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飛鳥昭雄氏による「日月神示」の霊感語訳(38)

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(38)天地開闢とノアの大洪水

(下つ巻・第24帖 泥の海と記した古事記が示すノアの大洪水)

 一が十に、一が百に、一が千に、一が万になる時期が近付いてきた。秋が終わると極寒の冬が訪れる。絶対神の言葉は一言一句変わることが無い。悔い改めとは悔いることではない。悔いる心と改心した行為で、清められた己自身を神に献上することである。人はすべてを神からの借り物で生きているではないか。この世は神が創造したもので一つとて例外は無く、人を創造したのも神である。その意味では、どんな偉い学者も英雄も支配者もすべてが裸で生まれ、死ぬときは何も持って行けない。その体でさえ、神が創り、命の息を体内に入れたのも神である。この世の草木も石ころも、全てが創造主の物で構成されていることに早く気づかねば手遅れになる。

(解釈資料)

 「日月神示」にある「一が十に、一が百に、一が千に、一が万になる」意味は、小さな出来事から大きな出来事になる拡大への示唆と、全てが「1」である一点に集約する収束の示唆である。唯一神の天照大神から八百万の神々が御魂分けされたことの秘密が明らかになった時、いよいよ神による岩戸開きが本格化するということである。ここで「天地開闢」について述べておく。

 アカデミズムは生命誕生の場所を「海」においているが、多細胞生物はアメーバーを含めて海では形成されない。最先端科学では、海から多細胞生物は誕生しないことが常識になっている。タンパク質が形成される場所が、浅瀬の泥と言うことになっている。日本の有明海のような「干潟」が最も適している。

「水が地下から湧き出て、土の面をすべて潤した。主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった」(「創世記」第2章6~7節)

 ノアの大洪水以前の陸地「超パンゲア」が形成される以前、浅い海を移動する陸塊が存在した。この陸塊は「超大陸ロディニア」が分裂したものとされ、泥に覆われていた。ノアの大洪水は、紀元前2344年の出来事で、今から約4500年前に起きた大カストロフィだった。

「ノアの生涯の第六百年、第二の月の17日、この日、大いなる深淵の源が悉く裂け、天の窓が開かれた。雨が40日40夜地上に降り続いたが、まさにこの日、ノアも、息子のセム、ハム、ヤフェト、ノアの妻、この3人の息子の嫁たちも、箱舟に入った」(「創世記」第7章11~13節)

地の深淵とは、地球内部の奥底から水が噴出したことを指し、超熱水がマントル層の亀裂から噴き出したことになる。月内部の超熱水は摂氏4000度以上と推測され、熱さ数キロの氷殻に封じ込められていたため、超高圧化でも沸騰できずにいた。それが月の地球への接近による「潮汐力」で一気に表層が破断し、そこから地球目がけてスプラッシュして第一撃を食らわせた後、第一撃以外の水は大小さまざまな氷となり地球を周回しながら40日かかって落ち続けた。その後、月の内核が月表面に流れ出し、最終的に破断した穴を塞いでしまうが、既に月の内核は、スプラッシュの段階で八つ裂きにされ、一部は月の反対側からも滲み出した。それが「月の海」と呼ばれる黒い地質(マグマオーシャン)である。内核は鉄などの重いレアメタルの塊で、その一部が水と一緒に地球目がけて落ちてきた。月の大接近と、それを誘発した灼熱天体による潮汐力を受けた地球は、火山活動が一気に活発化し、噴煙と共に大量の「イリジウム」を放出した。

 最近、海底資源調査の結果、希少金属である「レアメタル」や「レアアース」が海底に大量に蓄積していることが判明した。地の深淵の堰を切って出てきた超熱水に、膨大な量のレアメタルが含まれ、それが大陸放散を引き起こした太平洋の拡大でさらに拡大した。つまり、聖書学的に言えば、恐竜はノアの大洪水で溺れ死んだことになる。「記紀神話」ではこの時の様子を、「泥の海」と記している。泥の海の水位が徐々に引くに従い、泥光したクラゲの頭のような陸塊が次々と顔をのぞかせてくる。これが陸地を生み出す「国生み」の示唆である。その泥の海に沈んだ恐竜たちは、天文学的な量で沈殿する泥に閉じ込められ、脱酸素状態の中で一気に化石化していった。高圧状態でピーナッツバターから人工ダイヤモンドを造るのと同じ理屈である。超高圧は超高熱を生み出し、恐竜の骨などは鉱物による「置換」で、比較的短時間でカルシウムと置き換わって石化した。


飛鳥昭雄氏による「日月神示」の霊感語訳(39)

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(39)原発再稼働は狂気の沙汰

(下つ巻・第25帖 太平洋戦争とハルマゲドンの両義預言)

 「太平洋戦争」で日本は外国勢力から八つ裂きになるが、それは後になって大きな意味を持ってくる。さらに言えば、今回の大戦がさらなる悲劇の前兆であり、前哨戦だったことを知るだろう。動くことも死ぬこともできない究極の状況の中で、多くの人は神を呪い天に唾するようになる。そこで真の羊と、そうではない山羊とが分けられるのである。これは日本に入った原始キリスト教会であっても同じことで、多くの者にとって正念場となる。人間は、まだ戦える間は、傲慢なので、たとえ神の言葉であっても無視して聞き流せるが、そうではなくなった時、初めて己の無力さを知って神にすがろうとする。それは未曾有の天変地異か、凄まじい規模の人災になるからである。だからこそ、少しでも早く悔い改める必要があり、「日月神示」はそのために存在する。

(解釈資料)

 「日月神示」にある大きな戦争の箇所は、両義預言になっている。「太平洋戦争」と「ハルマゲドン」における日本の立場が巧みに重ねあわされている。太平洋戦争の末期の頃、軍部は一億総玉砕を唱え、本土決戦に女子供を巻き込む狂気の沙汰に走ったが、その結果、2発の原爆が投下され、日本人は地獄の苦しみを味わうことになった。今、自民党は「原発再稼働」を目指して突き進んでいるが、これも狂気の沙汰である。日本では、人命よりも社会秩序を優先するため、あらゆる隠蔽工作が許される。「2011・3・11」の後、「スピーディ」の情報を霞が関と官邸が隠蔽した結果、双葉町の避難者たちは風下に向かって非難を開始し、極めて強いホットスポットとなった飯館村ではほとんどが被爆した。

 1986年4月26日に発生した「チェルノブイリ事故」では、事故発生の3~4年後に染色体損傷による出生時の奇形が目立ち始め、児童にも癌が現れ始める。チェルノブイリでは「半径30キロ以内は永久居住禁止」「250~300キロ以内は立ち入り禁止」であった。東京の銀座は、福島第1原発から240キロ地点にあるため、ロシアでは立ち入り禁止地区になっていなければならない。事実、チェルノブイリ事故と福島第1原発事故は、同じ最悪の「レベル7」である。そうである以上、チェルノブイリで起きたことは、日本でも起きることは確実である。

 ストロンチウム90は、半減期18年と言う猛毒で、体内に入ると骨組織に蓄積され、排出されずに残ったストロンチウム90は、放射能を照射する為、確実に骨を癌化させる。特に幼児や子供には致命的で、数年たった現在、児童の骨癌と白血病の増加が懸念される。しかし、セシウムだけが除染などでニュースに取り上げられ、肝心のストロンチウムが取り上げられないのか?→社会が混乱するからだと言って重要なことは隠蔽していると思われる。→官僚が自分の地位を守るために人命を犠牲にしているのである。まるで戦前の「大本営」と同じ構造である。

 ドイツのメルケル首相は、それまでの原発推進を180度転換し、原発全廃に舵を切った。人命重視の判断だった。しかし、原子力村の一員であるマスコミは、この最重要データを報道する気はなく、社会パニックを起こしかねないとして隠蔽した。

 聖書には、核兵器や原発が原因で死に至る人類の記述と考えられる箇所が存在する。

「この人々は、その期間、死にたいと思っても死ねことができず、切に死を望んでも、死の方が逃げていく」(「ヨハネの黙示録」第9章6節)

まさに生きながら死んでいく有様を描いた描写に思えるが、放射能障害で最後まで生きている器官は能と心臓とされる。生きたまま体が急速に腐敗する自分を感じつつ死を迎える様子は、まさに地獄である。これと同じことが日本だけでなく世界中で起きることになるだろう。神が悪いのではない。気付いても何もしなかった人間が悪いのである。特に2度の原爆を経験しても、都心を放射能で広域汚染される原発事故を経験しても、原発再稼働を許す日本人の罪は非常に大きく、神から厳しい罰を受けるだろう。少なくても、知っていて何もしなかった「不作為の罪」で裁かれる。

飛鳥昭雄氏による「日月神示」の霊感語訳(40)

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(40)マリア信仰と12支族

(下つ巻・第26帖 至高の三角形に至る者)

 絶対神の国とは「日の輝き」を指し、それ以外の「月の輝き」と「星の輝き」もあり、無数の位階を形成する。日の輝きは、「富士山の形」である「三角形」の三神構造を示すが、同じ富士の暗示から「先小御岳」「小御岳」「古富士」のように「三位階」になっている。つまり、日の輝きも三位階になっている。

「天之日月神」は「天之益人」の事で、「天を治める存在」を示す。「大祓詞」にある「国中爾成出武天之益人等我過犯家牟雑雑罪事波→(くぬちになりいでむあめのますひとらがあやまちおかしけむくさぐさのつみごとは)」を窺えばわかる。「江戸の富士」とは、東京に建つ神殿を意味し、その神殿は三位三体を標榜する「宮」である。「仏=仏教」によるものだけが救われると思ってはならないし、「耶蘇=キリスト教」のみが救われると思ってはならず、「神道」を信じる者のみが救われると思っても間違いである。絶対神はそんな度量の狭い存在ではなく、救いに至る入口は様々でも、最終的には一本に束ねられている。絶対神はすべての神をまとめる存在で、世界の元なる神なので、大喧嘩の宗教戦争など愚の骨頂と知るべきである。

(解釈資料)

 世界中の国旗は、「日・月・星」に大別される。古来「日」は日本のみが使用した。戦後はバングラデシュなどが日の丸を真似ているが、神功皇后の時代の日の丸が日本最古のものとされている。「月」はイスラム圏の国が多く使用し、月と星の組み合わせが多い。「星」は共産圏の国々や独裁国家が使用するが、星で階級を示す軍に関わる国ほど星が使われる傾向にある。

 アメリカの星条旗は50もの星々で他国と明るさを競うように見え、EUの欧州旗も円環状に12個の金色の星で構成されている。一説では黙示録に出てくるマリアが率いる12の星を表すとされている。

「また、天に大きなしるしが現れた。一人の女が身に太陽をまとい、月を足の下にし、頭には12の星の冠をかぶっていた。女は身ごもっていたが、子を産む痛みと苦しみのため叫んでいた」(「ヨハネの黙示録」第12章1~2節)

 マリア信仰はバチカンの専売特許である。そのバチカンが存在するヨーロッパ連合の象徴が12の星と言うのはそれなりに意味があると思えるが、EU側はそれを否定している。この世の苦渋は女の出産の苦しみによって終焉し、生まれ出た子が次の時代を受け継ぐため、この出来事は第7の封印に収められている。福千年に関わると思われる。同時にマリアの出産の場にイスラエル12支族の長が立ち会っていた暗示にもなっている。女が「身に太陽をまとい」とあるのは、原始キリスト教会の教義がヒエラルキーの最高位「太陽の輝き」を持つことを暗示する。神界と直結する「至高の三角形」の事で、それは月の輝きの教会でも星の輝きの教会でもない。太陽の輝きの教会の意味である。

「月を足の下にし」とは「至高の三角形の下の「倫理的三角形」を従わせる意味で、そこは「月の輝き」の位階に属し、神仏を信じた他の様々な宗教の人々と善人を指している。彼らは、信仰する宗教や道徳において、生涯正しい行いをした人たちで、福千年の間に復活し、太陽の輝きに至る門をくぐる資格を有する。「12の星の冠」は、星なので「アストラル三角形」を構成する「星の輝き」の位階を指している。星が12個ある意味は、この世に交じって存在するイスラエル12支族を象徴し、イスラエルの集合に関わる冠の輪をかぶる教会を示唆する。バチカンが直訳したような、聖母マリアが冠をかぶるわけではない。

 日本では、昔から亡くなった人が無事に天の戻れるよう、神界を暗示する頭部に白い三角形の布を付けた。至高の世界の次は「倫理的三角形」である。その下は「アストラル三角形」となる。これら3段階を日本流で言うと「松竹梅」の三段階となる。オリンピックの「金銀銅」も、ユダヤ密教的には生命に樹と同じで、古代では最高位の者に月桂樹の冠を被せた。生命の樹の最も下にある10番目のセフィラ「マルクト」は、どの三角形の位階にも属さない番外になっている。つまりそこは地獄を表している。日本で使われる三行半は、聖書的には、神から絶たれることを意味する。それはハルマゲドンで世界を滅ぼす「獣」が支配する年数「42か月=3年半」からきている。

「この獣にはまた、大言と冒涜の言葉を吐く口が与えられ、42か月の間、活動する権威が与えられた」(「ヨハネの黙示録」第13章5節)

同時にイエス・キリストが磔刑にあったと同じゴルゴタの丘で、聖なる二人の預言者が磔刑にあう日数も暗示している。

「二人がその証を終えると、一匹の獣が、底なしの淵から上がってきて彼らと戦って勝ち、二人を殺してしまう。彼らの死体はソドムとかエジプトとか呼ばれる大きな都の大通りに取り残される。この二人の証人の主もその都で十字架につけられたのである。様々の民族、種族、言葉の違う民、国民に属する人々は三日半の間、彼らの死体を眺め、それを墓に葬ることは許さないであろう」(ヨハネの黙示録」第11章7~9節)

 「至高の三角形」の戒めは、①あなたには、私をおいて他に神があってはならない。②あなたはいかなる像も造ってはならない。③あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならないであり、全てが神と直接関わる戒めばかりである。

「倫理的三角形」の戒めは、④安息日に心を留め、これを聖別せよ。⑤あなたの父母を敬え。⑥殺してはならないとなり、すべてが倫理上の戒めとなる。

「アストラル三角形」の戒めは、⑦姦淫してはならない。⑧盗んではならない。⑨隣人に関して偽証してはならないとなり、この世の刑法に触れる戒めとなる。最後に「地獄に通じる戒め」として、⑩隣人の物を一切欲してはならないがある。なぜこれが滅びの戒めであるかと言うと、ルシフェルが天上界にいたとき天上界のエル・ランティーに嫉妬し、エル・ランティーが支配する世界を独り占めしようと暗躍し、自ら地獄に落ちる運命を招きよせたからである。

 最終的に、至高の三角形に至る者は、隠されたセフィラ「ダアト」をくぐらねばならない。ダアトは隠された11番目のセフィラの事である。人は「電光の通路」を上昇し、最後はダアトをくぐり抜け、聖霊を受ける道程を踏まねばならない。最終的にすべての宗教はここに終結し、イエス・キリストの名前以外に至高の三角形に入る道はない。

飛鳥昭雄氏による「日月神示」の霊感語訳(41)

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(41)諏訪湖の仕組みとか何か?

(下つ巻・第27帖 四隅にイウエオの言霊石を置いてくれよ)

 天照大神は「祓所」に現れる神である。祓所とは神域で聖所を意味し、神殿を暗示する。そこでは重要な儀式や神事が行われる。祓の意義は、神事の禊や斎戒の後に行われる極めて重要な浄化の儀式である。罪穢れの無い清浄な空間をつくり上げ、個人だけでなく、この世のあらゆる罪穢れを徹底的に祓い清めることにある。「明き浄き正しき直き」の姿勢こそ神道の根本思想とされる。この神は、富士山に象徴される「三位三体」の一柱の神で、渦に象徴される伊勢湾の三重の地に三柱の「伊勢神宮」が建ち揃い、東京にも「一宮・中山・奥山」に暗示される「三位階」の地に神殿が建設される。

 木花開耶姫命は天照大神の一族だが、富士山を象徴する女神ではない。不死山はイエス・キリストを象徴する「人類の初穂=復活」になるため、天照大神の山である。しかし、八百万の神々はすべて天照大神の御霊分けなので、「天照大神=木花開耶姫命」となる。一方、「甲斐の仕組み」とは、「諏訪大社」を指している。諏訪大社が4社で四方を示すユダヤの「メルカバー」になっている。また、諏訪大社の脇にある守屋山が、アブラハムとイサクの物語に登場するモリヤを示唆すると知るべきである。次に「石」だが、絶対神を祀るには真ん中に「石鎮」を置かねばならない。つまり、「要石」を神殿に必ずおく必要がある。ほかに、「神籬」を置くが、それは神の御霊が降りる磐座の事で元初三神の第2の高御産巣日神が、天児屋根命太玉命に「天津神籬と天津岩境を起こし樹てて、常にわが天孫のために斎い祭りなさい」と命じたとされる。

 神道の元初三神を、イエス・キリストが「父・子・聖霊」と明らかにした以上、神殿も三位三体である。「イウエオの言霊石」とは、神殿の四隅に置かれる「言霊=預言」の石で、「隅石」と呼ばれる。隅石は他の石を正確に据える基準で用いられ、建物を正確に立てるには不可欠で、隅石は建造物の部分と部分をつなぎ合わせる役目を果たしている。隅石をヘブル語では「要石」と使う場合があり、特に救世主に使われる場合が多い。

「それゆえ、主なる神はこういわれる。私は一つの石をシオンに据える。これは試みを経た石、堅く据えられた礎の、貴い隅の石だ。信ずる者は慌てることはない」(「イザヤ書」第28章16節)

 ここにある「隅の石」が要石であり、預言されたイエス・キリストの意味である。そこは現人神イエス・キリストの神殿で、「旧約聖書」を象徴する「鳥居」も「注連縄」も無い。鳥居や注連縄は旧約時代の名残であり、イエス・キリストの神殿には必要ない。四隅の数字は聖数「7」の4倍の「7・7・7・7」で「28」になるので、「2+8=10→1」となり、高御産巣日神のイエス・キリストとなる。

 「天之日月神(天之益人)」の家とは、神殿の事である。岡本天明が住む「江戸の奥山」には秋立つ「八日」に、「中山」には「九日」、一宮には「十日」に祀ってほしい。この意味は「日月神示」を解き明かせないと分からない。しかし、それでは絶対神の御用は務まらない。正直だけでは神の啓示を受けることはできない。

(解釈資料)

「八日」「九日」「十日」は合計すると、「27」となり、「2+7=9」で数字上の最大数になる。つまり、己の最大の敬意と畏敬の念で絶対神を崇拝せよという意味である。「甲斐の仕組み」を検証すると、「諏訪湖の仕組み」を指していることが読み取れる。諏訪湖はフォッサマグナのど真ん中に位置する湖で、その周囲に4社の「諏訪大社」があり、それぞれの社の4隅に御柱が打ち込まれている。

これは将来、日本列島が天変地異で再び動き始める際、真っ先に諏訪湖の水が抜けることが推測される。東日本の陸塊が離れるからである。

 

飛鳥昭雄氏による「日月神示」の霊感語訳(42)

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(42)ホピ族の原爆預言

(下つ巻・第28帖 仮名とは神名のこと、永遠を示す)

 日本人がいまだに経験していない驚天動地の出来事を天照大神(イエス・キリスト)が起こされる。多くの日本人にとっては寝耳に水の出来事だが、そのため多くの者が手遅れになる。戦争を起こす程度なら、どんな邪神(悪魔や悪霊)でもできるが、この神は磔刑の頃の体が変じた不死不滅の肉体を有している為、どんなことでもやってのける力がある。「日月神示」を外見だけにて、「カナ文字だらけの稚拙な文だ」と小馬鹿にする者が出てくるだろうが、その文章に結局は頭を下げることになる。「カナ」とは「神名」の事で、その名は無限無窮の廃れることのない「永遠」と言う意味である。

 今の日本人の多くは、人間が世の中を動かしていると思っているだろうが、神の存在が無ければ、何を成すこともできない。女子供に竹槍を持たせ、老人まで駆り出す戦争を引き起こした張本人は、参政権の無い天皇陛下を担ぎ出し、その名を借りて「太平洋戦争」を引き起こした。虎の威を借りる狐が国民を誘導し、一億総玉砕を叫ぶ所業を神は許しておかれない。神は未だに人類が体験したことのない壊滅を日本に起こされるだろう。その事実を戦時下の日本人に伝えても無駄である。その者は非国民扱いされるのが関の山で、狂気に走って言うことを聞かないからである。魂も体も現実が見えなくなっている日本人に、神は大きな一撃を与えるので、その後は早く気づいて改心してほしい。

(解釈資料)

 ホピ族は、アメリカ南西部のフォーコーナーズ付近に居留地を持つ部族で、ブラック・メサと言う岩の高台に居住し、絶対神マサウから世界が終わるまでここに住み、預言の石板を守るよう命じられたという。ホピ族の預言は「太平洋戦争」で原爆が使用されたことを機に初めて世の中に登場した。つまり、全世界が物質主義と利己主義によって崩壊する事態を黙って見ていられなくなったからである。

「灰の詰まった瓢箪が空から落とされる。その時、海は沸騰し、陸は焦土と化す。長い間そこに生命は育たない」

 1945年8月6日、広島にウラン型原子爆弾「リトルボーイ」が落とされ、8月9日には長崎にプルトニウム型原子爆弾「ファットマン」が落とされた為、ホピの預言はの内容は核兵器の預言だった。この預言の恐ろしい点は、アメリカ最初のウラン鉱が、ホピ族の土地で発見されたことである。

 一方、日本は戦前から戦後にかけて、シビリアン・コントロールを失い、軍が暴走し、太平洋戦争へ突入した。沖縄では中学生から女学生まで臨時兵や従軍看護婦として動員され、中にはスパイ容疑で銃殺されたり、口封じ目的で集団自決にまで追い込まれた者もいた。当時の沖縄は人口約42万中12万人以上が命を失った。それでも飽き足らない大本営は、一億総玉砕を掲げ、「神風が吹く」と国民を煽り、女子供に竹槍を持たせて、最後の一人まで戦わせようとした。

 シベリアに抑留された約60万人のうち、強制労働、栄養失調、病死、凍死などにより、確認済みだけで死者5万4000人、行方不明・推定死亡者9万3000人、事実上約34万人の日本人が死亡した。それだけではない。全国の都市や町の多くが焦土と化した。当時の日本が何故暴走したのかについて、一つの原因は明治憲法で定めれらた「軍部大臣現役武官制」だったとされる。もう一つの原因が「統帥権」とされる。結果、統帥権の執行機関として大本営が登場する。大本営は軍の背広組とされた官僚達で構成されていた。大本営は対米戦争を勝手に決断し、大本営の戦略を聞こうとする東条に対して、大本営は「統帥権千犯」の大罪を盾に拒絶し続けた。他方、満州を制覇した陸軍は、その勢いを駆って国会に無断で南下し、南京を手中にする。結果として、東アジアに権益を持つ欧米は、日本に対して「ABCD包囲陣」を強くことになる。アメリカは屑鉄と鉄鋼の対日輸出を禁止し、イギリスは対日資産を凍結し日英通商航海条約を破棄し、オランダは石油輸出を止めた。結果として、日本は軍と共に戦争遂行で打破するしか手がなくなった。マスコミは、大本営発表を垂れ流すだけであった。「挙国一致」「尽忠報国」を煽り、戦争賛美の報道を繰り返した。その結果、大勢の日本人が「鬼畜米英」と叫びながら戦場へと駆り立てられた。

 喧嘩の経験が無い子供は、殴られたときの痛みも分からない、実際、官僚の多くは点取り虫の頭でっかちである。こういう連中は自己保身には積極的である。温室育ちの現場を知らないエリート層が、いったん調子に乗ると、とんでもない大失策をやってのける。霞が関官僚は、公務員特権で守られている。そのため、責任を取らなくていいので、官僚は平然と嘘を吐く。マスコミは大本営となれ合いで、特に新聞は戦争記事を載せれば販売部数が伸びるため、大本営との癒着を強めていった。嘘の上塗りを繰り返して後戻りが出来なくなった官僚主義は、2発の原爆を落とされる事態を招く。それを打ち砕いたのが、政治に関与しない筈の昭和天皇による「玉音放送」だった。結局、官僚主義者の尻拭いを陛下が行うことになったのである。

飛鳥昭雄氏による「日月神示」の霊感語訳(43)

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(43)日本の弱点、同調圧力

(下つ巻・第31帖 私することならんぞ、官僚主義への警告)

 絶対神への畏敬の念と捧げものは、断じて私物化してはならない。権威も権能も人が悪用してはならない。捧げものを持って富士で暗示される三位三体の教会堂を建てたり、困っているメンバーや人々を助けたりして、正しい目的で使わねばならない。そうすれば神も喜び、世界も喜んで光に包まれる。そうすれば富士の象徴である三柱の神も喜ぶことになる。神の道はこのような仕組みを持って広めてほしい。政治家も経営者も例外ではなく、神の仕組みを参考にすべきである。逆は許されない。

(解釈資料)

 神の組織では、イエス・キリストのように、人への愛と救援を優先順位の第1にせねばならない。しかし、日本の官僚主義に汚染されると、そこに律法中心の官僚主義集団「サンヒドリン」が頭をもたげてくる。サンヒドリンとは、イエス・キリストと対抗した宗教官僚の管理組織で、律法を憲法のように掲げ、彼らの許認可権を無視したイエス・キリストを磔刑の場へと送った。彼らは今でいう「マニュアル」「手引き」を訳も分からずに信じ、マニュアル以外を行うことを是としないネットワークを作り上げる。その官僚主義が日本に入って来た神の組織を汚染した場合、悲惨なことになる。神の組織が日本では全く発展しなくなるからである。岡本天明が懸念する、神の組織を汚染する日本の官僚主義への警告が「日月神示」の各所にちりばめられているのは、よほど重大な問題なのである。

 官僚主義者は決められたこと以外を行わないことを常とする。そのために掲げるのがマニュアルや手引きと言う「憲法」で、マニュアル以外の事は基本的に行わない。しかし、マニュアルは憲法ではなく、所詮マニュアルに過ぎないが、マニュアルを許認可権に応用することで、官僚主義に支配力を持たせる。そのために使われるのが「同調圧力」である。官僚はその力で地方の末端組織にまで拡大させた。同調圧力とは、特定の組織やグループの意思決定の際、少数意見者に対して、暗黙の圧力をかけながら多数意見に合わせることを強制する力を言う。多数決ではなく、全会一致を求める組織に発生しやすく、官僚主義の人間が上に立った場合は大問題になる。

 官僚主義が同調圧力と一体化すると手におえない。少数意見を持つ者に対して、強制的に態度を変えることを要望してくるからである。時には物理的に危害を加える旨を通告する強制もあるが、日本の場合は、多数意見に逆らうことに「恥」の意識を持たせるよう誘導してくる。陰湿な場合、少数意見者に「ネガティブ・キャンペーン」を行い、「怪文書」を配布したりして組織内で風評被害を拡大させようとする。最悪はスキャンダルを捏造することで、リークも平気で行うようになるとその組織は末期症状である。

 集団の「威圧感」で圧力をかけ、殿様や城主に逆らえないように仕向けてくるのである。同調圧力をかける行為は、多くの個性の否定であり、絶対神への反逆になる。同調圧力の手口の多くは「苛め」に発展する。苛めは犯罪で、学校でも警察が介入し、人権侵害として訴訟される。しかし、同調圧力になれた官僚主義者は、法律違反に気付かないほど慢心している。日本人のように大人しい民族は官僚主義に支配されやすく、神の組織といえ人間が組織を預かる以上は例外ではない。日本の官僚主義者は虎の威を借りる狐のように権威を利用する。さらに同調圧力の厄介なところは、それをかける側が、自分たちが正しい行為をしていると思い込んでいることである。官僚主義が極まると、偏狭な思考に陥りやすく、大きな間違いを仕出かしても組織内で隠蔽する。

 官僚主義者の目の上の瘤は、個人主義者である。欧米では組織や人間の不正を通報する内部告発がシステム化しているが、自主規制や自粛が当然の国民性の日本では、官僚主義=同調圧力が絶対主義を作り出している。「空気が読めない」「KY」も、個人主義に対抗する集団による同調圧力の一種で、日本では皆と同じでないと、おかしいと思わせる手段に用いられる。学校では「仲間外れ」「苛め」につながり問題化するが、大人の社会でも同じ構図がみられる。「日月神示」は戦中からそのことを預言(警告)していた。

 サンヒドリンも同様で、イエス・キリストからタルムードやユダヤ教を守ろうと必死だった。ただし、信仰の根本と、その手段を完全に間違えていた。磔刑の断末魔の中、イエス・キリストはこう言って彼らを擁護したのである。

「その時、イエスは言われた。父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」(「ルカによる福音書」第23章34節)

 日本の神の組織でも官僚主義が支配力を持つならば、彼らはやがて霧散するだろう。そのことが「岩戸開き」であり、大きな引き金(トリガー)となって、日本人を神が求める方向へ大変革する。

飛鳥昭雄氏による「日月神示」の霊感語訳(44)

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(44)獣の数字666

(下つ巻・第34帖 日月神示の数秘は密にして怪)

 神の組織に加わる者は、すぐに神の世が来ることを願っているが、そうなるまでには時が必要である。神の時を人がとやかく言って早めることはできないし、すべきことではない。日本の神の組織の人々も千差万別で、官僚主義で無い指導者はわずかしかいないため、官僚主義の支配が長く続くことになる。彼等は官僚主義一辺倒で目が曇って真に役に立たない。正しい神の組織でも内部に官僚主義が蔓延すると、それだけで日本の発展が削がれてしまう。これでは悪魔や悪霊が喜ぶだけで、悪い世が堂々と続く事になる。「胸突き八丁」とは霊峰富士の頂上まで8丁(約872メートル)付近にある急斜面の道を言い、物事を成し遂げるうえで一番苦しい正念場を指している。そこは息をするのも苦しくなる高さで、これからが生命の樹の頂上に至る最も苦しい正味になっている。

「一、二、三年」が正念場とは、一二三の「三位三体」の神の組織の正念場と言う意味で、神の世が三四五の「御世は何時」で、そこを乗り切れば(出づ=入づ」の時となり、神の仕組みが成立する。「初め=終わり」の神が降臨するからである。

(解釈資料)

 「一、二、三年」の正念場が両義預言になっている。イエス・キリストが磔刑にされた後、氏から復活するまでの日数が3日だった。つまり、「日月神示」の預言する3日は、天照大神にとっての正念場だったことになる。将来、イエス・キリストを磔刑にしたサンヒドリンと同じ暴挙をしでかすのが、「獣」と言う「世界統一政府」の独裁者である。聖書では獣が世界を支配する期間を3年半と記している。それを乗り越えれば神の世が到来する。

「日ごとに供え物が廃止され、憎むべき荒廃をもたらすものが立てられてから、1290日が定められている。待ち望んで1335日に至る者は誠に幸いである」(「ダニエル書」第12章11~12節)

「神殿の外の庭はそのままにしておけ。測ってはいけない。そこは異邦人に与えられたからである。彼らは42か月の間、この聖なる都を踏みにじるであろう。わたしは、自分の二人の証人に粗布をまとわせ、1260日の間、預言させよう」(「ヨハネの黙示録」第11章2~3節)

 42か月は3年6か月で、1260日も約3年半であり、この世がそれで終わると示唆している。これが神の世界までの正念場となるが、「日月神示」の3年と比べて、「半」が不足するが、数秘術を使えば不足している「半」が仕組まれていることが分かる。

「ヨハネの黙示録」はイエス・キリストの12使徒の一人、ヨハネが記した預言書である。ヨハネは雷の子と呼ばれ、「ヨハネの福音書」を記した人物である。

 「666」について、解き明かしてみる。

「ここに知恵が必要である。賢い人は、獣の数字にどのような意味があるかを考えるがよい。数字は人間を指している。そして数字は666である」(「ヨハネの黙示録」第13章18節)

 666の解釈について、ヨハネは智慧が必要であるとしている。知恵は造物主の知恵を指す。ヨハネが言う神から授かる知恵とは「授かる」意味を持つカッバーラである。黙示録には「数字は人間を指す」とあるので666は人を指す。

「小さな者にも大きな者にも、富める者にも貧しい者にも、自由な身分の者にも奴隷にも、すべての者にその右手か額に刻印を押させた。そこで、この刻印のある者でなければ、物を買うことも、売ることもできないようになった。この刻印とはあの獣の名、あるいはその名の数字である」(ヨハネの黙示録」第13章16~17節)

 刻印とは666の数字の事である。666に関わる人間は反キリストと言える。そこで6のゲマトリアをカッバーラで解き明かすと、6は基本的に「人」を表す数字であり、それに対して6に1を足した「7」は神の数字となる。7は完全を意味し、「聖数」として神を暗示する。6は不完全なこの世と死を意味する。6は囲まれた世界から脱出できない。つまり、人は死から免れない世界に閉じ込められているのである。

飛鳥昭雄氏による「日月神示」の霊感語訳(45)

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(45)岩戸隠れとキリストの磔刑

(下つ巻・第35帖 宇豆女はウズの女=イエスの女)

 この世は人と神の持ちつ持たれつの関係で成っている。正しい人々が喜べば神も喜ばれる。黄金は魅力的だが、人の心を惑わせるためにロクなことが無い。結果、拝金主義は世界を滅亡に追いやる元凶になる。大自然の草木や動物までが喜ぶやり方が、光である神のやり方である。そうすれば人々は健康になり、寿命も延びるだろう。神の世が訪れれば、「天子様」は永遠に生きて崩御されることはない。その体のまま神界に入られ、戻ってこられるときは、神の体を得ておられる。人々もそうなるには、今の有様ではダメである。彼らはすべての責任を天子様お一人に押し付けている。そういう人々は不忠を絵にかいたような者達である。それでも天子様は彼らを顧みられ、それぞれの位を授けてくださる。だから少しでも早く悔い改めて欲しい。そして神の臣民になって欲しい。

(解釈資料)

「天子」は2つの意味を持つ両義預言である。1つは、「天子」とは「天の父なる子」の意味で救世主(メシア)を指している。つまり、イエス・キリストの事である。2つは、「天皇陛下」を指している。最後の登場する最後の天皇陛下は特別な召しを持っている。そのため、「預言者エリヤ」のように生きたまま天に取り上げられ、復活体としてイエス・キリストと共に降臨する可能性がある。あるいは、平安京でイエス・キリストを出迎えるかである。

「彼らが話しながら歩き続けていると、見よ、火の戦車が火の馬に引かれて現れ、二人の間を分けた。エリヤは嵐の中を天に上って行った」(「列王記 下」第2章11節)

 天照大神の「岩戸隠れ」は、イエス・キリストの磔刑と復活を描いた神話である。イエス・キリストを罠にかけたのは、ユダ族出身のユダである。一番弟子だったペテロは、イエスの身が心配になり、大祭司の屋敷の中庭にいたが、女中にイエスの弟子と指摘され、そんな男は知らないと3度も否定した。その時、鶏が鳴き、イエスがペテロに預言した鶏が鳴く前に3度私を知らないという預言が現実になる。イエス・キリストは、ローマのピラト総督の前でユダヤの民衆によって罵倒され、彼らから死刑を宣告される。その後、イエスは官邸に戻され、ローマ兵の侮辱を受けながら、頭に茨の冠を被せられる。そして、自分のための十字架を背負い、民衆の罵声を浴びながら、エルサレムからゴルゴタの丘に至り、木に掛けられたのである。母マリアと弟子のヨハネに見取られながら、イエスは息を引き取るが、その直後、エルサレム周辺は暗黒に包まれ、凄まじい大地震が発生する。夕方になって落ち着いた頃、弟子たちがイエスの遺体を麻布に包み、番兵の目の前で横穴の岩墓に収め、岩の蓋をして封印した。その3日後、マグダラのマリアと母マリアが、香料を塗りにイエス・キリストの墓に行ってみると、既に重い岩の蓋は開いており、そこに2人の天使が座っていて、イエス・キリストが復活したと告げたのである。そこに復活したイエス・キリストの姿があり、最初にマグダラのマリアに話しかけた。その直後、イスラエルの墓から大勢の死人が復活し、エルサレムに溢れることになる。

 イス・キリストが死んだ瞬間、エルサレムは暗黒に閉ざされ、人々は不安に駆られて騒ぎ立てた。これが天照大神の岩戸隠れに伴う暗黒である。

「一緒に十字架につけらた強盗達も、同じようにイエスを罵った。さて、昼の12時に全地は暗くなり、それが3時まで続いた。」(「マタイによる福音書」第27章44~45節)

 番兵が岩で蓋をし、封印の印が貼られたが、3日目にマグダラのマリアと母マリアは、イエス・キリストの遺体に香料を塗るため墓にやって来たところ、封印された石の蓋が2人の天使によって開けられていた。

 イエス・キリストは復活の「最初の初穂」であり、その後、エルサレム近郊にあった墓から、多くの善良だった人々が出てきた。

「墓が開いて、眠りについていた多くの聖なる者達の体が生き返った。そして、イエスの復活の後、墓から出て来て、聖なる都に入り、多くの人々に現れた」(「マタイによる福音書」第27章52~53節)

これが「記紀」ではワラワラと死霊が地面から出てきた記述になっている。

 マグダラのマリアハ悔い改める前は、娼婦だったという。だから「宇豆女」は裸で踊る性描写となっている。一方、マグダラのマリアはイエスの妻だった説もある。そうなら、「ウズの女」は「イエスの女」の意味になる。

 メシアの生誕が12月24日ではなかった事は、多くの研究から判明している。そもそも12月に羊を放牧することは行われない。羊飼いが外で番をするのは4月になってからである。つまり、イエス・キリストの誕生日は春の4月頃となる。天照大神の復活日は神武天皇を通して4月5日と判明する。実は、イスラエルでは太陽が沈むと、その時点で翌日になるため、紅星が導いた聖夜はユダヤ暦の4月6日となる。4月6日が聖夜であれば、羊飼いの放牧とも一致する。さらに「古事記」では、天照大神が地上に高天原からニニギ命を降臨させるとき、天孫降臨の寸前、猿田彦の存在が記されている。これがイス・キリスト降臨の前に現れた紅星(ベツレヘムの星)の記述と一致する。猿の顔は赤く紅の暗示にもなっている。全ての神々が天照大神の御霊分けとなるため、「天孫降臨」の真意は、ヤハウェが現人神になった降臨、つまり生誕となるのである。よって、イエス・キリストの誕生日は4月6日であろう。


飛鳥昭雄氏による「日月神示」の霊感語訳(46)

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(46)「666」から「777」の世界へ

(下つ巻・第36帖 戦いぐらい何でも無く終わるぞ)

 国や組織の支配者は、神を忘れた段階から、破滅が始まると覚悟せよ。九部通り上々でも最後の段階で全てが引っ繰り返って元の木阿弥になる。神は全能でも人は不完全である。回復された神の組織(原始キリスト教会)も、それを構成する日本人に官僚主義者が多くいては迷惑である。最初は辛いだろうが、改革が進んでマシになり、神との距離も近づくので、大きな慰めを受けて楽になってくれ。だから「国=神の世」のために精を出してほしい。官僚主義者のやり方では、神の組織は劇的に日本中に拡大せず、約束の神の国も永久にやって来ない。そうなる責任は、杓子定規で後ろ向きの官僚主義にあることに早く気付かないと、恐ろしい事態を招くことになる。

(解釈資料)

 インディオはセム系のモンゴロイドであり、「失われたイスラエル10支族」である。イエス・キリストはセム系イスラエルに遣わされた神(メシア)で、「別の囲い」を訪れる使命があった。

「私には、この囲いに入っていない他の羊もいる。その羊をも導かねばならない」(「ヨハネによる福音書」第10章16節)

 古代アメリカでもっとも知られた神は、「ケツァルコアトル」である。長い髪と顎鬚を持つ発光する男神で、人々の前に現れ、愛と戒めを伝え、トウモロコシを伝えた穀物神としても崇められている。別名は、中南米の「ククルカン」やハワイの「ロノ」も同神である。

 イエス・キリストもケツァルコアトルも「自分はもう一度戻ってくる」と言い残している。アイヌのオキクルミカムイも人々に教えを残した後、「もう一度戻ってくる」と言い残して天に帰っている。マヤやアステカの人々が「失われたイスラエル10支族」であれば、イエス・キリストは必ずやってきて、段階状のピラミッドの神殿に降臨したはずである。同じことを日本で行えば、神の組織の奇跡的な拡大になり、中国を含むアジア全域どころか、ロシアにも拡大して霊的集合を促すことが可能となる。ところが、官僚主義はマニュアル以外を排斥するので、日本の神の組織は発展することができない。

 天皇陛下は天照大神の儀式を行う天孫族の長であり、神示を行う以上は「レビ族」の末裔である。預言者の使者が日本の官僚主義者の頭を飛び越え、明治神宮に参拝する理由は一つしかない。幕末期に偽の北朝系と正当な南朝系が入れ替わり、その時の明治天皇の末裔が今の天皇家だからである。

 一方、バチカンも同じことを別の方法で進めようとしている。「ワンワールド運動」である。平和の名の下に世界中の宗教をバチカンに束ねようとしているのである。これを「この世的集合」と言う。最終的に「ハルマゲドン」とは、神と悪魔の戦いだが、霊的集合の戦いともいえる。ハルマゲドンは1度だけではない。それは「6」に支配されたこの世だけのことである。この世は「3×3」の升で仕切られた「三方陣」だが、「294」「753」「618」が並んで縦横斜めの何処を足しても「15」となり、「1+5」で「6」が支配する世界観を示している。三方陣の縦軸は向かって左から、「峻厳の柱」、「均衡の柱」、「慈悲の柱」の三本柱の「三体」を示し、横軸は三位階の「三位」を示し、両方合わせて「三位三体」となる。これは生命の樹の「至高世界」「中高世界」「下層世界」と対応しいずれも人型の「アダムカドモン」となる。上位から「復活体」「肉体」「霊体」の順に並び、人は下から生命の樹を上昇する。霊体とは過去の姿である「前世」の状態、肉体はこの世の「現世」の状態、そして復活体は「来世」である未来を指している。

 人は肉体をもって生まれてくる前には霊の姿だった。例としての人間を「聖書」は「天使」と呼んでいる。肉体を持たないルシフェルのもとの姿は熾天使で、そのルシフェルに従った天使たちを「堕天使」と言うのである。

「さて、天で戦いが起こった。ミカエルとその使い達が、竜に戦いを挑んだのである。竜とその使い達も応戦したが、勝てなかった。そして、もはや天には彼らの居場所がなくなった。この巨大な竜、年を経た蛇、悪魔とかサタンとか呼ばれるもの、全人類を惑わす者は、投げ落とされた。地上に投げ落とされたのである。その使い達ももろともに投げ落とされた」(「ヨハネの黙示録」第12章7~9節)

 これを「天上の戦い」と言い、人がこの世に生まれる前、天界で霊の状態で行われた善と悪の大戦争の事である。ルシフェルとそれに従った霊たちは、大天使長ミカエルと一緒に神の側についた霊に敗北し、そのまま地上に投げ落とされてしまう。この時の天界の最終戦争を、「霊体のハルマゲドン」と言う。サタンや悪霊たちはアダム以降、骨肉の身体を得るため地上に生まれてくる人間を惑わし、あらゆる悪行を行わせて地獄へ連れて行こうと画策する。その極まった状態が、「肉体のハルマゲドン」と言う。

「汚れた霊どもは、ヘブライ語で「ハルマゲドン」と呼ばれるところに、王たちを集めた」(「ヨハネの黙示録」第16章16節)

 こうして「666」によってこの世は滅亡するが、それは666を象徴とした世界が崩壊する意味で、翌朝には「777」の世界が訪れる。その世界を「福千年」と言う。「新約聖書」にはその前にイエス・キリストの再降臨があると預言する。

「見よ、その方が雲に乗ってこられる。全ての人の目が彼を仰ぎ見る。ことに、彼を突き刺した者どもは。」(「ヨハネの黙示録」第1章7節)

その時、正しい人の順で「復活」が起き、位階の違いはあってもすべての人に不死の体が与えられる。福千年は復活体の時代で、それが終わると、サタンについた悪人と、イエス・キリストについた善人との最終戦争「復活体のハルマゲドン」が勃発する。絶対神による(最後の審判)はその決着がついてからの事である。

飛鳥昭雄氏による「日月神示」の霊感語訳(47)

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(47)キリストに召された岡本天明

(下つ巻・第37帖 「天のひつくの民」とは)

 神の世が訪れたら、大地も大気も光を発し、草木全ても光を放つ世界になる。石や岩さえも歌うかのようになり、天も風も、復活した不死不滅の人々の上に、神の恵みのような状態になる。今の世の人々は、自然をいたずらに操作してわがまま放題しているが、そのうちに強烈なしっぺ返しが待っている。神の組織に属する日本人の官僚主義者たちは、悪人ではないし偽善者でもないが、人々が神の下に集まる道を塞ぐ行為を結果的に行うことになる。マニュアルである律法しか信じないため、マニュアル以外の物事や提案を律法学者のように全て否定するからである。結果、現実に対応できず、応用が働かないため人は何もできなくなる。最終的に神の力が組織全体に働かず、神の力が国内で発揮できずに停滞してしまうのだ。彼らはそれに気づかないし、気づこうともしない。自分たちの官僚主義が神の組織を守っていると信じて疑わないからだ。しかし、預言者の周囲は官僚主義を承認していない。官僚主義は基本的に後ろ向きで、マニュアル以外の物事をすべて否定する立場を貫く。官僚主義が目指すのは許認可権の確立しかなく、一度許認可権を確立させると、マニュアルの範囲内の事しか行わなくなる。結果として決まりごとの繰り返ししかできなくなり、繰り返しを最も得意とするようになる。

 自分たちが確立したマニュアル重視に影響を与えかねない変化を最も嫌い、異端として排斥しようとするが、それはイエス・キリストを律法違反として排斥した律法学者やサンヒドリンと全く同じ行為である。神の「容れもの」である「器」を持つ人々が必要で、神はそういう準備された人々を集めようとなさる。「天のひつくの民」に属する人々は、官僚主義により力を発揮できない有様になっているが、試練に耐えてこその信仰である。神はすべてを記録されているので、いつか必ず努力に答えてくださる。永遠の尺度で神は導かれるので、試練は何時の世でも付きものと考えてほしい。神の組織の人々は日本人の官僚主義によって空回りし、同じところを堂々めぐりして発展できない有様だが、その内に上下が逆転する時が来る。それが起きて、初めて日本と言う国でも同じことが起き、世界でも起きて、神の世がやって来る。神の組織で、官僚主義から悔い改めた者の順に神は赦すことになるが、官僚主義者の悔い改めは難しいだろう。

(解釈資料)

 「天のひつくの民」とは、「天日津久の民」と書き、岡本天明に「日月神示」が降ろされた「天日津久神社」の神を指している。1944年6月10日に「麻賀多神社」の敷地内にある「天日津久神社」で、天明は不思議な体験をし、その神に捕らわれることになる。すべては天照大神の御霊分けあり、岡本天明は天照大神であるイエス・キリストに召されたことになる。その日、天明は誰もいない社務所で休んでいたところ、突然右腕が膨張して激痛が走った。審神者であったが画家でもあった天明は、筆と画仙紙を持っていた。そこで試に筆を画仙紙にあてたところ、勝手に右手が動きだし、文字か記号のようなものを次々と書きだしたという。これが「日月神示」で、昭和を代表する天啓の書が生まれた。天明はその後16年間にわたり、神託を受け続け、書記を終了した2年後、65歳でこの世を去った。

 この預言書の最大の要は、「神一厘の仕組み」である。世の中の九分九厘が悪神の天下になった時、最後の一厘で神の大業が発動され、大どんでん返しが起こり、世の立て直しが始まるというものである。その立て直しは、最初は日本の神の組織から始まり、日本で起きて、世界に拡大するという。天皇家も例外ではなく、天照大神(イエス・キリスト)から最後の天皇陛下に下る召しは、レビ族直系の者として驚天動地の内容になる。それを妨害する官僚主義者は、悔い改めないと駆逐される。日本から世界に打って出る神の仕組みが、岩戸開きを通して一気に動き出すからである。

 「生命の樹」は人に命を与えるが、「死の樹」は命を奪う。生命の樹は救世主の象徴であり、死の樹はサタンの象徴である。知識を得た人間は、その知識で殺し合いを初め、最終的には「大量殺戮兵器」で全人類を滅ぼしてしまう。サタンは蛇になって知識を得る死の樹に巻き付き、エバをだまして禁断の実をアダムにも食べさせた。

 生命の樹に巻きつく蛇は救世主の象徴であるため、人々に救いをもたらす。日本では白蛇で象徴される。

「主はモーセに言われた。あなたは炎の蛇を造り、旗竿の先に掲げよ。蛇にかまれた者がそれを見上げれば、命を得る。モーセは青銅で一つの蛇を造り、旗竿の先に掲げた」(「民数記」第21章8~9節)

 イエス・キリストは、人類史上初めて、神界の構造を言葉によって明らかにした現人神(メシア)である。それゆえ、唯一神信仰だったユダヤ人によって磔刑にされた。生命の樹のセフィロトで、ダアトとマルクトを除く9つが3次魔方陣と対応している。なぜ、2つのセフィロトが除外されるかと言うと、ダアトは10個の中に加えられていない。ダアトはこの世を越えた来世への入り口となり、マルクトは、死であり地獄である。いずれもこの世ではない世界へ行くからである。

 「モーセの十戒」も生命の樹の10個のセフィロトと対応する。その中で最も低い戒めがサタンと関わっている。天地創造の前、サタンがルシフェルと呼ばれた頃、この10番目の戒めをサタンは破った。天の父の世界を奪おうとしたからである。それゆえ、マルクトは、サタンが支配する地獄と直結する戒めで、最下層より下のセフィロトである。

 カッバーラではダアトは「洗礼」を意味し、原始キリスト教徒の洗礼は水中に前身の横たえて沈めた。これは墓に横たえる死を意味し、水中から上がる行為は新たな誕生「復活」を意味した。これが神界に至る悔い改めに必要な儀式である。三柱の生命の樹と三方陣を重ねると、三本柱=絶対三神の構造に沿って、縦3列になる。これは魔方陣なので合計数「15」で、一桁換算で「6」となる。これにダアトの「1」を加えると、「7」になる。ダアトから伸びるパスが三本柱とつながっているのはそのためである。つまり、三本柱が「完全数7」を持つ絶対三神となり、それが三位三体の「777」でラッキーセブンの元になっている。

 高慢に陥り、神のなろうとしたルシフェルは堕天使サタンである。サタンに従った天使たちも一緒に地の底に落とされ、霊体のままこの世を悪霊と呼ばれて地をさまよっている。

 神が777の「絶対三神唯一神界」が形成するように、、サタンも「絶対三魔唯一魔界」を形成する。ヨハネの黙示録にはこうある。

「私はまた、竜の口から、獣の口から、そして、偽預言者の口から、カエルのような汚れた三つの霊が出てくるのを見た」(「ヨハネの黙示録」第16章13節)

 「竜」「獣」「偽湧現者」で構成する死の樹の三本柱で、中央の死の柱が「サタン」、向って右端が「獣」、向って左端が「偽預言者」である。「666」とはサタンと獣と偽預言者の事である。この絶対魔が人を破滅へと導くのである。これが最終戦争の「ハルマゲドン」となる。

飛鳥昭雄氏による「日月神示」の霊感語訳(48)

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(48)日本の国旗はエム系フリーメーソン

(下つ巻・第38帖 ○と□のシンボル)

 「日月神示」の下つ巻は、これで言い残すことなく終えることができた。三位三体の富士の仕掛けが日本中に行き渡るようになれば幸いである。正に太陽が最も高い中天にかかる日本晴れの想いである。

 日本の神の組織には、古い体質の官僚主義者が大勢いるが、優秀な神の器を持つ者もいる。そういう人々は神の柱に匹敵する。だから許認可権を増大させ、前例重視の後ろ向きを慣例とする官僚主義を止めるだけで、神の業が一気に大きく動き始める。

 日本の神の組織が正常に動き出せば、大きなうねりが起きて、日本で奇跡が起きる。その奇跡を知った世界中の人々は驚嘆し、日本に押し寄せてくるだろう。こうして世界の宗教は絶対神の元で霊的統合される奇跡へと発展する。なぜならイエス・キリストは日本の唯一神天照大神だからである。

(解釈資料)

 日本の国旗が太陽である理由は、太陽神である天照大神の国と言う意味と、「コンパス=○」と「曲尺=□」で日の丸が出来ている事である。それが日本を唯一のセム系フリーメーソン国家を暗示する。

 日本に人類最大の宝「イスラエルの三種の神器」が封印されて、「契約の聖櫃アーク」と共に隠されてきた。太陽に住む八咫烏がいる国こそ、日本であり太陽の国旗が相応しい。太陽は「高天原」である。大和民族は極東にセムによるイスラエル国家を建設した。直系的イスラエルと言う意味である。「旧約聖書」ではヤコブ(イスラエル)も、アブラハムもセム系モンゴロイドである。白人(コーカソイド)のヤフェト系ではない。今のイスラエルを建国したのは、ユダヤ教に改宗してユダヤ人になったヤフェト系コーカソイドである。

 最近、韓国では日本の天皇を朝鮮民族だと教えている。2001年12月24日付の韓国各紙は、今上天皇陛下が68歳の誕生日に「桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると、続日本記に記されていることに、韓国とのゆかりを感じています」と述べたことを大々的に伝えた。「東亜日報」は、「天皇が皇室の百済起源説に初めて直接言及した」と大袈裟に報道した為、韓国人は「天皇家=朝鮮民族」と確証したようである。しかし、天皇家は代々「父系制」で成り立っている為、韓国人が思う意味のイコールにはならない。さらに言えば、神武天皇(または仁徳天皇)が朝鮮人だった訳ではない。古代において「馬韓」と言う朝鮮民族の祖が支配した半島の半分を奪った秦人(秦氏)が、「秦韓」「弁韓」を建国し、南下して「伽耶」を建国した後、大挙して日本列島に渡来した歴史がある。秦人が支配した地域は、馬韓の朝鮮民族に還され、後にそこは「新羅」となった。それだけのことである。遺伝子的にも日本人はチベット人に近いが、韓国人とは大分違っている。韓国の学者たちは90%一致すると言うが、そうなると一番困るのは韓国の方である。「日韓同祖論」となると、日本人による朝鮮支配つまり「日韓併合」が正しかったことになるからである。さらに、父系制は男性特有の「Y染色体」の系譜を保つため、女性の「X染色体」が影響を与えることはない。つまり、父系制中心の天皇家に、たった一人の朝鮮女性が影響を与えることは不可能なのである。決定的なのは、日本男性特有の遺伝子YAP(+)が、韓国人に存在しない点である。漢民族の中国人にも存在しない。

 馬韓の末裔の韓国人と、大和民族で構成された日本人は全く違う民族である。大陸から朝鮮半島にやって来た秦人は「柵外の人」の意味で、漢民族でも朝鮮民族でも違うということである。事実、「秦」の漢字を分解すると、「三・人・ノ・木」となり、木をさらに分解すると、「人・十」となり、「人型が十字架にかかった姿」となる。日本最古の「富本銭」が明らかにしたように「本」を「大・十」で表し、「大=人型」が「十字架」にかかった出来事を「本当(事実)」と暗示している。

 聖徳太子は実在しなかったが、その正体は秦氏の長・秦河勝と考えられる。秦氏とは天皇家の事で、天孫族はイスラエルの血統を隠すため、国史に様々な細工をした。天照大神を男神から女神にかえたのもイスラエルの三種の神器と契約の聖櫃アークを世界の目から覆い隠すためである。この仕掛けのカギを「同音異義語」の駄洒落で隠すことも多く、大阪の「金剛組」の出所を百済としたのも、秦氏の出所を百済にしたように、本当は新羅で「百済ではない=百済ない」となる。秦氏はユダヤの大和民族である。その「大和」はヘブライ語の「ヤ・マトゥ」で「ヤハウェの民」の意味を持つ。かくして日本とイスラエルは東西両極に位置し、互いに無縁ではなく、日本にヘブライ密教に関わるセム系フリーメーソンが存在したことになる。日本最古の日の丸の原型は「四天王寺」の大鳥居の横にある「宝篋印塔」の正方形と円とされる。宝篋印塔は大相撲の土俵と同じで、日本の国旗の中にフリーメーソンのシンボルを隠しているのである。

飛鳥昭雄氏による「日月神示」の霊感語訳(49)

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(49)神道の基本は神に成ることである。

(富士の巻・第1帖 神道の基本は「神に成る」)

 この世には人生に影響を与える道が無数にあり、どの道を歩んでも構わないし自由だが、殆どの道は人を神から遠ざける道である。神が人に望む道は一つしかなく、その門は狭いが、それが人生の王道であり、神のためでもあるが、最初から神が人のために備えた道である。無数の道の何処からも、望めば「神の道」に入れるが、そこから他の道に至る出口は虚無であり危険である。出口に見えても荒れ野に至る禁断の道で、少しずつ神の道を外れ、最後は大きく外れて戻ってこられなくなり、霊的にのたれ死ぬことになる。「悪一厘」は間違いなく存在する。その者は悪霊にくみする輩で、多くの人を惑わして地獄まで連れて行く。神の道は子供でも歩める純粋な路で、競争も無く他人との優劣も無い。上に立つ者が必ずしも救われるとは限らないが、遜らせるために神が召す場合がある。

 神の道は、人類創生の以前から定められた救いの道で、人が神に成るための仕組みである。永遠が神そのものと知るには、魂を浄化し持って生まれた心に磨きをかけ、霊感を受ける必要がある。それが資質となって一生歩めるよう仕組まれている。そうすれば、神道の基本である「神に成る」ことができるのだ。

(解釈資料 )

 日本にできる神の組織では、上に立つ者ほど謙虚でなければならない。真に人々を導く者は、イエス・キリストのように、弟子の足を洗う下働きを心から遜って行う者である。マニュアルを憲法と掲げ、全てをマニュアル通りにしないと気が済まない官僚主義者は、最後にとんでもない事態を引き起こす。その最悪の事態が「聖書」に記されている。

 救世主だったイエス・キリストの行動は、マニュアル(律法)を愛によって拡大させ、大胆に応用することだった。しかし、当時の律法学者たちは、それを律法違反と断定し、イエス・キリストの影響から、律法と官僚組織「サンヒドリン」を守ろうと様々な陰謀を企てる。サンヒドリンは絶大な人気を持つイエス・キリストに手を焼き、ついに救世主が磔刑で果てる預言を利用することを思いつく。彼らには律法の厳格施行と宗教官僚組織を守ることが最重要で、人の救いは全く見えていなかった。そこで官僚主義者は行き着く最後の手段を使う。罪の捏造である。しかし、それによって律法が守られ、サンヒドリンが守られるなら、悪ではなく善と言う判断を下す。

「そこで、祭司長たちとファリサイ派の人々は最高法院を召集して言った。この男は多くの印を行っているが、どうすればよいか。このままにしておけば、皆が彼を信じるようになる。そして、ローマ人が来て、我々の神殿も国民も滅ぼしてしまうだろう。彼らの中の一人で、その年の大祭司であったカイアファが言った。あなた方は何も分かっていない。一人の人間が民の代わりに死に、国民全体が滅びないで済む方が、あなた方に好都合だとは考えないか。これはカイアファが自分の考えから話したのではない。その年の大司祭であったので預言してイエスが国民のために死ぬ、と言ったのである。国民のためばかりではなく、散らされている神の子たちを一つに集めるためにも死ぬ、と言ったのである。この日から、彼らはイエスを殺そうと企んだ。」(「ヨハネによる福音書」第11章47~53節)

  官僚主義は日本人の専売特許と言えるほど、霞が関でも国会でも一流企業でも学校でも、その他様々なところに横行し、日本中を官僚主義と同調圧力で支配している。日本に伝わった神の組織も例外ではないと「日月神示」は警告している。神が行う日本の浄化は、最初は日本の神の組織から開始されるだろう。その後、日本中に拡大し、世界へと浄化が伝播していく。これは日本で途方もない奇跡が起きることを意味する。

飛鳥昭雄氏による「日月神示」の霊感語訳(50)

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(50)甲斐の国仕掛けと亀石が示す日本列島回転

(富士の巻・第2帖 富士山と三重県の岩戸)

 甲斐の国は重要である。甲斐の山々に立って一帯を見下ろせば、その意味が分かるだろう。「一二」の神に仕える日本人は、これからも国仕掛けを忘れないでほしい。「日月神示」の解説に重きを置き、指針にすれば憂いはないが、多くの者はそれを軽視し、重要な時の示唆を軽んずる。結果、いざという時の機会を失うのだ。そういう者達は、神が忍耐して与える導きとは思わず。そのままにして根も葉も枯らしてしまう事態に陥る。種である間に準備せねば、茎もまっすぐに伸びないし、正しい実もならない。結果、根が腐って手遅れになる。今度行われた祭礼に対し、神界に三神は喜んでいるに違いない。雨の神も風の神も同様である。しかし、世界がきれいに掃除されたと思って安心するのは大間違いである。それには富士山と三重県に封じられた岩戸が開き、天地が引っ繰り返る事態を待たねばならない。

(解釈資料)

 甲府盆地を有する山梨県は、周囲を標高2000メートル級の山々で囲まれている。南に富士山、西に赤石山脈、北に八ヶ岳、東に奥秩父山地を抱え、面積の80%を山岳地が占めている。何故そんな地形になったのかを知れば、国仕掛けの初めが見えてくる。

 日本列島はユーラシア大陸の東端に連なった弓型地形が、氷河期の終焉で海面が上昇して残されたものではない。日本列島はいくつもの地殻(プレート)の交差点に浮かぶ世界でも稀有な陸塊であり、6つのプレートが潜り込んでいる。これらのプレートの境界には、断層と呼ばれる構造地質学上の不連続面があり、プレートはその海溝に潜り込んでいく。日本列島はプレートに乗って移動する陸塊が、幾度もの衝突を繰り返して形成された。特に本州は2つの陸塊が衝突して形成された。「西日本陸塊」と「東日本陸塊」である。不思議なことに「古事記」に国生みの様子が記されている。要約すると、次のようになる。

 イザナギの命が天の御柱の周りを左から時計回りに回り、イザナミの命は右から反時計回りに回って互いに遭遇し、女性から言葉を発して子をなしたが、どれも育たずに流れてしまった。そこで、今度は先に男性から言葉を発したところ、淡路島が生まれ、四国が生まれ、九州が生まれたと記されている。「古事記」の二神の国生みの記述は、北上するフィリピン海プレートと、南下する北アメリカプレートが衝突し、さらに西に激しく動く太平洋プレート等が鍔迫り合いをし、それぞれに乗った西日本陸塊と東日本陸塊が衝突して合体し、最初は西日本側が押して、次に東日本側が押した結果、今のような日本列島が形成されたことを示している。

 これと似た伝承を残すのが奈良県明日香村の「亀石」である。亀石は頭は「西南」を向いているが、古くからの伝承では、亀石は最初の頃「東」を向いていたという。それが「南」に向きを変え、最終的には西南になったという。さらに伝承は続く。やがて亀石は西を向き、その時、明日香村は水中に没するという。実際、磁鉄鉱に残された地磁気跡から、日本列島が回転していたことが判明している。(ただし、地磁気反転を考慮に入れないと、南北を逆にしてしまう)さらに、地図を使って、四国と九州を切り取り、中国地方と紀伊半島の海岸線に移動させるとジグソーパズルのように合わさる。それでも大阪湾に空いたところが生じるが、淡路島を移動させればほぼ完ぺきに西日本陸塊が完成する。つまり、西=陰(女性)から淡路島、四国、九州等々が分離したことになる。そうなれば、瀬戸内海に点在する大小727個の島々が陸塊になれ切れなかった「水蛭子」となる。「一二」の神とは、イザナミの命とイザナミの命であり、東西陸塊の象徴とも重なり、甲斐付近が日本のへそ付近になる。(兵庫県西脇市の東経135度・北緯35度が日本列島の中心とされているが、それは経緯度の中心と言うことで、陸塊の中心ではない。)

 イザナミとイザナミは兄妹で、イザナギ命は多次元同時存在の法則から、天照大神となり、イエス・キリストとなる。天照大神は「内宮」の現人神で前世のヤハウェが「外宮」の豊受大神なので、同神の12の神になる。それを示唆するように、「雨の神」とはノアの大洪水を起こしたヤハウェで、「風の神」とは風を意のままに鎮めたイエス・キリストを指している。

「七日の後、私は40日40夜地上に雨を降らせ、私が造ったすべての生き物を地の面から拭い去ることにした。ノアは、全てて主が命じられた通りにした。」(「創世記」第7章4~5節)

同じことが「風神雷神図」にも言える。両神は図柄の上でも左右一対になっている。

飛鳥昭雄氏による「日月神示」の霊感語訳(51)

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(51)偽ミロクの666

(富士の巻・第4帖 日富見、見世何時、ミロク)

 一二三が終わったら三四五を成さねばならないが、この三四五が五六七の仕組みとなり、これがミロクの世の事である。このミロクの世に善悪が明確となり、大勢の者が悪である獣に走り、善なる者が一部残る構図となり、その区分は永久に定まる。善を選ばなかった者達は悲惨な有様が襲いかかるが、選びの結果なので自業自得と言うほかない。それまでに一刻も早く悔い改めないと手遅れになる。「日月神示」はそのために存在している。

(解釈資料)

 一二三が「日富見」、三四五が「ミヨイツ」と読み、「御世何時」となり、「何時になれば神の世が来るのか」の意味になる。その神は、「何時=出づ」で「入づ=出づ」であり、「初めなり終わりなりの神」となる。次が五六七の仕組みで、岡本天明はそれを「ミロク」と言っている。つまり、「弥勒」のことだが、弥勒とは未来に現れる仏で「慈悲」を語源とする。

 弥勒菩薩は仏陀の入滅後、56億7000万年後に出現する未来仏で「マイトレーヤー」とも呼ばれている。→(私は、高橋信次先生の奥さんである高橋一栄先生がマイトレーヤーであったことを認識しているが、飛鳥氏の主張している弥勒とはイエス・キリストの事を指している。)

 一説では、56億7000万年は、56億7000万人の間違いで、仏陀の時代の人口が約3億3000万人なので、それに56億7000万人を足すと60億人となり、世界人口が60億人を超えた年と関わるという。国際人口基金の調査によると、世界人口が60億人を突破したのは1999年10月12日とされていた。しかし、この数字はあくまでも統計上の推論であり、1991年の「湾岸戦争」でイラク兵の膨大な戦死者数がカウントされておらず、アメリカ商務省の統計局でさえ、把握していない。ところが、国際人口調査部に勤めるベス・ダポンテが戦争における死傷者の総計を15万8000人と死亡者数を報告書にまとめた。その直後、アメリカ政府はダポンテの持つ関係書類をすべて没収し、職務遂行上の不行き届きを理由に解雇してしまった。これは異常解雇であり、ペンタゴンはイラク兵の戦死者数を極秘扱いしていたことになる。理由はプラズマ兵器の使用である。イラク兵の戦死者の圧倒的な数は、プラズマ兵器が使用された証拠になりうるため、極秘扱いされたのである。そのため、60億人を突破したのは1999年8月11日だった可能性が出てくる。この日ノストラダムスの預言にある1999年第7の月とも重なり、この年の8月11日、地球はグランドクロスに突入し、巨大な十字架にかけられたことになる。

 十字架にかけられた神(メシア)は、イエス・キリストだけなので、「弥勒=イエス・キリスト」になる。このイエス・キリストは西暦3年頃に誕生しているが、彼は人類を救いにもう一度未来に戻ってくる。

「その時、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗ってくるのを、人々は見る。」(「ルカによる福音書」第21章27節) 

「だから、あなた方も用意していなさい。人の子は思いがけないときに来るからである。」(「マタイによる福音書」第24章44節)

 岡本天明は「五六七=ミロク」としたが、どうしてもミロクとは読めない。そこでゲマトリアにかけてみると、「5+6+7」で「18」となり、「1+8」で最大数の「9」なので、世界的な一大事を示唆している。実はミロクには「666」の読みがある。いわゆる悪魔の数字で、「6+6+6「で「18」となる点も五六七と被っている。

「ここに知恵が必要である。賢い人は獣の数字にどのような意味があるかを考えるがよい。数字は人間を指している。そして数字は666である。」(「ヨハネの黙示録」第13章18節)

 567の前に666が現れることで善悪が両端に分けられて定まることになる。

飛鳥昭雄氏による「日月神示」の霊感語訳(52)

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(52)「日月神示」の神は受胎したヤハウェ

(富士の巻・第5帖 喰う物も飲むものも無くなるのぞ)

 食う物がない時代がやってくる。半端ではない飢餓が襲い、飲み物さえ事欠くようになる。これは神の再臨の前に起きる大きな試練で、日本だけではなく世界規模で勃発する。修行や断食で乗り越えられるものではなく、多くは餓死し灰になって消え去る。一般の者達で生き残る術は、飢饉に備えることである。このような事態が起きる前、神が選んだ者は厳しい言葉で警告を発する。神が直接人類に警告するのではない。神は人を召し、その者を通して人々に警告する。

 外国の神は枠だけの形と化し、受胎したヤハウェを信じるキリスト教が真の神の組織だが、三位一体を主張するキリスト教がほとんどではお寒い状況だ。

「ヤハウェ=イエス・キリスト」を信じないからである。ヤハウェは旧約の神であり、ヤハウェと同じ神アラーは、既に受胎したゆえ、イエス・キリストを通さねば何もならない。

 天照大神であるイエス・キリストは、日本でことを成すのに急いでおられる。それには多くの者の協力が不可欠だが、その者等は、器があっても中身が伴わないので、一刻も早く神道の神がイエス・キリストと悟って器を用意してほしい。ならば悟った者から楽になるだろう。今は一分も無いし、一厘も無駄にできない段階である。今の日本人は時刻を「神の国」と唱えて満足しているが、足元が崩れ落ち、地面に這いつくばるようになる。岩に穴を掘って隠れても、地面の穴に逃げ込んでも意味がない。それでも神は自ら助ける者を助ける。それは神の為でもあり、人の為でもある。これが真理であり、人にとってありがたい仕組みである。

(解釈資料)

 「‘」はヘブル語のヨッドで、この1文字で「ヤハウェ」を表す。「○」は肉体で「‘+○」で「受胎したヤハウェ」で「イエス・キリスト」を示している。「○」は霊を覆う肉体のほか、組織、システム、人間を象徴している。「日月神示」は日本人のために与えられた預言書である。この中で語られる事態は日本人の身に起きる出来事である。

 日本の神の組織に巣食い害する官僚主義は、飢饉に関しても、「聖書」に預言され、彼らの預言者が警告しているにもかかわらず、お経にとどめて多くの信者の目を塞いでいる。信仰歴の長いだけの日本の年老いた指導者たちは、若者たちの未来を意味のない官僚主義で抑えつけている。


(富士の巻・第6帖 8月15日、敗戦の日の意味)

 今は神が自分の全能の力を発揮しないでおられる。人が善悪どちらを選ぶかの自由意思を確かめておられるからだが、それを知っている悪魔の軍勢は、人々を誘惑して罪に陥れ、神界に帰る道を全力で塞いでくる。何の防御もしないと自分たちの未来を根こそぎ奪われる事態に陥るだろう。親の悪癖や罪で子が苦労し、子の悪行で親が振り回されるようになる。

 天照大神(イエス・キリスト)が治世する1000年間の「至福年」になれば、全てが明らかにされ、曇りのない美しい世界が訪れる。8月になれば全てが分かる。強烈な光の中ですべてが見えなくなり、日本全土が焦土と化す。が、次の段階の8月はやり直しが全く利かない最終段階が待ち受けている。いつも頭上から振り下ろされる剣の覚悟があるだろうか。人は食べ物だけで生きているのではないことを知らねばならない。

(解釈資料)

 この預言が8月15日に降りたことが重要である。問題の8月は日本にとって太平洋戦争の敗戦の日に当たるからである。終戦の日については諸説あるが、日本政府は8月15日を「戦没者を追悼し平和を祈念する日」と定め、「全国戦没者追悼式」を主催している。8月15日で最も記憶に残るのは、昭和天皇による「玉音放送」であり、日本の降伏を天皇陛下自ら国中の人々に公表したことである。「567=ミロクの世」の前に来る「666=ミロク」の世は、大量殺戮が口を開く時代となり、最初の被害者は世界の晒し者として日本が選ばれる。官僚主義に国民が毒され、天皇陛下を軍が支配する国は焼き尽くされねばならない。次に来る8月は恐ろしい事態を招くだろう。これは「両義預言」になっていて、日本だけではなく世界中に襲い掛かる神罰となり、二度とやり直しが利かない。つまり人の世が終焉するのである。

 世界が「ハルマゲドン」で終焉した後、救世主の再臨で善人が救われ、神が統治する「福千年」で生活するが、その後に人類へのジャッジである「最後の審判」が行われ、全ての人間が復活して3位階(「至高世界」「中高世界」「下層世界」)の宇宙へ振り分けられる。


飛鳥昭雄氏による「日月神示」の霊感語訳(53)

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(53)神に選ばれた者達

(富士の巻・第7帖 善の世にグレンと引っ繰り返る)

 現世は罪の世なので悪が栄えているが、来たるべき世は神が統治するので善の世となる。この世で最も神に忠実なのは植物で、いつも神の言葉に従っている。しかし、人が神に従えば植物よりも偉大となる。人は神の写し身だからだ。だから人は神が礼を言うほどの存在となる。同時に神ほど遜った存在はない。特に日本に伝えられる神の正しい組織の者等が真に目覚めたら、一気に天地が輝きを増し、神の組織の伝道に奇跡が起きる。(2015年8月の時点ではまだ目覚めていない) 前世から神の選ばれた身でありながら、律法重視に支配された者達よ、お前たちの体たらくぶりは何事か! 神は何時までも今の状況を許さないため、彼らは大きな恥を受けるだろう。彼らは神の組織に属していながら、同じ日本人の反発を怖がり、「日月神示」が示す真理を、真理として伝えることに臆している。そういう者等に霊感があるとはとても思えない。悪の御霊が神の正しい組織の邪魔をしている。

(解釈資料)

 神に選ばれた者達の意味は2つある。1つは大和民族である日本人を指し、2つは神の正しい組織の日本人たちである。彼等は大和民族中の大和民族だが、組織内の古い体質の官僚主義者たちの支配を許している。彼等の多くはマニュアルの範囲でしか行動しないし思考もしない。マニュアルと言う律法が彼らのすべてだからである。結果として、神の正しい組織は日本で発展しない羽目に陥っている。しかし、それでも律法主義者は反省の様子もない。

 両義預言にある戦時中の日本人も全く同じで、軍の官僚組織である「大本営」しか信用せず、外部の声に耳を塞いでしまっている。自分の頭で考えようとしない結果、悲惨な運命が口をあける。日本全土は焦土と化すが、無謀な戦争を起こした大本営の官僚たちは、責任を取らずに戦後も生きながらえる。同じことが日本に伝わる神の正しい組織でも展開するが、神の発展を著しく阻害した者達等を神は許さない。悲惨な運命が彼等を待つことだろう。

飛鳥昭雄氏による「日月神示」の霊感語訳(54)

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(54)神界の位階(ヒエラルキー)

(富士の巻・第9帖 地獄の三段目)

 神界は、位階(ヒエラルキー)になっている。至高世界が3つ、中高世界が3つ、それを区分けする世界が1つある。至高世界も3位階あり、下層世界も3つあり、至高世界以外は合わせて7つある。その7つの世界も位階として7段階に分かれている。それら至高世界以外の位階一つ一つにも7段階の位階が存在する。今、この世は地獄一歩手前の世界、下層世界の2段目の位置にある。しかし、この先、下層世界の3番目まで落ちるが、さらにその下は下層世界を通り抜けた地獄の世界になる。そこは光を拒絶した闇の支配する世界で、もはや人の力では何もできない。そこで唯一力を発揮するのは神と悪魔だけである。人の力は及ばない。

 下層世界は人に与えられた世界で、この世をどうするかで人の価値が決まる。人が上昇した中高世界から上の世界は、この世的に生きる者達とは大分違い、自己中心に欲に塗れる者はいない。いかにも信心しているという振りも無く、当たり前に神を受け入れる者達の世界で、これが本来のあるべき人の姿である。

 これから先、下層世界の人々は地獄の世界に突入するようになるが、免れる道は中高世界を通り抜け一気に神界に突入するしかない。そこは神が住まう聖域で、悪の微塵もない世界である。悔い改めて正しい方法でバプテスマを受けるだけで、地獄から神界への門が開けるのだ。

(解釈資料)

 生命の樹は、三柱に球体(セフィラ)が10個、22本の小径(パス)がある構造を言う。厳密には、中央の均衡の柱に隠れたセフィラ「ダアト」が存在するので、11個のセフィラで構成されている。これをセフィラの複数形の「セフィロトの木」と呼ぶ。

 最上位の「上向きの三角形」が至高世界で、「ケテル」「ビナー」「コクマー」で構成されている。「ダアト」は神界へ至る関所で、救世主が自ら番をして人を吟味するところとされる。ここの別名を「バプテスマの門」と言う。

 人は生命の樹を上昇して至高の世界に至るよう創造されたが、多くは「下向きの三角形」である中高世界「ゲブラー」「ケセド」「ティファレト」で留まるか、さらに下の「下向きの三角形」の下層世界「ホド」「ネツァク」「イエソド」に留まり一生を終える。

 その下は地獄で、最悪のセフィラ「マルクト」に堕ちるが、そこからも脱出方法があり、その方法は真の悔い改めと預言者のカギによる神権のバプテスマしかない。


(富士の巻・第10帖 Θの御用なされよ)

 これから先、激しい爆撃で焦土と化す日本は、食糧が枯渇して入手が困難になり、住居も焼失して行く所が無くなる。この世に流される日本人と、真の神の選民の違いは明確になる。神の正しい組織でも、己の本業に疎かであってはならない。神への手伝いは重要だが、己の仕事を蔑にすべきではない。時と所を問わず、神は真面目で正しい者を助けるからである。天皇陛下の心を案じる者が臣民である。「九十」には気をつけよ。東京が大規模に攻め込まれるからだ。

(解釈資料)

 やがて訪れる日本の敗戦と混乱と飢餓、もう一つは、現在から近未来に起きる大きな飢饉の時代の預言である。前者は天皇陛下に対する臣民の心構え、後者は「天の御子=天照大神=イエス・キリスト」の信者の心構えで、心の柔軟な者に神の約束が下される意味である。

 気を付けるべき「90」はゲマトリアでは数字の最高位の「9」なので、最も注意する意味を象徴する。同時に陰陽道の奇数と偶数のあわせの「有・無」の極位を示すため、相当ヤバイ意味になる。「東京大空襲」は、1944年11月14日以降106回を数えるが、1945年3月10日、4月13日、4月15日、5月24日、5月25日の5度が大規模だった。普通、東京大空襲と言う場合は、3月10日を指し、この日だけでも10万人以上が死亡した。これは明らかなアメリカ軍の無差別爆撃で、1922年に定められたはずの、軍事施設以外の民間人殺傷を目的とする爆撃を禁じた「ハーグ条約」に著しく違反した。

飛鳥昭雄氏による「日月神示」の霊感語訳(55)

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(55)「土」とは十字架を示す!

(富士の巻・第11帖 救世主の土)

 救世主の土は、以下の名を持つ山々から出てくる。「白=し」、「黄=き」、青赤=あ」、「黒=く」のつく山々や里々から出てくる。だから、本気で探すべきだろう。「三尺(約91センチ)」下なら良い土である。いくらでも無限に出てくるだろう。

(解釈資料)

 不可解な預言だが、「五行五色」を用いれば簡単である。「白=百虎」は西、「黄=中心」は中央、「青=青龍」は東、「赤=朱雀」は南、「黒=玄武」は北を指している。これは黄色を中央に置く十字架構造で、この配置で造られた最も重要な都は「平安京」である。

 さらに「土」は「十・一」で、地面の上に立った十字架を示している。事実、平安京は中国の長安をモデルにした都ではなく、「奴」の人型構造だったことが考古学調査で判明している。それも首のない人型で、アルファベットの「T字」をしている。

 正確には首のない部分が真北の起点とした「船岡山」で、真南の起点が「甘南備山」だった。その両点を結んだ南北直線上に羅生門があり、中央を走る朱雀大路があった。その羅生門からまっすぐに南にのびた鳥羽作道は、十字架にかけられた人型の足に該当し、事実、その先にある甘南備山は「神亡美山」とも書け、十字架にかけられた案山子の発祥とする説がある。

 その案山子を漢字破字法で分解すると、「案=安・木」「山→地面に立つ三柱」「子→子の星 =北極星」となり、「ゴルゴタの丘で、罪人の2人と共に十字架にかけられ、人類に指針を示下安らかな命の木」となり、イエス・キリストを暗示している。その京都に、日本人にとっての良い土(アダマ)である天皇陛下が戻るという。

 「尺」とは人型の象徴で、事実、人体の骨格を示す「尺骨」に「尺」が宛がわれている。その三尺下と言うのは、天皇陛下が3人続いて、その次の4代目の天皇が京都に戻るという意味になる。

 後醍醐天皇の南北朝以降、偽者の北朝系が幕末まで続き、岩倉具視や伊藤博文らによって南朝系の天皇が入れ替えられている。だから、明治天皇によって南朝の守り神だった楠木正成像が皇居正面に造られ、明治になって幕末期の「水戸学」の影響で「南朝正統論」が政界で巻き起こった。南朝の楠木正成の像が建つに至り、1911年、明治天皇は「南朝」を正統とする旨を決定した。

 明治天皇は、「大嘗祭」「即位式」「祝の神事」を受けたが、大正天皇は心に問題があり、祝の神事を受けず、昭和天皇も戦争等で受けられず、今上天皇も受けていないため、次の天皇陛下で京都に戻ることになる。

 これは、平安時代の花山天皇の一族による「伯家神道」の預言とも一致している。その京都の船岡山にある磐座に、イエス・キリストである天照大神が降臨する。

 エルサレムのオリーブ山へ再降臨した後、同じエルサレム(平安京)の意味を持つヤハウェの民(ヤマト民族)の都にも、約束の救世主が降臨する。

飛鳥昭雄氏による「日月神示」の霊感語訳(56)

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(56)紀元前2344年、ノアの大洪水が起きた!

(富士の巻・第13帖 神は無理は言わんぞ)

 この世のすべての物質は絶対神が創造した被造物である。にもかかわらず、人は勝手に神の創造物である土地を自分の領土と考え、土地を売り買いしている。絶対神は過去に一度、天体規模の大災害を起こして大地を引き裂き旧世界を破滅された。人はそのことを覚えていなければならず、たとえ一本の草木でも神の所有物である。山菜もそうなら海産物もそうである。だからまずは神に捧げてからありがたく頂戴しなければならない。人は裸でこの世に生まれ、裸で去っていく。それまでの間、人は神の創造物で食いつないでいるだけである。己の肉体でさえ己の物ではなく、神から借りて生きている。その意味で人は一生物乞いと同じである。

 「日月神示」を理解できれば、人は病に陥ることも無くなる。そんなバカなというだろうが、神に不可能はなく、神を信じきれば人から病は去っていく。それは人の心が、神と同じ綺麗な姿になるからである。「日月神示」には、初めと終わりの神が宿っているからだ。かといって、「日月神示」さえ読めば救われると、お経のようにいう者がいるが、この世の仕事を蔑ろにするようでは何も分かっていないことになる。神の正しい組織の者達は、そのことをこの世の者達に知らせてほしい。

(解釈資料)

 旧世界を襲ったカタストロフィとは、全世界を沈めた「ノアの大洪水」の事である。聖書学的には紀元前2344年に起きた大天変地異で、ノアとその家族8人と、神が選んだ動植物だけが新世界へ赴くことができた。

 旧世界では一つの超巨大大陸「パンゲア」だったが、新世界では大陸放散が起きて、今の世界地図のように移動した。日本もパンゲア大陸の一部だったが、2つに分裂したゴンドワナ大陸の一部と、ローラシア大陸の一部が衝突して出来ている。だから、日本一つで旧世界の超大陸パンゲアともいえるのである。


(富士の巻・第14帖 人の体は神の所有物)

 日本人にわかりやすく言うならば、人の体は神の所有物なので、毎日毎晩、神に感謝をして使わせていただいている精神で過ごすのが正しい日々の過ごし方である。眠りについている間は、神に体を返していると思うべきである。絶対神から預かった体なので、無暗に乱暴に扱うものではなく、ふしだらに使うものでもない。神から預かった賜物として体を思い扱うべきであろう。

(解釈資料)

 神の姿は人型で、見た目には人間と全く同じだが、不死不滅の復活体なので2度と死ぬことがない。全知全能で完全体なので宇宙も天体も自由に創造できる。神は間違いを犯さないレベルまで到達した存在なので、全てを見通しすべてを知る立場にある。

 宇宙の果ても神に取れば手に取るように感知できる世界だが、最も重要なのは愛に満ちた存在と言うことだ。全人類が復活した後の「最後の審判」の場にしても、人は人の欠点や罪を見つける減点法を用いるが、神は加算法を用いて、どんな人でもいい点を見つけようとする。かといって、手を抜くわけではなく、加算したくてもそうしていなかった者に加算することは神でもできない。救世主はどんな悪人にも慈悲を持って接する為、すべての人間は納得して、行くべき世界に赴くことができるのである。「天網恢恢疎にして漏らさず」とはこのことを指している。

飛鳥昭雄氏による「日月神示」の霊感語訳(57)

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(57)太陽が落ちる=核兵器

(富士の巻・第15帖 船頭さんにもわかるまい)

 日本は嵐にもてあそばれる小舟のと同じで、退路も絶たれ、行先も塞がれ、船頭のいない泥船と同じである。実に馬鹿な戦争をしたものだ。アメリカとイギリスは歴史の花道を行くが、日本は肥料にもならない腐った国である。三国同盟のドイツやイタリアまで裏切って日本に攻めてくる。いまさら神頼みをしても手遅れで、神は日本人を彼らの成すがままにしておかれる。

 最北から攻めてきたら最後と思え。天空に輝く太陽は一つではない。腐った日本には他の太陽が落ちてくる。致命傷は2つの太陽である。その後、3つ、4つと落ちたら日本は木端微塵に吹き飛ばされる。しかし、それは復活の初めであり、神々が手を差し出す日本に生まれ変わるときと思え。

(解釈資料)

 同じ枢軸国だったドイツとイタリアが日本を攻めてきた歴史はない。確かに「日ソ中立条約」を破った旧ソ連の参戦が日本の最後の望みを絶ったが、この預言が降りた当時は、誰もそのことを予測しておらず、近衛文麿首相ですら、旧ソ連参戦を促した、アメリカ、イギリス、旧ソ連の間で取り決められた「ヤルタ会談」を知らなかった。

 暴走する軍の官僚主義に支配された日本に未来はなかった。政治家もむやみに信じた「国家神道」に天照大神の御霊は無かったからである。姿としての「靖国神社」に罪はなく、明治以降の国家神道が過去全ての神道を統一し、それを軍部が悪用して暴走したからカルトなのである。八紘一宇も五大州統一理念も軍事力と暴力で成し遂げるものではない。霊的手段で行われるべきもので、それを成し遂げるのは暴力ではない。日本で霊的存在と言えば天皇家である。その天皇陛下でさえ神の業の一つに過ぎず、日本が世界を統一する意味ではなく、天照大神であり真の天皇であるイエス・キリストが、霊的に世界を統一する意味である。

 よってこれは両義預言であり、太平洋戦争末期に起きる悲惨な出来事と、この先の日本に起きる同様の悲劇を預言している。

 敗戦の前に日本に落ちる2つの太陽とは、広島と長崎に落ちた核兵器を指している。その後に落ちる2つの太陽だが、その1つが2011年3月11日に起きた福島第1原発事故と思われる。巨大地震と大津波によって1~3号機が爆発したが、1~2号機は水素爆発で原子力建屋が吹き飛んだが、3号機の爆発はMOX燃料による核爆発だった。1号機と2号機は発電プラントだが、3号機と4号機の原子炉はウラン濃縮プラントで原子炉内には核燃料棒ではなく拡散筒が入れられていた。ここだけは6フッ化ウランガスを濃縮するだけでなく、6フッ化プルトニウムガスも同時に濃縮する新型濃縮プラントだった。だから、3月14日11時、原子炉内の濃縮プルトニウム付近で水素爆発が起き、炉内でインプロージョンの過早核爆発を誘発したのである。

 2015年4月、日米の「外務防衛閣僚協議」が開かれ、新たな日米防衛協力のガイドラインが決定した。これで自衛隊はアメリカ軍と協力し、世界中で軍事力を展開できるようになり、そのための「安全保障法制」の整備と「集団自衛権」行使の協力項目が盛り込まれた。これを切っ掛けに、日本に核兵器が落ちるかもしれない。原発再稼働を急ぐ自民党によって、4発目の原発による核爆発が日本を襲うかもしれない。その時、日本はロシアからも、かっての同盟国だったドイツやイタリア、いやアメリカからも敵視されているということである。

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