育てております。そんな事情は私的なことでございますが、例えば戊辰戦争の時に、徳川慶喜と言う人は戊辰の前に政体側に降伏して、政体側についたわけです。戊辰戦争と言うのは、単なる小さな会津藩を滅ぼすためのもので、全国の大名を動員して攻めなければならないほど会津の勢力は強大なものだったのでしょうか? 会津藩は本来、政体側の藩でございます。その時、すでに将軍慶喜は政体明治方に降参していたわけです。しかるに、会津銀判と呼ばれている慶応4年(明治元年)に造られた貨幣には、16弁菊家紋が打たれております。一般的常識では会津と16弁菊家紋を使う家とは、戊辰戦争で対立していたわけですよね。慶応4年は明治元年でございますから、なのに、敵の紋がどうして会津藩の貨幣に使われているのですか? まさにそれが、通称東武皇帝と呼ばれている国体府の貨幣であり、この貨幣は新潟港からグラバーらによって海外に持ち出され、その清算がそのままなされずに、それが現在の世界の金融の土台になっている金銀なのでございます。私は現況では、あまりそういう分野には携わらないことにいたしております。でもその実態は、そういう世界で述べられているものとは全く違います。

 例えば、明治44年に、明治帝は実際に自ら率先して南朝正統を云々したわけでは無く、本来から言えば拒絶できたわけです。だけど拒絶したならば、自らの生命が危ない。だから承認せざるを得なかった。・・・亡命するとしたら、国体府の財産でも預かっていれば自分が使える安全な場所に移しておこうと考えませんか? 第1次世界大戦と言う混乱の世界では、海外に持ち出す機会はいくらでもあったわけです。

 私はフィリピンのマルコス氏の長男がどうしても会いたいと言うので、会ってあげました。彼らの国に日本のある問題が彼らに不幸を与えているという。その時に生臭いお金の話がなされたので、私はそういう問題には関係を持ちたくないと思い、聞かぬと言って戻ってまいりました。

 国体(南朝)は一般的には620年ほど前に滅んだとされている。現在は、元中9年の和睦と言うことで、国体(南朝)の後亀山天皇が後小松院に皇位を譲ったとされています。譲る条件は迭立といいって、以降、交代で皇位を継承するという条件の下に三種の神器を後小松院に渡したわけでございます。鎌倉幕府の時の条件は、迭立は10年ごとという条件だったのですが、足利義満が国体府に提出した和睦条件には何年という期限が入っていなかった。それゆえに、伊達政宗などは10年ごとと判断して、国体(南朝)側に立ち、皇位交代をせよと兵を挙げたのは事実でございます。そんな経過を経て、最終的には、後小松院がなくなって数年後の嘉吉3年、わが先祖方において、三種の神器を回収したわけでございます。

 この神器と言うのは、天皇家先祖の御霊をとどめるがゆえに神璽と言うわけでございます。ですからそれを所持しないということは、当然、先祖祭が出来ないことで、皇統を継承するということには三種の神器、特に「神璽」の奉祀が無くてはならぬわけでございます。でも現代の歴史学の世界では、三種の神器のうち、一番重要な神璽をないがしろにして、剣璽、鏡璽といって・・・・・。これらの璽は実際には、私は作った所を見たわけではiませんので、お話しするのはどこまでも先祖より伝えてきた条件です。剣璽を広東大学の李教授に写真で判定していただきました。・・・・私は平成6年にお墓の改装をしようとして、そこから出た納骨器は重要文化財に指定されております。早稲田大学で調査したところ、これは天皇の埋葬の仕方であると答えを出したわけでございます。・・・・この国は三権分立と表向きは言っているけれど、実態は全く三権分立はしておりません。最高裁判事も、行政府の推薦がなければならないのですから、実際には行政府に都合のいい人々が立つということです。

*小野寺直氏は日ユ同祖論を知っているのだろうかと疑問に思う。日本の三種の神器はイスラエルの三種の神器であり、モーセの十戒石板、アロンの杖、マナの壺である。それが伊勢神宮の地下殿にある。残念ながら小野寺氏は八咫烏の存在を知っているのだろうか?本物以外は全てレプリカであると思う。


日本と天皇家の機密(21)

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(21)イスラエルのエリ・コーヘン元大使も驚いた小野寺氏が所蔵する十戒石板(小野寺氏)

 イスラエルのエリ・コーヘンさんが私のところに来られた。コーヘンさんを連れてきた人は、私の持っている十戒石板をコーヘン氏に偽物だと言わせたかったらしい。しかし、コーヘンさんは「これ十戒石板の本物じゃございませんか」とおっしゃった。私が「君の先祖が神様からもらったと記録上なっているのに、そんなこと言っていいのかい」と言ったら、「いや、これには2説あります。私の先祖がもらったという説と、神様が私の先祖に見せてそのまま持ち帰ったという説が昔からあるのです」と言う。どうしてここにあるのですかと言う話をコーヘンさんはなされました。まさに、イスラエルと言う国家は、コーヘンさんのご先祖様の名前をとってイスラエルと現在名乗っているとのことでございます。私が「どうしてあなたが正統だと言われるのですか?」と聞いたら、ユダヤ人と呼ばれる人の全部の血液を以て遺伝子検査したそうです。「それで私が正統と認められている」と言うのがコーヘンさんの答えでした。

 政体(国体)と言う世界は、観応の擾乱(1349~1352年)という。国体(南朝)方の年号でいうと正平と言う年号なんですが、一般的には武家方の観応と言う表現が知られていますから、あえて観応の擾乱と言ったのです。足利尊氏が弟の直義と仲をたがえて、その時自らがつくった天皇、つまり光厳、光明、崇光、そしてその後継ぎとなった直仁、この4人を国体の後村上天皇のところに人質として連れて行った。そのとき、崇光院と言う現代の明仁君たちの血統上の直接のご先祖は、私どもの子孫も、二度と皇位の競望をしないから、何とか命だけは助けてくださいと言う嘆願書を後村上天皇に差し入れました。それは崇光院の孫とされている貞成親王の看聞日記の延享5年11月23日の条に書かれてございます。

 私どもは、私を含め、私の子孫も、一切皇位を競望をいたしませんと言ったその方のご子孫が今・・・・。私は認めないと言っているんじゃないんです・・・・・ただ、世界の先進国はすべてキリスト教国家でございます。キリスト教と言う条件では、契約は神のもとになされる。ゆえに偽りを前提にした契約は、契約として成立しない。韓国の朴槿恵さんは、イギリスに行って晩餐会に招かれている。明仁君も同じ時にイギリスに参りました。知人・友人として、昼餐会には招かれましたが、元首ではございませんので、当然、元首の集まりである晩餐会には招かれません。

 アメリカのことを日本では「米国」という。これは鬼畜米英と言った時代に「あんなもの食っちゃえ」「やっつけろ」と言う意味合いが米国の意味なんです。

 韓国と言うのは、周王朝の分家の晋国から分かれた韓王に仕えた民と言うことを誇りとして大韓民国と言っているのです。日本は正しい国の歴史を教えない。例えば、聖徳太子が「日出処の天子、日の没する処云々」とあり、これは日本の記録には存在しませんが、中国の記録には載せられているのです。中国人が自分の国を馬鹿にされている内容を、国史に誇り高く載せると思いますか。

*モーセの十戒石板は契約の聖櫃(アーク)の中に入っているので、十戒石板だけがあることはない。もし十戒石板が本物だったら契約聖櫃(アーク)がなければならない。それゆえ、小野寺氏の所蔵しているものはレプリカであると推測できる。ただし、古いレプリカなので本物のように見える可能性はある。

*コーヘン氏は失われたイスラエル10支族の血統(レビ族)であるが、アシュケナージユダヤ人の血がかなり入っているので、日本の正統なレビ族とは質が劣る。日本はモーセの血統を天皇家が引き継いでいるからである。

*現在の天皇家は南朝系であり、北朝系ではない。明治天皇が後醍醐天皇の子孫であることは明白であり、幕末において、明治天皇の入れ替えが行われていたのが事実である。小野寺氏はそのことを理解していない。今上天皇を明仁君と呼び、北朝系だと思い込んでいるのは間違いである。

日本と天皇家の機密(22)

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(22)命を狙われながら正しい歴史を伝える(小野寺氏)

 日本は桓武天皇の次に平生天皇と言う人がいました。その時に、いろいろ問題が大陸で起こったため、大陸から持ってきた古い記録を皆焼却したという記録が残っております。中国では周は黄帝の子孫と言うことになっているわけです。その中で天子、天王という称号で尊ばれているのは周王朝だけなのです。ほかの王統は天子、天王と呼ばれないのですね。だから、聖徳太子が日の出処の天子、日の没する処の天子にと手紙を送った。彼らにとっては周と言う国家は秦の始皇帝によって滅ぼされ、そして秦の始皇帝は「焚書坑儒」といって、徹底して周文字を否定した。日本にもう絶えたと彼らが思っていた天子が存在したということです。すなわち、周室の存在、これにびっくりしたのですよ。(滅びた南朝系の小野寺氏のことを指していると思われる)

 歴史を書き換えるためには、文字がなかったことにしなければ書き換えられない。例えば今、中国の漢字は本来の文字を省略した簡単文になっています。簡単文になってしまったから、私たちには読めません。何のために簡単文にしたのか? 若い人たちが字を読めるようにするためだと答えます。本当にそうでしょうか? 中国の儒教と言う学問思想と、共産主義は相いれますか? 現代の若者が中国の古典を読んだら、思想的に共産主義になりますか? なるわけがないじゃないですか。だから字を変えて、絶対古典文字が読めないようにしたんですよ。それが本当の歴史です。

 今の政体天皇の流れは、貞成(さだふさ)さんと言う伏見宮家の3代目を継承した方の息子である彦仁が後小松院の猶子になって、後花園と称して、その流れが現代の政体明仁象徴天皇の流れでございます。だけど、貞成氏のおじいさんである崇光院は、自分も自分の子孫も皇位は絶対望みませんから命だけは助けてくださいと国体の後村上天皇に申し入れたわけです。

 そして実際に、後光厳と言う人は崇光院の弟なのですが、天皇と言うのは勝手になるわけではなくて、ある部分では天皇になる条件を決めた法律と言うものがあった。それは大宝律令とか、養老律令と呼ばれて、それには4世紀を経たものは皇親にあらずと示されている。明治44年に、北朝と呼ばれた5代の人々は、天皇じゃないと言って外されたのです。そして大正15年10月21日に、若槻内閣は、明治44年桂内閣の上奏により「大覚寺統正統」が閣議決定され、持明院統の光厳、光明、崇光、後光厳、後円融の5代は文部省発行の天皇「歴代表」から外された。その外した5人の北朝の人々を皇統譜令によって再び天皇としたのです。なぜか、それはまさに大宝律令に、4世を経たものは皇親にあらず、一般人だと書いてあることを知ったからです。例えば、1回姓をもらって、臣籍に降下しても、3世以内ならば、要するに元に戻れたのです。だけど、4世を経たものはもうだめなのです。それに気づいて慌てて、若槻内閣は大正15年に5人を天皇にしたわけです。そしたら、おかしい話ですが、現代の明仁君は、法律を以て5人加わったのですから、130代になるはずです。法律を以て5人を天皇にしたのだから、歴代に加え代数が5代増加するのは当たり前じゃないですか。だけど、現在は125代とされている。法律を守るべき最高責任者の法務大臣が公文書を捏造している。それで誰も何も言わない。法律を守るべき最高責任者が、自ら皇統籍と言う公文書を捏造した。

 今、私はこんなことを言っているけれど、ついこの間までは命を狙われていました。政治活動をしたら暗殺するよとはっきり向こうのトップ筋の関係者からも伝えられました。でも、おととし、大変失礼しましたと、関係者3人で謝りに来たから、今は述べてもいいということなのだろうと思います。そんな関係もあって、今ここでこんなことを言わせていただいているのです。

*小野寺氏は今上天皇を北朝系だと信じているのでおかしなことを主張しているが、歴史の真実を知ればびっくりするだろう。何度も言うが、幕末において、南朝系の大室寅之助を明治天皇にしたというのが真実である。それゆえ、小野寺氏の天皇批判は全く的外れである。

日本と天皇家の機密(23)

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(23)政体と国体の違い(小野寺氏)

(質問者A)政体と国体と言うのはどういうことですか?

 国体と言うのは、先祖である天照大神の御霊を根本として政をなす。その象徴ゆえに、神璽継承が絶対とされることでございます。政体と言うのは、ある意味では民主主義理論に近いですね。武家社会が民衆全員の代表ではないんですよね。それが自らの政治、行政権を都合よくなすために、勝手に作った、それが俗に北朝と呼ばれる。だから本来、北朝なんか存在しないわけです。もしあったとするならば、まさに万世一系と言う言葉もすでにあってはならないわけです。要するに、行政をなさんとする者が権力で勝手に担いで「はい、あなた、そこにお飾りとして座ってて」と。ちょうど現代の政治形態に非常に近いものです。

(質問者A)今の今上天皇はどうなのですか?

 政体であるということです。

(質問者B)裏の天皇と言う言葉についてどう思われますか?

 天皇に表も裏もないんです。我が国の歴史の理論からいえば、国体とはどこまでも三種の神器を正しく所持していること、政体は時の権力者が自分の権力行使のためにご都合よく担いでいること、これ以外にはない。だから、ご都合よく担がれた者は本来の天皇ではないから、それを裏と言うなら言えるかもしれない。

(質問者C)明治は45年で終わりですが、その時明治天皇は亡くなられたのですか?

 そうでございます。明治44年に桂内閣において、南朝正統と言う閣議決定をなすわけです。もとは、犬養毅氏が帝国秘密会議で南朝正統の演説をするわけです。だから、犬養毅氏が昭和6年に内閣総理大臣になったときに、自らの演説の責任を取って満州出兵はなされたんです。もともと孫文によって南下するロシアを防ぐという論があったわけです。ところが毛沢東とソ連が仲良くなったため、南下するソ連を防ぐ必要がなくなったわけです。毛沢東、蒋介石、汪兆銘さんも孫文の門下として義兄弟です。そうのような事情で、ボタンの掛け違いと言うことでしょうかね。

(質問者D)日本と言う国は世界に対してどういう使命を持った国なのでしょうか?

 天照大神と言う言葉は2000年前より以前に作られたチベットの仏教の記録に載せられている言葉です。天照が日本に来て応神と変わるわけです。応神天皇と言うのは、神が再び現れたという意味でしょう。天照大神が再び現れた(垂跡)と言うことでございます。だから応神天皇が神璽を持っている。・・・・・・「古事記」には万世一系が書かれている。それならば「日本書紀」を作る必要ははない。万世一系が書いてあるなら「日本書紀」のように、これにはこういう説もあるといろいろな説を述べながら、土台の記録をあえて作る必要はないじゃないですか。・・・・「古事記」の筆記者の太安万侶のお墓が発見されたということは事実でございます。だけど、太安万侶の墓が発見されたから「古事記」が絶対の真実と言うわけにはいきませんよね。

(質問者E)猊下は111代、南朝の末裔だと聞いております。神器もお持ちだと思いますし、ご自身のお立場から世界をご覧になって、法華経と言う1つの大きな波動を受けていると思うんですが、111代南朝系の王としてご自身の今後のご抱負をお聞かせください。

 この国の政府は、私を中国北京政府のスパイの親分だと言って、経済的にも封鎖策をとってきました。これは2年ほど前に、向こうが大変失礼しましたと言ってきました。酷い条件は、突然オウム真理教のオーナーにされまして、公安が毎日、門のところに来て、うちに来る客に全部肩たたきしました。それでうちの信徒さんはほとんどいなくなりました。・・・・・昔、私は大石寺の細井日達管長から頼まれて、大石寺の本当の歴史を書き、5回製本したけれど、5回ともダメでした。その完成本の内容が原稿と相違し、また文字の用途が相違し、文章が理解不明となるというようなものでした。そのころ、本が出版されていれば現在の日蓮正宗対創価学会の対立騒動などは起こらなかったでしょう。そういうことが実際に身の回りにたびたび起きたんですね。

 現代の日蓮宗と言うのは日蓮大聖人の教えとは全く関係がない。なぜかというと、日蓮大聖人の法華本門宗と言うのを許可したのは後醍醐天皇なんです。だからその流れが盛大になっては幕府が困るのです。幕府方は徹底的に後醍醐天皇が許可した日蓮上人の教えを潰す。それで行学院日朝と言う人によって中古天台の論が日蓮上人の教えとされ、それを継承して現代日蓮宗と言うのが成立しているわけでございます。ですから、教学や大聖人の御書の読み方も全く出鱈目となってしまったのです。

*「古事記」と「日本書紀」がなぜ2つあるかというと、それぞれの矛盾点を追求すれば、真実が分かるようにしてあるからである。藤原不比等がそのように仕組んだ国仕掛けである。これについては飛鳥昭雄氏がすでに解明している。裏天皇も存在し、八咫烏のトップがそれである。裏から表の天皇を守っている存在である。天皇が契約の聖櫃(アーク)とその中に入るイスラエルの三種の神器を所持しているため、世界を救う使命を持っている。

日本と天皇家の機密(24)

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(24)イスラエルで実際に見たのは、日本の風習と同じものばかりだった!(畠田秀生氏)

 私は今から57年ほど前にニュージーランドへ無銭旅行を企てました。貨物船に乗って18日かかってニュージーランドに着きました。ほとんどの日本人はニュージーランドがどこにあるかも知りませんでした。今でこそ、ニュージーランドは日本のあこがれの国のようになって、本当に沢山の人々がニュージーランドに住んでいます。

 私は曲がりなりにも54年ほど牧師をしております。嘘をつけば天国には行けません。私自身が体験していないことを話せば嘘になるわけです。何も知らないのに、知ったかぶりして話をしていると、それは嘘になります。私は青森のキリストの墓にも行って来ました。モーセの墓にも行って来ました。それが事実かどうかは横に置いておいて、どういうものなのか、私はこの目で見て来ましたから、私の印象をお話しすることはできます。

 イスラエルにも本日の講師である飛鳥昭雄氏と行きました。私はイスラエルのラビたちがあの石の壁で何をしているのかも見て来ましたから、私の範囲の中で語ることはできます。本当のことを話すことができます。しかし行かなければ、想像で話をしていても人々は信用しません。何が本当かというと、自分の中でそれを咀嚼して、人々に語らない限り、人々は毎週、毎週協会には来ません。同じ人の話を毎週聞くわけですから、真実がなければ、すぐに化けの皮が剥がれます。

 幸い私は25歳から自分の得たものを一生懸命若者に語りました。30年ぐらい聖書を読んで人々に語っていますと、イスラエルという国がどのようなことをなしてきたか聖書から大体わかるわけです。読んでいくと、余りにも日本の風習と伝統が似ているわけです。だから、今度は日本のことを勉強し始めたのです。

 例えば、神輿を担ぐとか、正月にお餅を食べるとか、中秋の名月を祝うとか、イスラエルの暦と全く同じなわけです。男の子が生まれたら、女性は何日間こもらねばならないとか、女の子が生まれたら何日間こもらねばならないとか、旧約聖書に書いてあります。そして日本人も同じようにしてきているわけです。それで勉強し始めて、私は1999年に「古代ユダヤから21世紀の日本へ」という本を出版しました。その原稿をもって、私はニュージーランドの私が信じた教会に行ったわけです。彼らは教会のリーダーたちです。向こうは、ソフトボールはあまりしませんがラグビーが盛んです。ニュージーランドのラグビーは世界一ですから、彼らと一緒にラグビーをしたことがあるのです。ぶつかったら2~3メートル吹っ飛びます。でも私は野球はできます。ソフトボールになると4番バッターなのです。

 私もラグビーを初めてやった時、ピストルが鳴ったらボールを後ろに渡さなければいけないのに、知らないものだからボールをもって前に走りました。みんな唖然として見ているわけです。私は恥をかきました。ルールを知らないのに、ラグビーをやれと言われたから「わかりました」とボールをもって前に走ったら、みんな唖然として立っているわけです。私はそれ以後、二度とラグビーはしておりません。やはり、ルールを知らないでスポーツをしてはいけません。

日本と天皇家の機密(25)

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(25)戦時中は予科練の歌を暗唱していた愛国少年(畠田氏)

 23歳の時に私の中に起こったことは、カルチャーショックと言うようなものではなく、思想的な大変換だった。私は「武士道はキリスト教が起源だった」と言う本を1年前に発行しました。センセーショナルなタイトルですが、私がつけたのではありません。出版社さんがつけました。このほうが面白いと言われ、私も面白いと思ってオーケーを出しました。

 私が冒頭に書いた文を今読ませていただきます。これが根幹になるからです。一番初めにこう書きました。「国の形は人に宿る思想によってなる」

 私の形も、私の思想から始まっているわけです。23歳の時、私は聖書を初めてもらったんです。日本語の新旧約聖書を初めてニュージーランドでもらいました。私は23歳になるまで聖書を1ページさえも読んでおりませんでした。もちろん、キリスト教会に足を踏み入れたこともありませんでした。恥ずかしい話ですが、宗教アレルギーで全く関心がなかったのです。

 私の関心は、ひとかどのビジネスマンになることでした。私が京都の大学に行っておりましたが、大学は大荒れに荒れていました。私も京都の町をジグザグのデモをした1人なのです。

 私は5歳の時に、大阪の空襲にあっております。その私がアメリカを好きになるはずがありません。5歳の時に焼夷弾の雨の中を逃げたのです。ですから、小学校の高学年、中学生になっても、私の頭には飛行機が上空を飛ぶトラウマがあるわけです。非常に恐怖心を覚えるのです。皆さんは恐怖がトラウマになったことがありますか? ずっと続くのですよ。空に飛行機が飛んでいるだけなのに、恐怖心が襲ってくる。これは5歳の時の記憶が私の頭の中にあり、10年、15年と続きました。

 しかし、私はアメリカに行ってアメリカを見たいと思ったのです。半分復讐心もあります。私は5歳の時に予科練の歌を歌って、ミカン箱の上から下りなかったそうです。「7つボタンの予科練に~」と歌ったのです。私は4人兄弟姉妹の一番下ですが、長姉はその時20歳でした。私は5歳、15歳も違う。彼女は今92歳でピンピンしています。彼女が言っていました。「お前は予科練の服を絶対に脱がなかった。洗濯もさせなかった」と。愛国少年だったのです。

 ニュージーランドで初めて私の聖書をくれたのはトニーと言う青年でした。彼は私に執拗に教会に来いというわけです。聖書の神を信じろと言う。私はアメリカに行くための踏み石として、ニュージーランドにたまたま行ったのです。貨物船が岸壁に着いたのが日曜日で、移民局の人が全部休みで、入国は月曜日の朝まで待たなければならなかった。日曜日は何もすることがない。その時にトニーがやってきたのです。宣教師の働きのまねごとをしていたわけです。彼は27~28歳でした。熱心なクリスチャンで、はっきり言って私が大嫌いな部類のクリスチャンの1人でした。何が何でも伝道する。一生懸命やります。私はそれに辟易しまして、2か月間断り続けました。

 後で分かったことですが、彼のお父さんは日本人に殺されたのです。そして彼は、兵隊になるために飛行訓練を受けていた時に、聖書に触れたそうです。私はアメリカをやっつけようと思って予科練の歌を歌っていた。その2人がニュージーランドで会ったのです。彼は私にそんなことは一言も言わないで、神様は素晴らしい。信じろというわけです。私は放っといてくれと言い、話がかみ合わない。そういうのが2か月間続いた後、私はようやくイエス・キリストを信じることができるようになったのです。

日本と天皇家の機密(26)

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(26)日本の国の成り立ちは、「古事記」にある自分を犠牲にして他を救う思想から(畠田氏)

 この思想が新しく私に植え付けられたのはこういうことです。思想は天から降る雨だと私は思う。天は地表の山や丘、平地や谷間に降り注ぎ、川となって海に流れていく。そして血を形づくる。人は山を見て、雨を見ない。丘を見て、川の流れを見ない。まして雨水の一滴を見ることもせず、話題にものせない。国の形を話題にする前に、雨の一滴を手のひらに受けてみる。雨は山を削り、丘を砕き、地の形を変えて海に注ぐ。そして再び天に上り、雲となり、雨となって地を潤す。地である国の形を云々する前に、どこから雨である思想が降るかを考える。あなたや私をつくるのは、目に見えるものではありません。私をつくったのは、目に見えない言葉でした。思想でした。神はあなたを愛しているというたった1つのことです。

 私のようなものを誰も愛してはくれない。母親が愛するのは当たり前です。私を産んだのだから、私が危篤になったときに、母親が輸血をしてくれました。そしてよくこう言いました。「私のおかげでお前は生きているのだぞ」と。医者は「もしこの子を連れてくるのが1日遅かったら、死んでいた」と言いました。私は肺炎になったのですね。ですから、恩着せがましく、「お前の命は私にかかっているのだぞ」と。これを毎日言われると、またかと思いますよ。しかし、心の底では「お母ちゃん、ありがとう。本当にありがとう」と思って私は生きていました。

 しかし、神様があなたや私を愛しているというのは、別問題です。どこに根拠があるのだ。お前たちは世界一豊かな国で生きている。今でこそニュージーランドと言うのはあまり豊かではありませんが、50年前のニュージーランドは素晴らしい国でした。医療費は全部無料だった。私は親知らずが痛くなり、歯医者に行きました。しかし、1円も払っていません。私のような外国人でもペンチを持ってきてグッと抜いて、はい終わり。帰国してからこの抜いた歯を日本の医者の見せたのです。「何でここだけ空いているの」「ニュージーランドで抜かれたんです」「なぜ親知らずを抜かないで、その手前の一番いい歯を抜いたの。なぜそんなことするの」。5人いた日本の歯医者は全員、「なんていうことをされたのだ。あなたのこの歯1本、200万円はしますよ」と言われました。ペンチでグッと抜いて、ごみ箱にポーンと放ったんです。私は返してくれと言ったら、看護婦さんが変な顔をして見るんです。西洋人は日本人とは違うんです。ごみ箱から出して、はいと渡してくれた。私は丁寧に包んでポケットにしまって、日本に持って帰ってきました。日本ならば、親知らずが横に生えてきているから、それを抜きます。浮き上がってくる手前を抜いたものだからグーッと狭まりましたが、そこが開いたままなんです。

 このように、国が違えば文化も違う。思想もある程度違うんです。でも、すべての人に共通のものでなければ、それは真理ではない。日本人だけに通用して、アメリカ人、ロシア人、イギリス人、中国人に通用しなければ、それは単なる思想です。

 あなたが今日まで命をかけて何かをやってこられて、よかったなと思う人生を毎日歩んでおられるなら、あなたほど幸せな人はいない。命をかけて家庭を愛するのは父親の務めです。そのことのためにすべてを犠牲にします。聖書はそれをせよと書いてあります。これは万民共通です。どこの国でも同じです。その雨の一滴を私は幾つでも話することができます。しかし、4つか5つぐらいしか私の持ち時間では話ができません。

 まず、日本に落ちた雨の一滴、、これは日本人の死生観です。「古事記」に弟橘比売命(おとたちばなひめのみこと)の話が出てきます。日本神話に登場する日本武尊の妃、「古事記」には弟橘比売命と記され、日本武尊の東国平定の時、走水の海(浦賀水道)で一行が海の神(海神)によって航行を妨げられると、海中に身を投じて海神を鎮め、船を進ませたという記事が書かれています。海中に身を没しながら、弟橘比売命は歌を歌うわけです。日本武尊に残した歌があります。自分を愚性にして他を救うというのが「古事記」の思想です。そして日本の国が成り立ち始めたのです。

日本と天皇家の機密(27)

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(27)日本人の根幹にあるものは、聖書の思想にのっとっている(畠田氏)

 シルクロードの国々で伝えられている物語に、釈迦前世と言われている薩埵王子の物語があります。これは仏教の説話と言われていますが、事実はそうではありません。仏教伝来の前からこれはあるわけですから、紀元後538年に、日本に仏教が伝来する数百年前からこの物語はあるのです。それは、このようなストーリーです。

 ある日、薩埵王子が通りがかった崖下に、飢えた子連れの母親虎がうずくまっていた。見るからにもう何日も餌にありつけず、子虎に与える乳も出ないほど痩せ細っていた。そのことを悟った薩埵王子は、自ら崖下に体を投げ出し、母子虎の飢えを救った。

 奈良の法隆寺は7世紀の初めに建立されましたが、そこに安置されている玉虫厨子の側面に捨身飼虎図(しゃしんしこず)が描かれています。スライドフィルムのように、崖の上で薩埵王子が下を見ている図、そして一番下には虎に食われている図が描かれている。有名な絵ですが、自分を投げ出して他を助けるという物語です。これが日本の思想に染みついているんです。あなたたちや私はそれを聞いて感激し、いいなあと思う。それを私たちは毎日の生活で大なり小なり実行するわけです。ですから、この日本は今まで祝福されてきているのです。

 キリスト教徒が仏教の話をしているわけではないんです。まして西洋のキリスト教など、私たちに何の利益も与えません。私は西洋のキリスト教の下でイエスを信じて生活し、30年間伝道してきました。しかし多くの日本人が持っている人生で培ってきた素晴らしい文化は、聖書の思想にのっとっているものであるということを言いたいために、私は「武士道はキリストが起源だった」と言う本を書きました。そして今「日本は聖書の国だった」と言えます。このとおりなんです。もし嘘だと思われるなら、周りを見てください。そして聖書を一度じっくり読んでみてください。あなたの思想と、あなたが今まで培ってきたものと、何ら反したことをイエス・キリストはおっしゃっておられません。

 しかし、キリスト教は別のことを言います。私たちの脳裏に植え付けられている西洋的キリスト教は、別の思想を吹き込んでいるのです。特に戦後70数年間、マッカーサーによって7000人の宣教師がやってきました、その7000人目の人が、ついに昨年亡くなりました。私が親しくしてきた人ですが、彼も同じ考えを持っていました。もう80数歳になっておられましたが、多くの宣教師は間違っていたと彼は言っていました。


日本と天皇家の機密(28)

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(28)フランス人が驚愕した、特攻隊員たちの自己犠牲の精神(畠田氏)

 もう一つ雨の一滴をお話しします。1944年10月21日から1945年8月の終戦まで、戦死者は4000人とも6000人ともいわれております。これは全員10代後半から20代前半の青年たちです。これを特攻といいます。海軍予科練2531名、私は5歳でこれに憧れました。日本の国のために、私たちの兄ちゃんは死んでいったんだ。私は5歳でしたが、熱く心は燃えていたんです。僕も17~18歳ならば、喜んで零戦に乗りたいと、予科練の歌を歌って意気盛んだったんです。B-29が大阪の空に飛んできて爆弾を落として、私は逃げ回りましたが、何とかしなければならないと思った。母親に防空壕に逃げようといいました。しかし、防空壕に逃げていたら、丸焼けになっておりました。近くの公園に逃げたので、私の家族は助かりました。しかし、大阪の3月の空襲で、私の家は全部なくなりました。私たち5人家族が、4畳半で何十年過ごしたと思いますか? 貧しさの中、芋を食べて、麦なんかまだなかったんです。

 終戦後、私よりもっとひどい目にあったのは、成長盛りの10歳の兄や15歳の姉たちです。5歳の私はまだ成長盛りではありません。おなかがすけば泣き叫びますが、10歳や15歳の兄や姉たちの苦しみは大変です。どのようにしてその時を過ごされたのか、私はただ頭が下がるのみです。

 海軍予科練2531名、陸軍少年飛行兵1417名、戦車船舶などを含めると、海軍4156名、陸軍1689名が散華したんです。フランスのジャーナリストのベルナール・ミロー氏はこう言っています。

「多数の敵を一種の人間爆弾と化して敵に飛びかかる行動ではない。真の特徴は、その行動の成就のために、数か月も前から決心がなされていたこと。西洋人には最も受け入れがたい点である。戦場での勇敢な死を選ぶ例は祖国愛を示すものが多くある。死以外にない状況のもとにあっての例は数多い。退いて逃れるすべを絶たれてしまった場合の自己犠牲は称賛されてしかるべきもの、尊敬せざるを得ない」

 彼は「神風」という本を書いています。私はその本を読みましたが、私の魂を揺さぶる内容で満ちています。私は決して戦争を美化しているわけではありません。しかし、そういう状況の下で、若者がどのように生きていったのかに胸が打たれるんです。私は貨物船でソロモン群島の間を通るときに、このあたりで若者が死んでいったんだなと思って海を見ておりました。

 アンドレー・マルローというフランス人でレジスタン運動家で文化相になった有名人は、こう言っています。

「日本は大東亜戦争で負けたが、その代わり何物にも代えがたいものを得た。それは世界のどんな国もまねできない特攻攻撃隊である。スターリン主義者たちにせよ、ナチス党員たちにせよ、結局は権力を手に入れるための行動であった。日本の特攻隊員たちはファナティックだったであろうか? 断じて違う。彼らには権勢欲と名誉欲などかけらもなかった。祖国を憂える尊い情熱があるだけだった。代償を求めない純粋な行為、そこにこそ真の偉大さがあり、逆上と紙一重のファナティズムとは根本的に異質である。人間はいつでも偉大さを失ってはならないのだ。戦後フランス大臣として初めて日本を訪れた時、私はこのことを特に陛下に申し上げておいた」

 台湾生まれの黄文雄さんは、なぜ日本人にこのような特攻が可能であったのかについて、日本人の死生観、武士道などの伝統が大きくかかわっているという。

 あなたは子供のために命を捨てられますか? この10代の青年は、妹弟のために命を捨てたのです。天皇陛下のために命を捨てたというのは大義名分です。それもある意味で国の形をつくために必要だった。あの若い青年たちが命を捧げていたからこそ、私たちの日本という国が今あるわけです。70数年前に、10代後半から20代前半の青年たちが命をささげた。頭脳明晰、五体満足、どこから見ても優秀な青年たちです。成績はトップクラス、目も1・5から2・0、聴覚、精神力、全部テストして合格した人たちなんです。その若者たちが自ら進んで死を選んだんです。ある人は洗脳といいます。どのように考えても、その方たちがいたからこそ、私たちはこの国で、世界から称賛される国民の1人なんです。世界を旅されたら、私たちの国がどんなに素晴らしい国かわかるでしょう。

 私がニュージーランドの友人の教会で座っていたら、日本人の女性が「日本は悪い国です。暗黒で、悪魔的で、精神的にも非常に幼いです。偶像礼排をしているみじめな国です」というのです。私は腹が立ってきて、椅子から立ち上がりそうになりました。日本人の女性が日本の悪口を言い始めているんです。私は腹に据えかねながらも終わるのを待ちました。終わってランチタイムになり、そのはけ口として友人たちに「あれをどう思う?」というと、友人たちも「ノーグッド」と言っていました。自分の国をあんな風にいう人はダメです。誰一人彼女を尊敬していませんでした。

 私はニュージーランドでも、教会に行きますと日本の自慢話をします。日本はどれだけ素晴らしいか。日本はいろいろなことをやってきた。そうすると、握手攻めに遭うんです。向こうの人が「そうだ、ジャパンは素晴らしい」という。本当ですよ。彼らは日本の素晴らしさを知っています。

日本と天皇家の機密(29)

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(29)聖書には「日の上がるところの国の天子が、世の、終わりに向かって、神の民の額に刻印(判子)を押す」と書いてある(畠田氏)

 私が書いた「日本は聖書の国だった」の中の105ページを読ませてください。

「日本という国を私たちは愛しています。神様も日本を愛しておられます」。私が神様というのは、誤解されてはいけないんですが、天之御中主神のことを言っています。天地創造をされた神様です。「古事記」の冒頭に神は天之御中主と書いてある。天之御中主神が日本人の神様の名前です。それは聖書の冒頭に書いてある「神は初めに天と地を創造された」と同じことです。元チリ大使の色摩力夫(しかまりきお)氏は、「日本人はなぜ終戦の日付を間違えたのか」という本を出しておられます。その国家の歴史は、その国民のアイデンティティーの鍵である。国家を否定してコスモポリタンになりたいという人もいるが、残念ながらそれは無理というものである。現在の国際社会の基本的構造は、多数の主権国家の併存である。しかもその主体であり、客体は原則として主権国家である。個人は自分が帰属する国家を通じない限り、権利も主張できないし、義務も受諾することもできない。

 日本国という国がない限り、あなたや私の個人的な義務も主張もゼロなんです。日本のパスポートがなければ、どこへも行けないんです。国家があって、その国があなたを認めない限り、私たちは惨めな人生を送ることしかできない。世界を旅行してこの目で見聞し、世界の人々と会って握手をし、話し、分からない言葉でも何とか通じ合って、世界がどのような国であるかを知ろうと思えば、この日本の国から出ていかなければならない。そのためにはパスポートが必要です。国家を否定しているのなら、日本から一歩も出ないでください。そしてあなたは井戸の中の蛙として、これが世界だと思って生きていったらどうですか? それとも羽ばたきますか? 

 国家がなくなったのがイスラエルなんです。彼らは自分の国を失いました。AD70年から1948年5月14日まで、ユダヤ人は国を失いました。イスラエル12支族の中のユダ王国ともう一つ北イスラエル王国という国があるんです。今のイスラエルはユダヤ共和国です。政治的にはイスラエルと名付けていますが、聖書的にはユダヤ共和国です。イスラエルとい別の国があるんです。

 旧約聖書は創世記に始まり、そしてイエスの時代までです。イエス・キリストはユダヤ人の王としてやってこられて、十字架に掛けられました。イエス・キリストは弟子たちに「神の国をイスラエルに出て行って述べ伝えよ」と言ったんです。イエスはユダヤの国に生まれて、イスラエルに行けと言った。その違いが判りますか? イスラエルという国はどこか別にあるんです。神隠しにあった国があるんです。ユダヤは1948年5月14日に復活しました。ベン=グリオンはユダヤ共和国と名付けようとしました。しかし政治家たちが集まって、今にイスラエルが戻ってくるので、イスラエルと名付けようということでイスラエル共和国になりました。これは政治的な名前です。

 しかし、聖書的にはイスラエルは別の国にあるんです。これが日本の将来なんです。日本の将来はどうなるのか? 聖書を読んでください。「日の上がるところの国」と書いてあります。太陽が上がる国とヨハネの黙示録第7章に書いてあります。そこの天子(天皇)が四人の殺戮の天子に神の民の額に刻印を押してしまうまで待ってくれと主張する。その数14万4000人と書いてあります。これは象徴的にイスラエル12支族のことを表していると思われます。黙示録に「日の上がるところの天子が、世の終わりに向かって、神の民の額に刻印(判子)を押す」と書いてある。判子が重要視されている国は世界中で日本しかありません。ニュージーランドで判子を持っていても、何だといわれます。全部サインです。しかし聖書は刻印(判子)と書いてある。「印」と書いてあるんです。

日本と天皇家の機密(30)

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(30)命を捨てられる神様を持っている人間は幸せである(畠田氏)

 私の本「武士道はキリストが起源だった」の100ページに、まとめを書いています。

 一握りの侍という人種によって日本が築き上げられたといって過言でない。いや、今があるといったほうが良いかもしれない。たった7%ぐらいの少数精鋭の志を持ったこの種の人々により、我が民の霊的覚醒、精神高揚は期待され、維持された。その源泉を過去のものとして葬り去るのは、高層建築の目に見えない傷の深さを知ろうともせず、隣に新しいビルの見える部分、外観だけを建てようとする愚かな建築家のようなものであろう。日本の知性、道徳は直接的にも間接的にも、武士道の所産であることを知るところからの、日本人の目覚めを期待したい。

 あなたや私の中に武士道精神は植え付けられています。この武士道精神はどこから来たのか? 私は牧師ですから、聖書のメッセージをお話しして、まとめとすることをお許しください。イエスの言葉です。

「誰でも私についてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そして私についてきなさい。命を救おうと思う者はそれを失い、私のために命を失う者はそれを見出すのです」 人はたとえ全世界を手に入れても、まことの命を損じたら何の得がありましょう。その命を買い戻すのは、人は一体何を差し出せばよいのでしょう。イエスの弟子パウロはこう言いました。

「もし死ぬなら、主のために死ぬ。生きるにしても死ぬにしても、私たちは主のもの」

 あなたはあなたの神様を持っていますか?その神様のために命を捨てることができるなら、あなたほど幸せな人はいません。私はそういう意味で大変幸せです。私の妻は、私のために命をささげて尽くしてくれています。私も妻のために命をささげて尽くそうと思っている気持ちは、彼女も知っています。彼女はベッドで今苦しんでいます。早く帰って励ましてあげたいと思っているのですが、明日の新幹線で帰ります。

 パウロはこう言いました。「私の同胞、肉による同国人のために、この私がキリストから引き離されて、呪われた者となることさえ願いたい」 パウロは、同胞を愛して、自分の名前が天国の名前から消されてもいいと言ったんです。これは言えませんよ。それほど私は自分の民を愛していると言ったんです。

 私はキリストとともに十字架に掛けられました。もはや私は生きているのではなく、キリストが私の中に生きておられるのです。いつでもイエスの死をこの身に帯びています。私にとって生きることはキリスト、死ぬこともまた益です。こういう人生を歩みたいですね。この言葉は重いです。こういう生き方を今日からしてみてください。すると、あなたの周りが変わります。必ず変わります。

 私は一人の青年の遺言の話をして終えたいと思います。林市蔵 少尉23歳 神風特攻特別攻撃隊大14期海軍飛行予備学生 昭和20年4月12日 飛び立つ前の遺書」

「死にし者は死にし者に葬らしめよです。ぐうたらのままで死ぬのはやはりつらいですからね。・・・私が突っ込むことにより、最後のとどめがされましょう。・・・我にとりで生きることはキリストなり。死するもまた益なりです。これがまことに痛切に思われます。生きていることはありがたいことです。でも今の私たちは、生きていることは不思議です。当然死ぬべきものなのです。死ぬことに対して理由をつけようとは思いません。ただ敵を求めて突入するだけです。市蔵は一足先に天国に参ります。・・・お母さん、さようなら。この手紙を書いて、未練だと笑ってくださらないでくださいね。さようなら。市蔵」

 彼は戦争の当時にこういう生き方をしました。私たちは平和の時にどういう生き方をすべきか? 彼は問ています。私はこれを英語に訳してニュージーランドの高校生に話しました。彼らは感激していました。一人残らずサンキュー、サンキューと言って私に握手を求めて帰っていきました。

 戦争は私たちに悲劇をもたらしましたが、その戦争から生まれた素晴らしい命の尊さを学んだ人たちがいるんです。それが私たちです。そのおかげで私たちは今、生きているわけですから。政治の話をしているんじゃないんです。あなたや私の生き方を話しているのです。

日本と天皇家の機密(31)

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(31)生前退位発表の前日に、なぜ皇太子は熱田神宮にいたのか?(飛鳥昭雄氏)

 これからは飛鳥昭雄氏の講演である。今回の今上天皇陛下の生前退位のレベルは、1945年8月15日の昭和天皇陛下の玉音放送に匹敵します。ある意味で同じレベルです。本来、天皇陛下と言うのは象徴ですから、いるのだけれどもいない、いないのだけれどもいるという、非常に微妙なところにいるお方なんです。ですから、我々のような戸籍謄本はありません。でも律令制が確立したころ、別な形で天皇家の謄本が絶対にあったと思います。そういう意味で、今回の生前退位に関しましては、実は不思議なことがございます。

 まず、NHKが最初放送したんですね。どういうことかと言いますと、2016年の7月13日、夜7時のNHKのニュースの中で、生前退位を示唆する報道が一部チラッと出て、国民が広く知ることになるのです。その後、8月8日の午後3時に、ビデオでテレビ画面を通して自分の意思を表明された。これも実は玉音放送と全く同じで、前日に収録されているんです。昭和天皇陛下の有名な玉音放送はレコード盤でしたよね。今回、今上陛下も前日にビデオで収録なされている。

 問題は、生前退位とは言っていますが、あれはどう考えても、次の天皇陛下は皇太子だという宣言なんです。体調が云々と言うのは事実なんですが、あれは建前で、秋篠宮ではなく、今の皇太子に皇位を譲るということを宣言したのです。そうしないと、宮内庁の中で妙な勢力争いがございまして、秋篠宮のほうがいいというような連中がいるんですよ。要するに、反雅子様側の官僚が自分たちに都合のいい天皇陛下を決めようとしていた。そういう圧力があった。でも、あれが出てからは、もう仕方がないと諦めた。

 問題は、あの収録をしていた時間帯に皇太子がどこにいたかと言うことです。実は熱田神宮にいたんです。調べてみてください。ちゃんと過去の日程表に書いてありますから。熱田神宮で何をしていたのか? 熱田神宮にあるのは草薙剣です。正確に言うと、熱田神宮本殿に向かって左の脇道の奥に小さな祠のようなものがある。これが本物の熱田神宮なんです。手前にある大きな本殿は権威を示すとともにカムフラージュです。

 例えば京都に行くと、船岡山に建勲神社と言う織田信長を祀る神社があります、あらゆるところにある織田信長に関係のある神社を、明治時代に1か所に集めるようにしたんです。あれは確かに祀っているものとしては立派なんですが、本物は左脇にある小さな祠なんです。なぜかというと、そこに織田信長の首が埋まっているからなんです。これは神社の裏記録にあります。埋めたのは羽柴秀吉です。ただ、建勲神社の碑には「しづはたを織田のみことはみかどべをはらいしづめていそしきおほおみ」として、彼ほど忠義な侍はいなかったと書いてある。実際、明治天皇は信長に「建勲」の神号を与え、京都の要に信長の神社を鎮座させています。

 なぜでしょうか? 明治天皇入れ替え説と言うものがあるんです。何で信長が毛利を攻めたか、詳しくわからないんです。毛利は後の長州のことです。そこに誰がいたのか? 後醍醐天皇の末裔でしょう。信長の時代の天下とは京都、大坂、奈良の範囲を指します。天下布武というのは、本来の天皇に戻すということなんです。だから大河ドラマは間違っている。本来の天皇に戻すということは、今の北朝は偽物だから、「お前たち、偽物じゃないか」と信長は足蹴にするんです。と言うことは、南北朝はあるんです。南朝、北朝は存在する。だから、南北朝の後、後醍醐天皇の後、北朝が成ったときに、四国の忌部、三木家の当主は、絶対に麁服(あらたえ)を納めなかった。偽物だからです。僕は三木家の当主とも会って話した。今上天皇陛下が、癌を患っておられるということも聞きました。「相当厳しいだろうと。なのに何度も福島に行かれている。勇気がありますよ」と言われた。それが生前退位への英断にも通じるわけです。

 京都の籠神社、有名な多次元同時存在の法則ですよね。あれを引きずり出したのは、私と三上丈晴ムー編集長です。あの後、籠神社はすごい大景気の状態で、僕らが最初行ったときと比べて、全然変わってしまいました。あの辺は今、大型観光バスがたくさん来て、凄い状態になっています。いずれ知られることですから申し上げますと、高齢の海部光彦宮司は体調を崩されています。私から見ると長女がすごく優秀です。だから本来なら女の宮司はご法度なのですが古代には卑弥呼の例もあり・・・実は大宰府には女の宮司が男の宮司に交じって1人います。息子はおとなしい性格なので、伊勢神宮の同調圧力には逆らえないと思います。側近の方から聞きました。「長女が一番優れている」。そういう状態で、今、奥宮の真名井神社をきれいに整備していますが、あれが終わった段階で、長女に行くか、息子に行くかが決まる。

 そういう話はさておき、本当の熱田神宮と言うのは左脇にある祠です。一之御前神社と言う名前がついています。そこからずっと奥がUの字型になっていて、ちょっと丘になっているんですね。杉の木がいっぱい茂っています。そこに熱田神宮の裏鳥居と言うのがあります。皆さんあまり裏には行かないでしょう。でもちゃんとあるんです。その裏鳥居の道を挟んだ反対側に、草薙剣を持ち出すときの出入り口があります。今は常時、鉄の扉で閉まっています。

日本と天皇家の機密(32)

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(32)草薙剣が蛇のように動き始めた! ルーズベルト大統領は呪い殺された?(飛鳥氏)

 昔、太平洋戦争中に1回だけ、草薙剣が外に出された事件がありました。ルーズベルト大統領を呪い殺せという大本営命令があった時に、当時の長谷外余男(はせとよお)宮司が出して呪詛の儀式を行ったことがありました。その時に大変なことが起こったんです。関係者がはっきり言っていますが、「あれは剣ではなかった。木でできた祭具だった」と。他にこんな記録もあります。剣が木箱の赤土の中に埋まっていて、そこから出して呪詛をかけたら、突然、蛇のように動き始めたと書いてあるから驚きです。西に向かって動き始めて、咆哮、声を出して物凄い有様になって、一人の禰宜がそれを押さえたら、ものの数分で焼け焦げてしまった。灰になったと伝えられています。あまりにも恐ろしいので、もう二度と大本営の言うことは聞かないことになりました。その後、ルーズベルトが死んだのです。(1945年4月12日)

 GHQが来たときに、熱田神宮側はその報復が来るんじゃないかということで、ご神体の草薙剣を移したんです。移した先の飛騨一宮の水無神社(岐阜県)で、8月21日に熱田神宮側が高山本線で運びました。それ以後、別に問題がなかったので9月19日に熱田神宮に戻りました。

 実は、この草薙剣は、今の皇太子が熱田神宮から伊勢の伊雑宮に移すことになります。これは預言があって決まっているんです。伊雑宮は小さな神社です。でも、あれが伊勢神宮の本宮なんです。あそこは磯部という場所です。だから、そこにある磯部神社というのが、籠神社→外宮→内宮の正位置にあり、伊雑宮は磯部神社から少しずれた位置にあります。磯が伊勢に変わったんです。外宮、内宮が対面していて、一直線じゃなくでちょっとずれている。オリオンの3つの星と配置が全く一緒なんです。草薙剣はそこへ移します。その移す役目を今の皇太子がやらねばいけない。なぜなら、ラストエンペラーなんですから。最後の天皇陛下なんです。次の天皇陛下で天皇制は終わります。大本が言っていることは正しいんです。

 なぜ終わるのか? 本物の天皇が天から降りてくるからです。それがアマテラスです。「陛下」というのは、そのアマテラスに従う、「階段の下で控える者」という意味です。正確に言うと、天皇陛下まで言わなければダメなんです。天皇というのは天の王ですから、絶対神です。それが天から降りてくる。アマテラスオオカミの本名はアマテルクニテルヒコという男神です。それが「古事記」「日本書紀」では、藤原不比等の策によって、女に変えられてしまった。だから皆様方、神社に行くと、鏡はこっち向きでしょう。神社は大体北向きですから、拝殿する人にとっては鏡はこっち向きですよね。右手を上げたら、鏡の中の自分は左手でしょう。これを鏡像反転といいます。左右つまり東西を入れかえろということなんです。東は男、西は女です。それを入れかえます。

 この国体を維持するのに必要なご神体、それを守るのが天皇陛下です。真の天皇が天から降りてくるまで、陛下として守らなければいけない。それが三種の神器なんです。これが今、内宮と下宮にある。だから皇居にはないんです。皇居にあるのはレプリカです。昔のお召し列車には必ず置いていた。本物は内宮、外宮そして今、熱田神宮にあります。問題は草薙剣は、実は壇ノ浦の戦い(1185年)のとき、平家が持ち出して、間違って海に落としてしまうんです。浜辺に流れ着いたものが今、熱田神宮にある。浮く刀ってないでしょう。ヤマトタケルが火を放たれた時に草を薙いだものが巻き付いている。

 実はユダヤにも三種の神器があるんです。モーセの兄のアロンという人が杖を持っていたら、それに一夜にしてアーモンドの葉と花が茂った。アーモンドというのは桜ですからね。イスラエルの人が日本に来て桜を見たら、アーモンドだと言います。アーモンドはバラ科だから桜と同じです。我々がアーモンドの花を見ても、桜と全く区別がつきません。桜だけが我々から見えるように花を下げてくれている。普通の木々の花は上向きなんです。桜だけが人から見て花が見えるようになっている唯一の植物です。要するに、葉と花が巻き付いた杖なんです。これがアロンの杖です。実際、熱田神宮はそれを持ち出したんです。7つほど節々が出ています。今、伊雑宮を直轄管理という言い方はいいかどうかわからないけど、あそこに行くと、戦後、昭和天皇を守るためにずっと剣を振り続けた小泉太志命という方がいらした。その人が設計したものが、内宮と下宮を結ぶ参道に一杯立っている。例の問題のある灯籠です。石灯籠が立っていて、六芒星がうがってあってどうのこうのという有名な話があるじゃないですか。僕が神武参剣道場の小泉太志命の奥さん(澄子さん)とお話をしたときに、「アマテラスはイエス・キリストです」という僕の言葉に彼女から反対の声はありませんでした。伊雑宮は物部系ですよ。だから秦氏系は何とか物部を抑えなければと思った。でも、もう抑える必要がなくなった。2013年に同時式年遷宮があり、それ以後も、2017年2月に大きな動きがあった。高円宮妃久子殿下の次女、典子王女殿下と出雲大社の権宮司、千家国麿氏の結婚は、正に天津神と国津神の和合を意味します。これからいろいろなものが解放されてきます。

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