(22)元伊勢で「三礼三拍手一礼」をしてきた
飛鳥「2016年、僕の読者を対象とした京都ツアーで、籠神社を訪問した。籠神社は丹後一宮であり、かって伊勢神宮の元伊勢にもなった日本最古級の神社ですね。僕が事前に連絡を入れたのですが、その返事がない。海部宮司とは以前に何度もお会いしているのに、電話を取り次いでもらえない。これはどういうことかと言うと、背景に皇室・高円宮と出雲大社の宮司家とのご成婚がある」
杣「高円家の次女・典子さまと出雲大社権宮司の千家国麿さんのご成婚ですね」
飛鳥「あれが終わるまでは、飛鳥とは合わないという。要するに、引っ掻き回されたら困るということなのでしょう。それで、ツアー当日も海部宮司は出てこない。どうしてもおられる様なんだが、出てこない。これまでは「3分しか会えません」なんておっしゃっていても、結局、10時間くらい話をしてくれるような人だったが、その時は一切出てこない。それで、ツアー参加者と一緒の正式参拝でも代理の神官が出てきた。どうも、見た目は伊勢神宮から来られたような感じの神官だった」
杣「雰囲気が?」
飛鳥「うん。勿論、最近は神社本庁から、殆どサラリーマンみたいに送られたりするから決めつけは出来ないけど、僕らが来ることは明らかに分かっている目つきなのですよ。それで、これはもういよいよその時期だと思った。何の時期かと言うと、「三礼三拍手一礼」で参拝する時期だということです。一般的に神社の参拝は「二礼二拍手一礼」が常識でしょう? 伊勢神宮とか出雲大社だとちょっと違うのですが、基本的には「二礼二拍手一礼」ですよ。でも明治以前は「三礼三拍手一礼」だった。国家神道を明治政府がやるときに変えてしまった。なぜ、「三礼三拍手一礼」だったかと言うと、どの神社も、元は三柱の神を祀っていたからです。多かれ少なかれ、1柱だけということはまず無くて、だいたい3柱を祀っている。3柱を拝むから「参拝=三拝」という。そして、そこに至る道を「参道=三道」という」
杣「なるほど」
飛鳥「日本の神社はそういうふうになっている。そして、「三礼三拍手一礼」に戻す時期が来たと僕は判断した。その時は、まず籠神社でと決めていた。なぜなら、あそこが一番古い元出雲であり、元伊勢でもあるからです。そこで「三礼三拍手一礼」をやるときが必ず来ると思っていた。伊勢神宮から来た神職がその場を管理していたけど、やってしまえばこっちのものである。そのとき、向こうは「滞りなく終了しました」とおっしゃった。それで、「よし、わかった、滞りなくだな」と言うことで終了した。
何が終了したかと言うと、最古の神社の「岩戸開き」が終了したということです。これをきっかけに全部で4カ所、四隅で決行しなければならない。それで、その次にツアーで行ったところが諏訪大社です。諏訪大社でも「三礼三拍手一礼」をしてきた。その次が熱田神宮、最後が三重県の伊雑宮で、何処も物部系神社の中で要となるところばかりです。その直後に、今上天皇陛下の「御言葉」が発表され、皇太子に正式に皇位が継承されることが決定した」
杣「話は変わりますが、私、ウガンダに行ってきました。ウガンダの首都・カンパラから車で4時間ぐらいかかりました。初めて行ったのですが、すごく広い湖があって、伊勢神宮みたいなところなのです。自然が豊かで魚も鳥もたくさんいて、そこに源流がある、島が2つあって、そこでも古代から燔祭をやっていた」
飛鳥「実際にやっていたのですか」
杣「それで、その燔祭をやっていた場所が「ジンジャ」と言うのですよ」
飛鳥「神社の意味かな?面白いな。まさか生姜のジンジャーではないですよね」
杣「その一帯がジンジャと言う地名ですね」
飛鳥「面白い。偶然ではない感じ」
杣「僕もビックリして。アメリカ人もびっくりしたけど。そこはイギリスの探検家が最初に見つけた所で、その記念碑と反対側のところに、赤い石碑がある。それで「あれ、何?」と聞いたら、マハトマ・ガンジーの遺灰が遺言で3つに分割され、その1つがそこで川に流されたという」
飛鳥「それは知らなかった」
杣「1つはガンジス川、もう1つはヨルダン川、そしてもう1つがそのジンジャでナイルに流された。だから、マハトマ・ガンジーも知っていたのだと思います。つまり、全て繋がっている。エジプトから繋がっている」
飛鳥「そうですね。当然ながら彼はキリスト教も知っていたはずだし」
杣「うん。すべての宗教を否定しませんでしたからね」
飛鳥「ガンジーの言う不服従と言う形は、日本のやり方みたいなところがある」
杣「そうですね。非暴力で不服従」
飛鳥「「積極的には協力しない」と言うことね。ただ、これが極まってしまうと日本の官僚みたいになる。これ面従腹背と言って、執政側に結構ダメージを与えることになる」
杣「ジンジャでガンジーの遺灰が流されていたというのは、びっくりしました」
飛鳥「ウガンダの「カンパラ」と言う地名も無視できない。なぜなら裏の陰陽道は「漢波羅」と呼ばれる。ユダヤ密教のカバラは「迦波羅」とも書いた。そこから当てた字が「神原」であり、富士山南部の地名である「蒲原」ですね。その元はカバラから来たもので、カバラはユダヤでは10のセフィロト(球体)をジグザグに下る「雷の閃光」の意味となる。だから、日本人は昔から自分に雷が落ちないように「くわばら、くわばら」(カバラ、カバラ)とおまじないをしてきた。ユダヤ密教の「生命の樹」は三本柱です。四国の忌部の長は三木一族ですが、その「三木」の性は生命の樹の三本柱から来ている。「カバラ=くわばら」の桑原の桑ですが、これを漢字分解すると「又・又・又・木」となる。又を3つ書くが、又又又で三人の「又=股」の木で、「三又柱」となり、京都太秦の蚕社に立つ三柱の神の三柱鳥居になる。・・・・・女性は最大級の出迎えを左右の三つ指で行う。つまり「桑」は「三柱の神の木」の意味であり、生命の樹を指している。また、桑原で至高の「高天原」を暗示するのです」