Quantcast
Channel: 日本と世界の情報ブログ
Viewing all articles
Browse latest Browse all 1382

物部氏とアークの謎(33)

$
0
0

(33)4カ所の神社で封印を解除したので、これからは物部の時代に入る!

飛鳥「徐福=物部の第1陣は丹後から上陸し、第2陣が九州から上陸した。それらの流れが後に合流する。なぜ合流したかと言うと、狗奴国(くなこく)が攻めてきたからです。そして、この合流は邪馬台国の卑弥呼の背後に弟の存在があったという話に重なる。面白いことには、この構造は聖徳太子と推古天皇の関係によく似ている」

杣「なるほど」

飛鳥「いずれにせよ、神武天皇がやってきたのは魏志倭人伝の後の3~4世紀の事だという」

杣「実在の人とすれば、歴史上はあの辺りですね」

飛鳥「多次元同時存在の法則の考え方で言うと、神武天皇には異名が沢山あって、海部光彦宮司によると、「神」の漢字を含む崇神天皇も応神天皇も全て神武天皇だという。さらに、雅号などから考えると、仁徳天皇まで同じ神武天皇なのだということです。簡単に言うと、古事記と日本書紀にある応神天皇は、幼少期の記述が非常に多い、。逆に仁徳天皇は成人期の記述がほとんどで、両方合わせるとちょうどいいことから、同一人物ではないかとされている。それを物語る仕掛けが雅号で、応神天皇の雅号「品蛇和気命(ほんだわけのみこと)」の和気を「わけ」とすれば「分け」の示唆になっている。さらに応神天皇と仁徳天皇はともに善玉とされるが、古事記と日本書紀では年代が全く違う。この2人は親子ではなく兄弟、あるいは双子ではないかと言う説まである。古事記に出てくる武内宿祢は、第12代・景行天皇から、第13代・成務天皇、第14代・仲哀天皇、第15代・応神天皇、第16代・仁徳天皇にわたる5代もの天皇に仕えた謎の人物です。244年もの間仕えたことになる。しかし、それはありえない。一番わかりやすいのは、宿祢が使えた5人の天皇が全て同一人物であるということですよ。つまり、「応神天皇=仁徳天皇」となり、日本最大の2つの天皇陵の名称も間違っていることになる。さらに言えば、神武天皇と応神天皇は同一人物だから、決史8代どころか仁徳天皇まで同一人物なので決史15代は確実と言うことになる。いずれにせよ、記紀神話によると、初代・神武天皇は纏向、大和に入った時、その地の王であったニギハヤヒ(物部氏の祖神)に対面して、お互い天羽羽矢とカチユキを見せ合った。それで互いに天津神だと分かり、ニギハヤヒは神武に国を譲ったという話になっている。日本人はこれが得意なのですよ。江戸城の無血開城もそうなのだが、世界でこれをやるのは日本人だけみたいですね。第2次世界大戦の時、日本は寸前で天皇の玉音放送により、戦闘を止める。米軍が入って来たときも、道路を通るマッカーサーを守っていたくらいですからね。こんなことは世界じゃありえない」

杣「全くその通りです」

飛鳥「それで、神武天皇が大和入りし、ニギハヤヒが支配権を譲り渡したという話は「邪馬台国=大和の地」に後から来た天皇家・・・・僕の考えではイスラエル10支族の内のガド族ですが、その天皇に対し、それまで邪馬台国を支配していた物部の王が支配権を譲ったことを意味する。その時、互いに天津神であることを示す物品を見せ合うわけですが、これはモーセの三種の神器のいずれかでしょう。推測ですが、十戒石板、つまり2枚の八咫鏡は後から来た天皇家が持っていたのではないか。物部、海部氏の祖である徐福は日本に2度来ている。その時、別々にマナの壺とアロンの杖を持ってきた。物部は紀元前、徐福の時代に渡来したから、キリスト教以前の古代イスラエルの宗教を信じていた。これは後にユダヤ教となり、旧約聖書としてまとめられた教えです。一方、神武は後の秦氏でもある。つまり、「神武系=秦氏」と言うことです。彼らは紀元後の渡来だから、新約聖書を持っている原始キリスト教徒です。それで、物部と秦氏が日本で出会ったとき、三種の神器を見せ合って、互いがイスラエルの末裔であることがわかった。その後、「十戒石板=八咫鏡」は秦氏系の天照を祀る伊勢内宮に祀られた、外宮には徐福が持ってきて、かっては籠神社にあった「マナの壺=勾玉」が祀られた。もう一つの神器「アロンの杖=草薙剣」については、熊襲征伐や東国征伐で活躍した日本武尊が使ったことになっている。しかし、日本武尊は第12代・景行天皇の子なので、決史15代から「神武天皇=日本武尊」となる。つまり、日本武尊が使った剣と、雷神として祭られる建御雷神が神武天皇に送った剣「布都御魂」は同一の剣と言うことになる。建御雷神は同じ雷神の須佐之男命だから、出雲の大国主とも同一神になる。つまり、古神道の物部氏が先に草薙剣を持って渡来していたことになる。そうでなければ、「建国の剣」を神武天皇に譲ることができない。それから、同じ伊勢でも物部系の伊雑宮が預かることになり、その後の壇ノ浦の戦いで熱田神宮へ移された。ただ、伊雑宮は小さくなってしまい、ほとんど忘れ去られた存在になった」

杣「伊雑宮は今は小さい神社ですよね」

飛鳥「ところが、草薙剣はまもなく熱田神宮から伊雑宮に戻される。これは何を意味するかと言うと、「物部が持つ2つの神器と秦氏系の1つの神器が伊勢神宮に揃う」ことになる。これにより、形成が逆転して今度は物部が主導権を握ることになる。だから、僕は4カ所の神社で封印を解除した。それにより、これからは物部の時代に入るのです」


Viewing all articles
Browse latest Browse all 1382

Trending Articles



<script src="https://jsc.adskeeper.com/r/s/rssing.com.1596347.js" async> </script>