(34)出雲大社の本殿はメノラーを象徴している?
飛鳥「杣さんが熱心に調査されている、イスラムのシンボルである7枝の燭台(メノラー)についても触れておきたい。あれはローマ帝国が持ち帰って、ローマにある凱旋門にもレリーフとして刻まれている」
杣「メノラーはローマ帝国が持って行きましたよね」
飛鳥「ところが、ローマが持っていったのはキリストの時代の第2神殿のメノラーであって。その前の第1神殿にあったメノラーの行方は分かっていないのです。そのメノラーがあるのではないかと僕が推測しているのが出雲大社です。あそこでは、スサノオが「八雲立つ」と一句読んでいる。これは、「八つの雲」と言うことだけど、実は出雲大社の本殿には雲が極彩色で描かれているのに、この雲は7つしかない。なのに、「八雲」と言うのはおかしい。おかしいというか、これこそがヒントなのです。つまり、これは7枝のメノラーを暗に象徴している」
杣「なるほど」
飛鳥「実は出雲大社の御神体は「あっち向いてホイ」なのです。普通、神社の拝殿は南側に、本殿は北側に位置していて、御神体は参拝者に正対する形になる。でも、出雲大社だけは、御神体が横を向いている。「あっち向いてホイ」になっているのですね。それって何だろう、と言うことなのです。「あっち」を向いているということは、立体構造体があって、正面から見るとこういう形なのだが、横から見たら形が違うというトリックアートのようなものではないか。つまり、メノラーは正面で見たのと側面で見たのでは形が全然違うのですよ。正面から見ると1本だけど、横から見たら7枝。戦後の東京・足立区にあった「お化け煙突」みたいなものですね。でも、もともと神社は1本柱でなければいけない。原則的には参拝者から見れ、北に1本の柱があるはずなのです。だけど、そこにメノラーがあるとすれば、「アッと向いてホイ」で、正面からは1本に見えるけど、横からは7枝と言う形で置かれているのではないか。そして、メノラーだとすれば表には西を向いていて、裏は籠神社を向いているはずです。実はモーセの時代、約束の地カナンを目指してシナイ半島を移動しなければならなかったので、神殿は移動式の幕屋でした。その時、聖所(拝殿)から見た幕の内である至聖所(本殿)は西の方向でした。一方、日本では「北斗信仰」から、拝殿から拝む本殿は北にあるのが基本です。つまり、90度向きが違っている。そのため、旧約聖書の時代を踏襲する出雲大社では、北斗信仰を尊重しながらも、西向きに御神体を置くことで、自分たちの出自を明らかにしていたということです。
幕屋の時代、メノラーは至聖所に置かれていた。西の聖所に向かって左側になる南に置かれていた。図式で言えば7枝が開いた状態を北に向けていた。しかし、日本では北斗信仰から西向きの幕屋がそのまま90度方向が変わり、北を向いていたメノラーは東を向くことになる。ここがミソで、出雲大社の本殿で御神体が置かれている「御神座」は、本殿内側の北の壁と東の壁の角なのです。そこにメノラーを東に向けておけば、メノラーは東の壁ギリギリを向くことになる。その結果、神官たちはメノラーの裏側を見て儀式をしなければならない。人間に置き換えれば、お尻に向かって儀式をする羽目になる。そこで、メノラーの正面を西向きにしたわけです。本来の方向からすれば逆向きだが、幕屋自体が西向きだから逸脱しているとは言えない。興味深いのは、その配置を命じたのが籠神社だったということです。それを証明するのが、籠神社発祥の「カゴメ唄」にある「後ろの正面」で、本当のメノラーの正面(正位置)は後ろの「東」と言っている。さらに面白いのは、出雲大社の御神体の後ろの正面(東)に位置するのは籠神社です。また、向き合う伊勢神宮の「外宮」の後ろの正面に位置するのも籠神社です。両方の線が交差する位置に籠神社があるのは、ここが元出雲であり元伊勢と言うことです。「元=本」に置き換えれば、さらに籠神社の正体が見えてくる。「本出雲」「本伊勢」となる。事実、籠神社は「本伊勢」とも名乗っている」