(15)漢字に隠された聖書の思想
杣「先日、東京のあるラビ(ユダヤ教の聖職者)が姫路から連絡をくれて神戸で会った。コーシャ(ユダヤ教の戒律に沿った食品)を認定している方ですが、以前、その彼のユダヤ教会と自宅に行ったことがある。その帰りに「箴言(聖書のおける教訓集)で見送ってあげる」と言う。彼には8人の子供がいて、そのうち6人が男の子で、これは男しか歌えないということで、彼と男の子供たちが歌ってくれた。この時、箴言は読むものではないと知りました。これは歌うものだったんだと、その時気付かされた」
飛鳥「そうだよね」
杣「飛鳥先生の「エチオピアで古代イスラエルの音階が聞ける」と言うお話を聞いて、改めてそう思いましたね」
飛鳥「ある意味で物的証拠ですよ。民族の流れの歴史は、そういう形で残されていますから。子供たちでもそう。日本の子供たちも、いろいろな昔の音階をずっと継承している。口から口へ伝えられて残っていますからね。それで、「寺」と言う字に十字架が隠されているのは、その通りなのです。「寺」は「土+寸」と書くでしょう?」
杣「「土」と「寸」」
飛鳥「それで、漫画では、地面にドーンと着地することを「ドスン」と表現する。この「土寸」と言うのは寸法と言うこと。そして、「寺」と言うラテン語もあるが、武宮恵子さんのSF漫画「地球へ・・・」では「地球へ」と書いて「テラへ」と読ませていましたね」
杣「ああ、地球・・・・そうですね」
飛鳥「これは、土の寸法を測るというのが「世界」と言う意味になるということです。それで、「土」と言う漢字は、大地に十字架が立っているでしょう?」
杣「確かに、大地に十字架が刺さっている」
飛鳥「これはキリストの象徴なのです。そして、その左右に2人の罪人であるところの「人」が立つと、巫女さんの「巫」と言う漢字になる」
杣「人がいると巫女になるわけですか」
飛鳥「説明すると、「巫」では、どうして頭が突き出ていないかと言うと、当時のローマ時代の十字架はT十字だからです」
杣「T字型の十字架ですね」
飛鳥「ここに罪状板を打ち付けると最終的に十字になる。だから、イエスが運んだのは横木だけなのですよ。これが枕木と同じくらい重いわけで、いや、それ以上かもしれない」
杣「あれぐらい重いですよね」
飛鳥「普通は運べない。むしろ、十字架をずるずる引きずっている方がまだ軽い。力が分散するから。その前を、罪状板を打つ男が歩くのですが、イエス・キリストの場合はT型になっていた。磔刑の場ではこれを杭の最頂部に打ち込むと、十字架になるわけです」
杣「横木だと重い」
スカ「これを「くびき」と言う。牛や馬を横に並べて繋ぐ板ですね。ローマではこれをパティブルム、またはアンテンナと言う。処刑場のゴルゴダの丘には杭(縦木)が立っていて、それをスタウロス、またはクシュロンという。特にイエス・キリストの場合、左右に罪人が2人十字架にかけられていましたから、地面の上のT十字架の左右に2人がいる構図となる。「巫」の文字が出来ているわけです。そして、この「巫」と言う漢字は、「御子」にも通ずるわけです」
杣「確かに、「御子」もミコですね」
飛鳥「ミコは「神子」であり、ダビデ王の血族なので、本来であれば「皇子」でもあるわけです。彼は救世主ですから、最初に救ったのは左右の罪人だったのかもしれません。・・・つまり、イエスの両脇で、2人の罪人が十字架にかかったわけですが、その真ん中に架けられた人が巫であり御子なのです。本当に漢字と言うのは、良く出来ている。例えば、蘇我馬子は「我、蘇り、馬小屋の子」と書くでしょう。これ、イエス・キリストそのままなのですよ」
杣「そうですよね」
飛鳥「漢字で考えると、天皇と言うのも実はイエス・キリストの事だと分かる。神である天王(天皇)の階段の下に控えているのが陛下であり、つまり、天皇陛下と言うのは、真の天王であるイエス・キリストである天照大神から主権をお預かりしているわけです。天皇である神の代わりに収めているという立場なのです。
その階段の上に本当の天皇がー天の王がーいらっしゃる。その天の王が戻ってくるまでの間、主権を預かっているという立場の方が天皇陛下なのですよ。
その天の字を、下鴨神社では「二・人」ではなく「工・人」と書いて「「大工」を示す。大工はイエス・キリストの職業ですし、大工はコンパスと曲り尺を使いますからね」