(9)2500年前に公式行事として中国でユダヤの燔祭が行われていた!?
杣「白馬寺の400年後に建てられた禅宗のお寺も行きました。少林寺です」
飛鳥「あの少林寺拳法で有名な少林寺ですか?」
杣「そうです。少林寺は496年の創建で新しい。そこに1565年に建立された石碑には「根元三教九流図賛」と書いてある。これは、有名な石碑で、顔が刻まれていて、正面から見たら釈迦、左を見たら孔子、右を見たら老子の顔になっている。これが何を意味しているかと言うと、これら3つの宗教(仏教・儒教・道教)は1つのものから出た。そして、そこから曹洞宗が生まれたということです。それが、この石碑を立てた明代の学者が理解していたことだった。それでは、この3つの宗教を生んだ1つのものは何かと言うと、その答えは開封のユダヤ教会堂の石碑に書いてある。つまり、アブラハムの教えから、儒教、道鏡、仏教が生まれたと書いてある。その開封のユダヤ教会堂にヘブライ語の教典の絵が残っていて、それを40年間研究したウィリアム・ホワイトと言うカナダの学者がいる。その方は、帰国してから40年間の研究をまとめ、「CHINESE JEWS」(相無宗教)と言う本を出版した。そこにも儒教や道教がアブラハムの教えから生まれたと書いてある。その本には、「盤古」と言う中国の古代の神様はアダムの事だと書いてある。さらに、伏義と女媧と言う神様たちは、フリーメーソンのシンボルでもある直角定規とコンパスを持っている。面白いことに、この女媧と言うのは「ノア」と発音する」
飛鳥「伏義と女媧の話は洪水伝説に関係するから、ノアに直結するのは当然ですね」
杣「はい。それがその本に書いてある。それを裏付けるものが北京の天壇にある。天壇では周の中期、2500年前からユダヤ教の燔祭を行っていた。これが国の公式な儀式として定められたのが2500年前と言うことで、燔祭自体はそれ以前からやっていた。また、漢の初代皇帝が孔子の霊廟で孔子を祀った場面を描いてある絵も証拠の一つです。これは天壇博物館に遺されているが、孔子を祀ったというのは間違っている。つまり、漢の初代皇帝が孔子の霊廟で、孔子が信じていたユダヤ教の神の燔祭を行ったというのが正式な解釈ではないかと思う」
飛鳥「孔子の時代は紀元前5世紀ですから、孔子が祈っていたのはユダヤ教の神ヤハウェだったことは間違いない」
杣「その証拠となる絵を見ると、犠牲として神に捧げられた羊、馬、ヤギが描かれている。この絵から中国では古代からユダヤ教の儀式をやっていたことが分かる。しかも、2500年前に漢の皇帝によって公式行事として行われていた」
飛鳥「それは凄い」
杣「それから若いころにヤンチャして親から曹洞宗の総本山・永平寺に預けられた人に話を聞いたことがある。その方が言うには、一番偉い坊さんが永平寺の本堂にある神武天皇の大きな油絵の前で、「お前、これは神武天皇と言って、日本の最初の天皇やど」と言われた。その絵の神武天皇は剣を持っている。そして、「この剣は十字架を表すということをよう覚えとけ」と。さらに、「寺と言う文字の中に十字架が入っていることを忘れてはあかんぞ」と言われた」
飛鳥「寺に十字架ね。確かにそうなのだ。ラテン語のテラは地球の意味だし、漢字とラテン語はどこかで共通する部分があるかもしれない」
杣「それから、名古屋・栄国寺の切支丹遺跡博物館に、頼富本宏先生とご一緒した時の事です。先生は2016年に亡くなられたのですが、真言宗の種智院大学の学長をなさっていた方で、広く信頼を集める僧侶として世界中に講演へ行くような立派な方でした。その頼富先生が、「杣君、俺がびっくりしたことがあるのや」と言う。「それはね、これや」と言って示したのが、「切支丹不動版画」である。つまり、不動明王の絵の中に、「ゼウス=ジーザス」の頭文字「J」と「S」が隠された絵だったのですね。名古屋の栄国寺と言う浄土宗の寺に堂々とこんなものが置いてある。これは実は、真言宗ではマル秘中のマル秘であって、絶対に語ってはならないし、知っているのはごくわずかの人だけです。ところが、それが浄土宗の寺の絵にある。先生はこれを見てびっくりしたと言っていた。その先生が私に見せてくれたのが、メノラーの7枝の燭台部分のそれぞれに仏が乗っている像。これは台湾の故宮博物館でも、2つか3つあるかどうかと言うほどの貴重なものだという。先生は「中国のお寺から預かっているんや。俺のもんちゃう」と。「いつどうなるかわからないから先生に預かってほしい、と頼まれて持ってるもんや」と言っている」
飛鳥「それはまさしくメノラーそのものですよ。陰陽道では表が奇数の雄で、裏が偶数の雌になる。奇数と偶数で陰陽一体となる。すると、7枝の裏が8枝の8本首となって、メノラーの裏がヤマタノオロチになる。八つの股を持つ動物と言えば、8カ所に三叉を持つ箱しかない。つまり、生贄を求めたヤマタノオロチは、燔祭を奉げた箱の「契約の箱(アーク)」と言うことになる。メノラーもアークも共にユダヤの神殿の幕屋に置かれていた」