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物部氏とアークの謎(4)

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(4)シャハン博士の主張を裏付けるために調査を始めた(杣氏)

編集部「「古代ユダヤ人は日本に来ていた」などの著書を出されている杣さんにどんな調査をなさっているか、お聞きしたい」

杣「私の行っている調査は、イスラエル国立アリエル大学のアビグドール・シャハン教授の説を裏付けるために始めたので、実地にフィールドワークを積み重ねた結果、ほぼ結論に達しつつある。事の発端はシャハン教授の「失われた十部族の足跡」と言う本です。この本はヘブライ語、英語、ロシア語、日本語に訳されている。そのシャハン教授の説は、イスラエルの失われた10支族が東へ向かったと言うものです。一方、ヘブライ民族が西へ向かったという説は以前からある。モーセも「出エジプト」の時、エジプトにいたイスラエル人が全員モーセについていったわけではなく、一部の人は、そのまま北に向かい、カスピ海のところを通って、ノルウェーへ、それで最終的にはイギリスにたどり着いたという学説があり、それは証明されている。あと、アフリカの方に流れていったという説もあるが、それとは別に、シャハン教授は、イスラエルの一部の人々は東方へ向かい、また、アメリカ大陸にも向かったという説を採っている。シャハン教授によると、紀元前722年に北イスラエルがアッシリアに滅ぼされ、そこにいた人たちがアッシリアに連行された後、今でいうアフガニスタンに連れて行かれたという」

飛鳥「それが「イスラエルの失われた10支族」と言われる人々ですね。北王国イスラエルにいた彼らは「アッシリア捕囚」以後に行方不明となり、一方、南王国ユダにいた人々が後にユダヤ人と呼ばれるようになった」

杣「はい。北イスラエルの人々は「失われた10支族」と呼ばれるようになり、その後、歴史の表舞台から姿を消したように見えるが、シャハン教授の説では、捕囚からしばらくして、メディアとアッシリアとの戦いによるアッシリアの混乱に乗じて、東に逃げたという。なぜ、東に逃げたかと言うと、「彼らは地球が丸いことを知っていたからだ」と言う。西側からは帰れないので地球を1周して帰る人もいたという。ただ、その中でも主体的な人たちは、東の国を目指そうということになった。「イザヤ書」の第24章15節に「あなたたちは東の地でも主を尊び 海の島々でもイスラエルの神、主の御名を尊べ」とあるように、彼らには「東の地」で神をほめたたえよう、という思いがある。「東の地」で「海の島々」と言うのは日本しかないので、そこを目指すことが基本的な合意だった。それでは、そこに行こうということで、北ルート、つまり、アフガニスタンからヒマラヤの北側を抜けて、タクラマカン砂漠とかゴビ砂漠とか、そういうところを通って行った。それが日本への最短ルートだと知っていたからです」

飛鳥「確かに」

杣「だけど、問題はそれが非常に過酷な道だったということ。最短距離だけど気候が過酷。そういうルートを通った彼らの足取りは、川の名前など地名に残っているとシャハン教授は言う。例えば、「ゴビ」と言うのは日本語の「語尾」と一緒で、「最果ての地」と言うような意味。「サハラ」というのも、古代ペルシャ語とヘブライ語の合成で「死の山」と言う意味です。さらに、「タクラマカン」もヘブライ語で「凍えそうなところ」と言う意味です。そのようにヘブライ語の形で、地名に10支族の足跡が残っている」

飛鳥「彼らはそういう形で残すのだよね」

杣「シャハン教授の説では、北ルートを採った10支族の軍勢の内、最初の者達は、日本神話に登場する人物「スサ」を隊長とする先遺隊とともに、紀元前610年ごろに日本に到着したと推測される。スサの孫は日本を短期間支配するが、その後、日本列島の一部の支配権はスサの姉妹であるアマテラスの孫の手に移った。・・・・その後、紀元前585年頃、神武と言う指導者を先頭に、北ルートの大軍勢が、老人、女性、子供たちを引き連れて日本に渡来。そして、神武は日本全土を占領し、日本の天皇家を設立したという。少なくてもシャハン教授はそう考えています」

飛鳥「なるほど、スサノオは物部氏の出雲大社で大国主尊として祀られ、後から渡来したアマテラス系の神々に国譲りをしている」

杣「そして第2波は、5世紀の最初の四半世紀までに朝鮮半島からやってきたという。朝鮮半島に残っていた10支族が中国の侵略などで揺れていたが、5世紀初めころに、朝鮮半島にいた10支族が大挙して日本に渡来した。秦氏の渡来も、その第2波に当たるとシャハン教授は書いている」

飛鳥「タイミング的にはそうなるね。神道も江戸末期から紀元前の古神道と、紀元後の神道に分かれるが、明治時代に万世一系の思想の下で統一され、国家神道になったという経緯がある」

杣「シャハン教授の本では、紀元2世紀に仲哀天皇の時代、秦氏の指導者の1人、太秦公宿祢が突然日本にやってきたと書かれている。諸説あるが、200年頃と言うことで話を進めると、秦氏のリーダーである「ウズマサノキミノスクネ」とは、ヘブライ語で「我々の危機の時の旅路の力」と解することができる。本居宣長は「この名前を形成する文字の意味は不明である」と述べ、8世紀の日本書紀編集者にとってさえ、この名前は謎でした。しかし、これをヘブライ語と見做すと意味のある名前になる」

飛鳥「日本にはそういう形でヘブライ語が隠されている。特に日本独自の読み方はヘブライ語を解き明かすカギになっている」


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