(24)中央アフリカの祭りに「お盆」がある!
杣「アフリカのマウントケニア・ユニバーシティと言う大学で講演したことがある。4万人ぐらいの学生がいるところ。そこで、諏訪大社の話をしたら、だいたい皆理解できる。諏訪大社の儀式のミサクチとか、宮司の守矢家の話とか、御神体がマウントモリヤ(守屋山)でプリースト(神官)が守矢ファミリー(守矢家)だと言うと、それですぐわかる」
飛鳥「凄いね。ユダヤは世界共通語だね」
杣「アフリカ人も理解できる。これが分かったのは凄く大きな進展だった。それで、シャハン教授の本によると、西アフリカ共和国にダンバラ族と言う人々がいて、彼らの最も古い祭に「お盆」があるという」
飛鳥「お盆ですか?」
杣「はい。それで、その祭は先祖の贖罪のためにやるという。ロウソクも灯してね」
飛鳥「日本のお盆と同じですね。日本人はお盆は仏事だと思っているが、実は、日本古来の祖先の霊を祀る「祖霊信仰」と仏教が融合した行事なのです。仏教が伝来した時から、日本では年に2度、初春と初秋の頃、祖先の霊を慰める行事を行った。初春の行事とは正月の事で、死んだ歳神の霊をお招きし、お屠蘇を振る舞って3日後にお見送りする。だから、正月は「参賀日」になり、最後は書き初めをする。その名残が神社で松明を燃やす「火祭り」ですね。だから、日本の正月は葬儀なので、家長は礼装し、家も掃き清めるし、厳粛で静寂な雰囲気が求められた。それが「過ぎ越し」ですね。過ぎ越しとは古代イスラエルで、災いが過ぎ越すために犠牲の小羊を捧げて、その血を家の入り口などに塗った出来事です。「出エジプト記」でも描かれている通り、静寂の中、家族で身を寄せ合い、酵母菌を入れないパンを食して神の霊が通り過ぎるのを持った。ヤハウェは受胎前のイエス・キリストなので、神霊のままでした。種を入れぬパンとはイースト菌を加えないパンで、日本ではそれが餅になる。
「モーセは言った。主はこう言われた。「真夜中ごろ、私はエジプトの中を進む。その時、エジプトの国中の初子はみな死ぬ。王座に座しているファラオの初子から、石臼を引く女奴隷の初子まで。また家畜の初子もすべて死ぬ。大いなる叫びがエジプト全土に起る。そのような叫びはかって無かったし、再び起こることも無い」しかし、イスラエルの人々に対しては、犬ですら、人に向かっても家畜に向かっても、うなり声を立てません。あなたたちはこれによって、主がエジプトとイスラエルを区別しておられることを知るでしょう」(「出エジプト記」第11章4~7節)
「エジプトの国で、主はモーセとアロンに言われた。「この月をあなたたちの正月とし、年の始めの月としなさい」(「出エジプト記」第12章1~2節)
「その血を取って、小羊を食べる家の入口の2本の柱と鴨居に塗る…・又酵母を入れないパンを苦菜を添えて食べる」(「出エジプト記」第12章7~8節)
イスラエルの過ぎ越し祭を踏襲する日本では、心霊である歳神を迎えた日を「正月」とし、餅を葉っぱと炊いた「雑煮」を食する風習が生まれた。日本では血の色で2本柱と鴨居を塗った稲荷鳥居をくぐると「厄払い」になるとした。最も重要な儀式は、歳神の霊を門松から迎え入れ、注連縄を張った結界(境内)にお招きし、正装の家長がお屠蘇を振る舞うことだった。それは「屠殺」された歳神に向け、「蘇り」を告げて慰めるためだった。だから、日本人の正月は「殺された神の葬儀」なので、欧米人のようなカウントダウンで大騒ぎしたりしない。本来は過ぎ越ししたのはヤハウェの霊ですが、磔刑で殺されたイエス・キリストの霊は、再びヤハウェの霊の状態に戻りました。3日後の復活まで、イエス・キリストは黄泉にいる多くの亡霊のところに行っていた。その神が「黄泉から帰る」ので「蘇り」と言う。一方、初秋の行事は、先祖の霊を救う「元糺す」の日だったが、盂蘭盆と習合して、仏教の行事として行われるようになった。この時期は七夕とも重なる」