(5)黄金の門を開ける儀式と四隅の儀式
飛鳥「実は黄金の門の金網が開いていたというのと同じようなことがあってね。京都の一番北に船岡山がある。昔、陰陽師が平安京を置くとき、あの山を北の起点にした。南の起点は鳥羽作道をまっすぐおりた甘南備山で、その南北を結んだ線上に羅城門が置かれている。船岡山の頂上には織田信長を祀っている建勲神社がある。明治以降にできた神社である。信長の首は出てこなかったが、いろいろな資料を調べてみると、秀吉が船岡山に信長の首を埋めている。そこにできたのが建勲神社である。ところが、立派なところがカムフラージュなのだ。社殿に向かって左側に小さい祠があって、一応お稲荷さんを装っているが、赤い鳥居も無い。僕と三上編集長が建勲神社に行ったとき、そのお稲荷さんらしきところが開いていて、僕らは船岡山に信長の首が埋まっていると知っているので、三上編集長が「ここがそうだ」と言って写真をたくさん撮った。そうしたら、社務所から4~5人がやって来て、「お前らなんだ」「何しているのだ」と言って物凄かった。「名刺出せ」というから出しました。「学研+ムー」(笑い) 「君ら、学研のような大きな会社の人間でありながら、こういうことをしていいのか」「いや、開いてましたから」「開いていたとしても入っちゃいかんのだ」。それ以後、工事が行われてガッチリ閉じられて、入れなくなった」
村中「一緒ですね。開いていた」
飛鳥「そうなんですよ。あの時、撮った写真はいずれ出すつもりで入るけれど、ああいうのって不思議なものだよね。開いているんだよね」
村中「ちゃんと神様が事前にお開けになるので」
飛鳥「日本人の男が兵士の阻止を無視してけしからぬことに無理やり金網をこじ開け、中に入って」云々と言うのは、実は真逆なんだ。開いていて、兵士が後からやってきたわけだ」
小川「そうそう。黄金の門の上から警備員さんに「お前ら何やっているのだ」って怒られて、銃を持った兵士もやって来て、「ごめん、ごめん」と逃げたのです」
飛鳥「それがまことしやかに逆に伝わってきた」
村中「人数も3人だったのよね」
小川「そう。男3人です」
飛鳥「「三木さん」だったのだ。「三」「人」の「木」と書くと、秦氏の「秦」なんです」
小川「ああ、そうですね」
村中「高知県にも秦の地名があります。幡多と書いています」
飛鳥「「小川」も実は縦三本ずつなので「三三」と書く。三三は三三九度の三三で、門松と一緒の意味を持っているから、男3人で黄金の門に入るというのは、儀式上、必要だったんだよ。やがてあそこを救世主が通りますから、その前に日本人、大和民族が行って、そこで何か儀式をやった。儀式の内容を言って下さい」
小川「黄金の門に向って右側を歩く。門の前の1mほど手前に立ち止り、2歩中央に寄り、右手で扉に触れる」。「扉の開け方。上から時計回りに3回回し、上で停止。左に1回回し停止。上から下に開けると、扉は開く。金箔の種を3個まき、扉を下から上に閉め、右に1回回し、上で止まった時に封印の言葉」。封印の言葉は「子(ね)」と書いてある」
飛鳥「これは凄く意味がある。「子」は、「御子」の「子」、もう一つは北極星です。北極星は神社で言うところの北斗信仰。神道の基本は北極星です。だから、神社はみんな北向きに拝む。太極も北極です。北極は不動の神と言う意味で、これはヤハウェ、イエスのことです。つまり天照です」
小川「ヨハネの黙示録7章には「この後、私は4人の御使いが地の四隅に立っているのを見た。彼らは地の四隅の風をひきとめて、地にも海にもすべての木にも、吹き付けないようにしていた。また、もう一人の御使いが、生ける神の印を持って、日の出る方から上がってくるのを見た。彼は地と海とを損なう権威を授かっている4人の御使いに向かって、大声で叫んで言った」。この四隅と言うのをこの4月にイスラエルでやってきたのです」
飛鳥「4月にイスラエルの地で、ユダヤの地で四隅の儀式をやった。ほぼ同じころ、僕は日本で四隅の儀式をやっている。伊勢神宮がブラックリストのトップワンに挙げているのは僕です。飛鳥が行っても絶対に会うなとなっている。籠神社で海部宮司に会おうとすると息子が邪魔をする。・・・・息子を動かしているのは伊勢神宮です。これ以上バラされては困るということです。海部部氏はお隠れになった。僕はそこから、籠神社、諏訪大社、熱田神宮、伊雑宮の4カ所で三礼三拍手一礼をやった。…もともとは三礼三拍手一礼だったものを、明治新政府が国家神道にするときに、二礼二拍手一礼に変えた。僕は必ず三礼三拍手一礼をやるということで、それを4カ所全部でやってきた。4か所は全部物部氏系です。これをやればオセロの四隅を取ったみたいなものです。・・・出雲大社は西向きで御神体があるけれど、後ろの正面は籠神社である。元出雲も元伊勢も実はカゴメマークを持っている籠神社である。籠神社が一番の要だったのです」