(84)福千年で復活する人々
(天つ巻・第28帖 一分一厘違わんのざぞ)
人が勝手に思い図るよりも遅い早いはあるが、神がいったん口に出したことは必ずこの世で実現する。日本人は目先の利益を追い求める性癖があり、無知で疑り深いため、「日月神示」を侮ったり信じようともしない。ところが、絶対神は自分の言葉を一分一厘でも違えることをしない。
イエス・キリストが再降臨すると、「福千年」の世界は平等になり、差別も無くなり、分け隔ても一切なくなる。それでも土から草木が生え、草木から動植物や昆虫が生まれ、それまで世界に君臨した者達の姿は、殆ど見受けられない。上下が逆転したのである。
(解釈資料)
神の王国は福千年における指導的立場になる。一方、原始キリスト教は既に役目を終えている。なぜなら、福千年ではイエス・キリストが目の前に存在し、千年間を治める以上、まだ見ぬ出来事を信じる信仰は不要になっているからである。
そこにイエス・キリストが存在するため、預言も預言者も不要になる。イエス・キリストが福千年を統治する場所が、神の王国「シオン」となるため、原始キリスト教徒は使命としてシオンを建設せねばならない。
「下つ巻・第26帖」でも解き明かしたように、この世の苦渋は女の出産の苦しみによって終焉し、生まれ出た子が次の時代を受け継ぐため、この出来事は第7の封印に収められている。福千年に関わるからある。
サタンを足で踏みにじる天使は、大天使ミカエルしかいない。
「この天使(ミカエル大天使)は、悪魔でもサタンでもある年を経たあの蛇、つまり竜を取り押さえ、千年の間縛っておき、底なしの淵に投げ入れ、鍵をかけ、その上に封印を施して千年が終わるまで、もうそれ以上、諸国の民を惑わさないようにした。」(「ヨハネの黙示録」第20章2~3節)
福千年の期間、「鍵をかけて、その上に封印を施して」とあるように、サタンは完全に獄に縛られ、地上の人々を誘惑できなくなる。よって、福千年を生きる人々に悪ははびこらず。仲良く平和に暮らすことになる。
福千年を生きる人々は原始キリスト教徒だけではない。福千年で復活するのは、様々な宗教を信じ、真面目に生きてきた人々や、たとえ無宗教でも高い道徳心を貫いた善人たちは復活するし、無数の赤ん坊と幼児も復活する。
様々な理由で亡くなった無数の赤ん坊と幼児は福千年の間に復活して成長することが出来る。精神の病で子供同然だった人々も段階的に復活する。
しかし、この世に執着し、獣の数字を身に受けた人は、福千年の期間に復活できない。