(27)日本人の根幹にあるものは、聖書の思想にのっとっている(畠田氏)
シルクロードの国々で伝えられている物語に、釈迦前世と言われている薩埵王子の物語があります。これは仏教の説話と言われていますが、事実はそうではありません。仏教伝来の前からこれはあるわけですから、紀元後538年に、日本に仏教が伝来する数百年前からこの物語はあるのです。それは、このようなストーリーです。
ある日、薩埵王子が通りがかった崖下に、飢えた子連れの母親虎がうずくまっていた。見るからにもう何日も餌にありつけず、子虎に与える乳も出ないほど痩せ細っていた。そのことを悟った薩埵王子は、自ら崖下に体を投げ出し、母子虎の飢えを救った。
奈良の法隆寺は7世紀の初めに建立されましたが、そこに安置されている玉虫厨子の側面に捨身飼虎図(しゃしんしこず)が描かれています。スライドフィルムのように、崖の上で薩埵王子が下を見ている図、そして一番下には虎に食われている図が描かれている。有名な絵ですが、自分を投げ出して他を助けるという物語です。これが日本の思想に染みついているんです。あなたたちや私はそれを聞いて感激し、いいなあと思う。それを私たちは毎日の生活で大なり小なり実行するわけです。ですから、この日本は今まで祝福されてきているのです。
キリスト教徒が仏教の話をしているわけではないんです。まして西洋のキリスト教など、私たちに何の利益も与えません。私は西洋のキリスト教の下でイエスを信じて生活し、30年間伝道してきました。しかし多くの日本人が持っている人生で培ってきた素晴らしい文化は、聖書の思想にのっとっているものであるということを言いたいために、私は「武士道はキリストが起源だった」と言う本を書きました。そして今「日本は聖書の国だった」と言えます。このとおりなんです。もし嘘だと思われるなら、周りを見てください。そして聖書を一度じっくり読んでみてください。あなたの思想と、あなたが今まで培ってきたものと、何ら反したことをイエス・キリストはおっしゃっておられません。
しかし、キリスト教は別のことを言います。私たちの脳裏に植え付けられている西洋的キリスト教は、別の思想を吹き込んでいるのです。特に戦後70数年間、マッカーサーによって7000人の宣教師がやってきました、その7000人目の人が、ついに昨年亡くなりました。私が親しくしてきた人ですが、彼も同じ考えを持っていました。もう80数歳になっておられましたが、多くの宣教師は間違っていたと彼は言っていました。