(5)阪神・淡路大震災で指名に目覚めた(杣氏)
飛鳥「韓半島の根本の高句麗付近に舞い降りた神の名を「解夫婁」と書くが、音読すると、「ヘブル(ヘブライ)」です。韓半島には当時「馬韓」1国のみがあり、その東半分を征服したのが「秦人」であると、中国の歴史書「三国志・東夷伝」の「魏志韓伝」に記されている。秦人とは秦氏の事で、彼らは魏が滅亡する前後、韓半島から大挙して日本に渡来している。太秦公宿祢も有名な秦氏の頭領です」
杣「この太秦公宿祢と秦氏の人々は天皇に温かく迎えられ、重要な地位を与えられて日本に留まった。さらに、その数年後の応神天皇の時代に、弓月王、ヘブライ名で「ハッドキー」と言う名の、別の秦氏の指導者が少数の貴族集団と共に来日している。彼らも天皇によって歓迎を受け、弓月王はいったん自分の部族のところに戻り、また1万8608人もの同族を連れて日本に渡来した。その時に、朝鮮の、新羅と思われる人々の妨害を受けたので、応神天皇が軍を差し向けて救った。これは高句麗の業績を称えた「広開土王碑(好太王碑)」に書いてある。倭(日本)が新羅に軍を送ったと記録されている。そして、日本に渡来した秦氏の人々は奈良に定着したとシャハン教授は書いている。奈良の三輪山にある大神神社の側に「弓月が嶽」と言う山があるが、この「弓月が嶽」はヘブライ語で「ヤツウー・キー・ダカー=圧迫され、脱出した」と言う意味だという」
飛鳥「なるほど。ヘブライ語だらけですね」
杣「秦氏の人々はその高台に住み、そこに兵主神社を創建した。この「兵主」はヘブライ語で、「アヒ・ウゾ=兄弟の力」と解釈できる。そしてこの神社の門にはダビデの星が刻まれている。又、4世紀前後の、応神天皇の時に、阿知使主(アテノオミ)と言う名の秦氏の指導者を頭とする貴族集団が日本に渡来した。彼らも天皇の歓迎を受け、保護された。日本の歴史者の1つである古語拾遺には、使主(オミ)族の貴族の1人である阿知使主が、紀元403年に皇室で最も高い役人である国庫の管理長に任命されたと記されている。
ところで話は変わりますが、私がこうした調査をはじめようとしたきっかけは、阪神・淡路大震災なのです」
飛鳥「そうですか」
杣「すべてが一気に潰されてしまった。自宅や会社も被害を受けた。家族は無事でしたが友達は沢山亡くなりました。その時、聖書的なことを考えた。沢山の人が亡くなったのですが、それにも使命があるのではないかと思った。生き残る人間に使命が与えられた。だから、その使命を果たさないといけない。そういう使命がその時は分からなかった。それで、復興活動に力を入れていたが、久保有政先生の雑誌「レムナント」で、日本語とヘブライ語が似ていることを知り、「これは研究しないといけない」という気持ちでいた。そこにシンガポールでクリスチャンの会議があって参加したところ、韓国人と友人になった。彼は昔、添乗員として日本に何百回も来たという。その彼が「絶対に聞こうと思っていた質問がある」と言う。「日本人は初対面の韓国人の私にも、親切で丁寧で騙すことも無く,全ての人が応じてくれた。韓国ではそういうことをするのはクリスチャンだけだ」と言う。「だから、「あなたはクリスチャンですか」と聞いたら、90数%は「私はクリスチャンではありません」と言う。「その理由をしりたいと思っていた」と言うのです」
飛鳥「なるほど」
杣「それで、「儒教や仏教の影響じゃないですか」と私が答えたら、「それはおかしい」と言う。「儒教か仏教だったら、韓国の方が兄の国じゃないか」と言う。「韓国がそうじゃないから聞いているのに・・・」と。なるほどと思って、「じゃ、2年後に開かれる台湾の会議の時までに調べておきます」と答えた。
それで分かったことは「コラ」とはモーセに逆らったリーダーの名前であり、「アカン」は、エリコの街を攻めたとき、略奪したものをテントの下に隠してユダヤ人を民族危機に陥れた人物の名です。「ダメ」と言う言葉は、ヘブライ語で「穢れている」と言う意味になったりする」