(29)聖書には「日の上がるところの国の天子が、世の、終わりに向かって、神の民の額に刻印(判子)を押す」と書いてある(畠田氏)
私が書いた「日本は聖書の国だった」の中の105ページを読ませてください。
「日本という国を私たちは愛しています。神様も日本を愛しておられます」。私が神様というのは、誤解されてはいけないんですが、天之御中主神のことを言っています。天地創造をされた神様です。「古事記」の冒頭に神は天之御中主と書いてある。天之御中主神が日本人の神様の名前です。それは聖書の冒頭に書いてある「神は初めに天と地を創造された」と同じことです。元チリ大使の色摩力夫(しかまりきお)氏は、「日本人はなぜ終戦の日付を間違えたのか」という本を出しておられます。その国家の歴史は、その国民のアイデンティティーの鍵である。国家を否定してコスモポリタンになりたいという人もいるが、残念ながらそれは無理というものである。現在の国際社会の基本的構造は、多数の主権国家の併存である。しかもその主体であり、客体は原則として主権国家である。個人は自分が帰属する国家を通じない限り、権利も主張できないし、義務も受諾することもできない。
日本国という国がない限り、あなたや私の個人的な義務も主張もゼロなんです。日本のパスポートがなければ、どこへも行けないんです。国家があって、その国があなたを認めない限り、私たちは惨めな人生を送ることしかできない。世界を旅行してこの目で見聞し、世界の人々と会って握手をし、話し、分からない言葉でも何とか通じ合って、世界がどのような国であるかを知ろうと思えば、この日本の国から出ていかなければならない。そのためにはパスポートが必要です。国家を否定しているのなら、日本から一歩も出ないでください。そしてあなたは井戸の中の蛙として、これが世界だと思って生きていったらどうですか? それとも羽ばたきますか?
国家がなくなったのがイスラエルなんです。彼らは自分の国を失いました。AD70年から1948年5月14日まで、ユダヤ人は国を失いました。イスラエル12支族の中のユダ王国ともう一つ北イスラエル王国という国があるんです。今のイスラエルはユダヤ共和国です。政治的にはイスラエルと名付けていますが、聖書的にはユダヤ共和国です。イスラエルとい別の国があるんです。
旧約聖書は創世記に始まり、そしてイエスの時代までです。イエス・キリストはユダヤ人の王としてやってこられて、十字架に掛けられました。イエス・キリストは弟子たちに「神の国をイスラエルに出て行って述べ伝えよ」と言ったんです。イエスはユダヤの国に生まれて、イスラエルに行けと言った。その違いが判りますか? イスラエルという国はどこか別にあるんです。神隠しにあった国があるんです。ユダヤは1948年5月14日に復活しました。ベン=グリオンはユダヤ共和国と名付けようとしました。しかし政治家たちが集まって、今にイスラエルが戻ってくるので、イスラエルと名付けようということでイスラエル共和国になりました。これは政治的な名前です。
しかし、聖書的にはイスラエルは別の国にあるんです。これが日本の将来なんです。日本の将来はどうなるのか? 聖書を読んでください。「日の上がるところの国」と書いてあります。太陽が上がる国とヨハネの黙示録第7章に書いてあります。そこの天子(天皇)が四人の殺戮の天子に神の民の額に刻印を押してしまうまで待ってくれと主張する。その数14万4000人と書いてあります。これは象徴的にイスラエル12支族のことを表していると思われます。黙示録に「日の上がるところの天子が、世の終わりに向かって、神の民の額に刻印(判子)を押す」と書いてある。判子が重要視されている国は世界中で日本しかありません。ニュージーランドで判子を持っていても、何だといわれます。全部サインです。しかし聖書は刻印(判子)と書いてある。「印」と書いてあるんです。