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物部氏とアークの謎(8)

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(8)白馬寺が原始キリスト教の教会であることを示す証拠

杣「中国にみられるイスラエルの神の痕跡は、初期のトマスの伝道によるものと証明できる。時期も一致する。賀川豊彦先生が「日ユ同祖論」を言い、佐伯好郎先生が、その賀川先生の本をもとに論文を書いて、東大の博士号を貰ったのはご存じだと思います。その大もととなったのが、ジョン・スチュワートと言う、南インドにおけるトマスの伝道を研究した人が、30年間、研究したことを本にしたものです。それを賀川豊彦先生が訳したものが「景教東漸史」と言う本です」

飛鳥「佐伯好郎はそこから発展させた、と」

杣「佐伯先生は景教の研究で博士号を取ったわけですが、私は、スチュワートの本に書かれているのは景教の事ではないと考えている。なぜなら、景教は431年のエフェソス公会議で異端とされているから」

飛鳥「カトリックのように聖母マリアが神聖であることを認めなかったため、既存の勢力から追放されたからね。以後、ネストリウス派は中央アジアを目指し、その後、モンゴルから中国へと向かった」

杣「431年以降に東に向かい、東洋で景教になった。だから、西暦1世紀のトマスの伝道を研究したスチュワートの本は景教の研究本ではありえない。時代が合いませんからね。そして、トマスは実はイエスの弟ユダの事です。スチュワートの本はユダが伝道した記録を研究したものです。「トマス」とはヘブライ語で双子と言う意味で、本当の名前はイエスの兄弟で弟のユダなのです。なぜ、双子と言われているのかと言うと、イエスとそっくりだったから。これは聖書外典の「トマス行伝」にも出ている。トマスに関しては、久保有政先生も禅宗の祖・達磨大師の・・・・」

飛鳥「トマスが達磨大師のモデルだという説がある」

杣「そのトマスと達磨は命日が同じ。スタイルも一緒。そのトマスの伝道が西暦64年に中国に入っている。景教の東漸年表を詳しく見ると、西暦49年から50年にかけて聖トマスはインドへ宣教に入り、64年、初めて中国に宣教団が入ったと書いてある。だから、スチュワートの本は景教の研究ではなく、トマスの初期教会の研究なのです」

飛鳥「原始キリスト教ですね」

杣「はい。その伝道によってキリスト教が南インドにもたらされ、64年に中国にもたらされた。そして、白馬寺は68年に建てられている。そもそも、白馬寺と言う名前自体が黙示録にある。「ヨハネの黙示録」第6章2節に、7つの封印の1つが解かれたときに現れる「4つの生き物」の1つが白い馬に乗っており、手には弓を持ち、頭には冠を被っていると記されている。天の軍勢は全員広い馬に乗っている」

飛鳥「そうですね。白い馬に乗る冠を被った救世主の事ですね」

杣「それで、何故白馬寺に「天王殿」があるのかと言うと、開封のユダヤ教会堂の石碑には、神様の事を「天」と呼んだと載っている。また、漢書には「天一」「太一」と書かれている。一方、黙示録では神様の事を「王の王」「主の王」と書いてある。だから、「天王殿」なのです。天の王です。しかも、ダビデの星があって、十字架があって、イスラエルのお守りの神の目があって、メノラーとハヌキアがあって、ルーツを示すエジプトのロータスがある。ロータスは仏教のマークでもある。つまり、この白馬寺が仏教の寺を装った原始キリスト教の教会であるという証拠がそろっている」

飛鳥「それだけ証拠があったら、誰も反論できないね。実は仏教にも三柱の教えがあり、中央の仏が阿弥陀如来(あるいは大日如来)、向かって右が観音菩薩(あるいは弥勒菩薩)、向かって左が不動明王(あるいは馬頭明王)の三尊像がある。これは原始キリスト教の、中央の「均衡の柱=天の父」、右の「慈悲の柱=子(救世主)」、左の「峻厳の柱=聖霊」と一致する。実際、如来は太陽系で不動の太陽的存在で、菩薩は救世観音菩薩を挙げるまでもなく救世主ですね。怒りの表情の明王は、汚せば永遠に許さない聖霊と同じです」


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