(18)中国とヨーロッパを結ぶ「古代の航路図」
杣「シャハン教授曰く、ノルウェーからイギリスに、今のアシュケナージ系ユダヤ人が移動してきたことは証明されているそうです。はっきり、そう言っています。そういう本はもう出ていて、イギリス人も知っているから、私の本もイギリスの方が売れるよと言っていました」
飛鳥「そうでしょうね。シャハン教授はアメリカのインディオとかネイティブアメリカンについても、あれはイスラエルの失われた10支族だと断言している」
杣「はい。それで、こういう話を信じられない人にぜひ伝えたいのは、すでに古代の航路図が見つかっているということです。つまり、海を高速道路のように移動するルートがあった。一般的に、シルクロードと言えば陸の道しか教えられていないので、そんな海上交通路がつながっているはずがないと思っている人が多い。だから、この話を学者に説明する時には、「エジプトが国としては一番古いですよね?」とまず聞く。当然「そうです」と返ってくる。そこで「あれは紀元前3000年、つまり今から5000年前でしょう?」「エジプトはナイル川の上流と下流の国が合併してできた国ですよね?」と確認する。そのナイル川は7000キロの長さがあるのです。国内が7000キロあるのに、その移動にナイル川を使わないわけがない。そこで、「その7000キロを船でいけないと言うなら、その理由を私に説明してもらえませんか」と言う話をすると、学者の顔が見る見る赤くなっていく」
飛鳥「そりゃあそうだ。その7000キロを船で移動できないと、とても国はまとまらないからね」
杣「さらに、古代の人達が、海を高速道路として使っていた証拠が香港歴史博物館で見つかっていて、紀元前200年頃の漢の時代にはもう、東アジアからヨーロッパにまで船で移動していたのは明らかです。古代航路でつながっていたわけです。それ以前の4000年前からつながっていたのです。それから、ローマ時代の遺物を展示するローマ国立博物館の話もします。香港歴史博物館がアジアから見た側だとすると、反対側の西からの視点も提示するわけです。つまり、そこにはローマ帝国時代の交易図があり、中国の航路図と一致する。そのことを知ると、皆さんは納得してくれますね。
それから、日本のことを説明する時には、諏訪大社のミサクチのイサク奉献の祭り、つまり御頭祭の話をします。「創世記」第22章で、アブラハムが息子のイサクを小刀では屠って神に奉献しようとしたところを天使に止められ、息子の代わりに牡羊を生贄に捧げた話がありますね。御頭祭ではこれが、神官が少年を小刀で屠って神に奉献しようとしたところを別の神官が止め、少年の代わりに鹿の頭75頭分を奉げることに置き換わっています。しかも、創世記におけるその舞台はモリヤ山で、諏訪大社の御神体は守屋山。宮司家は守矢家でしょう? 更に諏訪大社の原初の御祭神とされる「ミサクチ」の名は「MI(源)+ISSAC(イサク)+CHI(物語)」と分解でき、これをヘブライ語として解すると「イサク物語の源」となります。こういう話を外国人にするとビックリする。旧約聖書のイサク奉献の話が、2000年以上前から続く、日本最古級の神社の祭りとして再現されているということに、ビックリするわけです」
飛鳥「ビックリするでしょうなあ。それから、「天地創造」などのハリウッド映画ではイサクを小学生ぐらいの子供として描いているが、年齢計算して調べてみると、20歳を過ぎている。つまり、父親を力ずくで屈服させることもできたイサクは、神と父親の命令に従ったことになる。一説では、30を過ぎていたともされ、後にアブラハムには子供が70人以上生まれているね」
杣「ヨセフの子供の数が75人であり、御頭祭では75頭のシカを奉げていたわけですから、そこも一致する。ヨセフの子供が75人と言うのは、北イスラエルの人達の考え方です。彼らは紀元前722年のアッシリア捕囚をきっかけに離散して、「イスラエルの失われた10支族」となった人々です。だから、御頭祭の75頭のシカと言うのは、諏訪大社を築いた人々がかなり古代に日本に来た証拠だと説明します。その一方で、日本は中国の影響を物凄く受けたと外国人は思っているから中国の話もします。中国は儒教や道教と言うものが、そもそも旧約聖書に裏付けられた信仰だということを説明するわけです」