(1)南朝の流れを引く「隠岐の国」は、今も尊王の島(吉田雅紀氏)
これは吉田雅紀、菅沼光弘、板垣英憲、出口恒、小野寺直、畠田秀生、飛鳥昭雄著「特殊なこの国と天皇家の超機密ファイル」の要約である。ただし、私の意見と異なる場合は省略する予定である。
吉田雅紀氏は、島根県議会議員であり、隠岐の島からやってきた。隠岐の島は、後鳥羽天皇・上皇、後醍醐天皇と言った南朝の流れを引いているので、尊皇の島、尊皇の民という自覚がずっとある。
私(吉田氏)の先祖に中沼了三と言う明治維新の時の儒学者がいます。この方は、孝明天皇、明治天皇の2代に渡って儒学を教えた天皇家の家庭教師です。孝明天皇から明治天皇へ移る時を目のあたりにしています。この方の影響で、私たちは南朝思想、尊皇の思想が極めて強いことろに生きています。
戊辰戦争(1868~1869年)があり、ここで鳥羽街道に錦の御旗がひるがえります。この時の参謀総長が中山了三です。
私の妹の嫁ぎ先が宮内庁の車馬課、天皇家の御料車の運転手を代々やっているところで、義理の父からもいろいろ話を聞いていました。昭和天皇をお乗せしたときは、現人神の流れですから、息をするのもはばかれるような緊張感の中で御料車を運転したけれども、今上天皇になられてからは人間をより感じるような中で仕事が出来たということを生前に語っていたのを思い出しています。
出雲の国の延長としての隠岐と思えるかもしれないが、むしろ、出雲と隠岐は敵対してきた歴史もある。古地図を遡っていくと、隠岐はどんどん大きく描かれている。古代の印象がそうさせているのだと思う。しかし、何故か隠岐は神様から隠されてきたと思う。
隠岐の秘密とは何か? 隠岐は全国の離島の中で別格で豊かだということです。隠岐は水の島、水が溢れ返っている島です。コメを一番贅沢に使う大吟醸酒さえある。
歴史の教科書で、隠岐と言えば後鳥羽上皇や後醍醐天皇が流された島と言うことを思い出す。当時の一番の大罪は国家転覆罪、政治犯です。政治犯は貴族・皇族はみんな流される。後鳥羽上皇に至ってはここで生涯を全うした。後醍醐天皇は1年ほどでここを脱出して、建武の中興(1333年)という天皇親政を敷く。
流されたと言って、地方に天皇以上の権威はどこにもないので大事にされます。あちこちから船を使っていろいろな海の民、山の民が渡ってきて、天皇の命令を綸旨の形で持って全国に散っていく。
私たちは根本的に神道の生活をしている。私のところは仏壇は無しです。神棚しかありません。隠岐は4つの島があって、全体が隠岐です。島前(どうぜん)、島後(どうご)というエリアがありますが、私は島後の話を中心にします。
島後には沢山の神社があります。神様と言うのはイザナギの命の禊から始まる忌み穢れを嫌うというのもありますが、同時に、「神道は人が死んだら神になる」という教えが私たちの身についている。仏教だと1年経ったら、1周忌と言うが、神道の場合、1年経ったら1年祭、お祭りなのです。1年祭で正式に神様の仲間入りをさせてもらうという印象です。いわゆる忌明け、神道では50日祭と言うのが仏教の49日に当たる。
隠岐は、西日本最大の黒曜石の産地だった。石器時代から縄文時代にはそれを宝の石としていました。しかも、水と食べ物が豊かな島だった。隠岐はどこよりも発展しただろうということは想像にかたくない。
地質的に、隠岐は日本ではない。隠岐は金日成が生まれたという嘘の伝説のある白頭山の火山帯の突端だから、隠岐は大陸の端っこです。地質的に日本列島ではないから隠岐は地震がない。
日本列島の中で一番古い岩石は、岐阜県の飛騨片麻岩と言う深成岩です。隠岐の岩石はこれに次ぐ古さです。隠岐は古い島であるということを申し上げておきたいと思います。