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「竹内文書」の真相(5)

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(5)釈迦の墓とキリストの墓

 権現仙人とは、いったい何者なのだろうか? 超能力者なのか、古代からの英知を受け継いだ賢者、もしくは秘教の魔術師だったのか。いずれも、極めて優秀な予言者だったということは間違いない。いずれにしても、東日本大震災の予言はもちろんだが、5つの極秘伝の中で注目すべき点はもう一つある。釈迦とキリストの来日である。権現仙人は、釈迦とキリストは布教のために古代日本にやってきた。特にキリストに関しては墓まであるというのだ。

 いうまでもなく、日本の正史である「日本書紀」、並びに歴史的評価の古文書「古事記」に、こうした記録はない。釈迦、すなわちゴウダマ・シュダールタは紀元前5世紀の人物であり、そのころ日本は縄文時代、もしくは弥生時代である。インドからシルクロードを経て、日本列島にまでやってきたという記録は仏教経典にも記されていない。

 しかし、その一方で、史実とは異なる伝説、伝承の類として似たような話はある。東北、青森県にお釈迦様の墓があるのだ。何をもってお釈迦様の墓とするのかについて、一般的な理解として「お骨」の有無にあるといっていい。お釈迦様がなくなった時、御遺体は荼毘にふされた。お骨は「舎利」と称され、その一部を弟子たちは埋葬し、塚を作った。いわゆる「ストゥーパ」、「卒塔婆」である。日本の仏教寺院においては、五重塔などが、これに当たる。五重塔の地下には、お釈迦様のお骨、舎利に見立てた玉石が埋められる。あくまでも、それは見立てであって、お釈迦様の骨そのものではない。

 だが、青森の伝承では違う。お釈迦様は日本にやってきて日本で死んだという。ご遺体は青森の梵珠山に埋葬され、今も、その地域は大釈迦と呼ばれているという。

 仏教では、無知蒙昧な衆生を真理に導くために方便を多用する。事実ではなくても、最終的に悟ればよい。目的にためには多少の嘘はあっても許される。権現仙人も、それを意識していた可能性はもちろんある。

 キリストはどうだろうか? 権現仙人によれば、イエス・キリストは布教で来日したのみならず、墓まで日本にあるという。場所は青森県か岩手県だと具体的に述べている。確かに、青森県の南部地方は、今日でも「キリストの墓」が存在する。青森県三戸郡新郷村、かっての戸来村である。

 今から、約2000年ほど前、パレスチナ地方のエルサレムで、イエス・キリストは十字架に掛けられて処刑された。しかし、3日目に復活し、約40日間、弟子たちの間で伝導した後、肉体を伴ったまま昇天した。その際、イエスは世の終わりに再び地上に降臨することを約束したと、「新約聖書」には記されている。

 しかし、今日の歴史学では、これを額面通りに受け取るものは少ない。宗教的な神学における教義として尊重はするが、死んだ人間が生き返り、生きたまま天に空中浮遊するなど、実際にはありえない。十字架刑で死んだのが事実なら復活はなかった。復活したように見えたのであれば、それは仮死状態だった。さらに、死んだイエスと復活したイエスは別人だった。そう身代わりがいたという説も根強く主張されてきた。

 青森のキリスト伝説も後者に近い。ゴルゴタの丘で処刑されたのはイエス本人ではなく弟だというのだ。当の本人は復活したと見せかけて活動した後、エルサレムを脱出して海を越え、日本列島の東北地方に落ち延び戸来村で天寿を全うした。彼の墓は「十来塚」と呼ばれ、その隣に造られた「十代塚」は母マリアの遺髪と弟の耳が埋められているのだという。

 実際、イエスには弟がいた。主にプロテスタントでは兄弟の存在を認める傾向が強い。しかし、釈迦の墓も含めて、キリストの墓が青森県にあると言われだしたのは、それほど古くない。昭和になってからの話だ。竹内巨麿は独自の極秘伝と言うべき情報をもとに、戸来村にキリストの墓があるはずだと主張し、饅頭塚を案内されると、これこそがイエス・キリストの墓に違いないと断言した。村人にとっては青天霹靂であり、突拍子もない話だった。沢口家の家紋が桔梗紋で、ユダヤのシンボルの一つ「ソロモンの星」なる五芒星に似ているとか、地元で歌い継がれる盆踊りの唄「ナニャドヤラ」がヘブライ語であるといった傍証が語られるにつけ、ひょっとしたらと思わせる素地が出来上がる。

 かくして、アカデミズムからは否定されるどころか、無視されてきたキリストの墓伝説は、異説として好事家の間では噂となり、全国的に知られるようになった。

 キリストの墓伝説など、フィクションに過ぎないというのが一般的な常識的見解であろう。ところが、不可解なことが一つある。権現仙人である。彼が高橋芳太郎氏に極秘伝を語ったのは3・11の100年前、すなわち1910年である。これに対して竹内巨麿がキリストの墓を発見したのは1935年であり、権現仙人が語ったのは25年も前のことなのだ。地元の人間も全く知らなかったキリストの墓の存在を権現仙人は知っていた。これは何を意味するのか?

 注目すべき地名がある。「比婆山」である。比婆山は彼が修行し予言能力を身に着けたところである。この比婆山系には、もう一つの日本超古代史における有名なスポット「葦嶽山」が存在する。

 日本ピラミッドは葦嶽山のほか、長野県の皆神山、青森県の靄山、秋田県の黒又山、静岡県・山梨県の富士山、茨城県の筑波山、富山県の尖山など、日本全国で存在が確認されている。特に青森県の大石神ピラミッドはキリストの墓とも近く、十和田湖周辺に栄えた超古代文明の遺産として位置づけられ、墓に十和利山やキリストが風葬されたとも言われる戸来岳も、日本ピラミッドだと指摘されている。

 もちろん、権現仙人が日本ピラミッドの存在を主張しているわけではない。あくまでも霊山として比婆山の名を挙げ、その峰のつながりに日本ピラミッド第1号と評される葦嶽山が存在するだけの話である。

 とはいえ、どうも気にかかる。釈迦の墓とキリストの墓、日本ピラミッド、そして漢字や仮名がなかった時代にまで遡る超古代文明の存在を権現仙人は、なぜ知っていたのだろうか? きわめて複雑に見えるジグソーパズルも、そこに中心となるピースをはめ込むと、途端に大きな絵が見えてくる。今、権現仙人の極秘伝は日本超古代文明の秘密はもちろん、奇怪なる古史古伝「竹内文書」の正体をあぶりだしたのだ。


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