(85)ネフシュタンの蛇
(天つ巻・第29帖 オオカムツミノ神の正体)
この箇所は「意富迦牟都美神(おおかむつみのかみ)」の名で記されているが、その神の正体は天照大神、つまりイエス・キリストである。だから、ここでは病を癒す力について紀さねばならない。手が付けられない病の多くは、手を当てれば自然治癒力が活性化して体が回復する。これは母親が幼子の痛む所を優しく摩る手当と同じである。今の日本も同じで、体の病と同様に心の病もひどい有様で、国も酷い状態である。頭でっかちは現実を見ないため、盲信ばかりで体がついて行かず、まさに日本人はこの病の状態である。今の日本(戦時中)全土を見ればいい、言語に絶する酷い有様ではないか。国土は焦土化し、死体は累々と横たわり、野ざらしになって朽ち果てていく。軍の官僚である「大本営」に踊らされた国民は、家族も財産を失って、絶望の底で手足が地についていない有様である。しかも国民は気づいていない。天を見上げて見よ。そこには紺碧の空が広がり、その彼方にあるのは神々の天上界である。神界を知るには頭上わずか3尺(約91センチ)を見上げれば済む。上を向くには地に足を着かねばならない。そして熟考し霊感を受けなければならない。土に素足を着ければ大地の温かみから神の愛を知ることが出来、汚れた足を洗えば、神の美しい世界に触れることが出来る。
人は汚れたままであってはならない。足を洗うとは日本を支配する官僚主義の洗脳を解くことである。へその緒を切って官僚主義者たちの呪縛から離れよ。彼らは都合の悪いことはすべて隠蔽する。足を洗うとは、昔の自分から離れることである。それを行えば、国は暴走を維持できず、結果として無意味な戦争は終わる。官僚主義者の思い通りの日本になってはならない。官僚主義は宗教カルトを駆使し、軍と政治をも支配している。
土を踏むとは足場を固めることである。足場を固めれば、二度と官僚主義に騙されずに済む。自分の頭で視野を広げて考えよ。いずれいやでも現実に直面し、それまでの立ち位置が崩壊して、素足で正しい土を探さねばならなくなる。それが天照大神の考えであり、大和民族の救いへとつながる。今はまだわからずとも、それが神の仕組みである。
これからは、時が早まって一気に物事が起きるようになる。だから一刻も早くこの世の汚れから足を洗うことが求められる。それには神が指し示す方向を受け入れることである。そのために「日月神示」が重用で、この世の足の洗い方と身の清め方が詳しく説明されている。最後の岩戸が開くとき、世界から病と言う病はすべて消え去ってしまう。国の指導者が遜って神に心を向ければ、国の病巣は姿を消すはずである。世界は神の一撃で瞬時に変わってしまう。そのことは肝に銘じておくことだ。病は苦しく辛いものだが、早く治療すれば治癒も早い。末日が極まってくると、瞬時に天地が入れ替わる天変地異が起きるだろう。その時、地球が引っ繰り返って南北が入れ替わり、今まで見たことのない夜空が頭上に広がる。そんな驚天動地の大異変が瞬時に起きる時代がやってくる。
(解釈資料)
「三尺上は天上界ぞ」の様に、天地人で最も重要なのは天である。天を見上げる姿は遜って下から上を見上げねばならない。その姿勢が「聖書」に記されている。モーセの時代、約束の地カナンを目指したイスラエルの民は、シナイ半島の荒地を40年間さまよった。その間、不信仰の陥った人々を毒蛇が待ち受け、多くの者が噛まれてしまう。それを知ったモーセは、すぐ青銅の蛇をT十字に引っ掛け、これを見上げれば救われると言った。その言葉を軽視して見上げなかった者は、毒が全身に回って滅んだが、信じて見上げた者は救いを得た。この蛇は生命の樹に巻き付く救世主を象徴する。同時にイエス・キリストがT十字に掛けられる預言を含んでいた。この蛇を「ネフシュタン」と呼ぶ。
イエス・キリストが多くの人の病を癒し、死んだ者を生き返らせた記録がある。ナイン町の青年を埋葬の途中で生き返らせ、会堂管理人だったヤイロの娘と、善人のラザロの3人を生き返らせた。しかし、実際は治癒で治した例があったことを「聖書」は記している。仮死状態だったのかもしれないが、人々は12歳の少女を墓に埋めようとしていたが、イエス・キリストはヤイロの娘を治癒で治したことになる。ネフシュタンはT十字に掛けられる白い蛇、罪な無いイエス・キリストの象徴なので、アスクレピウスの杖の蛇もそのネフシュタンの影響を受けていたとすれば、欧米の救急車はすべてイエス・キリストのシンボルで走っていることになる。日本の救急車も今はそうなっている。救急車両は赤十字をつけて走っている。これは「赤十字」から来たもので、白地に赤の十字マークは、スイス国旗の配色を逆にしたものである。赤十字は最大の組織網を持つ人道機関で、戦場で敵味方関係なく負傷者を助ける中立機関である。スイス国旗の原型は1240年に遡り、赤の地色は神聖ローマ帝国の主権と力を表し、白十字はキリスト精神で磔刑で十字架を象徴しているとされている。
「日月神示」で重要なのは、病は心身ともにあり、肉体の病だけではなく、心の病もあると告げていることである。そして心の病の方が国を滅ぼす元凶とも警告している。両義預言の意味から、「日月神示」がイエス・キリストに主眼を置く以上、日本に入ってきた神の正しい組織は無視できない。この預言箇所が、そのまま神の組織の日本人官僚主義者たちへの警告になっている。彼らは律法学者さながらに律法崇拝者で、律法の範囲以外は許可しないので神の計画の発展を著しく阻害し、組織の存亡さえ脅かすと預言されている。
イエスのたとえ話に倣って、彼らを柔道に例えればわかりやすい。彼らは柔道の乱取り稽古しか認めないため、実践が優先する世界大会やオリンピックの場で応用力に長けた外国勢に勝つことはできない。そのような指導者に任せていては日本は一勝もできない悲惨な状況を続けることになる。彼らを人体に例えれば、官僚は人体の骨格を形成する役目を担っている。国で言えば基本構造である。中央では霞が関官僚であり、地方では地方公務員である。彼らは基本を守ることを使命とする。しかし、人体は柔軟な筋肉で動くことが出来る。その筋肉までも骨で造ろうとするのが官僚主義者である。だから、国家公務員や地方公務員が悪いわけではなく、暴走した官僚主義者が悪いのである。