(16)UFO元年の1947年ーロズウェル事件、リチャード・バードのワープ事件
飛鳥「UFOに特化すれば、有名なロズウェル事件は、1947年7月2日説とか4日説とかいろいろありますけれども、7月は、大変なことが連続しているんです。まず、1947年の2月に、リチャード・バード海軍少将が、アラスカの基地から飛び立った。当時はB52爆撃機が、いつまでも核を落とせるように、絶えずソ連と接する北極上空をぐるぐる回っていました。今のように命中精度がいいICBMはまだ途中段階だったので、常時爆撃が飛んでいたのです。そのコースを見極めるということもあったんでしょうね。それで、北極点を通過して、しばらくして淡い雲に包まれたかと思ったら、急に視界が開けるとジャングルの上空だったというのは有名な話です。
なぜかというと、これは矢追純一さんにも聞いたんです。矢追さんも昔、木曜スペシャル等々でアメリカ中を結構取材しました。昔の映画は大体2本立てだったんです。その時代は間にニュースをやったんです。皆は映画の間にニュース映像を見た。そこでアメリカ軍の肝いりで、バード少将が撮影した16ミリ映像を流したんです。彼は16ミリ映写機も全部持っていた。だから撮影しているんです。アラスカ基地のほうにもマスコミ陣がいましたので、ジャングルがあって、どうのこうのと言う通話が丸聞こえになっていた。一応、ホワイトアウトと言う形で、軍は何とか誤魔化したんです。ホワイトアウトは、飛行機が極地を飛んでいると周りが全部霧になる現象があり、今のように精密な装置がありませんでしたから、上下左右がわからなくて自分の位置が全くつかめなくなちゃう。だから、そういう真っ白になったときにパニㇰって妄想が見えるということになるんですが、あまりにもリアリティーのあるコメントがどんどん流れてくるので、バード機が戻った後、彼は軍に軟禁されてしまうんです。あんなコメントを出す奴を軍が使っているのかと言うことになった。軍のメンツもあって、バードが間違っていない証拠を、軍の名誉をかけて映像で発表したんです。それを見たという記憶を持っていたおじいちゃん、おばあちゃんが結構多いということを、矢追さんはアメリカの取材で知った。
ところが問題が起こったんです。7月にUFOが落ちたんです。遺体がどうのこうの、どうも奴らは近くにいるかもしれない。これは大変だということで、バード少将のフィルムは全部回収です。「あれはなかったよね。なかった」と言うふうにした。だから、証拠は全部ないんです。だけど、見た人が今でも結構多くて、70歳、80歳の人たちは見ている。記憶と言うのはあいまいになっていきますから、そういうものに対して強く言う人がいなかったけれども、ああやって取材が行くと、「そういうの、確かありましたね」なんてことになるわけです。カラー映像だったそうですよ。
だから1947年と言うのは大きな意味でUFO元年となる。でも、実は1942年からすでに事件は起こっていたんです。ちょうどフランクリン・ルーズベルト大統領の時代、太平洋戦争の真っ最中です。その時に、ロサンゼルスの上空に得体のしれない光の群が現れた。特に初期のUFOの関係本によく取り上げられた事件です。下から何本もサーチライトが当たっていて、UFOが点々と写っている有名な写真がある。対空砲火を浴びせたけれども、全然きかないんです。間違いなく言えることは、近年になってロズウェル事件が有名になったけど、その前あたりから結構いろいろUFO事件があるんです。
西部開拓当時に多かったのは、母船型UFOの目撃事件です。ユタ州なんかもそうですが、新聞には結構出ているんです。光が地面を照らしながら、細長いものが飛んでいたとか、そういうものも結構あるんです。遡ったら、日本にだってある。「うつろ船」なんかそうでしょう。家康に会いに来たズベランとした生き物もそうなら、「古事記」ん登場する蛭子までいちゃったらすごいですよ。日本の神話までいてしまう。だから、割と古くからUFOやエイリアンの事例はあるわけです。だけど、地上を征服なんかしません。つまり、彼らは徹底的な平和主義者か、逆に我々をあまりに見下げているかのどっちかなんです」