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マネーカースト(39)

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(39)ケネディが取り戻そうとした「ドル発行権」

 CIAの活動に従事していた時期に、パパ・ブッシュがかかわったとされる歴史的事件が「ケネディ暗殺」である。

 1963年11月22日、テキサス州ダラス市内のパレード中、第35代大統領ジョン・F・ケネディが狙撃された事件である。2日後、犯人とされたオズワルドもまた警察著内で、ダラスのマフィアであったジャック・ルビーに射殺されてしまう。

 ケネディ暗殺の根本的な要因は、「ドル問題」である。ケネディは、ハザールマフィアのアメリカ支配の要である「ドル発行権」を国家に取り戻そうとしていた。FRBが管理する「ドルシステム」に反旗を翻したことこそが、ケネディ暗殺の本当に理由なのである。FRBがケネディ暗殺の指令を出し、ブッシュ一族を含む実行部隊が指揮を執って暗殺を成し遂げたのである。

 話は第2次世界大戦中にさかのぼる。1944年7月にアメリカのドルを基軸とした固定為替相場制を定めた、ブレトン・ウッズ体制が成立した。この時、「戦後、戦争で疲弊したアジアやアフリカの復興の手助けをする」と言う約束の下、アジアの王族がアメリカにドルの裏付けとなる大量の金を渡す。しかし、戦後、その金はマーシャルプラン(共産党圏拡大を防ぐ経済支援)の資金とされ、ヨーロッパや日本の復興のみに当てられる。約束は反故にされてしまったのである。

 アメリカに失望したアジアの王族は、アジアやアフリカの復興、発展を目指すため、独自の通貨を発行しようとして動き出す。その基盤となったのが、1955年、東西冷戦に参加しなかった非同盟諸国167か国間で締結された「グリーン・ヒルトン・メモリアル」条約である。

 この条約は、それぞれの国から資金を募り、ドルに代わる独自の金融システムにより通貨を発行するというものである。現在、脱ドルシステムを図る中国のAIIB構想と非常によく似た動きだ。また、条約加盟国が、世界にある金など実質的な価値を持つ資産の85%を保有していたとされる点も、現在の欧米とアジアとの関係に似ている。

 一方、ケネディは、FRB支配から切り離した新たな政府紙幣、いわば「ケネディドル」の発行を目論む。ケネディがFRBに反旗を翻したのは、キューバ危機に際して、FRBの株主であるハザールマフィアが「ハルマゲドン(最終戦争)」を計画していることを知ったためである。ハザールマフィアが、同時に世界滅亡を目論んでいるという現実に強い危機感を覚えたのである。そして、ケネディドルと言う政府紙幣を接点として、ケネディ政権と「グリーン・ヒルトン・メモリアル」陣営が手を組むことになったのだ。

 その後、ケネディの裏付けとなる金をはじめとした貴金属が「グリーン・ヒルトン・メモリアル」加盟国から集められる。その14万トンに及ぶ貴金属を管理し、自らも大量の金を供出したのが、当事のインドネシア大統領スカルノであった。

 1962年、スカルノがケネディに金を託した際に調印された極秘文書「グリーン・ヒルトン・メモリアル・ビルディング・ジュネーブ」は、ベンジャミン氏も直接自分の目で確認している。そこにはケネディとスカルノのサインがされていた。

 そして、1963年6月4日、FRBの関与しない政府紙幣の発行を命じる大統領行政命令「第11110号」が発令される。発行量は3億ドル分と言うテスト的なものであった。

 ちなみに、ケネディドルのデザインは、FRB発行のドル紙幣とほぼ同じデザインだったが、FRBのマークを取り除き、その個所に「政府券」と印刷したものであった。FRBやハザールマフィアに対するケネディの徹底抗戦の姿勢が感じられる。しかし、ケネディドル発行のわずか5か月後、ケネディは凶弾に倒れてしまう。暗殺事件後、発行済みのケネディドルは財務省の手で速やかに回収された。

 スカルノもまた、「謎のクーデター」により失脚し、スカルノがケネディに託した莫大な金も闇に消え去ってしまったのである。


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