(10)冷泉家に引き継がれてきた秘密と最後の天皇
飛鳥「実は冷泉家に秘密が残されている。冷泉家には当主ですら中を調べられない開かずの蔵が2棟、一説には3棟あるとも言われている。時々、風通しするが、ちゃんと桐の箱があり、それは開けてはいけない。開けられるのは最後の天皇陛下である。冷泉家は単なる和歌読み集団ではない。京都のあらゆる儀式に全部顔を出しているので、最後の天皇陛下が帰ってきた時、開ける蔵がある」
小川「最後の天皇陛下と言うのは・・・・」
飛鳥「今の皇太子が最後である。ラストエンペラーとなる」
小川「それはどうしてでしょうか?」
飛鳥「だから、今、一斉に動いている。平安時代に花山天皇がいた。花山天皇の末裔が作っていくの伯家神道である。伯家神道は表と裏があり、表はベンジャミン・フルフォードだって簡単に接触できるが、裏はそうじゃない。そこには預言がある。本来、天皇陛下になるためには3つの儀式を受けなければならなかった。有名なのは、即位式と大嘗祭である。もう1つ祝(はふり)の神事がある。この3つの儀式を受けない天皇は天皇陛下になれない。この3つの儀式をやっていたのは、後醍醐天皇の南朝系までである。北朝系になってからは即位式しかしていない。祝の神事もやっていないし、大嘗祭もできない。
大嘗祭の一番の要は、四国の忌部、三木家が納める大麻、麻で作ったアラタエと言う反物を用いる儀式である。それは天皇陛下が一回死んで生き返るという儀式であり、その時に天皇はアラタエを二つ折りにして体にかける。アラタエは2種類あって、もう一つは顔にかけるものである。それを天皇陛下が顔にもかける。アラタエがチャンと枕元の丸籠に入っている。これはキリストの時と一緒である。それが聖骸布としてヨーロッパに残っている。アラタエは聖骸布である。亡くなった時に布を顔にかけるのは日本とユダヤだけである。
四天王寺に後醍醐天皇の手形が残っている。聖徳太子の自筆とされる「四天王寺縁起」が四天王寺にあって、後醍醐天皇がそれを写して、自分の手形をバンバンと左手で2カ所置くのだが、釘痕がある。「四天王寺に行くと、聖徳太子の手形があって、何と釘の痕がある」と以前から言われていた。しかし、それは聖徳太子じゃなくて後醍醐天皇の手形だった。釘の痕はどう見ても四角い。五寸釘を打つ儀式をやっていた。本当のイエス・キリストの釘痕は手首にある。天照の御魂を受けるというのは、イエス・キリストの代行をするというぐらいの覚悟が必要だということで、自ら釘を打ったか、忌部の誰かが手伝ったのか分からないが、間違いなく手の平なら自分で釘を打てる。これをやらないと天皇陛下になれない。それを北朝系は一切やっていない。明治になって、忌部がアラタエを納め始める。つまり、天皇陛下が北朝系から南朝系に入れ替わったということである。孝明天皇はやせ細っていて馬にも乗れなかったが、明治天皇は馬に乗る。全然別人である。入れ替わったのである。だから、皇居の前に楠木正成の像を置く。だから、南朝こそ、正しいということを明治天皇が発布する。
明治天皇は、即位式をやり、大嘗祭をやって、祝の神事もやった。大正天皇は御心に病があり、できなかった。昭和天皇は戦争とかいろいろあってできなかった。今上天皇陛下もやっていない。実は、祝の神事をやっていないに天皇が3代続くと、4代目で終わる。もしくは100年間やらない天皇の時代が続いたら、その後の天皇がラストエンペラーと言う預言がある。マヤの預言があった2012年、明治神宮の参道の前に提灯がいっぱいあって、7月30日に、明治天皇がお亡くなりになって100年を記念する明治天皇百年祭があった。これは偶然と思わない方がいい。今、全部一斉に動き始めている。黄金の門の金網が開いていたのも、偶然と思わない方がいい。そこにいたわけでしょう」
村中「そうそう、ドンピシャでね」
小川「その日は礼拝の日で、警備の人が反対を向いていたのです」
飛鳥「(小川さんたちが)イスラエルで儀式をやって、僕が日本で儀式をやった。四隅に行って開けてしまった。これは偶然ではない」