(22)命を狙われながら正しい歴史を伝える(小野寺氏)
日本は桓武天皇の次に平生天皇と言う人がいました。その時に、いろいろ問題が大陸で起こったため、大陸から持ってきた古い記録を皆焼却したという記録が残っております。中国では周は黄帝の子孫と言うことになっているわけです。その中で天子、天王という称号で尊ばれているのは周王朝だけなのです。ほかの王統は天子、天王と呼ばれないのですね。だから、聖徳太子が日の出処の天子、日の没する処の天子にと手紙を送った。彼らにとっては周と言う国家は秦の始皇帝によって滅ぼされ、そして秦の始皇帝は「焚書坑儒」といって、徹底して周文字を否定した。日本にもう絶えたと彼らが思っていた天子が存在したということです。すなわち、周室の存在、これにびっくりしたのですよ。(滅びた南朝系の小野寺氏のことを指していると思われる)
歴史を書き換えるためには、文字がなかったことにしなければ書き換えられない。例えば今、中国の漢字は本来の文字を省略した簡単文になっています。簡単文になってしまったから、私たちには読めません。何のために簡単文にしたのか? 若い人たちが字を読めるようにするためだと答えます。本当にそうでしょうか? 中国の儒教と言う学問思想と、共産主義は相いれますか? 現代の若者が中国の古典を読んだら、思想的に共産主義になりますか? なるわけがないじゃないですか。だから字を変えて、絶対古典文字が読めないようにしたんですよ。それが本当の歴史です。
今の政体天皇の流れは、貞成(さだふさ)さんと言う伏見宮家の3代目を継承した方の息子である彦仁が後小松院の猶子になって、後花園と称して、その流れが現代の政体明仁象徴天皇の流れでございます。だけど、貞成氏のおじいさんである崇光院は、自分も自分の子孫も皇位は絶対望みませんから命だけは助けてくださいと国体の後村上天皇に申し入れたわけです。
そして実際に、後光厳と言う人は崇光院の弟なのですが、天皇と言うのは勝手になるわけではなくて、ある部分では天皇になる条件を決めた法律と言うものがあった。それは大宝律令とか、養老律令と呼ばれて、それには4世紀を経たものは皇親にあらずと示されている。明治44年に、北朝と呼ばれた5代の人々は、天皇じゃないと言って外されたのです。そして大正15年10月21日に、若槻内閣は、明治44年桂内閣の上奏により「大覚寺統正統」が閣議決定され、持明院統の光厳、光明、崇光、後光厳、後円融の5代は文部省発行の天皇「歴代表」から外された。その外した5人の北朝の人々を皇統譜令によって再び天皇としたのです。なぜか、それはまさに大宝律令に、4世を経たものは皇親にあらず、一般人だと書いてあることを知ったからです。例えば、1回姓をもらって、臣籍に降下しても、3世以内ならば、要するに元に戻れたのです。だけど、4世を経たものはもうだめなのです。それに気づいて慌てて、若槻内閣は大正15年に5人を天皇にしたわけです。そしたら、おかしい話ですが、現代の明仁君は、法律を以て5人加わったのですから、130代になるはずです。法律を以て5人を天皇にしたのだから、歴代に加え代数が5代増加するのは当たり前じゃないですか。だけど、現在は125代とされている。法律を守るべき最高責任者の法務大臣が公文書を捏造している。それで誰も何も言わない。法律を守るべき最高責任者が、自ら皇統籍と言う公文書を捏造した。
今、私はこんなことを言っているけれど、ついこの間までは命を狙われていました。政治活動をしたら暗殺するよとはっきり向こうのトップ筋の関係者からも伝えられました。でも、おととし、大変失礼しましたと、関係者3人で謝りに来たから、今は述べてもいいということなのだろうと思います。そんな関係もあって、今ここでこんなことを言わせていただいているのです。
*小野寺氏は今上天皇を北朝系だと信じているのでおかしなことを主張しているが、歴史の真実を知ればびっくりするだろう。何度も言うが、幕末において、南朝系の大室寅之助を明治天皇にしたというのが真実である。それゆえ、小野寺氏の天皇批判は全く的外れである。