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日本と天皇家の機密(30)

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(30)命を捨てられる神様を持っている人間は幸せである(畠田氏)

 私の本「武士道はキリストが起源だった」の100ページに、まとめを書いています。

 一握りの侍という人種によって日本が築き上げられたといって過言でない。いや、今があるといったほうが良いかもしれない。たった7%ぐらいの少数精鋭の志を持ったこの種の人々により、我が民の霊的覚醒、精神高揚は期待され、維持された。その源泉を過去のものとして葬り去るのは、高層建築の目に見えない傷の深さを知ろうともせず、隣に新しいビルの見える部分、外観だけを建てようとする愚かな建築家のようなものであろう。日本の知性、道徳は直接的にも間接的にも、武士道の所産であることを知るところからの、日本人の目覚めを期待したい。

 あなたや私の中に武士道精神は植え付けられています。この武士道精神はどこから来たのか? 私は牧師ですから、聖書のメッセージをお話しして、まとめとすることをお許しください。イエスの言葉です。

「誰でも私についてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そして私についてきなさい。命を救おうと思う者はそれを失い、私のために命を失う者はそれを見出すのです」 人はたとえ全世界を手に入れても、まことの命を損じたら何の得がありましょう。その命を買い戻すのは、人は一体何を差し出せばよいのでしょう。イエスの弟子パウロはこう言いました。

「もし死ぬなら、主のために死ぬ。生きるにしても死ぬにしても、私たちは主のもの」

 あなたはあなたの神様を持っていますか?その神様のために命を捨てることができるなら、あなたほど幸せな人はいません。私はそういう意味で大変幸せです。私の妻は、私のために命をささげて尽くしてくれています。私も妻のために命をささげて尽くそうと思っている気持ちは、彼女も知っています。彼女はベッドで今苦しんでいます。早く帰って励ましてあげたいと思っているのですが、明日の新幹線で帰ります。

 パウロはこう言いました。「私の同胞、肉による同国人のために、この私がキリストから引き離されて、呪われた者となることさえ願いたい」 パウロは、同胞を愛して、自分の名前が天国の名前から消されてもいいと言ったんです。これは言えませんよ。それほど私は自分の民を愛していると言ったんです。

 私はキリストとともに十字架に掛けられました。もはや私は生きているのではなく、キリストが私の中に生きておられるのです。いつでもイエスの死をこの身に帯びています。私にとって生きることはキリスト、死ぬこともまた益です。こういう人生を歩みたいですね。この言葉は重いです。こういう生き方を今日からしてみてください。すると、あなたの周りが変わります。必ず変わります。

 私は一人の青年の遺言の話をして終えたいと思います。林市蔵 少尉23歳 神風特攻特別攻撃隊大14期海軍飛行予備学生 昭和20年4月12日 飛び立つ前の遺書」

「死にし者は死にし者に葬らしめよです。ぐうたらのままで死ぬのはやはりつらいですからね。・・・私が突っ込むことにより、最後のとどめがされましょう。・・・我にとりで生きることはキリストなり。死するもまた益なりです。これがまことに痛切に思われます。生きていることはありがたいことです。でも今の私たちは、生きていることは不思議です。当然死ぬべきものなのです。死ぬことに対して理由をつけようとは思いません。ただ敵を求めて突入するだけです。市蔵は一足先に天国に参ります。・・・お母さん、さようなら。この手紙を書いて、未練だと笑ってくださらないでくださいね。さようなら。市蔵」

 彼は戦争の当時にこういう生き方をしました。私たちは平和の時にどういう生き方をすべきか? 彼は問ています。私はこれを英語に訳してニュージーランドの高校生に話しました。彼らは感激していました。一人残らずサンキュー、サンキューと言って私に握手を求めて帰っていきました。

 戦争は私たちに悲劇をもたらしましたが、その戦争から生まれた素晴らしい命の尊さを学んだ人たちがいるんです。それが私たちです。そのおかげで私たちは今、生きているわけですから。政治の話をしているんじゃないんです。あなたや私の生き方を話しているのです。


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