(17)忌部の麁服は聖骸布だった!?
飛鳥「天皇陛下はあくまでも「仮」と言う形で、この国を預かっている。「天照大神=イエス・キリスト」の代理として、ヤハウェの象徴である三種の神器とそれを収める聖櫃(アーク)を預かっているわけです。それで、四国の忌部氏は、皇太子が天皇に即位する大嘗祭(だいじょうさい)のために麁服(あらたえ)と言う麻で織った反物を上納する。それも2枚。1枚は長いもので体を覆うもの。もう1枚は絹で編んだ小さな反物。これは顔を覆うものです」
杣「顔を覆う・・・」
飛鳥「これ、イエス・キリストの磔刑の後、アリマタヤのヨセフが遺体を引き取って包んだ布の再現なのです。聖書にはイエス・キリストの遺体を包んだのは亜麻布(あまふ)としてイタリアのトリノに残されていますね。そして、この同じものを忌部が天皇陛下の儀式の時に奉献する」
杣「麁服が聖骸布と同様のものだとは知りませんでした」
飛鳥「この忌部による麁服の奉献は明治天皇以降に復活している。つまり、忌部は北朝系の天皇を偽者と見做していたので、それまで長い間、麁服を納めていなかった」
杣「ああ、なるほど」
飛鳥「納めなかったから儀式が出来なかった。大嘗祭は天皇をイエス・キリストと見立てて死と復活を再現する儀式ですからね。ところが、明治天皇以降にそれが復活した。それは、幕末の時、孝明天皇から明治天皇に切り替わるそのタイミングで、北朝から南朝の天皇に摩り替えられたということです。いわゆる「明治天皇摩り替え説」は本当だということがここからも分かる」
杣「言ってはならぬ大きな秘密。でも、みんな知っているという・・・・」
飛鳥「だから、南朝を守ってきた楠木正成の像を明治天皇が命じて作らせて、皇居の前に置いた。よく考えると、北朝系の天皇があれを作らせるわけがない。皇居の前ですからね」
杣「あるわけがないです。反逆者の像を自ら建てるなんて」
飛鳥「そうでしょう? おまけに、帝国議会でも「南朝こそ正統」と言う決議がなされた。明治天皇は「南朝こそ正統」と言う裁断を下された。「南朝こそ正統」と主張するのは自分が南朝系だからでしょうね」
杣「卍と言うシンボルの古い物を調べたら、一番古いのが紀元前3000年のものでした」
飛鳥「卍は世界中でよく使われる普遍的なシンボルですが、「鉤十字」と言われるように、基本的には十字架のバリエーションです」
杣「そうですね」
飛鳥「逆卍もあって、卍と逆卍で陰と陽、生と死という対になっている。その両方があって初めて世界が成り立つ。結局は、始めと終わりという意味だからね。それで、ナチスは逆卍を使った」
杣「エルサレムのフルダ門は第2神殿時代に建てられた神殿の丘への入り口ですが、その円形の天井の真ん中はロータスです。そして、そこにいろいろな十字のデザインがある。しかも、正面から入った所から見たとき、内側から外を見たのでは見え方が真逆になっている。これは、飛鳥先生もおっしゃった、卍と逆卍の話に通じるものだと思います」
飛鳥「こういうシンボルは本当に世界中にありますね」
杣「イスラエル博物館にも壁画として卍がありますよ。テルアビブのベン・グリオン空港にも古代の卍があります。僕はその写真をユダヤ人の学者に見せたのです。「あなたたち、卍や十字架を嫌いだと言うけれど、古代からあなたたち自身がこのシンボルを使っていますよ」と言うと、「そうか」と納得しますよ」
飛鳥「ベン・グリオン空港に行くと、出る途中に大きな壁があって・・・」
杣「いろいろなものが描いてあるでしょう? その写真を見せたら、そのユダヤ人学者も「しょうがない、認めざるを得ない」となった」
飛鳥「あの空港、実は日本がお金を出して整備したのですよ。以前、あそこで日本赤軍による乱射事件があったでしょう? あれで日本が賠償と言う形で、あの空港を整備する費用を負担した。現地のガイドがそう言っていました」
杣「そういえば先日、アフリカからの帰りの飛行機で、イスラエルの観光団が一緒だったのですね。隣の席に何人かいて、それで、少し話したら、イスラエルから観光で日本に行くところだという。そこで、講演で使った英語の資料を渡したら、「えー」ってびっくりしていました」
飛鳥「それは、びっくりするでしょう」
杣「引率のツアーコンダクターもいつも来ている空港なのに古代の卍があるなんて知らなかったと言っていました」
飛鳥「そうでしょうね」
杣「それからウガンダの宣教師がロンドンで10日間に渡って開催される聖書関係展示会によく行くそうで、日本とユダヤの関係についての話はイギリスでも広まっていると言っていました」
飛鳥「イギリス人も絶対、興味を持つでしょうね」