(26)ロックフェラーに毒殺された食事療法の父・マックス・ゲルソン
ライフ博士は末期癌患者を完治させたが、生きながらえただけでも奇跡と言うべきかもしれない。やはり、末期癌患者を完治させ、殺された悲劇の研究者もいるからである。その名はマックス・ゲルソンである。癌食事療法を確立した功績で、世界的に有名である。その著「がん食事療法全書」は、栄養療法のバイブルである。ゲルソン博士は、世界で「食事療法の父」と尊敬されている。彼は、その著で明快に述べている。
「私の治療に秘密なんてない」 つまり、「当たり前のことをしているだけ」と明言しているのである。聖医ヒポクラテスは「食事で治せない病気は、医者もこれを治せない」と述べている。「食」と言う漢字は「人」を「良くする」と読める。まさに、食は生命・健康の原点である。
「肉体のすべての内臓、器官、組織の代謝には、調和が保たれていなければならない。この調和こそは、生命の究極のミステリーであり、これが健康と命の調和という形で表現されているものである」「どんな場合でも、代謝の乱れが生じると、それが病気の始まりになる」(ゲルソン博士)
東洋医学では、万病の原因を体毒とする。それは、代謝の不良で、体内に溜まった毒素である。それは誤った食と誤った心が原因だ。前者は偏食、過食、暴食であり、後者は苦悩、不安、悲嘆である。ゲルソン博士は、食事の改善から、生命の改善を目指したのである。博士は、癌は食事の乱れを最大原因とする全身の退化が原因と言う。だから、癌と言う一部のみを攻撃する薬物療法を根底から否定している。
「対症療法は、それぞれを土壌、植物、動物あるいは人間のいずれに適用した場合も、本質的には有害である。医療に適用される場合も同じである」→ゲルソン博士は農薬、化学肥料まで批判している。
「それぞれの部分は大切である。しかし、究極的な秩序を持った全体は、もっと大切である」「栄養の観点から観察すると、植物も動物も人間も、永遠の大自然のサイクルの一部でしかないと気付き、自然なスタイルで生活している人には癌は無い。この事実は、何世紀にもわたって明らかにされている」(ゲルソン博士)
これは明らかに東洋医学の思想である。さらに博士は、次のように警告する。
「これに反して、食事をますます大規模に近代化させてきた世界では、比較的短期間で癌を含めた退化病の犠牲になるようになった」(ゲルソン博士)
「最近の医学的観察で、癌と無縁なことで一番有名なのは、ヒマラヤのフザンの人々である。山中の斜面に住み、自分たちの土地で撮れる自然な堆肥で育てた食べ物だけで生きている。外部からの食物はタブーである」(ゲルソン博士)
だから、ゲルソン博士の指導する食事療法はヒマラヤの人々の食事に近づけたものである。それは、一言で言えば、徹底した菜食(ベジタリズム)である。それも、完全菜食に近い。博士は、この自然な食事療法で、当時、不治の病と言われていた結核患者を100%完治させている。これまで結核は、感染症と言うのが、世界的常識だった。しかし、実は食原病だった。日本でも「結核患者は、いい栄養を取るのが一番」と言われてきた。だから、結核患者には肉、牛肉、卵、砂糖などの栄養価の高い物が積極的に与えられてきた。実はこれらが結核を悪化させていたのである。その悲劇の典型が、俳人、正岡子規である。骨の結核と言われる脊椎カリエスで病床に伏せっていたが、医者の勧めるままに、三食栄養のあるものを腹いっぱい食べていた。だから、カリエスは治るどころか、急速に悪化して、正岡子規は35歳の短い生涯を閉じた。
癌も結核と同じ血液の汚れが原因である。そして、ゲルソン博士は、末期癌患者を食事療法で救った。すると、米国医師会が動き出した。なんと、彼らはゲルソン博士の医師免許剥奪を画策したのである。政府も弾圧に動き出した。しかし、博士はひるむことなく食事療法で癌患者を救い続けた。そして、博士は1959年、突然、不可解な死を遂げた。船瀬氏は、来日していたゲルソン博士の孫、ハワード・ストラス氏と会う機会を得た。彼は祖父ゲルソ博士の伝記「ゲルソン博士ー絶望を癒やす」を執筆していた。
そこで船瀬氏は、彼にこう尋ねた。
「あなたの祖父ゲルソン博士は非常に元気だったのに、不可解な亡くなり方をしています。噂では、暗殺されたとも言われています。それは本当ですか?」
巨漢の彼は、表情も変えずに、淡々と答えた。
「その噂は本当です。祖父は暗殺されたのです」
びっくりして「いったい誰に?」と訊ねると。
「新しい女秘書が祖父のコーヒーに砒素を盛ったのです」
「しかし、誰かが彼女を雇って、殺させたのでしょう。それは誰ですか?」
「ロックフェラー・ファミリー・ファンド」
表情も変えずに一言。その目には深い悲しみが宿っていた。