(23)新たなる貨幣「仮想通貨」は信用できるのか?
ドルの歴史、そしてその世界基軸通貨の地位を狙う人民元について語ってきた。ここからは、この数年、世間を騒がしている「仮想通貨」について語る。
初めに結論を述べてしまうが、仮想通貨と言う新たな通貨に対するベンジャミン氏の見解は、期待と懸念の相対する2つのベクトルを含んでいる。
まずは「期待」について語る。
ベンジャミン氏が仮想通貨に最も魅力を感じている点は、その取引における「透明性」である。これは仮想通貨を成り立たせている技術、「ブロックチェーン」によるものだ。
利用者は、「P2P型ネットワーク」と呼ばれる分散型ネットワークを使って、コンピューター同士による直接通信を行い、取引内容をメンバー全員に向けて同時に通知する。つまり、ネット上で誰もが帳簿を見られると同時に、データの正しさも検証することができるシステムなのだ。ブロックチェーンの和訳「分散型台帳技術」のニュアンスの方が、金融取引の記録が全員に「目に見える形で残され」「改ざんがしにくい」と言う、その特質をとらえやすいかもしれない。
なぜ、「透明性」が魅力的なのか?
それは、現在の銀行システムには存在しないからである。銀行は個人や企業の金融取引データを把握しているが、私たちはその帳簿を見ることができない。すべての金融取引が、ブラックボックスの中で行われる。
現在、私たちが日常生活で銀行を利用せずに生きていくことは不可能である。その銀行(及びその上部に位置する中央銀行)は、ハザールマフィアの支配下にある。銀行を通じて世界中の金融資産の把握や個人情報の収集など、私たちを中央集権的に管理支配しているのだ。
一方、仮想通貨を使えば、銀行と言うブラックボックスを通さずに取引が行える。一般的に仮想通貨は、送金の利便性や手数料の安さ、世界中で使える点などがメリットに挙げられるが、最も評価すべきは、銀行による管理支配から脱却できる可能性を秘めた点である。近代の金融の歴史において、これは画期的なことなのである。
しかし、「21世紀最大の発明」とも称される仮想通貨だが、その価値に不安を覚える声もある。理由として、「デジタルである仮想通貨をどうしても信用できない」と言ったものである。お金には手に取って触れることのできる実物があり、さらに政府や中央銀行がその価値を保証している。
一方、仮想通貨は単なるデジタルの数字の羅列であり。何ら権威ある機関の保証もない。
それでは、私たちが日常生活で使っているお金に本当に保証があるのだろうか?
世界の歴史において、通貨の価値を裏付けていた政府や中央銀行は数多く崩壊してきた。世界を見渡せば、通貨の価値の崩壊や銀行が破綻した史実であふれている。ここ数十年、日本でそういった現実が起こっていないだけなのだ。
通貨システムとは、本来そのようなリスクをはらんだ代物である。100ドル札も1万円札も、それ自体はただの紙切れである。銀行口座の残額や株も、コンピューターに記録されたただの数値データである。そこには本来何の価値もない。人々の「共同幻想」が、そこにかりそめの価値を与えているの過ぎない。
そもそも、全ての通貨と言うものは、幻想や仮想の上に成立している。それらを踏まえて、ベンジャミン氏は仮想通貨の持つ新たな可能性について期待を寄せているのだ。